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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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こころの自然ー3

こころの自然ー3

ここで、怒り、悲しみ、憎しみ、嫉妬などの感情について考えてみましょう。

これらの感情も私たちにもともと備わっている本能で、私たちが本当に幸福に生き、また、生存を確保するためになくてはならない機能なのでしょうか?

それはともかく、これらの感情に身を任せ、振り回されていれば、個人的にも、また、対人関係においても大きな問題となってしまうことは確かです。

そういう意味で、これらの感情は本能だから仕方がないのだ、と決め付けてしまうのは、決して賢明だとは言えないでしょう。

これらの感情に振り回されているかぎり、私たちは決して幸せに生きることはできません。

これらの感情を克服する道を探求することは、私たちにとってとても大切な課題なのです。


実は、これらの感情はいくつかの洗脳と間違った思い込みが原因となって生じます。

一つ目は、自分は他から分離した存在であるというバラバラ観です。

二つ目は、自分の思いと事実はかならず一致すべきであるという思い込みです。

三つ目は、私たちの社会ではほとんどの人が何かにおいて、腹を立てたり、悲しんだり、人を憎んだり、嫉妬したりしています。それを見て、これらの感情を抱くのはは当然のことなのだと深く思い込んでいることです。


いろいろと調べてみると、この広い地球上には、いついかなるときにも決して腹の立たない人々が結構いるのです。

また、肉親や親しい友人などが亡くなった場合にも、決して悲しむこともなく、それを喜び祝福する人々もかなりいます。

僕は、腹を立ててはいけない、悲しんではいけない、人を憎んだり、人に嫉妬してはいけないと、道徳的に言っているのではありません。

また、それらの感情が出てきたときに、それを押さえつけてガマンしなければいけないと言っているのでもありません。

私たちは自分の間違った思い込みにはっきり気づくことによって、これらの感情から完全に自由になることができるということを言いたいのです。

そのときにこそ、私たちは本当の幸せを手に入れることができるでしょう。

それを抜きにしてはアセンションはありえません。

では、それらの間違った思い込みに、体験として、どうしたらはっきりと気づくことができるのでしょうか。

それは、日頃からそれを自分のこころの宿題として、常に暖め続けることです。

そうすれば、ふっと気がつくときがあるはずです。

とは言っても、実際にはなかなか難しいのも事実です。

僕のセミナーでは、何日間かこのテーマに徹底的に集中して調べます。

そのことによって、多くの方々がこれらのマイナス感情から開放されて、どんな状況においても、のびのびと人生を楽しんで生きています。

そういう意味では、自分一人でこれらのテーマを調べる場合には、少なくとも数日間は徹底的に集中する必要があるのかもしれません。

でも、やってみる価値は充分にあります。

本当の幸せを手に入れるために、ぜひ挑戦してください。




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こころの自然ー2

こころの自然ー2

恐怖感、不安感、緊張感、ストレスなどは、本来は、問題のある、あるいは、問題がありそうだと感じる状況にうまく適応するために、私たちに本能として備わっている大切な機能です。

ところが、これらの機能にアタマが関与してくると、いろいろと面倒なことが起こります。

たとえば、飛行機に乗るのが怖い、あるいは、何となく不安だと感じる方は結構いるようです。

「どうしてですか?」と尋ねると、「飛行機が落ちたら死んでしまうから」というのです。

それはそのとおりです。もし、飛行機が落ちたらた死んでしまう確率はかなり高いでしょう。

「では、自動車に乗るのは怖いですか?」と尋ねると、「自動車に乗るのは少しも怖くない」と答えます。

でも、これらの方々は一つの大きな誤解をしているのです。

事実は、いろいろな調査・統計によると、飛行機事故により死亡する確率は、自動車事故により死亡する確率に比べると、圧倒的に小さいのです。

飛行機より自動車のほうが危険なのです。

飛行機がとても危険だと思えば、恐怖を感じるのは自然だと言えるでしょう。

でも、自動車に比べて飛行機は危険だということが事実ではないということが分かれば、もはや飛行機に乗るのは少しも怖くなくなるでしょう。

飛行機は危険だというのは、洗脳と誤解が原因です。

たとえば、ハリウッド映画などには飛行機が乱気流に巻き込まれたり、突然エンジンが停止したり、ハイジャックされたり、墜落するといったシーンがたびたび出てきます。

また、私たちはテレビのニュースで世界のどこかで起こった墜落の現場の映像を見ることもたびたびあります。

その結果、私たちはいつの間にか飛行機事故はしょっちゅう起きる、飛行機はとても危険だと思い込んでしまいます。

これは一例に過ぎませんが、そのほかのことでも私たちは事実を正確に把握することなく、不必要な恐怖感や不安感を抱いて苦しんでいるという場合が多いのではないでしょうか。

