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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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永遠(とわ)の祈り

永遠(とわ)の祈り

僕は毎年1月の1日から7日までを自分にとっては”聖なる週間“としてとても大切な日々と感じながら過ごしています。

僕は毎年クリスマスイブぐらいから仕事の量を減らしてこの”聖なる週間“に向けて、少しずつ心の準備を進めていきます。

そして、年が明け、”聖なる週間“が始まると、折にふれて、絶対の静寂に身と心を投げ入れて、この世界の生きとし生けるものの永遠(とわ)の幸福と平和を心から祈ります。

でも、このように祈っている時の僕を見ても、普段の様子と全く変わらないので、まさか絶対の静寂の中で祈っているなどとは誰も思わないでしょう。

“絶対の静寂”と言っても、すべての音を消してとか、音が聞こえてこないところに行ってということではないのです。

どんなにいろいろな音がしていようと、そこには同時に絶対的に静寂な世界が存在しているので、そこに身も心も投げ入れてしまうだけのことです。

これは僕の勧める“川の瞑想”に熟達した方であれば、簡単にわかる事実であり、本当は決して特別なことではありません。

いずれにしても、この”聖なる週間“において、僕は折に触れて何度も、この世界の生きとし生けるものの永遠の幸福と平和を心から祈ります。

それが僕の1年の始まりです。

“祈り”と言えば、僕は神社やお寺に行っても、自分のためや自分の家族のために祈ったことは一度もありません。

自分のことや自分の家族のことは、ただ自分が精一杯努力するだけだと思っているのです。

まして、自分や家族の幸せだけを神仏に願うなどということは、あまりにも身勝手なふるまいであり、天に唾をするようなものだと思うのです。

僕は神社やお寺でも、父なる大宇宙、母なる大自然に対して、こうして生かされている恵みに対してただ感謝の言葉を捧げるだけです。

そして、感謝の言葉と同時に、父なる大宇宙、母なる大自然に対して、自分がこれからも精一杯この世界の生きとし生けるものの永遠(とわ)の幸福と平和の実現のために精一杯努力していくことを誓うのです。

僕は普段でも折に触れて、何気ないところで祈りを捧げています。

それを僕は“永遠の祈り”と密かに呼んできました。

ところが、先月12月のある日テレビで旅番組を見ていたら、シルクロードのオアシス敦煌の郊外にある莫高窟(ばっこうくつ)という仏教遺跡の中の第328窟が紹介されました。

そこに映し出されたのは、ひっそりとした洞窟の中でお釈迦さまと菩薩、そして、お弟子の方々がひたすら祈っていらっしゃるお姿でした。

それは、まさに、“永遠の祈り”そのものでした。

今から1400年ほど前に掘られ、長年ほとんど誰にも知られることがなかった洞窟の絶対の静寂の中で、このお方たちは私たちのためにひたすら祈ってくださっていたのだと思いました。

そして、あらためて、この世界には私たちを常に導き守っている力が厳然として働いていることを強く実感じました。

その力に促されて、僕も永遠の祈りを捧げるのです。





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爽やかに生きよう

爽やかに生きよう

僕は22歳のころに、「この人生を爽やかに生きよう!」と決心しました。

それは、何よりも和田重正先生に出会ったことが大きなきっかけでした。

先生に出会って、それまでの自分の生き方が爽やかどころか、むしろ、真逆だったということにあらためて気付きました。

それ以来今日まで「爽やかに生きよう!」という言葉を折に触れてこころのなかでつぶやきながら生きてきました。

実際は「お前さんの一体どこが爽やかなのだ?」と言われれば返す言葉も見つかりませんし、自分が未熟なのは一番自分自身が自覚しています。

その一方、爽やかに生きようと決心する前よりは随分爽やかに生きているのではないかと思っていることも事実なのです。

いずれにしても、僕の「爽やかに生きよう」という言葉をより具体的に表現すると、「どんな状況のなかでも、あるいは、どんなことが起こっても爽やかに生きよう」ということになります。

というのは、この人生は必ずしも自分の思い通りにはならないからです。

「この人生は必ずしも自分の思い通りにはならない」、これは絶対の真実です。

それは思いは事実とはもともと違うからです。

思いの流れと事実の流れは違うと言ってもよいでしょう。

思いを描き、それに基づいて事実に働きかけることはできますが、そうすることによって事実が必ずしも思い通りになる、あるいは、変わるとは言えません。

ですから、物事が自分の思い通りにならなかったといって、暗くなったり、悲しくなったり、腹を立てたりするのは大損なのです。大馬鹿といったほうがよいかもしれません。

多くの人は、アタマのどこかで、「事実は思い通りになるはずだ」と思い込んでいますが、
本当はそれは錯覚であり、妄想です。

また、「ねばならない」という観念に縛られている人も非常に多いようです。

でも、よく検べてください。本来、この世界に「ねばならない」ということはどこにもないのです。

「こうでなければならない」という錯覚、いや、妄想に捉われて、自分を、そして、周りの人々を苦しめる愚かさに一刻も早く気付いてほしいとこころから願わずにはいられません。

