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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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決断するということ その2

決断するということ その2
(その1からの続き)

その1では、タバコを例に、右側の妄想による葛藤の世界からポンと飛び出して、左側の絶対真実の世界に移ることが正しい決断の仕方のポイントであり、もっとも楽なやり方・生き方だということを述べました。

けれども、決断をすると言っても、一見、必ずしも右側とか左側の世界ということに関係ないような場合もたくさんあります。そんな場合には、何が正しい決断のポイントなるのでしょうか?

それは一言で言えば、そうしようと決断することに重要性や興味を感じているかどうかということです。

たとえば、毎朝1時間早く起きてラジオ講座でロシア語の勉強をしようと決断したとします。

その場合に、早起きして勉強が継続できるかどうかは、実は、エッと思われるかもしれませんが、意志の力はほとんど関係ないのです。

でも、ただ暇つぶしに何となくロシア語を勉強してみようかという程度では、すぐにくじけてしまうことは見え見えですよね。

では、何が継続できるポイントかと言えば、なぜロシア語ができるようになりたいのかという理由というか目的が明快であり、それを実現したくて、したくてしかたがないというようであれば、毎朝張り切って、喜々として布団を蹴って飛び起きるでしょう。

僕はもともと早起きの質(たち)ではないのですが、冬でも夜中に一度か二度、そして、毎朝5時か5時半に、それこそ、喜々として起きます。なぜだと思いますか?

冬は標高が高い我が家はとても寒いので、ネコたちが寝ている居間はいつもストーブでマキを燃やしています。でも、そのストーブは3時間おきぐらいにマキを補充しないと居間は寒くなってしまうのです。それではネコたちが可哀そうです。

ですから、僕は夜中でも朝早くても喜んで起きて、マキをストーブに補充しているというわけです。でも、僕にとっては少しも苦ではありません。そうできるのが嬉しくてしかたがないのです。

これと似たような体験を小さなお子さんをお持ちのお母さんはいつも体験しているのではないでしょうか? これは決断なんか縁のない世界の話です。でも、だからこそ、本当の決断だと言えましょう。

さて、夜中に一、二度起き、そして朝5時、時には、4時にストーブにマキを入れた後、僕が何をするか想像できますか?

またすぐ寝る。チガイます。

まずは、ネコたちにエサをやります。ネコによってエサも置き場所も違うので、結構時間がかかります。

それから、また寝る。チガイます。

それからスペイン語の勉強を1時間ほどやります。

さすが! 昇平先生、すごく意志が強いと思いますか? 

答えは「全然!」です。

だって、やりたくて仕方がないんですから。スペイン語がもっとできるようになれば、自覚のセミナーや整体やネホサのメッセージをどんどんスペインや中南米に広め、友達をたくさん作ることができると思うと、嬉しくて、嬉しくて、勉強していても楽しくてしかたがないのです。それだけです。

以上は僕の生活のごく一部にすぎません。一日中そんな感じで楽しく生きています。

奈央先生は若い時からそんな僕を見ていて「昇平さんはすごい努力家だ」と思っていたようですが、僕はまったく努力家なんかではありません。ただ、本当に好きなことを喜んでやっているだけなのです。

これは決して自慢話でもなんでもありません。僕はイヤなことはしたくないのです。そういうことも一生懸命努力してやっている人はすごいと思わないわけではありませんが、本当のことを言うと、そんなことはどこか違うと思っている自分がいます。

この人生、僕は“本当に”楽しいこと、“本当に“嬉しいことだけをやっていくべきだと思います。

でも、まずは、何が本当に楽しいことか、何が本当に嬉しいことかをしっかり見極めることが何よりも重要です。

それがはっきりすれば、決断は簡単ですし、それがずっと継続します。そして自然と道が大きく開けます。

これが実証済みの、万人にお勧めしたい最高の“引き寄せのテクニック”です。

(おわり)

(日ごろからなかなかきちんとした決断(決定)ができない方、決断してもいつの間にかその決断が揺らいでしまうような方はこの文章の真意をしっかり掴むまで何度も読んでください。)





決断するということ その1

決断するということ その1

僕自身も過去において何回も体験したことですが、みなさんの中にも「今度こそはとあることについて固く決断したにもかかわらず、しばらくすると、その決断が揺らいできて、ついには元の木阿弥となってしまい、なんて自分は意志の力が弱いのだと嘆いた経験を持っている方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

この問題をどう解決するか?
そのためには、例のタバコ図を使って解説するのが一番わかりやすいと思うのです。このブログを読んでいる方のほとんどがノンスモーカーだと思うのですが、その方がタバコ問題の本質について理解しやすいだけでなく、この「決断」という問題についてもその本質を明快に理解できるからです。

