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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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人の気持ちを受け止める

人の気持ちを受け止める (再掲)

世の中には、一見、それなりに幸せそうにしていながら、実は、親、子ども、兄弟、夫婦間など、家族の誰かとの間に問題を抱え、長い間ずっと苦しんでいるという方々がとても多いように思います。

家族だけでなく、友人関係、あるいは、仕事の同僚や上司や部下、隣人などとの人間関係に苦しんでいる方も本当に多いようです。

そういう中でも、家族との間の苦しみは、もっとも親しい、切っても切れない密接な間柄であるだけに本当に苦しいものです。

日常的には、なるべく気にしないようにして暮らしているのですが、その苦しみはずっとこころのそこにあって、本当にすっきりした気分で生きているわけではありません。

そして、何かの折には否応なくその事実に直面して、そのたびに絶望感を抱かざるをえないのです。

多くの方がこの問題は結局解決はできないのだとして、あきらめて生きているのではないでしょうか。

これは本当に惜しい生き方です。

そう一番思っているのは、実は、本人なのですから、考えれば考えるほど苦しくなってきます。

では、解決の道はないのでしょうか?

これまでも、自分なりに努力は精一杯してきたつもりだ。それでも、どうにもならないのだからと言われるかもしれませんね。

自分自身の経験から、僕にはそのお気持ちはよく分かるつもりです。

でも、いや、それだからこそ、よく考えてほしいのです。

あなたはその問題を相手の人のせいにしていませんか?

相手の人が何か自分の望まないことを言ったりした場合に、すぐに「変なことを言っている。それは間違っている」として、相手の人を裁いて、相手の人の言うことを拒絶してきませんでしたか?

あなたは相手の人が言う言葉の真意をどこまでも汲み取ろうとしないで、すぐに、「相手はこんな意味で言っているのだ」と決め付けてはいませんでしたか?

相手の話をどこまでも聞こうとしないで、自分の言いたいことを先に言ったり、あるいは、口にしないでも、言いたいと思ってはいませんでしたか?

相手の話をよくよく聞いてみて、相手が本当に理不尽なことを言っている場合に、それだけで相手を非難して裁いてはいませんでしたか?

そのような理不尽なことを言わざるをえない相手の気持ちを受け止めようとしましたか?

人間関係上のトラブルはほとんどの場合、どちらか一方だけで作られたわけではありません。相手と自分の二人で作りだしたものです。

トラブルの種は一方的に相手の人のせいというわけではないのです。

あなたは、理屈でどちらが正しいなどと裁くのではなく、本当に相手のそう言いたい気持ちを心から受け止めようとしてきましたか?

思い当たる方は、自分が相手の気持ちをこころから受け止めようとしないで、いつも拒絶してきたことに対して、どちらが正しいのかなどという理屈を超えて、できるだけ早い機会に、こころから相手に詫びることができますか?

これからももっとも親しい方とのトラブルをいつまでも引きずって生きたいですか?





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対症療法だけではダメ

対症療法だけではダメ (再掲)

現代社会に生きる私たちは様々な個人的、組織的、あるいは、社会的な問題を抱えながら生きています。

そして、多くの心ある方々がその解決のために努力されています。

そのおかげで、解決した問題もたくさんあると思います。

その意味で、それらの方々の努力に対してこころから敬意を表したいと思います。

けれども、全体として見た場合に、私たちの抱える問題はますます増大し、また、ますます深刻になっていっているように思うのです。

これは一体どうしたことでしょう? 

それは、簡単に言えば、「私たちが根本療法の大切さを本当には分かっていない」ということだと思います。

体の疾病の治療において、対症療法というのは、現われている症状だけをとりあえず解消させるやり方です。

これに対して、根本療法というのは疾病の根本原因を取り除くことにより、疾病を根治させるやり方です。

たとえば、アフリカなどにおける深刻な飢餓問題を解決するためには、まずは早急に飢餓で苦しんでいる方々に食料を支援することが必要です。つまり、対症療法です。

けれども、それで飢餓問題を根本的に解決できたとは言えません。

なぜなら、いくら食料を支援しても、飢餓問題が生じる根本原因を取り除かないかぎり、いつまでも飢餓で苦しむ人が次々に現われるからです。つまり、根本療法が必要なのです。

