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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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地球探訪レポート

地球探訪レポート

以下は銀河系の高度に発展した文明を持つX星から地球探訪に派遣された宇宙人Yの『地球探訪レポート』の一部です。


38億年前にこの地球上に最初の生物が誕生して以来、生物は数多くの困難を乗り越え進化を続け、今日地球上には実に様々な生物が生息しています。

彼らは地球環境に見事に適応し、互いに調和して生きています。ただ、一種類の生物を除いて・・・。

それは現生人類です。

人類は発達した大脳を駆使して、社会組織や科学技術、産業、経済、さらには、芸術その他の文化など、他の動物に比べて実に高度な文明を発展させてきました。

けれども彼らの生態をつぶさに観察をすると、理解に苦しむような事実が次々と判明してきたのです。

1 この地球上ではあらゆる場所で、人と人、グループとグループ、国と国の間で争いが絶えないこと。

2 地球上で多くの人々が食物が足りずに苦しんでいるのに、一方では、食べ過ぎによる病気で多くの人が苦しんでいること。

3 人類すべてを何回も繰り返して虐殺できるほどの原水爆とミサイルを大量に擁して、大国が何十年もの間にらみ合っていること。

4 自分たちで安全に処理できる目途がまったく立たない超危険な放射性物質を大量に使って発電をしていること。

5 自分たちが吸っている空気や、自分たちが飲んでいる水や、自分たちの食べている食物や、自分たちの住んでいる大地や山々や森や草原、海や川や池や湖を有毒な物質で汚染していること。

などなど。

大自然の法則は大自然の中ですべての存在が調和して生きていけるように働いているのですが、人類以外の動物は大自然の法則に見事に沿って他のものたちと調和しながら生きています。

人類は高度な文明を築いてきたのですから、当然、みんな幸福に生きているのだろうと思ってよく観察してみると、なんと!この地球上で幸福そうに生きている人はごくわずかで、実態は不幸な人が犇(ひし)めいているのです。

信じられません! 人類は超馬鹿だ!としか思えません。

そのくせ、人類は「自分たちは他の動物よりははるかに進化した上等の生き物だ」というような驕り高ぶった気持ちを持っています。

だから、他の植物や動物の棲息環境を破壊しても何とも思わないのです。

しかも、それが、人類自らの首を絞めていることにも気づいていません。

人類の抱えている問題点の根本原因は、他の動物に比べ大脳が発達したために、それを過信して、大自然の法則を無視してもやっていけると思っているところにあります。

このままでは人類たちはそう遠くない未来に滅びてしまうでしょう。

なぜなら、それが大自然の法則だからです。

大自然の法則は、大自然に害をなすものを自動的に排除するように働くのですから・・・。

しかしながら、万一人類が助かる可能性が少しでもあるとすれば、それは人類が破滅に至る前に、どれだけ多くの人々が人類の危機を切実に感じると同時に、大自然の法則、すなわち、不可分一体の存在の真実に目覚め、人類の危機を回避するために本気で行動するかの一点にかかっていると言えるでしょう。(終わり)





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釈迦、最期の言葉

釈迦、最期の言葉

前回のブログについて、仏教ではこのテーマについてどう考えたのかを書いてみたいと思います。

原始仏教の教えの一つである『涅槃経』(大パリニッバーナ経)によると、釈迦のもとに集まってきた人は二つのグループに別けられます。

一つは、日々の経済活動などを通して世俗的な幸福を手に入れることではなく、涅槃に到達するという幸福を得るために、ひたすら修行に専念する「出家者僧団」です。

もう一つは、彼らに食べ物を供養したり、建物や土地を寄付したりなど、出家者僧団を経済的に支える、いわゆる、布施の善行を積むことによって、その結果、世俗的な果報を得ることができるとされる「在家信者たち」です。

そして、釈迦は自分の死期を自覚した後、

まず、在家信者に対しては、「私の葬儀は最高レベルのやり方で執り行いなさい。そして、私が指示するいくつかの場所に仏塔を造り、私の遺骨はそこに納めて拝みなさい。拝めば死んだ後よいところに生まれ変わることができるのだろう。」

そして、出家修行者に対しては、「遺骨の崇拝には関わってはいけない。出家修行者の本分である仏道修行にひたすら専念しなさい。それが私への一番の供養になるのだ」と言ったとされています。

仏教には出家と在家という二重構造があるということです。

僕は、涅槃経で葬儀や遺骨崇拝に関する仏教の本質はあくまで釈迦が出家修行者に語った言葉に表されていると思います。

涅槃経で釈迦が在家信者に語った言葉は、仏教の出家と在家という二重構造を背景として、固定化した階級社会である当時の社会情勢と民衆の知的レベルに合わせて、便宜的に語ったもので、仏教の本質ではないと思うのです。

釈迦が亡くなって2500年余りになりますが、この間、私たち人類は物質文明の発展、科学技術の進歩、経済規模の拡大、一般教育の普及、民主主義の普及など様々なことを経験してきました。