スモーカーにとってタバコをやめるのが難しいのは、タバコを吸うようになるとアタマがいつの間にか「タバコの世界」に入ってしまい、そのタバコの世界の考え方や感じ方を当たり前だと考えるようになります。

それは、「タバコは健康に悪い、お金がかかる、他人に迷惑がかかるなどの不都合はあるが、とにかく、タバコを吸うとホッとするんだ。この生きづらい世の中を生きていくためにはタバコは何よりも心強い支えである」というわけです。もし、健康を害しないタバコが開発されれば、禁煙をしている多くの人が再び喫煙生活に喜々として戻っていくでしょう。

ところが、このようなことはノンスモーカーには信じられないことです。というのは、ノンスモーカーにとっては、タバコは何の価値も魅力もなく、タバコがなくてもすっきり楽しく生きて行けるからです。

皮肉なことに、それはスモーカー自身タバコを吸い始める前に感じていたことなのですが、スモーカーはその事実をアタマでも感覚的にも忘れてしまっているのです。それほどタバコの依存性は強力だということです。

そのために、スモーカーがタバコを止める方法は、必然的に、吸いたい気持ちを精神力で押さえつけようとする、いわゆる、「ガマンの禁煙」になってしまいます。それは潜在意識にある吸いたい気持ちと表面の意識にある「やめなければならない」という気持ちの戦いです。しかし、表面の意識は潜在意識(本音)に叶うはずがないので、どんなに固く決断しても失敗に終わってしまいます。

では、どうしたらよいのか? 
そもそもタバコの世界で何を考え、何を決断しようとしてもムリなのです。「タバコが必要だ」という錯覚の上に成り立っているタバコの世界に見切りをつけて、ポンと飛び出せばそれで終わりです。そこには「もともとタバコなんか必要ない」という本来のノンスモーカーの世界がどこまでも広がっています。精神力は必要ではありません。

タバコ以外のことで何か決断する場合にも、多くの方は右側の二つの考えの葛藤する世界の中で心を戦わせながら、こうあるべきだと思い込み、何とか精神力でそれに反する思いを抑え込もうとしています。これでは絶対にダメです。

ですから、まず、何が左の世界の真実の生き方であるかを直感ではっきりさせ、それで行こうとポンと決断すればそれで終わりです。葛藤はありません。

本当に決断すべきことは「あ、そうか」と気づいて、右の妄想の世界からポンと左の真実の世界に飛び移ることです。


(つづく)




いのちの塾メモ4

いのちの塾メモ4

1 ”実相“とは「この世界や自己の真実の在り様」であり、”仮相“というのは「この世界や自己の見かけの在り様」である。
しかし、日常的なレベルでの生き方を考えるために、分かりやすく、今仮に、「その価値が状況の変化などによって決して変わらないもの」を“実相”、そして、「その価値が状況の変化などにより変わってしまう一時的なもの」を“仮相”と呼ぶことにする。

このように仮に定義した場合に仮相の代表的例は金や地位である。そして、実相の代表的例はいい人と出会い仲良くなることや困っている人に親切にすることなどである。生き方として本当に大切なことは、常に何が実相で、何が仮相であるかをしっかりと見極め、仮相のものを相手にしないで、実相だけを相手にして生きることである。

仮相のものに振り回されて生きるのでなく、人と仲良く生き、困っている人のために全力で尽くし、一日一日を明るく笑いながら生ききることこそ、実相の生き方である。

2 現代は情報の世界である。はっきり言えば、その大部分がどうでもよいいい加減なものであるが、ほとんどの人が情報に振り回されて生きている。情報が多いと全体が見えなくなり、真実が見にくくなる。

まさに洗脳社会の極致と言える状況である。今こそ何が真実かということ、何が大切なことかということ、すなわち、実相を確かめて悔いのない生き方を心掛けることである。
その生き方こそ自分や自分の家族のためだけでなく、すべての人のためになるのである。

そういう意味で、自覚のセミナーや整体ライフスクールやネホサの考え方を規範とし、常に直感と真心(自分自身の奥の奥から聞こえてくる言葉)を大切にして、揺るぎのない生き方を心掛けることである。

そのためには日々、いのちの瞑想、川の瞑想、空の瞑想、そして、自観法、そして、もちろん、活元運動を心掛けて、怠らないことである。直観力は雑念や妄想が多い人は出にくいからである。

