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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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非対立の世界こそ真実の世界  その4

非対立の世界こそ真実の世界  その4
(その3からのつづき)

ネホサの考えに触れた人の中には、「エゴイズム的生き方から転換してノンエゴイズム的に生きていくことはとてもよいことだと思うのだけれども、そのためには大変な努力と頑張りが必要だろう」と思っている人が少なからずいます。

でも、僕は実際はまったくその逆だと確信しています。

ノンエゴイズム的に生きてこられた方々の体験を調べてみてそう思うのですが、個人だけでなく国家についても同じことが当てはまるはずだと僕は確信しています。

まず、自分の国に「ノンエゴイスティックな国にしよう」という理想が掲げられたらみんなどんなに誇らしく思うことでしょう。

そして、そのようなノンエゴイスティックな国では、個人の努力が国家の理想に直結し、その国家の理想がさらに人類の願いに直結しているので、日々勉強や仕事などの自分の努力そのものが喜びとなるでしょう。

一方、バラバラ観に立脚したエゴイスティックな生き方はアタマの妄想で作り上げた上り坂を上っていくようなものですから、何をやっても難しく苦労なのです。

ところが、不可分一体の存在の真実に沿ったノンエゴイスティックな生き方は、もともとそこにあった平坦な道をそのまままっすぐに歩いていくだけですから、仕事や人間関係もどんどん楽しく、スムーズになって行きます。

それでも、「そのような国にしていくためには、結局、現実の武力や駆け引き外交などによって国を守ろうとする政策と“対立”せざるをえないのではないか? それでは“非対立的”やり方とは言えないではないか?」という意見もあるかもしれません。

その端的な表現が「そんなきれいごとを言って、もし、万一他の国が攻めて来たらどうするのだ?」という意見です。

これは完全な誤解です。

ネホサは「今すぐに軍備を撤廃して、国力を挙げて国際環境問題の解決と途上国の福祉に国力を挙げよう」と言っているのではありません。

ネホサとしては、現実の政策論争には“直接には“関わらないで、それはそれとして、現実の政策と並行する形で、「日本をノンエゴイスティックな国にしよう」という機運を国内に高めていこう。そして、将来的に、徐々に世界のどこの国にもなくてはならない尊敬される国になって、軍備がなくてもどこからも攻められる危険のない状況を作っていこう。このようにして、日本が自ら率先して国家エゴイズムを超えて、新しい世界の礎(いしづえ)となろう、というのがネホサの考えです。

では、どうしたらそのようなノンエゴイスティックな理想を日本に掲げることができるのでしょうか?

それは実に簡単です。とにかく、賛同者を増やせばいいのです。そうすれば、後は自然に道が開けていきます。

あなたが「ネホサはよい考えだ」と賛同しているということは、日本のほとんどの方が賛同する可能性は十分にあるということです。

ですから、まずは、賛同者を増やすために、ネホサについての説明の仕方をみんなで研究することから始めればよいと思います。

(おわり)





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非対立の世界こそ真実の世界  その3

非対立の世界こそ真実の世界  その3
(その2からのつづき)

和田重正先生は現代世界の行き詰まりの危機を乗り越え、新しい人類の未来を切り開くためには、「これまでの行きがかり(歴史の因果の流れ)の外に出なければならない」と言われ、また、「これまでの平面を別の平面で切らなければならない」とも言われました。

これは、「この世界はすべてバラバラの対立の世界だ」というアタマの妄想が作り上げた「自国が繁栄しさえすればよいのだ」という虚構の国家エゴイズムをより強固にしていく道を進む限り、私たちはますます行き詰まり、ついには破滅してしまう可能性が強いということです。

それを回避する唯一の道は、「本来、この世界は不可分一体の非対立の世界である」という当たり前の真実に立脚して、「国家エゴイズムを超えて、まず、日本を地球環境問題の解決と途上国の福祉に国力を挙げて貢献する国にしよう」と積極的非対立の国を創造していくことだということです。

これを比喩的に分かりやすく言えば、「喫煙かガマンの禁煙」の生き方ではどこまで行ってもだめだということです。

タバコ問題を根本的に解決するためには、「タバコは実は麻薬である」というその正体を暴いて、「もともとタバコなんて吸う必要はなかったのだ」という当たり前の真実に気付けば、自然にタバコを吸いたい気持ちも消えてしまう」ということと同じです。

吸いたい気持ち自体がなければ、吸わないでいるのにはガマンはもちろん、何の努力も必要ではありません。

それと同じように、「自分さえよければよいのだ」というエゴイズムは「すべてはバラバラである」というアタマの妄想から出てくる思いですから、そういう気持ちになったときの自分の気持ちを点検してみれば、誰でも内心気分がよくないことに気付きます。