これは大変失礼な表現で、傲慢な言葉に聞こえるかもしれませんが、一番愚かなのは僕自身だったと認めざるをえません。

「いや、それが錯覚、あるいは、妄想だということがどうも実感的にはっきりとわからないのだ」という方もいるかもしれませんね。

そういう方にお勧めの方法があります。

それはそれが錯覚、あるいは、妄想だとわからなくても、今この瞬間から「どんな状況でも、どんなことが起こっても爽やかに生きていこう」と決意して生きていくことです。

そうすれば、実際に、どんな状況でも、どんなことが起こっても爽やかに生きていくことができますし、また、「事実は思い通りになる」とか「思い通りに事実はならなければならない」などということが錯覚、あるいは、妄想だったことが自然にわかってくるのです。

やってみればわかります。





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人生の宝庫を開く三つの鍵

人生の宝庫を開く三つの鍵

もう何十年も前になりますが、僕が初めて小田原の「はじめ塾」に和田重正先生を訪ねたとき、教室に次のように書かれた額が掲げられていました。

人生の宝庫を開く
三つの鍵
1 ケチな根性はいけない
2 イヤなことはさけないで
3 ヨイことはする

最初は「人生の宝庫を開く三つの鍵かあ。何だか大げさだなあ」と感じました。

でも、3回ほど繰り返し読んだとき、「あ、そうか。そうしよう」と思ったのです。

決断は一瞬でした。

それまでの僕は人見知りで、人前で自分から話したりすることもなく、いつも人の後についてしかたなく行動するというように、とても内向的で消極的な性格でした。

ところが、僕はこの三つの鍵の額を読んだ瞬間から、意識的に自分の行動のパターンを180度転換したのです。

その時以来、僕はとにかく誰とでも積極的に話し、みんなで何かについて話し合うような場面でも、自発的に司会をして意見をまとめたり、みんなで何かの役割分担をしなければならないようなときにも、自分から大変そうな役をかって出るようになりました。

何百人の聴衆を前に講演をしたこともあります。でも、決して自分に自信があったからではありません。

もしそのとき誰かに「自信はあるのか?」と問われれば、おそらく「自信はない」と答えたでしょう。

でも、「話そう。話せる」と思っていたのです。

「話せる」というのは「話す自信があるから」ではなく、「自信がなくても話せる」ということです。

より正確に言えば、「自信があるなしに関わらず話せる、できる」ということです。

とにかく、あの日以来、誰かと話し合ったり、みんなで何かをするようなときにはいつでも、何も言わずじっとしていたり、グズグズ躊躇したり、言い訳して後ろに引っ込んでいるということをしなくなったのです。

こうして、内面的には依然として内向的な性格だったと思うのですが、少なくとも外面的には180度変わったと思います。

実際はどうだったのかわかりませんが、その当時の僕に初めて会った人は、僕のことをおそらく、とても快活で行動的で爽やかな青年だと思われたかもしれません。

なぜそのように思うかというと、僕自身その時以来の僕の外面的な行動パターンはそれ以前のものとはまったく正反対だと感じていたからです。

より正確に言えば、”三つの鍵“に照らしてみて、僕のそれまでの生き方や行動の仕方が真逆であったことを思い知らされて、僕は「三つの鍵に沿って生きていこう」といつも意識して行動していたからです。

僕は今日まで人生を深めていくうえで、この三つの鍵をもっとも大切な、いわば、こころのツールとして、折に触れてはこころのなかでコロコロと転がし、遊ばせ、暖めながら生きてきました。

このようにして今日まで生きてきて、実は、内気な性格は相変わらずそのままだと思うのですが、「この三つの言葉は、少なくとも僕にとっては、本当に人生の宝庫を開く鍵だったのだなあ」とあらためて感じています。





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僕の生き方  その3

僕の生き方  その3

僕のこれまでの生き方を一言で言えば、”出世間的生き方”と言えるのではないかと思います。

もう少し言えば、世間の中にいながら、形態としてはともかく、こころの面では、出世間の生き方であるということです。

僕には世間を斜(はす)に構えて見ているつもりはまったくないのですが、僕は若い時から「世間の人たちのやることの反対をやればうまく行く場合が結構あるのではないか」と思うときがあります。

