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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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決断するということ その2

決断するということ その2
(その1からの続き)

その1では、タバコを例に、右側の妄想による葛藤の世界からポンと飛び出して、左側の絶対真実の世界に移ることが正しい決断の仕方のポイントであり、もっとも楽なやり方・生き方だということを述べました。

けれども、決断をすると言っても、一見、必ずしも右側とか左側の世界ということに関係ないような場合もたくさんあります。そんな場合には、何が正しい決断のポイントなるのでしょうか?

それは一言で言えば、そうしようと決断することに重要性や興味を感じているかどうかということです。

たとえば、毎朝1時間早く起きてラジオ講座でロシア語の勉強をしようと決断したとします。

その場合に、早起きして勉強が継続できるかどうかは、実は、エッと思われるかもしれませんが、意志の力はほとんど関係ないのです。

でも、ただ暇つぶしに何となくロシア語を勉強してみようかという程度では、すぐにくじけてしまうことは見え見えですよね。

では、何が継続できるポイントかと言えば、なぜロシア語ができるようになりたいのかという理由というか目的が明快であり、それを実現したくて、したくてしかたがないというようであれば、毎朝張り切って、喜々として布団を蹴って飛び起きるでしょう。

僕はもともと早起きの質(たち)ではないのですが、冬でも夜中に一度か二度、そして、毎朝5時か5時半に、それこそ、喜々として起きます。なぜだと思いますか?

冬は標高が高い我が家はとても寒いので、ネコたちが寝ている居間はいつもストーブでマキを燃やしています。でも、そのストーブは3時間おきぐらいにマキを補充しないと居間は寒くなってしまうのです。それではネコたちが可哀そうです。

ですから、僕は夜中でも朝早くても喜んで起きて、マキをストーブに補充しているというわけです。でも、僕にとっては少しも苦ではありません。そうできるのが嬉しくてしかたがないのです。

これと似たような体験を小さなお子さんをお持ちのお母さんはいつも体験しているのではないでしょうか? これは決断なんか縁のない世界の話です。でも、だからこそ、本当の決断だと言えましょう。

さて、夜中に一、二度起き、そして朝5時、時には、4時にストーブにマキを入れた後、僕が何をするか想像できますか?

またすぐ寝る。チガイます。

まずは、ネコたちにエサをやります。ネコによってエサも置き場所も違うので、結構時間がかかります。

それから、また寝る。チガイます。

それからスペイン語の勉強を1時間ほどやります。

さすが! 昇平先生、すごく意志が強いと思いますか? 

答えは「全然!」です。

だって、やりたくて仕方がないんですから。スペイン語がもっとできるようになれば、自覚のセミナーや整体やネホサのメッセージをどんどんスペインや中南米に広め、友達をたくさん作ることができると思うと、嬉しくて、嬉しくて、勉強していても楽しくてしかたがないのです。それだけです。

以上は僕の生活のごく一部にすぎません。一日中そんな感じで楽しく生きています。

奈央先生は若い時からそんな僕を見ていて「昇平さんはすごい努力家だ」と思っていたようですが、僕はまったく努力家なんかではありません。ただ、本当に好きなことを喜んでやっているだけなのです。

これは決して自慢話でもなんでもありません。僕はイヤなことはしたくないのです。そういうことも一生懸命努力してやっている人はすごいと思わないわけではありませんが、本当のことを言うと、そんなことはどこか違うと思っている自分がいます。

この人生、僕は“本当に”楽しいこと、“本当に“嬉しいことだけをやっていくべきだと思います。

でも、まずは、何が本当に楽しいことか、何が本当に嬉しいことかをしっかり見極めることが何よりも重要です。

それがはっきりすれば、決断は簡単ですし、それがずっと継続します。そして自然と道が大きく開けます。

これが実証済みの、万人にお勧めしたい最高の“引き寄せのテクニック”です。

(おわり)

(日ごろからなかなかきちんとした決断(決定)ができない方、決断してもいつの間にかその決断が揺らいでしまうような方はこの文章の真意をしっかり掴むまで何度も読んでください。)





決断するということ その1

決断するということ その1

僕自身も過去において何回も体験したことですが、みなさんの中にも「今度こそはとあることについて固く決断したにもかかわらず、しばらくすると、その決断が揺らいできて、ついには元の木阿弥となってしまい、なんて自分は意志の力が弱いのだと嘆いた経験を持っている方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