このように、いろいろな問題を解決するには、一般的には、車の両輪と同じように、対症療法と根本療法の両方が必要なのです。

どちらが欠けても望ましい解決を得ることはできません。

これはちょっと考えてみれば誰にでも分かる単純な真実です。

ところが、私たちが上記の様々な問題を解決しようとするときには、ほとんどの場合に、対症療法的にだけ対応しようとしているのではないでしょうか。

つまり、私たちは「問題の解決のためには、対症療法も必要だけれども、何よりも必要なのは根本療法だ」という当たり前の真実が本当には分かっていないのです。

僕は対症療法なんかどうでもよいと言っているのではありません。それももちろん必要です。

でも、「問題を解決しようとする場合には、何よりも根本療法が必要だ」と考え、それを実行しようという人がもっともっと増えて欲しいと僕は思うのです。

率直言えば、「問題を解決しようとする場合には、何よりも根本療法が必要だ」ということが世の中の当たり前の常識にならないかぎり、私たちは本当は解決可能であるはずの様々な問題にいつまでも苦しまなければならないでしょう。

それどころか、その先にあるのは完全な行き詰まりです。

このブログでみなさんに一貫してお伝えしようとしていることの一つは「どのような問題に対する場合にでも、根本療法的考え方と方策が大切だ」という単純な真実に目覚めていただきたい」ということです。

悪臭は元から断たなきゃダメなのです。





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痛み止めの薬は効かない

痛み止めの薬は効かない (再掲)

頭が痛いとき、痛み止めの薬を飲むと、たしかに、痛みは解消します。

でも、それで本当に痛み止めの薬が効いたと言えるでしょうか?

“痛み“という症状は、頭の中に「何か異常があるよ。気をつけて!」という警報シグナルであり、また、自然治癒力がその異常な箇所に集中するように注意を引き付ける作用であり、同時に、痛みそのものが自然治癒力の表れであると考えられます。

ということは、もし、頭が痛いとき、痛み止めの薬を飲んで、痛みが消えたときに、「これで頭の異常はなくなった。問題はすべて解決した」と考えるとすれば、それは室内で火事が発生して盛んに燃えているときに、廊下で音が鳴り響いている火災警報器のスイッチを消して、警報機の音が止んだから、室内の火災は鎮火した。問題はすべて解決した」と言っているようなものです。

痛み止めの薬で“痛み“の感覚を感じさせないようにしても、痛みが生じた根本の原因が解消して、問題の根本が解決したわけではありません。

必要なことは痛みの症状ではなく、痛みの生じる根本原因を探り当て、その根本原因を取り除くことです。

これは頭の痛みだけでなく、その他の身体的な症状について言えることです。

薬で痛みを感じさせないようにすれば、身体にもともと備わっている免疫系統を中心とする自然健康維持機能が働かなくなったり乱れてしまいます。これは身体にとって大きな障害となります。

なぜなら、自然健康維持機能は私たち人間が何千万年、何億年という進化の過程で獲得した能力であり、私たちが健康に生きていくためにはもっとも重要な機能だからです。

その他のことでも基本的には同じです。たとえば、一般的にストレスは悪いものと考えられがちですが、これは「今のままではマズイよ。気をつけて!」という警報シグナルであり、私たちがより生存しやすいように進化の過程で獲得した重要な機能です。

ですから、ストレスを感じているときに、お酒や精神安定剤などを飲んで感覚を麻痺させて、ストレスを感じなくさせたとしても、ストレスの根本原因が取り除かれないかぎり、ストレスが解消したわけではないのです。

ですから、お酒や薬が切れてくれば、再びストレスを感じ、再びお酒や薬に頼ることになってしまいます。

このように神経系統や感覚を直接いじることを頻繁に繰り返していれば、いずれ身体の自然健康維持機能が大きくダメージを受けてしまいます。

お酒やタバコや精神安定剤を含めて、対症療法では私たちの病気や身体的な異常を治すことはできません。対症療法に頼れば頼るほど、根本的に解決することが難しくなってしまいます。

それは私たちの身体のことだけでなく、その他の個人的あるいは社会的な諸問題の解決についてもまったく同じです。

混迷する現代において、いまこそ“人間個人の自然“、そして、”人間社会の自然“を見直し、それを絶対的に信頼することが重要であると思います。





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思いは事実ではない

思いは事実ではない (再掲)