取り越し苦労や心配性と呼ばれる現象もほぼ同じです。

あることについて、これから先どうなるのか分からないといった場合、不安になったり、心配になったりする方々が多いようです

でも、こういうときこそ、不安な気持ちに浸っていないで、冷静に問題は何なのかということを明らかにすることが必要です。

それが明らかでないときは、よく分からないことで不安になったり、心配しても何にもならないと、すっきりその事実を受け止めればよいのです。

問題がはっきりした場合には、すっきりと事実を受け止めて、解決するために対策を立て実行します。

対策が思いつかないときには、それ以上不安になったり、心配しても仕方がないので、その事実をすっきりと受け止めるだけです。

最初は少し難しいかもしれませんが、これは訓練しだいです。

一瞬不安になることがあっても、訓練を重ねていくことによって、どんなときでも何も心配する必要がないということを体得することができるでしょう。




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こころの自然-1

こころの自然-1

あなたは恐れや不安、ストレス、緊張感などの感情をどんな風に思っていますか?

これらの感情についてはいろいろな捉え方があるようです。


それらの感情は決して心地よいものではないので、ないにこしたことはない。

それはそうなのだが、でも、人間だから仕方がないと思う。などなど。


では、例をあげて検討してみましょう。

今あなたはうっそうとしたジャングルの中を歩いているとします。そこには獰猛な動物が住んでいるそうです。

あなたはどのように感じますか?

そうです。あなたは恐怖感に襲われるでしょう。それは気持ちのよい感覚ではありません。

では、気持ちのよくない感覚だからないほうがいいと思いますか?

こういう風に思ったことはありますか?

「恐怖感は何のために必要なのだろうか?」

実は、恐怖感は「ここは危険だよ」ということを私たちに知らせてくれているのです。簡単に言えば、警報システムです。

それは私たちにもともと本能として備わっているとても重要な機能なのです。

この機能があるからこそ、私たちは危険な状況を察知して、必要な処置をとることができるのです。


もし、危険な状況の中で、この警報システムが作動しなかったらどうなるでしょうか? あなたは猛獣に襲われるかもしれませんね。

このように、恐怖感そのものは私たちの生存にとってとても重要なものだということがわかります。

恐怖感があるからこそ、私たち人類は今日まで生き残ってこれたのです。

もちろん、ジャングルに入る前にあらかじめ十分に防備措置をとっていれば、少なくとも、大きな恐怖感は出てこないかもしれません。

あるいは、まったく恐怖感は出てこないかもしれません。それでも、緊張感はあるでしょう。

その緊張感に促されて、周囲の状況にぬかりなく気を配るのではないでしょうか?

そうです。緊張感も私たちにもともと備わっているとても大切な機能なのです。

緊張感は、私たちに物事に的確に対処できるように、集中力を呼び起こしてくれます。

不安感も「何か問題がありそうだ。気をつけて対処する必要がありそうだ」ということを私たちに警告してくれているのです。

また、現代社会では「ストレス」という言葉をしょっちゅう耳にします。

これまで、あなたは、ストレスは悪いものと思い込んではいませんでしたか?

「ストレスは何のために必要なのだろうか?」などとは思ってもみなかったのではないでしょうか?

でも、ストレスも私たちにはとても大切な機能の一つなのです。

ストレスは「何かがうまく行っていないよ」という警報システムなのです。

たとえば、「対処の仕方を工夫してみる必要があるのでは?」とか「体が疲れているので、少し休養を取ったほうがよいのでは?」などと知らせてくれているのです。

こうして調べてみると、恐怖、不安、緊張感、ストレスなどの感情はいずれも私たちの生活をスムーズにし、生存を確保するためには、なくてはならない機能であるということがわかります。


人間て何とすばらしい存在なのでしょう!