その間、私たちの一般的知的レベルは2500年前の民衆のそれにくらべるとかなり高くなりました。また、階級社会はほとんど崩壊し、私たち民衆の社会的自由度も大きくアップしました。

けれども、現代社会は、闘争や戦争の規模の拡大、地球環境問題などいろいろな地球規模での深刻な問題により、行き詰まりと破滅に向かって急速に進んでいます。

私たちは釈迦の生きていた2500年前の社会とは大きく異なった社会に生きています。

私たちはもはや出家者、在家者のどちらであるかを問わず、「自分とは何か? この世界とは何か? 生とは何か? 死とは何か?」というテーマに、真正面から対峙しなければならない時代に生きているのです。

このような状況を考えるとき、もし、今この現代という時代に釈迦が生きていれば、彼は誰に対しても、次のように言うに違いないと僕は思うのです。

「亡き人への供養は、何よりもあなたが存在の真実を自覚し、真実の生き方をすること、すなわち、生きとし生けるものが本当に幸福で、永久に変らない平和な世界を実現するために、全力で生きることである」と。






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バラバラ観文明の行く末  その2

バラバラ観文明の行く末  その2

今日の世界はアマゾンの奥地やフィリピンなどの小島など少数の僻地を除いて、ほとんどすべての地域はバラバラ観文明社会となっています。

バラバラ観からは、所有、優劣、差別、好嫌、善悪、生死、自由、幸福、平和などについて、根本的に間違った観念が生じます。

私たちはこのバラバラ観文明社会のなかで、生まれ、育ち、生きていく間に、無意識のうちにそれらの観念を当然の真理であると信じ込んでいます。

この現象を僕は「社会的洗脳」と呼んでいますが、「洗脳」というのは実にやっかいなものです。

それがどんなに真理からかけ離れ、間違っているとしても、洗脳された本人は「それは絶対に正しい」と信じ込んでいて、「もしかしたら、間違っているかな?」などとは夢にも思わないからです。

しかも、社会的洗脳の場合には、周りのほとんどの人たちも同じように洗脳されているのですから、その間違いに気づくことは奇跡に近いことなのです。

そういう状況の中で、仮にある人が、自分の観念が間違っていることに気づき、真理を発見したとしても、周りの人たちからは変人、奇人、さらには、狂人として社会から排斥されるのがオチです。

キリストやガリレオなどを持ち出さずとも、歴史の中に、そのような事例をいくつも見ることができます。

でも、僕がいまここで、歴史上の“特殊な“人たちや出来事について述べているのではありません。

いま生きている私たち一人ひとりが間違った観念に基づいて生きており、そして、この社会全体が間違った観念のうえに構築されているということなのです。

そのために、個人としても、また、社会全体としても、今日まで争い、対立、混乱、苦しみなどが絶えず、その様相はますます困難なものになってきているのです。

いずれにしても、このバラバラ観文明社会はいずれ崩壊することは必定です。

なぜなら、それは間違った観念のうえに構築されているので、もともと不安定なものだからです。

問題は「このバラバラ観文明社会はどのように崩壊するのか?」ということです。

僕はそれには4つのシナリオがあると考えています。

1 将来、このバラバラ観文明社会は崩壊し、人類、そして、この地球に棲む多くの生物は壊滅的なダメージを受ける。

2 将来、このバラバラ観文明社会は崩壊し、地球環境は大きな被害を受けるが、その中から奇跡的に人類は再生し、自分たちの根本的な誤りに気づき、「不可分一体の真理」に目覚めて、新しい文明の建設が始まる。

3 将来、このバラバラ観文明社会はますます大きな危機に直面する。

しかし、その危機感のなかから、「不可分一体の真理」に目覚めた人々が世界のあちらこちらに続々と現れる。

そして、ついには、その人たちの考え方が社会の主流となり、「不可分一体の真理」に基づいた新しい文明の建設が始まる。


4 まず、あなたが希望のボタンを押すことです。

そうすれば、世界は大きな惨禍を被ることなく、やがて、その歴史的役割を終えたバラバラ観文明社会に代わって「不可分一体観文明社会」が実現するでしょう。


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バラバラ観文明の行く末  その1

バラバラ観文明の行く末  その1

私たち人間は五感を通して得た情報を大脳で認識し、それに基づいて思考します。

ところが、大脳は物事を相対的にしか認識・思考することができないために、ほとんどの人が「バラバラ観」を持っています。

ここで、バラバラ観というのは「それぞれの存在は本質的に別々のものであり、究極的には利害が対立する存在である」という見方のことです。

私たち人類の文明はこのバラバラ観によって今日まで“発展”してきたと言えましょう。

ここで、とりあえず、世間の常識的な言葉の使い方にそって“発展”という言葉を使いましたが、果たしてそれが本当に「よりよい方向への変化」であったと言えるでしょうか?

