星の王子さまアレコレ その6
(その5からのつづき)
アルコール(酒)は、現在までの社会においては、飲みすぎには注意する必要があるが、 “れっきとした嗜好品”であるというのが一般的な“常識”となっています。実際、多くの人が、「酒を飲むと安堵感や喜びが得られる」と思いながら、たまには飲みすぎることもあるかもしれないが、基本的には自分の意志で好きな時に酒を飲んでいる、すなわち、酒をコントロールしていると思っています。
けれども、真実は、アルコール(酒)も強力な依存性薬物であることは科学的な“常識“なのです。つまり、スモーカーがニコチンに依存しているのと同じように、ドリンカーはみんなアルコールに依存しているのです。アルコールに依存しているからアルコールを飲むのです
タバコについて前回書いたことはそっくり酒にも当てはまります。たとえば、ドリンカーは酒をコントロールできていません。こう言うと、「そんなことはない! 自分は自分の意志で好きな時に酒を飲んでいる」という人がたくさんいます。
でも、それはまだ依存症の初期だからです。アルコールはニコチンに比べて、一般的に依存の進行がかなり遅いのです。タバコもそうですが、依存症の初期においては、みんな自分でコントロールしながら薬物を摂取していると思っています。でも、依存性薬物の怖さはまさにそこにあるのです。依存性薬物は摂取者に自分でコントロールできていると思わせながら、摂取者を薬物依存の深みに引きずり込んでいくのです。ということは、摂取者が自分はコントロールできていると思うことぐるみ、すでに依存性薬物にコントロールされているということです。
スモーカーやドリンカーは決してタバコや酒から喜びを得ているのではありません。真実は、タバコやアルコールを摂取するたびに、前に摂取したタバコや酒自体が引き起こした不快感を部分的かつ一時的に解消してホッとする感覚を真の喜びであると錯覚し、繰り返しタバコやアルコールを摂取しているにすぎません。ですから、この連鎖は、きっぱりやめないかぎり、どこまでも続いていくのです。
サンテグジュペリはその真実を「酒を飲む恥ずかしさを忘れるために酒を飲むのだ」と、ある意味では、滑稽でユーモラスに表現しています。しかし、この呑み助が自分だったとしたらどうでしょうか? 決して「滑稽でユーモラスだ」などと言えないのではないでしょうか? まさに悲惨で哀れな状況であると思いませんか? 自分はタバコも酒もやらない、あるいは、ちょっと嗜む程度だから大丈夫と思っていても、この社会にはタバコや酒のワナに陥って苦しんでいる人がたくさんいます。
「それは自己責任だ」という人もいますが、それこそ自らの無知を暴露した暴言です。タバコや酒は強力な依存性薬物であるにも関わらず、堂々と合法的に広く販売されていることこそが問題なのであって、スモーカーやドリンカーはその犠牲者なのです。
タバコや酒は氷山の一角にすぎません。この社会では、いろいろな分野において、実に巧妙・狡猾な仕掛けによって人を苦しめ搾取することが公然と行われていることをしっかり見抜く眼を持ちたいものです。