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マドリードの青空

マドリードの青空

今午前11時半です。マドリードの友人宅でこのブログを書いています。

昨日の朝7時に家を出て、マドリードの友人宅に着くまで、25時間半の長旅でした。

着いたのは現地時間の午前0時半です。日本時間では午前8時半ということになります。

結局寝たのが2時半になってしまいましたが、今朝は6時半に目が覚めたので、そのまま起きました。

友人のアパートのテラスに出てみると、目の覚めるようなスペインの青空が広がっていました。

それで、一気に眠気が吹っ飛んでしまいました。

旅をしていつも思うことがあります。それは今回の旅でも同じでした。

それはどこにいても、自分は何一つ変わらないということです。

別の言い方をすれば、自分はいつもいまここにいるということです。

というか、いまここがそのまま自分なのです。

矛盾した表現ですが、いつでも、どこでも、いまここしかありません。

その安定感と安心感を飛行機の中でも、成田、アムステルダム、マドリードの空港の中でも、旅の間ずっと感じていました。

マドリードの青空を見ているときにも、ずっといまここにいます。

どこにいても、家にいるときと同じように気持ちが安らいでいます。

それを実感的に確かめられるのが、旅に出たときの僕の喜びの一つなのです。

さて、これから、食料を買出しに出かけます。




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スペインへ

スペインへ

僕は明日スペインへ出発します。滞在は約1ヶ月ほどの予定です。

その間、マドリードで講演会、こころのセミナー、そして、6日間の自覚のセミナーを行うことになっています。

その他に地中海のマヨルカ島、バルセローナなどへも行くつもりです。

目的は僕たちの主宰する整体セミナーや自覚のセミナーの参加者に会うためです。

彼らはすでに何度も僕たちのセミナーに参加しています。

今回訪問するのは、それが縁で、兄弟、いとこのように親しく付き合い、日本とスペインを結んで、お互いに行ききしている友人たちです。

昨年の東日本大震災による福島の原発事故の後は、彼らから「こちらにあなたたちの家を用意するので、必要があれば、いつでも来てください」とのメッセージが送られてきました。

その申し出は、ヨーロッパとアメリカを含めて、およそ10件に上りました。

つくづく、ありがたいことだと思います。

本当に「人間は本来みな兄弟」なのだと思います。

このような現象が起きているのは、もちろん、彼らの人柄の良さのためだと言えるのでしょう。

でも、それだけではないと思います。

僕たちの主宰するセミナーを通して、彼らが「人類はみな兄弟である」、「みんな一つの“いのち”を生きている」という存在の真実にはっきり目覚め、その後もその真実を実践的に生きているからこそだと思うのです。