それは、自分の本心が望んでいることではないからです。

自分の本心は誰でも「みんなと仲良しでありたい。困っている人や動物がいたら喜んで助けてあげたい」ということです。

本来、みんな不可分一体なのですから、それが当たり前なのです。アタマではないのです。そういう心が集団本能としてもともと私たちの心に組み込まれているのです。

ですから、その内心の声(真心)に素直に沿って生きていくことは、存在の真実、大宇宙の法則(真理)に沿って生きていくことですから、一人一人にとってもっとも容易で楽しい生き方になっていくのは当然です。

それを”国家“に当てはめたのがネホサの提案なのです。

国家は国際社会のもっとも重要な単位であるだけでなく、同時に、国家の体制によって国民の生活や生き方が大きく左右されるという意味で、一人一人の国民の幸福にとっても国の基本的姿勢がカギとなるのです。

ですから、自分の属する国がエゴイズム国家からノンエゴイズム国家に転換すれば、国民一人一人の意識や生き方もエゴイズムからノンエゴイズムへと大きくシフトしていくことになるでしょう。

これがネホサのもう一つのネライです。

(つづく)





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非対立の世界こそ真実の世界  その2

非対立の世界こそ真実の世界  その2
(その1からのつづき)

“アタマの人”は「この世界はすべてのものはバラバラで対立世界である。だから、この世で一番大切なものは自分であり、自分の家族であり、自分の国である」という妄想を真実だと思い込んでいます。その結果、個人的にも社会的にも自ら苦しみと混乱を引き起こしながら生きています。

それは、30年ほど前までは、多くの人が「大人の男の人はタバコを吸うのが当たり前だ。吸わないのはどこかおかしいのだ。吸いすぎには気を付けた方がよいのかもしれないが、タバコはいいものだ」という妄想を当然のことと信じ込んでいたのと同じようなものなのです。

要するに、アタマの人は、「周りの人がみんなそのように言っているから、それは真実である」と思い込んでいるだけなのです。

ネホサは「この世界は、本来、不可分一体の非対立の世界だ」という当たり前の真実に立脚して、「日本が世界に先駆けて率先して、武力でなく平和的手段によって地球環境と途上国の福祉に国力を挙げて貢献する国を目指そう」と提案しています。

ところが、アタマの人は不可分一体の非対立の存在の真実に気付いていないので、ネホサの提案を単なる空想的理想論としか思えないのです。

私たちはまずは、本来、この世界は不可分一体の非対立の世界であることをはっきりと自覚することが必要です。

それは決して難しいことではありません。

仮に、自分の思いが正しいと思っていても、そのアタマの思いをいったん棚上げして、自然界のありのままの事実を本当はどうか?と検べてみればよいのです。

たとえば、同種の動物間で生殖活動のためにオス同士がメス巡って争うということがありますが、通常は相手を追い払ってしまえば、そこで争いは終わります。

また、肉食動物は他の種類の動物を殺して食べますが、必要なだけしか殺しません。必要もないのに他の動物を大量に殺すことなど決してありません。

人間のように同種の動物間でしょっちゅう争ったりもしません。

殺し合うということもないわけではありませんが、それは例外的なことであり、しかも、非常に小規模です。人間のように同じ人間を大量虐殺するようなことは決してありません!!

人間以外の動物はこの不可分一体の非対立の世界で本能だけに従って、他の動物や植物と調和しながら生きています。

本来は、私たち人間も同じなのです!!

これまでの自分の考えをいったん横において、自然界と人間社会の事実を直視し対比するのです。

そうすれば、本来この世界は不可分一体の非対立の世界であり、人間社会の苦しみや混乱は「この世界はバラバラの対立世界である」というアタマの妄想(錯覚)が作りだしたものであるということがはっきりと分かるでしょう。

この真実に気づけば、アタマの妄想は瞬時に、そして、永久に消え去ります。

そうすれば、ネホサの提案がどれほど当たり前で、現実的かつ画期的な考えであるかが分かり、心から感動し、一人でも多くの人に一刻でも早く知らせずにはいられないようになるでしょう。

(つづく)





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非対立の世界こそ真実の世界  その1

非対立の世界こそ真実の世界  その1

僕は20代のときに、和田重正先生の「人類と日本の未来を開くために、みんなで国に理想を掲げよう」という単純明快、現実的かつ画期的な提案(通称「ネホサ」)に深い感銘を受けました。

ところが、この考えに触れても、ほとんどの方がその真意を理解できずに、精々「単なる理想論だ」とか「考え方はよいのだけれども実現は難しいだろう」というような感想だけで終わってしまっています。

それは、いかに現代人には“アタマの人”が多いかということです。

分かりやすく、いつものタバコで説明しましょう。

“アタマの人”というのは、「タバコには望ましくない副作用はあるけれど、なくてはならない人生の支えだ。吸いたい」という妄想で作り出した価値観で生きている人です。

ですから、アタマの人は、「やめた方がよいのだけれども、と思いながら、まあ1本吸おう」と喫煙の道を歩み続ける人と、「吸いたいけれども、健康に悪いのでやめなければ」と思い、意志の力で吸いたい気持ちを押さえつける禁煙(ガマン)の道を選ぶ人に分かれます。