思いは事実ではない。これは単純な事実です。

でも、「思いは事実ではない」と言われて、ただ「それはそうだ」とアタマで思うだけでは、まったく意味がありません。

その真実にこころから気づくことが大切なのです。

というのは、ほとんどの人が「自分の思いが事実である」と思い込んでいるからです。

でも、それは間違った思い込みにすぎません。

「自分の思いが事実である」という思い込みは、それほど強力に私たちのこころにしみ込んでいます。

そして、私たちはその間違った思い込みに基づいて、考え行動していきます。

ですから、その結果、自分自身だけでなく、周りの人々にも混乱と苦しみをもたらすことになってしまいます。


思いは事実ではない。これは簡単な事実です。

ですから、そう言われると、アタマではすぐに分かった気になってしまいます。

そこに大きな問題があります。

本当に体得するのは意外と難しいのです。

私たちは子供の時から「自分の思いが事実である」と思い込み、信じ込んできました。

ですから、ちょっとアタマの先っぽで「思いは事実ではない」と分かったつもりになっても、実際には、ほとんどの生活の場面で、自分の思いを事実と錯覚して生きています。


では、どうしたら「思いは事実ではない」ということを体得できるでしょうか。

僕は第一に瞑想の自然法をお勧めします。

とにかく、瞑想の自然法を毎日最低1回、できれば2回、25分ずつほど実践することです。

そうすれば、「思いと事実は別々のものだ」ということをアタマで理解するのではなく、簡単に体感し確認することができます。

日々の実践によって、その体感はますます確かなものとなり、日常の生活のなかでも思いや気分に振り回されることも少なくなっていくでしょう。

もう一つお勧めしたいのは自観法です。

これは、日常の生活のなかで、ちょっとしたときに、1分間か2分間、自分が思ったり、感じたりすることをただじっとこころで観察するのです。

ポイントは「ただ観ている」ということです。

つまり、自分の思ったり感じたりすることを自己評価したり,分析したりしないということです。

自観法を1日に3回から5回ほど実践すれば、2,3ヶ月のうちには自分でも驚くほどの心境の変化を体験されることでしょう。

本当の幸福をアタマでなく、こころから実感するために、瞑想の自然法と自観法はとても有効なツールなのです。


いま、ここまで書いてきた今回のブログを読み返してみると、同じ表現の繰り返しがとても多いことに気がつきます。

読みにくいかもしれませんが、それだけ僕の気合が入っているのだろうと、好意的に受け止めていただければ幸いです。

なお、思いと事実、瞑想の自然法、そして、自観法については、これまでブログのなかで何回か触れていますで、併せて読んでいただければと思います。





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みんな自分だ

みんな自分だ (再掲)

たいていの方は、「この体が自分だ」あるいは、「この心が自分だ」あるいは、「この体と心が自分だ」と思っているのではないでしょうか。

「自分とは何か?」と、少しは探求した方の中には、「この体と心を使って生きている主体が自分だ」、あるいは、「もしかしたら、それが魂(たましい)というものかもしれない」などと言われる方もいます。

でも、そこをだんだん追求していくと、「“自分”というコロッとした実体があるわけではない、ただ、“自分”と意識している仕組み」があるだけだ」ということが分かってきます。

では、「“自分”と意識している仕組みとは何か? その仕組みはどこから出てくるのか?」と考えると、「その仕組みはこの体と心の奥にあるような気もするが、やはり、心の一部ではないだろうか」というところに戻ってきます。

では、「この心とは何か?」と考えると、たいてい「やはり、脳のはたらきが心ではないだろうか」ということになります。

そして、「脳は体の一部なのだから、結局、“自分”というのはこの体だ」ということになり、結局、一巡りしてもとに戻ってしまいます。

そこで、とりあえず、この体を“自分”として、周りを見ると、樹木や草花、イヌやネコや鳥や人などが目に入ります。

樹木や草花、イヌやネコや鳥などは、ただの物体として存在しているわけではありません。

彼らは生きています。つまり、生命(いのち)があります。

その生命はどこから来たのでしょうか?

大自然が彼らを生み出し、彼らを生かしているのです。

つまり、彼らに宿っている生命はそれぞれ大自然の生命そのものです。

それは人間についても同じです。私たち一人一人に宿っている生命は大自然の生命そのものです。

この“自分”も同じです。

「大自然」は「大宇宙」と言い換えてもよいでしょう。

「生命」というと、生物だけと考えがちですが、実は、生命は“変化する力”として無生物にもあるのです。

大宇宙に存在するものは、無生物、生物を問わず、すべて、大宇宙の生命力によって生み出され、その生命力によって常に変化し続けています。

この宇宙のすべての存在は大宇宙の生命力そのものです。

イヌやネコや鳥も、樹木や草花もみんな同じ生命なのです。

太陽も月も星も空や雲、太陽、山、川、海、道端の石ころさえも・・・。

みんな自分なのです。

たまたま、人間はそれぞれ“自分”という意識を持つようになっているだけで、他人などいないのです。

だから、人といがみあったり争うのが嫌なのです。

だから、みんなと仲良く生きていきたいのです。

だから、どこの赤ちゃんを見てもかわいくてしかたがないのです。

だから、イヌでもネコでもみんなかわいいのです。

だから、一輪のバラを見て、いとおしいと思うのです。

だから、空の雲や海を見て、ホッとするのです。

本当は、もともと誰でも知っているのです。

みんな自分だということを・・・。






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