この問題をどう解決するか?
そのためには、例のタバコ図を使って解説するのが一番わかりやすいと思うのです。このブログを読んでいる方のほとんどがノンスモーカーだと思うのですが、その方がタバコ問題の本質について理解しやすいだけでなく、この「決断」という問題についてもその本質を明快に理解できるからです。

スモーカーにとってタバコをやめるのが難しいのは、タバコを吸うようになるとアタマがいつの間にか「タバコの世界」に入ってしまい、そのタバコの世界の考え方や感じ方を当たり前だと考えるようになります。

それは、「タバコは健康に悪い、お金がかかる、他人に迷惑がかかるなどの不都合はあるが、とにかく、タバコを吸うとホッとするんだ。この生きづらい世の中を生きていくためにはタバコは何よりも心強い支えである」というわけです。もし、健康を害しないタバコが開発されれば、禁煙をしている多くの人が再び喫煙生活に喜々として戻っていくでしょう。

ところが、このようなことはノンスモーカーには信じられないことです。というのは、ノンスモーカーにとっては、タバコは何の価値も魅力もなく、タバコがなくてもすっきり楽しく生きて行けるからです。

皮肉なことに、それはスモーカー自身タバコを吸い始める前に感じていたことなのですが、スモーカーはその事実をアタマでも感覚的にも忘れてしまっているのです。それほどタバコの依存性は強力だということです。

そのために、スモーカーがタバコを止める方法は、必然的に、吸いたい気持ちを精神力で押さえつけようとする、いわゆる、「ガマンの禁煙」になってしまいます。それは潜在意識にある吸いたい気持ちと表面の意識にある「やめなければならない」という気持ちの戦いです。しかし、表面の意識は潜在意識(本音)に叶うはずがないので、どんなに固く決断しても失敗に終わってしまいます。

では、どうしたらよいのか? 
そもそもタバコの世界で何を考え、何を決断しようとしてもムリなのです。「タバコが必要だ」という錯覚の上に成り立っているタバコの世界に見切りをつけて、ポンと飛び出せばそれで終わりです。そこには「もともとタバコなんか必要ない」という本来のノンスモーカーの世界がどこまでも広がっています。精神力は必要ではありません。

タバコ以外のことで何か決断する場合にも、多くの方は右側の二つの考えの葛藤する世界の中で心を戦わせながら、こうあるべきだと思い込み、何とか精神力でそれに反する思いを抑え込もうとしています。これでは絶対にダメです。

ですから、まず、何が左の世界の真実の生き方であるかを直感ではっきりさせ、それで行こうとポンと決断すればそれで終わりです。葛藤はありません。

本当に決断すべきことは「あ、そうか」と気づいて、右の妄想の世界からポンと左の真実の世界に飛び移ることです。


(つづく)




いのちの塾メモ4

いのちの塾メモ4

1 ”実相“とは「この世界や自己の真実の在り様」であり、”仮相“というのは「この世界や自己の見かけの在り様」である。
しかし、日常的なレベルでの生き方を考えるために、分かりやすく、今仮に、「その価値が状況の変化などによって決して変わらないもの」を“実相”、そして、「その価値が状況の変化などにより変わってしまう一時的なもの」を“仮相”と呼ぶことにする。

このように仮に定義した場合に仮相の代表的例は金や地位である。そして、実相の代表的例はいい人と出会い仲良くなることや困っている人に親切にすることなどである。生き方として本当に大切なことは、常に何が実相で、何が仮相であるかをしっかりと見極め、仮相のものを相手にしないで、実相だけを相手にして生きることである。

仮相のものに振り回されて生きるのでなく、人と仲良く生き、困っている人のために全力で尽くし、一日一日を明るく笑いながら生ききることこそ、実相の生き方である。

2 現代は情報の世界である。はっきり言えば、その大部分がどうでもよいいい加減なものであるが、ほとんどの人が情報に振り回されて生きている。情報が多いと全体が見えなくなり、真実が見にくくなる。

まさに洗脳社会の極致と言える状況である。今こそ何が真実かということ、何が大切なことかということ、すなわち、実相を確かめて悔いのない生き方を心掛けることである。
その生き方こそ自分や自分の家族のためだけでなく、すべての人のためになるのである。