3 人生の大道を歩く。こういうと難しいと思うかもしれないが、要するに、存在の真実をキチンと腹に据えて、直感と真心に沿って生きればよいのである。

世間ではテレビや新聞、あるいは、ネット上で、識者その他がいろいろ言っているが、それらはいかにも権威があるような気がするかもしれないが、そのほとんどは意味がないと思って自分の直感と真心を中心に置いて生きた方がよい。

4 どんな状況にあろうと、今を楽しむ。今を楽しめない人はこれからもずっと楽しめない。楽しむと言っても、自分だけよければよいということであれば、それは真逆である。いつも人の幸せを思い、そのために全力で生きることこそ、本当の自分の喜びである。それが今を楽しむということである。自分さえよければよいというそんな生き方の愚かしさに気がついて、生きる方向を180度転換するべきである。

いや、自分はそんな悪人ではない。自分なりに人も幸せになってほしいと思っていると言っても、それが自分の家族という範囲にとどまっていれば、それはまさに家族エゴである。そんな人は顔を上げて生きる資格がない。というか、一刻も早く悔い改める必要がある。偉そうに言っているが、残念ながらそれは過去の自分を含め多くの人の生き様である。

5 イヤなこと、心配なことは考え続けない。そうすれば、すぐに忘れられるようになる。心配しているよりも、できることがあれば行動する。できることがなければ、それ以上心配しないで、他のことに気持ちを向ける。

6 バカをやめて、リコウになろう。この一言に尽きる。

7 いつも溌溂として爽やかに生ききる。

8 気持ちがいい。気分が悪い、気が散る、元気、病気、やる気、気にする、気まずい、気が向く、気がつく、気が入る、気が抜けるなど、日本語には「気」が付く言葉がとても多い。欧米の言葉には日本語の「気」に当てはまるような言葉はないようだ。

日本語の「気」は本来何を意味しているのか? これらの「気」が付く言葉はおおむね人間の感情を表しているようであるが、「気」の真の意味は人間そのもの、この世界のすべてに働いている根源のエネルギーあるいは愛のようなものだと言えるだろう。もし一言で言うとしたら、それは“いのち”だ。気は“いのち”である。つまり、この世界そしてすべてのものの本質は眼に見えない“いのち”なのである。

したがって、善い気、健康な気、明るい気、活発な気をいつも取り入れるように心がけることである。同時に、人と接するときは善い気、健康な気、明るい気、活発な気をどんどどん出していくことで、みんなが幸せになれるのである。

9 もし病気になっても、明るい気持ちでいれば、自分を整えようとする働きが活発になる。だから、体が病んでも、心まで病ませないことだ。

10 夢を持って生きる。理想と呼ぶにふさわしい理想を自分自身に掲げて毎日を溌溂と生きる。

11 宗教は嫌いだ、という人は多い。ある面では同感である。つまり、いい加減な教えをもっともらしく人に押し付けたり、洗脳するのは大問題である。しかし、金や地位や学歴などを求め、自分や自分の家族、自分の店、自分の会社さえよければというのもこの社会による洗脳だということに気がつかなければならない。


まだまだいろんなことが次々とアタマに浮かんでくるが、今回はこのくらいにしておきたい。
要するに、本当は誰でもどう生きれば本当に幸せになれるかということを知っているのだ。
自分の内なる声(真心・不生の仏心・平常心)に沿って生きればよいのである。
本当に生きるというのはそれほど簡単なことである。





健康の自然法

健康の自然法

野口整体の創始者野口晴哉先生のご著書のなかに『健康の自然法』というタイトルの本があります。

「自然健康法」ではなく「健康の自然法」となっているところが健康というものの心髄を表しています。

「自然健康法」であれば、いくら「自然」という言葉が使われていても、結局は、人間がアタマで考え出した「自然」であり、真の自然、生(ナマ)の自然そのものではなくなります。

それに対して、「健康の自然法」というのは「心身の健康は心身そのものの中にもともと自然に備わっている。したがって、心身の自然なハタラキに任せれば健康を保つことができるのだ」という真実を表わしているのであり、数ある健康法の一つではないのです。

この世界は、本来、みんな一緒、みんなでひとつの世界です。ですから、本来、対立するものはありません。もともとすべてが調和し支え合うようにできているのです。もともと一つですから、それが分かれて形の上では複数のものが出来たように見えても、お互いがお互いを支え合い調和するようになっています。

たとえば、植物は空気中から二酸化炭素を吸収して酸素を空気中に吐き出します。植物が吐き出した酸素を動物が吸って、二酸化酸素を吐き出します。その二酸化酸素を植物が吸収するわけで、その循環・支え合いがどこまでも続きます。動物は植物なしには生きられません。そして、植物は動物なしには生きられません。それは私たち人間も同じです。