それに対して、“事実の人”というのは、それまでタバコを吸ってきたのだけれども、「もともとタバコは必要でも吸いたいものでもなかった」という当たり前の真実に気付いて、「やめた!」とすっきりとタバコをやめて生きていく人です。

つまり、アタマの人は、「本来、タバコの正体は麻薬であり、必要なものではない」という真実に気付いていないので、喫煙続行かガマンの禁煙かの道を選択する以前に、「本来、タバコは必要なものか、必要ないものか」)というもっとも根本的な選択の分岐点があることに気がついていません。

ですから、「タバコをやめるには、ただやめればよいのだ」と言っても、アタマの人には何か空想的で非現実的な発想だとしか思えないのです。

それと同じように、戦争と平和というテーマに関しては、“アタマの人”は「この世界は対立世界である」と思い込んでいます。

ですから、そこでは「戦争はしない方がよいのだけれどもと思いながら、場合によっては、戦争はやむを得ない」という武力で国を守る道と、「戦争になるのはまずいので、武力でなく駆け引き外交で行こう」という駆け引き外交で国を守る道と、その二つを適宜使い分けたり、一緒に使ったりする三つの道があります。

けれども、アタマの人は、武力、あるいは、駆け引き外交か、あるいは、それらの併用の道を選択する以前に「本来、この世界は対立の世界であるという考え(実は、妄想)に立脚したやり方で行くのか、それとも、この世界は非対立の世界であるという存在の真実に立脚したやり方で行くのか」というもっとも根本的な選択の分岐点があることに気がついていません。

ですから、「まず、自分たちの日本を自ら世界に先駆けて、地球環境問題の解決と途上国の福祉に国力を挙げて貢献する国にし、世界の国々になくてはならない国にしていこう」という不可分一体の非対立の真実に立脚したネホサの提案は単なる空想的理想論としか思えないのです。

(つづく)





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マニアックな人々

マニアックな人々

世の中には趣味、芸術、スポーツ、学術研究、ビジネスなど、いろいろな分野においてマニアックな人々がいます。

マニアックと言えるほど熱心に取り組まなければ、それぞれの分野で実績をあげることはできないのは確かだと思います。

僕自身は性格的にマニアックな人間ではないので、それらの方々のやり方や態度、そして、実績などを直接、あるいは、新聞やテレビなどで見聞するたびに、「すごいなあ」と感心してしまいます。

マニアックな方々というのは、その好奇心や探究心の強さ、集中力、持続力、たゆまず工夫や研究する力など、並外れた優れた資質と能力の持ち主だと思います。

でも、一面残念に思うことがないわけではありません。

何が残念なのかということを敢えて言えば、この世界に生きるすべての人々の本当の幸福と真の恒久の平和な世界を実現するためにその素晴らしい能力と情熱をつぎ込んでいらっしゃる方があまりにも少ないということです。

世界中の人々の真の幸福と恒久平和世界をどのようにすれば実現できるかという研究や実践に、マニアック的素質と能力を備えた方々が本気で取り組んでいただければ、この世界のもろもろの苦しみや混乱を乗り越え、新しい人類の未来が開ける時代は案外短期間にやってくるのではないかと思うのです。

これは生きていく中での優先順位の問題です。

つまり、「私たち一人ひとりにとって何がもっとも大切なことか?」ということです。

太平洋戦争の終結以来今日まで、それまでの反省もあり、「人に迷惑を掛けなければ何をしてもよいのだ」という考え方が、いわば「常識」として、日本中に広まってしまいました。

それは「個人の自由を大切にする」という考えであり、その点ではよい面もたくさんあります。

けれども、同時に、「他人はどうでも、自分さえ、自分の家族さえ、自分の属するグループさえ、自分の属する国さえよければいいのだ」という風潮を作りだしてしまいました。

「それがどうした? 自分の好きなことをやっているのだから、他人に文句を言われる筋合いはない」という方も多いでしょう。

でも、結局のところ、それはエゴ・利己主義以外の何物でもありません。

それだけでなく、それでは自分だけでなく、自分の家族、自分の子孫さえ本当に幸福に生きることは絶対にできません。

これはよく考えてみれば誰にもわかる単純な真理です。

「本当に大切なものは何か?」、「それをやることが自分や家族、子孫を含めたすべての人々の真の幸福、真の世界平和の実現に本当に繋がっているのか?」ということ常に真剣に考えて生きる方々がもっともっと増えてほしいと念願せずにいられません。

そういう意味で、もちろん、マニアックな方々はみんなということではないのですが、ただ自分の好きなことだけをマニアック的にやって、それなりの実績をあげている方を見ても、「すごいな」とは思っても、「尊敬の念」は湧いてはこないのです。

自分のマニアックな性向を何に振り向け、その資質をどのように生かしていくのか? 

余計なことと言われるかもしれませんが、それを考えることがまず大切ではないかと思います。





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