そういう意味で、自覚のセミナーや整体ライフスクールやネホサの考え方を規範とし、常に直感と真心(自分自身の奥の奥から聞こえてくる言葉)を大切にして、揺るぎのない生き方を心掛けることである。

そのためには日々、いのちの瞑想、川の瞑想、空の瞑想、そして、自観法、そして、もちろん、活元運動を心掛けて、怠らないことである。直観力は雑念や妄想が多い人は出にくいからである。

3 人生の大道を歩く。こういうと難しいと思うかもしれないが、要するに、存在の真実をキチンと腹に据えて、直感と真心に沿って生きればよいのである。

世間ではテレビや新聞、あるいは、ネット上で、識者その他がいろいろ言っているが、それらはいかにも権威があるような気がするかもしれないが、そのほとんどは意味がないと思って自分の直感と真心を中心に置いて生きた方がよい。

4 どんな状況にあろうと、今を楽しむ。今を楽しめない人はこれからもずっと楽しめない。楽しむと言っても、自分だけよければよいということであれば、それは真逆である。いつも人の幸せを思い、そのために全力で生きることこそ、本当の自分の喜びである。それが今を楽しむということである。自分さえよければよいというそんな生き方の愚かしさに気がついて、生きる方向を180度転換するべきである。

いや、自分はそんな悪人ではない。自分なりに人も幸せになってほしいと思っていると言っても、それが自分の家族という範囲にとどまっていれば、それはまさに家族エゴである。そんな人は顔を上げて生きる資格がない。というか、一刻も早く悔い改める必要がある。偉そうに言っているが、残念ながらそれは過去の自分を含め多くの人の生き様である。

5 イヤなこと、心配なことは考え続けない。そうすれば、すぐに忘れられるようになる。心配しているよりも、できることがあれば行動する。できることがなければ、それ以上心配しないで、他のことに気持ちを向ける。

6 バカをやめて、リコウになろう。この一言に尽きる。

7 いつも溌溂として爽やかに生ききる。

8 気持ちがいい。気分が悪い、気が散る、元気、病気、やる気、気にする、気まずい、気が向く、気がつく、気が入る、気が抜けるなど、日本語には「気」が付く言葉がとても多い。欧米の言葉には日本語の「気」に当てはまるような言葉はないようだ。

日本語の「気」は本来何を意味しているのか? これらの「気」が付く言葉はおおむね人間の感情を表しているようであるが、「気」の真の意味は人間そのもの、この世界のすべてに働いている根源のエネルギーあるいは愛のようなものだと言えるだろう。もし一言で言うとしたら、それは“いのち”だ。気は“いのち”である。つまり、この世界そしてすべてのものの本質は眼に見えない“いのち”なのである。

したがって、善い気、健康な気、明るい気、活発な気をいつも取り入れるように心がけることである。同時に、人と接するときは善い気、健康な気、明るい気、活発な気をどんどどん出していくことで、みんなが幸せになれるのである。

9 もし病気になっても、明るい気持ちでいれば、自分を整えようとする働きが活発になる。だから、体が病んでも、心まで病ませないことだ。

10 夢を持って生きる。理想と呼ぶにふさわしい理想を自分自身に掲げて毎日を溌溂と生きる。

11 宗教は嫌いだ、という人は多い。ある面では同感である。つまり、いい加減な教えをもっともらしく人に押し付けたり、洗脳するのは大問題である。しかし、金や地位や学歴などを求め、自分や自分の家族、自分の店、自分の会社さえよければというのもこの社会による洗脳だということに気がつかなければならない。


まだまだいろんなことが次々とアタマに浮かんでくるが、今回はこのくらいにしておきたい。
要するに、本当は誰でもどう生きれば本当に幸せになれるかということを知っているのだ。
自分の内なる声(真心・不生の仏心・平常心)に沿って生きればよいのである。
本当に生きるというのはそれほど簡単なことである。





タバコは15分で楽しくやめられる

タバコは15分で楽しくやめられる

この文章はスモーカーはもちろん、ノンスモーカーにも読んでいただければ目からウロコの事実にびっくりされるでしょう。
そして、この文章を読み終わったときには、スモーカーはだれでも楽しくタバコをやめているでしょう!