もちろん、僕はただ彼らのところに遊びに行くわけではありません。

少しでも多くの方々が存在の真実に気づくために、僕にできることを精一杯やってくるつもりです。

それが僕自身の喜びなのです。

こんなわけで、年に何回かスペインを中心にヨーロッパに行っています。


今回の旅行の間も、このブログは書き続けたいと思っています。

ただ、ブログをアップする回数は週に2回ほど、また、不定期になるかもしれませんが、ご理解ください。

では、次のブログはマドリードからです。



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活元運動と愉気

活元運動と愉気

私たちが健康に生きるために非常に効果的な方法がもう一つあります。

それは私たち自身が持っている自然治癒力そのものを自律的に活発にする方法です。

実は、もともとその機能自体が私たちの体に備わっているのです。

それを呼び覚ましさえすればいいのです。

あとは何の努力も必要ありません。

それが野口整体の基本である「活元運動」と「愉気」です。

私たちは眠くなったときなどに、酸素をもっと取り込もうとして無意識にあくびをします。

また、睡眠中に体の偏りを調整しようとして、無意識にいろいろなポーズを取ります。いわゆる、寝相です。

さらに、赤ちゃんはよく体をバタバタ動かしています。

一見、何の意味もなくデタラメに動いているように見えます。

でも、これも体の偏りを調整しようとして、無意識に、そして、自律的に体の中から自然に起こってくる自然治癒力の働きです。

活元運動はこれらの働きと質的には同じものです。

いったん活元運動が呼び覚まされると、起きている時でも、体の中からの自然の要求により体が自然に動いて、体の偏りなどが自立的に調整されます。

活元運動の効果はそれだけではありません。

活元運動を行うことにより、体の自然治癒力自体が飛躍的に活性化するのです。

また、愉気というのは昔から言われる、いわゆる、「手当て」のことです。

現在では、「手当て」というのは、ケガをした時などに外部から治療を施すことという意味で使われています。

けれども「手当て」の本来の意味は、痛みや異常がある箇所に、文字通り、「手を当てる」ことなのです。

私たちは、体に痛みなどの異常を感じた時に、思わず、本能的に、そこに手を当てます。

手を当てることによって、異常のある箇所に「気」が集中します。

気が集中することによって、体の自然治癒力が飛躍的に活発になり、異常は速やかに調整されます。

私たちはこのような「手当て」、つまり、愉気の効能を、知識以前に、本能的に知っているのです。

私たちの体にはこのような素晴らしい力が備わっているのです。

にもかかわらず、現代の私たちは、体に異常がある場合に、精神的にも、また実際的にも、外部の力に頼っているので、体の自然治癒力がますます鈍っています。

その結果、現代では多くの方々が健康に不安を抱きながら生きています。

私たちは、あらためて、一人一人の中にある本来の力に目覚め、健康で、はつらつとした生活を目指すべきだと思います。

そのための3つの鍵が、基本自然食を中心とする少食と活元運動と愉気です。

ただ、活元運動と愉気を正しく習得するには、正しい健康観を実践的に教えていただける指導者より学ぶことが絶対に必要です。


詳しくは、リンクしている「整体生活実践入門」のウェブサイトを訪ねてみてください。

さらに、次の本がお勧めです。

* 『整体入門』 野口晴哉著 ちくま文庫




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基本自然食

基本自然食

人間の体は長い長い年月、大自然の生活環境に的確に適応し、確実に生存を確保できるように進化してきました。

本来、人間の体は自然の環境の中で体の自然の要求に忠実にしたがって生きていけば健康に生きていけるようにできています。

ところが、私たちの先祖は1万年ほど前から大自然から離れた環境の中で生活を始めました。

その結果、現代の私たちの生活はかなり不自然なものになってしまいました。

そして、体の自然の要求よりもアタマの “知識”による判断を重視した生活の中で人間の自然治癒力そのものが鈍ってきています。

と言って、薬や注射など自分の力以外のものに頼れば、一時的には健康を回復できたように見えても、結局は、頼った分だけ自分自身の自然治癒力は鈍ってしまうのです。

では、現代の社会においてどうしたら健康に生きることができるのでしょうか?

その鍵は「できるだけ自然に生きる」ということです。

中でも、食生活はとても重要です。

私たちの体に備わっているいろいろな機能は長い進化の過程で大自然が作り上げたもので、最高の性能を具えています。

ですから、栄養学などの知識ではなく、私たちにもともと備わっている食欲や味覚などの感覚を全面的に信頼し、それに沿った食生活をすることがもっとも大切です。

ところが、現代の不自然な食生活の中で、私たちの味覚や食欲自体がかなり鈍って狂っているのです。

ですから、まず味覚自体を敏感で正常な状態に戻す必要があります。

何百万年以上もの間私たちの先祖は森の中で樹上生活をしていました。主な食べ物は木の実や木の葉、草の葉、果物、若干の昆虫などだったようです。

現代社会では、玄米のような穀類、各種の豆類、野菜や果物、小魚、若干の塩が人間の体にはもっともよい食べ物ということになります。

これらの食べ物を「基本自然食」と呼びます。

味覚を敏感にし正常に戻すためには、基本自然食を毎日食べればよいのです。

もう一つ大切なことは、もともと自然界には存在しない人工的な食べ物や不自然な食べ物は摂取しないことです。

たとえば、農薬や化学肥料を使って育てた野菜、添加物や保存料を使った食品、精選した塩や白砂糖を使った食物などは人間の体には大きな負担となります。

毎日基本自然食だけを摂取していると、味覚が敏感になり正常に戻っていきます。

そして、この基本自然食こそ、本来、もっともおいしい食べ物だったということが感覚的に分かってきます。

肉や魚や甘いケーキなどは食べて見ても、おいしいとは感じなくなってきます。

さらに、基本自然食は栄養の面で人間の体にはもっとも適しているので、少量食べるだけで体の要求が満たされます。

ガマンすることもなく自然に少食になりますので、肥満は自然に解消されます。

また、消化器官その他にも負担がかからず、自然治癒力全体が活性化してきます。

自然治癒力の活性化こそ健康生活への王道なのです。




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アセンション

アセンション

“アセンション”というのは「霊的、あるいは、意識のレベルアップ」という意味です。

人間は、もともと、どのように生きても、最終的に、存在の真実について、完全な悟りを得るまでアセンションを続けるようにできています。

もともと、そういうものとして、人間はこの世に生きているのです。

私たちはひとり一人みんな別々の個性を持ち、別々の環境の中で、別々の生き方をしています。

それでも、最終的にはみんな完全な悟りに到達することができるのです。

そういう意味では、本来、何も心配することはありません。

では、生き方や社会的な問題などどうでもいいのでしょうか? 