私たちは、普通、「人類の文明は発展してきた」という表現によって、いつのまにか「そうなのだ」と無条件に思い込んでしまっているのではないでしょうか?

たしかに、科学技術の発展、医学の発展、産業・経済活動の拡大、近年では宇宙開発の進展などなど、そのようにも思えるような事実はたくさんあるかもしれません。

でも、その一方、絶え間ない紛争と戦争、核兵器に象徴される軍備拡張、超危険な原発、大規模な飢餓・食料問題、蔓延する疾病、地球規模の環境破壊、荒廃する教育問題などなど、どう考えても、人類社会は破滅に向かっているとしか思えないような深刻な問題が山積みです。

そして、このような事実を直視したときに、科学技術の発展、医学の発展、産業・経済活動の拡大などこそ、このような深刻な諸問題を生み出している主な要因となっていることがはっきりと見えてきます。

たしかに、たとえば、このような中で、私たちの生活は、ある意味では、随分と便利・快適になりました。

昔はお百姓さんは畑や田んぼの雑草や害虫の被害などに大変苦労しましたが、今では除草剤や農薬を使うことにより時間的にも体力的にも楽になりました。

ところが、除草剤や農薬のために体の具合が悪くなるお百姓さんがとても多いのです。

また、除草剤や農薬を使った農産物を食べなければならない一般の消費者の健康も大きく損ねられているのはご承知のとおりです。

さらに、現代では電車やバスでの通勤、自動車の使用など楽になったのはいいのですが、そのために、昔の人たちに比べて現代人は足腰が弱くなっています。

それで、運動不足を解消するために、町のジムやフィットネスクラブに通ったり、ジョギングをする方もかなりいるようです。

何か変だと思いませんか?

また、よく「医学の進歩は目覚しい」と言われますが、本当にそう思いますか?

よくよく事実を検べると、“医学の進歩“によって、むしろ、私たちの体そのものは弱くなっていることがはっきりと見えてくるのではないでしょうか?

これまで、ほとんどの方が人類の文明は発展・進歩しているとばかり思い込んでいたかもしれませんが、真実は、ますます大きなスケールで破局に向かっているのではないでしょうか。

(つづく)


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人類の進化

人類の進化

人類の大脳は直立二足歩行と相まってますます発達して大きくなりました。

直立二足歩行によって手を自由に使うことができるようになり、道具を使うことによって大脳がどんどん発達したのです。

そして、大脳が発達することによって、いろいろな技術や道具を発明し使えるようになると同時に、個の意識がますます強くなっていきました。

動物は環境の変化に対応して生き残るために、突然変異が起こり進化してきました。人類も例外ではありません。

アフリカに発生した人類は十数万年前から地球のあちこちに生息地を広げていきました。その原動力は環境の変化に対応して生き残るということでした。

その結果、寒冷なヨーロッパに向かったものは体が大きくなり、皮膚の色が白く、鼻が細くて長く、顔の彫が深いというように変化しました。

東アジアに向かったものは体はそれほど大きくなく、皮膚の色が比較的に黒く、鼻も太いというように変化していきました。

そこからアジア北東部に向かったものは、寒さに適応するために、目が一重で顔の凹凸が少ないというふうに変化しました。

それ以前に北に向かったものは目が二重で彫の深い顔立ちを残しながら、ベーリング海を渡って、アラスカからさらに南下して、南米の南端まで達しました。

現在、この地球上にはいろいろな体つきや顔つきの人種が棲んでいますが、いずれの人種の間でも子孫を残すことができることから、すべてホモサピエンスという同一の種であることが証明されています。

そして、現在地球上に生きている人間はすべて十数万年前にアフリカに生きていた人々を共通の先祖とするということがほぼ確かめられています。

いずれにしても、人類の進化においても環境の変化が引き金となり、それに適応して生き残るために突然変異が誘発され肉体的に進化してきました。

ところが、人類の大脳が大きくなり、技術や道具が発達してくると、人類は環境の変化に技術や道具で対応できるようになりました。

たとえば、寒冷地で長い間生きなければならないとき、技術や道具がなかった時代には、肉体的に適応することによって環境に適応してきたのですが、毛皮や衣類をまとうことや火を起こし暖房をすることによって寒さに対応することができるようになったのです。

そのようなことから、現代では人類はほとんどの外的な環境の変化に対し、技術や道具を用いることによって対応できるようになっています。

ということは、人類は今後形態的、肉体的な進化をすることはないだろうと推測されるのです。

では、人類、あるいは、生物は進化の終着点に達したということなのでしょうか?

そうではありません。

人類は外的な環境の変化、あるいは、困難には一応対応できるようにはなったのですが、いまや大脳が発達したことによる内的な深刻な困難、あるいは苦悩に直面しているからです。

この内的な困難、あるいは、苦悩を超えることこそ人類の新たな進化の方向なのです。


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