スモーカーはタバコを吸うと安堵感や充実感などが得られると思っています。安堵感や充実感は人が幸せに生きるためにもっとも必要なものです。ですから、喫煙は健康に悪いとか、金がかかるとか、反社会的な習慣だからやめたほうがよいとアタマでは思っても、結局、本音の吸いたい気持ちに負けてしまって、なかなかやめられないのです。

スモーカーはなぜタバコを吸いたくなるのでしょうか? 
それは二つの錯覚(思い込)が原因です。その錯覚に気づくことができれば、バカバカしくなって、吸いたい気持ちが消えてしまって、二度と吸いたいと思うことはありません。ですから、その錯覚に気づき、吸いたい気持ちがなくなった時点で、きっぱり「タバコはやめた!」と自分に宣言し、やめたことを認識すれば、それが幸せなノンスモーカーライフの始まりです。何の努力もガマンも必要はありません。

では、その二つの錯覚とは何でしょうか?
次の「タバコからアセチルコリンへ」というタバコ図を参照しながら、その下の説明を読んでください。

ニコチンからアセチルコリンへ



私たちの脳の中には神経伝達を司り脳内快感物質であるドーパミンの分泌をスムーズにするアセチルコリンという物質があります。このアセチルコリンの働きで、私たちは、普段、安らかな心を保つことができているのです。

けれども、タバコを吸うとその成分であるニコチンがアセチルコリンに代わって働くようになります。その間、アセチルコリンは不活性になり働きを休みます。ところが、ニコチンには「体内で急速に分解し減少する」という性質があるのです。そのために、タバコを吸ってニコチンを補給するとしばらくして神経の伝達(ひいてはドーパミンの分泌)がスムーズにいかなくなってしまい、脳内に生理的な不安感や空虚感のようなストレスが発生します。タバコ図で言えば、吸い始める前まではゼロラインにあった幸福度が、たとえば、マイナス3に落ち込んでいくということです。しかし、この落ち込みはタバコを吸ってからしばらくして徐々に進行していきますので、通常その脳内ストレスを感じたとしても、私たちは、それをタバコを吸ったせいだとは感じずに、仕事や生活上、あるいは年齢的な疲労などのストレスだと認識します。

そこでタバコを吸うとニコチンは7秒で脳に達して不足した分を補い、脳内のストレスは短時間のうちに軽減します。「軽減」というのは、タバコを繰り返し吸うことによって、ニコチンに対して耐性ができ、徐々にニコチンのストレスを解消する能力が低下していくからです。けれども、スモーカーはこのストレスが軽減する現象、つまり、幸福度が、たとえば、マイナス3からマイナス2になる現象をゼロからプラス1にアップした、つまり、本物の喜びや快感だと錯覚するのです。それとともに、この現象はタバコを吸った直後に起こるので、スモーカーはタバコを吸ったおかげでストレスが解消したと錯覚します。

こうして、ニコチンを補給することによって脳内のストレスが軽減したとしても、しばらくすると、再びそのニコチンが分解減少して、さらなる脳内ストレスが発生し、幸福度は、たとえば、マイナス5に落ち込みます。そこで、タバコを吸ってニコチンを補給すると、短時間の内にストレスが軽減します。とは言っても、幸福度は、たとえば、マイナス4というように依然としてマイナスなのです。ですから、その時、スモーカーは安堵感や充実感を感じますが、それは錯覚にすぎません。ゼロがプラス5になったというような本物の安堵感や充実感ではないのです。

このように、タバコを吸っては一時的にマイナスが軽減し、錯覚(まがいもの)の充実感や安堵感を感じ、気がつかないうちに、しだいにより深くマイナスに落ち込んでいくというサイクルが延々と続いていきます。これが喫煙生活の真の姿です。このどこに真の喜びがあるのでしょうか? はっきり言って、どこにもありません!! 全部錯覚です。

ここまで説明してきましたように、スモーカーはタバコを吸うと安堵感や充実感を感じることができると錯覚しています。これがタバコをやめられない原因の一つです。

もう一つの原因は、スモーカーは私たちの体にもともと備わっているアセチルコリンの代わりにニコチンを使用しているのですが、アセチルコリンは純正品であり完璧な性能を有するのに対して、ニコチンは性能が劣悪な不良品であるということを知らないからです。アセチルコリンと異なり、ニコチンはすぐに分解して減少するので能力が長続きしないのです。だから、分解減少するたびに脳内ストレスを感じて何度も何度もタバコを吸ってニコチンを補給しなければならないのです。