もし、あなたがそう思うのであれば、それもいいでしょう。そういうあなたでも、いつの日か完全な悟りに到達することができるのですから。

でも、あなたは本当にどうでもいいと思いますか?

たとえば、いま、あなたが道を歩いているとします。前から歩いてきた老人が、あなたの目の前で突然バランスを崩して転んでしまいました。

あなたは、どうでもいいこととして、その老人のことを無視して、そのまま歩いていきますか?

そうではないでしょう。あなたは思わず老人に駆け寄って助け起すのではないですか? 

それがあなたの本心なのです。

それはまともな人間であれば、誰でも備えている共生本能の現れです。別の言葉で言えば、「親愛の情」の発露です。

周りの人たちや社会的な問題についても、この親愛の情を十二分に発揮して生きていくことこそ、本当の生の喜びであり、アセンションそのものなのです。

さて、昨日で東日本大震災、そして、福島第一原発の事故から1年が経ちました。

地震と津波による大災害からの復興にはまだまだ困難な課題が山積みです。

また、原発事故の処理については、いまだほとんど目途がついていないというのが実状だと思います。

そういう状況の中、日本の政界や財界ではいまだに原発推進の動きが活発です。

さらに、隣の韓国や中国を含めて世界にはまだたくさんの原発が稼動しています。

このままでは、いつか再び、必ずとてつもない規模の原発事故が起きるでしょう。

地球上に存在するすべての動植物は、38億年の生命の歴史の中で何度も危機的な状況に遭遇しました。

そしてそのたびに、生命体次元のアセンション(突然変異)が起こり、危機的な状況を乗り越え今日に到っています。

その進化の頂点に立っているのが人間です。

今、私たちはまさに絶体絶命の危機的な状況に立っています。

この危機的状況の中で、必然的に人類史上もっとも大きなアセンションが起きるでしょう。

まず、多くの方々の意識の中で、バラバラ観から不可分一体観、エゴイズムから脱エゴイズムへの転換が起きるでしょう。

実は、それはすでに始まっているのです。

そして、それが個人の生き方から、国家のあり方にまで及んでいくことが期待されます。

それを実現していくカギは、すべてあなたの手の中にあります。




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風邪の効用

風邪の効用

薬や不自然な食生活、偏った体の使い方、運動不足、過度のストレスなどによって体に偏りや異常が出てくると、まず寝相が悪くなります。

睡眠中にいろいろなポーズを取ることによって体の偏りや異常を回復・調整しようとするのです。

けれども、寝相によっても体の偏りや異常を回復・調整が充分にできないときは、体はそれを回復・調整しようとして、風邪を引きます。

頭痛や発熱も体にとっては必要なことなのです。痛みは悪い、熱は悪いものだとして、薬や注射で痛みを除いたり、熱を下げなければならないと考えるのはとんでもない間違いです。

