星の王子さまアレコレ その1
読まれた方も多いと思いますが、『星の王子さま』はフランスのサン・テクジュペリが書いた童話です。
彼は「子どもたちにはすまないが、私はこの童話を子どもだったころの私の一番の親友である一人の大人にささげたい。大人は誰でも初めは子どもだったのだ。」と言っています。
「大人は誰でも初めは子どもだった」。とても意味深い表現ではありませんか。僕は、彼はこの童話を子どもたちよりも大人の人にぜひ読んでほしかったのだと思います。
僕は若い頃からこの童話が大好きで折に触れては読み返してきましたが、昨年の12月にロマンス語系統の各国語を同時にブラッシュアップをしようと、まずこの童話のある章をフランス語で読み、続いて同じ章をスペイン語で読み、さらに同じ章をイタリア語で読むというやり方で、この童話を1章ずつ最後の章まで読み進めるということを試みました。
今回、この童話について何か書きたいと思ったのは、同じところを繰り返し読んでいるうちに、作者の言いたいことが以前に比べて格段に深く感得される体験をしたからです。そして、あらためて、みなさんにとっても存在の真実をより深く理解するためにこの童話を深く読み解いていくことがとても有効ではないかと思ったからです。
次回から何回かに分けて、僕がその時々に面白そうだと思う箇所を意味を損なわない範囲で大まかに訳した後で、思いついたことをアレコレ書いていくつもりです。もしこの童話を全部通して読んでみたいという方は、たとえば、岩波少年文庫の『星の王子さま』 サン・テクジュペリ作 内藤 濯訳 を購入されてはどうでしょうか。
作者のサン・テクジュペリは作家であると同時にパイロットでもあったようです。物語は一人のパイロットが操縦する飛行機が人里から何千キロも離れたサハラ砂漠の真ん中に不時着するところから始まっています。
パイロットはケガもなく無事だったのですが、飛行機は故障して、そのままでは再び飛び立つことはできません。しかし、乗員は他には誰もいなかったので、たった一人で壊れた飛行機を修理しなければなりませんでした。
パイロットは途方にくれていましたが、やるしかないのです。それはまさに命に関わることでした。
その時、突然「ヒツジの絵を描いてよ」という声が聞こえたのです。「エッ!?」と思わず振り返るとそこに小さな子どもが立っていたのです。人里から何千キロも離れた砂漠のど真ん中です。まさに驚きとともに、不思議で幻想的な雰囲気がゾクゾクと伝わってきますね。
それがパイロットが星の王子さまと初めての出会った瞬間でした。
このように、『星の王子さま』はその全編がいい意味で実に巧みに構成されて、存在の真実を深く追求せざるをえないような仕組みになっています。
実は、この童話を書き終わった数か月後に、サン・テクジュペリ自身が操縦する飛行機が地中海上空で行方不明になってしまいました。一体何があったというのでしょうか。彼の人生はすべて何か不思議さに満ちていたようです。
いずれにしても、『星の王子さま』は私たち大人すべてへ残したサン・テクジュペリの遺言であると僕には思われるのです。
お薦めの岩波少年文庫のものをちょうど持っていましたので、またじっくり読むのが楽しみです。
長年の心の宿題に、春がやって来た!と感じています。
いったい誰に、何に、どう「ありがとう」と言ったらいいのかわからないぐらい、この世界にはとてつもない包容力があるんですね。
子どもの頃の純粋な気持ちを大切にします。
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