それをスモーカーはタバコを吸うとホッとするとか喜びだとか生きる支えだなどと感じているのですからアワレなものです。それはどう見ても、ヤクが切れて、やっとヤクを腕に注射してホッとして、まがい物の快感に浸っている麻薬患者の症状そのものです。

スモーカーの皆さん。よく読んでください! 私たちの体は30億年間無限回とも言うべき進化を重ねてきて今日にあります。ですから、人間の体の本来の自然の仕組みを乱す物質を体内に取り入れるのはこの体本来の自然な働きに対する冒とくです。
でも、スモーカーはみんな犠牲者なのです。悪いのはタバコでありニコチンです。スモーカーは、姓はタバコ、名はニコチンという狡猾で巧妙な詐欺師に見事にしてやられているのです。その手口があまりも鮮やかなので、感情や感覚まですっかり騙されてしまっているいうわけです。
ここでいさぎよく、それを認めましょう。そして、こんなものは「もうゴメンだ!」ときっぱりと捨ててしまいましょう。

でもどうやって捨てるの?
ただ、やめればよいのです。やめれば、やまっています。もはや、吸いたい気持ちがないので、吸いたい気持ちをガマンする、いわゆる、ガマンの禁煙ではありません。
もともとタバコを吸い始めるまでは誰でもタバコがなしにちゃんとやって行けていたのです。だから、本来タバコがなくても何の問題もないのです。また、やめるといっても、何か大切なものを犠牲にするわけではありません。いらないゴミをゴミ箱にポンと捨てるように、タバコをそっくり捨ててしまうのです。

タバコをやめれば、すぐに休眠していたアセチルコリンが目を覚まし、徐々に活性を回復して、脳内ストレスを解消して行きます。そして、短期間のうちに本来の安らかラインであるゼロレベルに回復します。この間、それを楽しみにしていればよいだけです。そのレベルは二度とマイナスに下がることはありません。

ゼロラインに至るまでの回復過程でまだ脳内に残っているストレスはどうなるのでしょうか?
実は、脳内のストレスはごく微小なものですから、本来は、大したものではありません。ただ、スモーカーの脳はそれを解消するためにはタバコを吸えばよいと学習してきていますので、脳内ストレスを感じるたびに、「タバコを吸いたい! どうしても吸わずにいられない!」という渇望感が生じます。この渇望感は満たされないかぎりどんどん大きくなっていきます。それは、まさに、苦しみそのものです。それだけに、それが満たされた時は、たとえば、マイナス50からマイナス20まで軽減したとしても、大きな安堵感と喜びとしてスモーカーは感じるのです。もちろん、それは前述のように、錯覚そのものですが・・・。

いずれにしても、タバコを吸っても脳内ストレスは解消できるどころか、その後しばらくしてかえってストレスは大きくなるというタバコのカラクリがよく理解できると、もはやタバコに対する渇望感はすっかり消えてしまいます。ですから、タバコをきっぱりとやめた時点から快適なノンスモーカーライフがはじまるのです。

禁断症状はどうなるの?
禁断症状はガマンの禁煙をしている場合に、タバコを吸いたい気持ちと吸ってはいけないという精神的な葛藤が苦しい肉体的症状として現れるものです。でも、タバコの正体がわかって、吸いたい気持ちが消えてしまっている時には精神的な葛藤もなく、したがって、肉体的な禁断症状は出ないのです。

要するに、間違いの大元は、知らなかったとは言え、体にもともと備わっている純正品で性能完璧なアセチルコリンの代わりに不良品で性能劣悪なニコチンを使ったところにあります。ですから、タバコ(ニコチン)はきっぱりとやめて、体(アセチルコリン)の自然なハタラキに任せましょう。

このように、ここまで書いてきた単純なタバコのカラクリがわかったとたんにタバコを吸いたい気持ちは消えてしまいます。吸いたい気持ちがなければタバコをやめるのは実に簡単です。やめた後もすぐに人生を楽しく生きることができるのです。タバコは、やめなきゃ損! 大損!です。