痛みや熱などの風邪の症状は悪いものではなく、健康を回復・維持するためのなくてはならない大切な機能なのです。

薬や注射で表面的には症状が治ったように見えても、根本原因である体の偏りや異常が解消されたわけではありません。

ですから、それを回復・調整するために、体はまたすぐに風邪を引かなければならないことになります。

このように、薬や注射で症状を取り除くことばかり繰り返していると、自然治癒力はますます鈍り、体の偏りや異常はますますひどくなります。

そして、脳溢血や心臓まひなどを引き起こすことに繋がっていくのです。

「自分は風邪をめったに引かない」と自慢しているような人がいます。そのような方々には2種類あるようです。

第一のタイプは、食生活や体の使い方、あるいは心の使い方が自然で、体の調整作用が常に活発に溌剌と働いている人です。

このような人は日常生活の中で調整・回復が自然に行われています。ですから、風邪を引く必要がありません。でも、このような方はほとんどいないようです。

第二のタイプは、自然治癒力が鈍って、風邪を引くべき時に風邪も引けない人です。

普段は自分は風邪も引いたことがないと自慢しているような人が、ある日突然、脳溢血や心臓麻痺などの重い病気で倒れたりするのはこの第二のタイプです。

このように、風邪は健康を維持し、体の異常を自律的に調整するために、大変重要な機能なのです。

ですから、「自分は風邪も引かない」などと言うのは、事実は、往々にして、非常に危険な状態だということなのです。

人間風邪も引けないようになってしまえば、そろそろ終りです。

僕は20代の半ばに、眼をひどく患って、権威のある病院で「このままであれば、あと半年で失明します」と宣告されました。

何とかならないものかと思っているときに、偶然、『風邪の効用』という本に出会いました。一読して、僕の健康観は180度ひっくり返ってしまいました。

この本は僕の人生観にも大きな影響を与えました。

あれからずいぶん経ちました。僕の眼はまだ見えています。



* 『風邪の効用』(野口晴哉著・ちくま文庫)



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いのちのバトンリレー

いのちのバトンリレー

 宇宙は140億年ほど前に、何もないところから、突然ビッグバンによって生まれたと言われています。

最初に素粒子ができ、時間の経過とともに、いろいろな原子、分子ができ、さらに、より複雑な物質が形成されていきました。

このようにして、長い年月を経て、無数の星や星雲ができ、今日の宇宙になりました。

その中の一つの小さな星が私たちの地球です。

46億年前に地球が生まれ、38億年前に最初の生命である単細胞生物が誕生しました。

そして、時間の経過とともに、より複雑な生物に進化し、さまざまな植物や動物が誕生しました。

300万年ほど前に最初の人類である猿人が誕生し、人類進化の歴史が始まりました。

そして、4万年ほど前に現生人類が生まれ、今日のわたしたちに至っています。

このように、宇宙の始まりから気の遠くなるような長い年月を経て、今この瞬間にこの大自然が存在し、無数の動物や植物たちとともに、私たちが存在しているというわけです。

38億年前に地球に誕生した最初の単細胞生物の“いのち”は、無限回とも言える世代をしっかりとバトンリレーされて、今日のわたしたち一人ひとりにまで伝えられてきました。

これはまさに奇跡以外の何ものでもありません。

この長い長い年月の間には、ほとんど致命的な天変地異が何度も地球を襲ったと言われています。

私たちは過酷で困難な状況に何度も遭遇しながらも、奇跡の連続の中で今日まで生き延びてきたのです。

もし、この、無限回とも言える“いのち”のバトンリレーにおいて、1回でもバトンが途切れていれば、あなたも、わたしも、そして、誰もいまこの世界には存在していないのです。