植物は太陽なしには生きられません。しかし、太陽は植物なしにも輝き続けることはできます。それは確かですが、太陽だけでなく、空気も、水、その他の養分などに関しても、植物も動物も、そして、人間もそれぞれがまったく単独で生きることはできません。みんなそれぞれ周りのすべてのものとの循環・調和・共生・持続の中でしか生きることはできないのです。

このように、私たちの社会も大宇宙や植物や動物を含めた大自然とともに、すべての人や集団や組織が自ずから循環・調和・共生・持続するのが本来の自然なあるべき姿なのです。
そこに、個人個人の真の幸福と平和があり、また、全体の真の幸福と平和があるのです。
それは大宇宙の星々の運行や大自然の循環・調和・共生・持続する姿に現れています。人間の心身ももともとひとつの小宇宙、小自然であり、周りのすべてのものと、そして、すべての細胞や器官、組織が自ずから循環・調和・共生・持続しています。つまり、もともと、そのままで健康・幸福・平和に生きられるようにできているのです。

この世界に多くの不幸な人が存在し、未だに、真の平和な世界が実現できていないのは、みんな一緒、みんなで一つ、つまり、不可分一体という当たり前の存在の真実が見失われているからなのです。

私たち人間は万物の霊長と自負しながら、自らの自然に反する生き方をしています。これでは、科学や技術が進歩・発展すればするほど、自らの自然から遠のいて、自分の首を絞め続けることになります。

私たちはあらためて「この世界とは何か? この自分とは何か? 何のために生きているのか?」と真剣に、そして、素直な感覚で問い直さなければなりません。

「健康の自然法」という言葉にすべてのカギがあります。





整心

整心

整心(せいしん)とは僕が作った造語です。その意味は「本来の心(真心)ですべては整う」ということです。

ところで、仏教でいう「悟り」ということの意味は、手元の広辞苑によると、「心の迷いを去って真理を体得する。煩悩(ぼんのう)を脱して涅槃(ねはん)を得ること」となっています。ちなみに、「涅槃」とは「煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態。仏教における理想の境地」となっています。

「本来の心(真心)ですべては整う」という意味は、「悟り」という言葉を使って言い換えれば、「私たちはみんなすでに“悟っている”」ということです。

「えっ!?」と思われたかもしれませんが、決して、詭弁やこじつけで言っているのではありません。僕は本気で「私たちはみんなすでに“悟っている”」と言っているのです。その真意を分かりやすく説明しましょう。

37億年前にこの地球に最初の生物が誕生して以来、私たちの先祖は数多くの想像を絶する困難と危機を乗り越えながら、天文学的な回数“いのち”を世代から次の世代へと1回も途切れることなく繋いで進化を重ね今日の私たちに至っています。

ということは、この進化の頂点にいる私たちひとり一人の人間はどんな困難や危機をも乗り越えることのできる最強の能力をすでに備えているということです。

たとえば、人間の体にはもともとそれ自身健康を保ち、自らを整える強力なハタラキ・自然治癒力が備わっています。現代では私たちの自然治癒力を過小評価する風潮が非常に強くなっていますが、37億年もの間、薬や何か外部の手助けに頼ることもなく、幾多の困難を乗り越えながら、たえず進化を繰り返した私たちの体はそんなヤワであるはずがありません。

その真実を豊富な実践をもって証明し説かれたのが野口整体の創始者である野口晴哉先生です。野口先生は「整体」ということを説かれました。整体とは「体は自ら整うようにできている」。すなわち、私たちの体にはもともと自らを整え健康に生きる充分な能力がすでに備わっている」ということです。ですから、私たちはそのハタラキに全部任せさえすれば、楽に健康に生きていくことができるのです。

体と同じように、”いのち”が顕現した一元絶対、不可分一体の世界においては、”いのち”である私たちの本来の心(真心)に全部任せれば自ずから自分も整い、周りも含めて、一切のことが整ってうまく行くようになっているのです。

ここで、「では、どうしたら真心で生きていけるのか?」と思う人もいるかもしれませんね。

それは、実に簡単です。もともと真心しかないのですから、「真心しかないのだ」だと決定(けつじょう)して、真心でいればよいだけです。

怒り、恐れ、嘆き、落ち込み感、優越感・劣等感、好き嫌い、対立観、所有観、ケチな根性・身びいきなど、二元相対的にしか思考できないアタマで後天的に身に付けてきたバラバラ観が出てきても相手にしないのです。

「そう言われても。それが難しいのだ」というような人は自観法をマメに実修することです。そうすれば、そのうちに、いつでも真心でいることができるようになります。




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