例えば、26歳の時の気付きの後すぐに僕は貧乏学生であったにもかかわらず結婚したのですが、たまたまその年は大阪万博の年でした。

多くの人たちが「万博へ! 大阪へ!」という雰囲気でした。

そこで僕らは「その逆方向に行けば、どこもガラガラだろう」と考えました。

リュックを背負い、上野駅から夜行列車のガラガラの二等席に坐って青森まで行きました。

そして、そのままほとんど観光客のいない奥入瀬を歩き、十和田湖に至り、湖畔の国民宿舎に泊まり、のんびりと豊かな旅を満喫しました。

その後、たまたま観光地に旅行に行く時でも、観光地の中心地はざっと見るだけで、中心地から少し離れたところを歩くようにしました。

実際、そういうところになかなかいいところがあるのです。

率直に僕の気持ちを言えば、世間の方々の多くは自分でよく考えて行動するというよりは、周りの人たちがどう思っているかということに合わせて行動する傾向が強すぎるように思います。

僕の言いたいことは、世間の一般的な傾向についてです。

もちろん、中には本当に独創的ですばらしい行いをされている方もたくさんいらっしゃいます。

それはともかくとして、このような生き方をしてきて、僕は自分としてはとても満足しています。

それは、自分がこころから納得のいく、まさに”自分の生き方”をしてきたということもありますが、それだけではありません。

僕は決して自分の力でこのような生きてこられたのではありません。

先に「何ものにも依存しないで生きる」と書きましたが、たしかに、依存はしなかったけれども、実際には、今日に至るまで、多くの方々に支えられ助けられてきたからこそ、このように生きてこられたのです。

実際は、すべて手放しで、何ものにも依存せずに、あくまで自分の内なる欲求に沿って生きていくなかで、客観的に言えば、何度か厳しい状況もありました。

でも、こころの面ではいつも楽しんで生きてきました。

それだけに、多くの方々のご親切が何よりこころに沁みるのです。

また、僕がこのような生き方をしようと思ったのは、たしかに、僕自身がどうしてもそのようにしか生きられなかったからです。

でも、実際に確信を持ってこのような人生に踏み出すことができたのは、若い時に和田重正先生をはじめ、内山興正先生、松居透楼先生など、生涯自分の生き方を貫かれた実物見本に出会えたことにあります。

そういう意味で、若い時にこれらの先生方に出会えたことにこころより感謝してしています。

(おわり)









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僕の生き方  その2

僕の生き方  その2

僕は今日まですべて手放しで、自分のこころからやりたいことだけをやってきました。

ですから、僕はこれまで「仕事をしている」と思ったことは一度もありません。

ただ、やりたいことをやってきただけです。

”遊び”でもありません。

要するに、僕にとっては「ただやりたいことをやりながら生きてきた」としか言い様がありません。

自分のやっていることを僕自身社会的概念では定義できないと思っているのです。

たしかに、これまで中学校で教えたこともあります。

でも、僕には「教師を仕事としてやっている」という気持ちは少しもありませんでした。

その後、もっと幅のある教育をやりたいと思い、中学校を辞めて、フリーで子供たちと関わっていました。

世間の方々はそれを”学習塾”だと思っていたようですが、僕自身には「世間の中から自分のやっていることに似たものを当てはめるとしたら、”人間のための塾”というところかな」としか考えていませんでした。

その後、ニワトリの飼ったり、田んぼや畑をやったりしてきましたが、「世間的に強いて言えば、”農”をやっている」と言えるかもしれないが、「”農業”をやっている」という感覚はありません。

自覚のセミナーや平和のセミナーなどについても同じです。

もちろん、『国の理想と憲法』という本を書いたのも、このブログを書いているもまったく同じです。

職業として、そして、お金を稼ぐためにやっている気持ちもまったくありません。

26歳のとき「どんなことがあっても、自分は決してキズつくことはない。自分は本当に自由だ」ということに気付いたのが新しい人生の始まりでした。

それ以来、「世間的にはどうであれ、すべてを手放しにして、自分のこころからやりたいことだけをやっていこう。そのために、野垂れ死にすることがあっても、何の悔いもない」と思い、この生き方を今日まで続けてきました。

”出家”という言葉があります。

その本来の意味は、「家を出て寺に入って僧侶になる」、さらに言えば、「俗世間を離れて、聖なる寺に入って聖なる僧侶として生きる」という意味でしょう。

ところが、現代では、ほとんどのお寺は世襲となっています。


また、まれにお寺とは関係のない一般の方がお寺に入って僧侶になることもあります。

この場合は、一応”出家”と言えるでしょう。

けれども、その場合に、真の出家であるかどうかは本人に何ものにも依存しない純粋の求道心があるかどうかによって決まるのではないでしょうか。

お寺という組織や僧侶という立場に依存する気持ちが少しでもあれば、あるいは、「何かから逃避したい」という気持ちでお坊さんになるということであれば、それは本当の意味での”出家”とは言えないと思います。

そういう意味では、僕は、それこそ、会社や役場やお寺などにも、何ものにも依存せず、すべて手放しで、こころの欲するままに生きようと思い、今日までそのとおりに生きてきました。

もちろん、これは自慢しているのではありません。

そうのように生きたかったというだけのことです。


(つづく)



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