あらためて、一人一人、そして、すべての生物の“いのち”はかけがえのないものである、と思わずにはいられません。

人間は他の動物にはない発達した大脳を駆使して、輝かしい科学技術文明と物質文明を発達させてきました。

その結果、人類はこの地球上で繁栄を謳歌しているように見えます。

ところが、その人間は絶えず同じ人間同士で大規模な殺戮を繰り返しています。

そして、自分たちの食べ物や飲み水に毒を入れ、自分たちが吸う空気を汚染しています。

このままでは、核兵器や原発などによって、自分たちの生きている環境そのものを全面的に破壊してしまいかねません。

他の動植物にとっても人間の存在ほど疎ましいものはないのではないでしょうか。

このような世の中で、多くの人びとが個人的にも社会的にも、不安を抱え、苦しみながら生きています。

これは私たちの生き方に根本的な間違いがあるためだと思います。


3.11の福島原発事故からちょうど1年が経過しようとしています。

いまこそ、私たちは、「私たち自身日々何のために生きているのか?」ということに痛烈な省察を加える必要があると思うのです。




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人間の体―3

人間の体―3

人間の体には他の動物と同じように、もともと生命維持・健康維持機能が備わっています。

それらの機能の一部を思いつくままに列挙してみましょう。


* 痛みは、異常があるよという警告サイン。同時に、全身の気を異常な部分に集中させ回復を促進する。

* 涙は目に適当な潤いをもたらす。また、ホコリや花粉などの体外異物を排出する。

* 鼻水はウイルスや細菌、花粉などの体外異物、体内に生じた炎症産物を体外に洗い流す。

* 咳きは体外異物や炎症産物を体外に排出し、気道を浄化する。

* 嘔吐や下痢は体内に入った悪いものを早く体外に排出しようという働き。

* 発熱は体内の低下した化学反応を高め、有害な物質を体外に排泄する作用を促進する。

* 細菌やウイルス感染時の発熱は、敵の力を弱めて早く治そうとする反応。

* 発疹は有害な物質を皮膚から体外に排泄する作用。

* 免疫機能は体内に侵入した異物から体を守る。

* 死に際に何らの治療措置を取らない自然死の場合、脳内にモルヒネ様の物質が分泌されたり、意識のレベルが下がったりして、ほとんど苦痛を感じなくなる。

* 寝相は、起きている間の活動により生じた身体の偏りやバランスの歪みを調整する働き。

* 風邪は寝相でも解消できない偏りを調整したり、体の鈍った化学反応を活発にして、健康を回復する。


このように、人間の体には自分自身の健康を維持し、異常が生じた場合には自分でそれを解消・調整する機能がもともと備わっているのです。

これらの生命維持・健康維持機能は一般に「自然治癒力」と呼ばれています。

私たちが何十億年という長い年月の間、何千、何万回、あるいは、それ以上の過酷で危機的な状況を乗り越えることができたのは、ひとえに、この「自然治癒力」のお陰なのです。

私たち自身に備わっている「自然治癒力」はそれほど強力で優れた機能なのです。

ところが、今日、私たちは自然治癒力の存在自体さえ忘れてしまっていたり、その存在を知っていても、その力を非常に過小評価しているのではないでしょうか?

ちょっと体の調子が悪くなると、薬や注射、お医者さんに頼っていませんか? 

おかしいと思いませんか? 

私たちは現代の社会の中でいつのまにか、「私たちの身体はひ弱なものである。健康に生きるためには、支えが必要だ。それが薬や注射や医療だ」と洗脳され、思い込んでしまっているのです。

近代医学が発達する200年ほど前まで、何十億年という年月、私たちの先祖はみな自分自身の本能的な要求と、自然治癒力に任せることによって生存を確保してきました。

私たち人間の身体は、もともと、ヤワなんかではありません。

私たち人間の身体は、大自然が何十億年もの年月をかけて創りあげた強力なサバイバル・マシーンなのです。

心についてもまったく同じです。

この原点に立ち戻ること、それが21世紀のルネッサンスの始まりです。



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痛みと喜びとやすらぎ

痛みと喜びとやすらぎ

わたしには大きな身体的障害があり、現在でも肉体的苦痛を体験しております。
そして、そのことを受け容れてもいます。
けれども、これはやはりカルマを完全に昇華(消化)しなければ、この体験に終わりを告げることはないのでしょうか? 
(へそまんじゅうさんのコメント)


このようなコメントがありましたので、へそまんじゅうさんの痛みということではなく、私たち一般の身体的痛みについて、思うところを書いてみたいと思います。

痛みは決して心地よい感覚ではありません。

人間は快楽を求める傾向があります。

ですから、痛みを苦しみと感じるのも、自然と言えば自然なのかもしれません。

けれども、痛みはただ痛みです。

それを苦しみと捉えることもできれば、苦しみ以外の何かと捉えることもできるでしょう。

このように書くと、結局はこの痛みを自分で経験していないから、そんな他人事の、へ理屈を言えるのだ、という方もいらっしゃるでしょう。

そう言われると、何も言えなくなります。

でも、人様にはめったに話すことはありませんが、僕自身にもいくつかの体の不具合があるのです。

おそらく、たいていの人が体に何らかの不具合を抱えているのではないでしょうか。

そういう意味で、体に痛みがあるということがどういうことか、僕自身ある程度は推測できると思っているのです。

さて、痛みを苦しみと感じることに、僕は何も異論があるわけではありません。

ただ、痛みは必ずしも苦しみというマイナスだけではなく、その中に何らかのプラスがあるのではないか、と言いたいのです。

つまり、痛みを感じるのは、生きているからこそ感じることができるのです。

それは、自分を生かしている生命力が活発に働いているということです。

そして、必要があるからこそ痛みがあるのです。

痛みがあるということは苦しいことかもしれません。

けれども、このように視点が転換すれば、痛みがあるということは、実は、本当にありがたいことだと思います。

カルマうんぬんについては、ここでは深く触れません.

けれども、あえて、言わせていただければ、痛みがあることに、心から「ありがたい」という気持ちになれた時に、はじめてカルマから解き離たれることができるのだと思います。

苦しみはただ苦しみなのではありません。

いのちの世界では、苦しみの中にも喜びと安らぎがあるのです。




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