なお、ここまで書いてきたことは脳内物質は異なりますが、大筋として、酒(アルコール)についても当てはまります。タバコはもちろん、アルコールも強烈な依存性薬物なのです。「吸いすぎに注意しましょう」とか「飲みすぎに注意しましょう」というような警告は意味がないのです。なぜなら、そもそも人間がタバコやアルコールをコントロールすることはできないからです。人間がそれらをコントロールしていると思わせながら、実は、タバコやアルコールが人間をコントロールしているのです。それが依存性薬物なのです。ただ、人間がタバコやアルコールをコントロールできる唯一の方法は、それらのハタラキのカラクリを理解して、キッパリとやめるということです。


最後に、
一人でも多くの方が一刻も早くタバコの牢獄から脱出してほしいと思いながらこの文章を書きました。その意味するところを理解納得された方は、どうか無理のない形で、できるだけ多くのノンスモーカーの方々にこの文章を紹介していただければ大変幸いです。

また、スモーカーの方は以上の文章をよく読んでいただければタバコは簡単かつ楽しくやめられると思いますが、興味のある方にお勧めの本をご紹介しておきましょう。このブログを読んでタバコをやめた後に読むと面白いと思います。

1 『読むだけで絶対やめられる 禁煙セラピー』 
   アレン・カー・著 坂本章子・訳 KKロングセラーズ

2 『リセット タバコ無用のパラダイス』 
   磯村 毅・著 幻冬社

3 『笑って禁煙できる本』 
   禁煙研究家ワイネフ・文 大里圭介・イラスト 白夜書房




驚異的な体のハタラキ その7

驚異的な体のハタラキ その7
(その6からのつづき)

どうして人間は肥満になるのでしょうか?
それは食べすぎるからです。

では、どうして食べすぎるのでしょうか?
とても美味しいから? たくさん食べないと栄養不足になると思っているから? などなど。

正解は本当に美味しい食べ物を食べていないからです。“本当に美味しい味“と言うのは、白砂糖やその他のものを加え、生の味を胡麻化した味ではなく、食べ物が砂糖や調味料なしの自然そのままの状態で美味しいと感じるもののことです。

私たちの味覚は私たちの体を健康に保つように働いている本能のハタラキによるものです。
ですから、味覚は、生のものを他の物を加えて胡麻化したものでなく、生のままで体によいものは”美味しい“と感じ、体によくないものは”不味(まず)い“と知らせてくれるセンサーです。

ですから、生のまま、そのままで美味しいもの、たとえば、果物は最高に体によい食べ物で、必要な栄養素がバランスよく含まれています。

このように生のままで本当に美味しい食べ物を食べ、体が必要な栄養素を取り入れると、体は満たされ、自然に食欲も満たされ、それ以上は食べたいとは思わなくなります。

ところが、栄養素が糖分だけというように、偏っていたり、必要な栄養素が不足していれば、いくら食べても体は満たされないので、体自身がもっともっと食べなければと、食欲が落ちずに、食べ続けたくなるのです。そういう食生活を続けていれば、いずれ肥満にもなり、また、胃や腸、あるいは、肝臓や腎臓などの消化器や排せつ関係の器官、さらには、血液も老廃物過剰で濁ってきて、さらに重篤な病気になってしまいます。

いずれにしても、生の状態で美味しいものは栄養素がバランスよく含まれているので、体自身がもう必要な量を摂取したと感じれば、自然にそれ以上は食べたくなくなるので、好きなものを好きなだけ食べて、いつも本来理想的な体重と体型を維持することができるのです。野生のカバのように。

多くの人は、ちょっとでも熱が出たり、胃が痛かったりすれば、それ医者だ、注射だ、薬だ、予防注射だなどと大騒ぎをしています。その根底には「私たち人間は弱いものだ」という思い込みがあります。

私たちは洗脳社会に生きています。テレビを見れば、しょっちゅう薬やサプリのコマーシャルをやっています。製薬会社の第一目標は「いかに儲けるか」ということは明らかです。ですから、コマーシャル作りも人々に親切なふうを見せながら、いかに巧みに多数の人を不安にさせて、自社の薬を買わせるかに置かれています。

しかし、私たちは決して弱い存在ではありません。私たち人間は大自然から生まれ、すでに30億年以上も数々の困難を乗り越えて進化を続けてきました。

私たちには健康に生きるための機能がすべて備わっています。

健康だけではありません。
アタマを正しく使い、私たちに備わっている本能に従って生きて行けば、心身共に健全かつ幸福に生きていけるのです。

私たちにはすべて必要なものはすでに備わっているのです。
社会的洗脳から脱して賢く生きてゆきましょう!

(おわり)






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