プロフィール

昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

最新記事

カテゴリ

最新コメント

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

今滞在されている皆さんの数

現在の閲覧者数:

これまで訪問された皆さんの数

ダメな人間はいない

ダメな人間はいない

僕は日頃若い人たちに接する機会が多いのですが、そんな時によく感じることがあります。

それは、小さく縮こまっている感じの人が多いということです。

そのような方々と話してみると、どこかで「自分はダメな人間だ」と思っていると言うのです。

これはとんでもない間違いです。

僕はそのような方々に訊きたいのです。

あなたはどうして「自分はダメな人間だ」と言い切れるのですか?

そのように言い切れる根拠はどこにあるのですか?

あなたはあなた自身にそのように判断する能力があると言い切れますか?

自分で勝手に「自分はダメな人間だ」と決め付けているだけではないでしょうか。

たしかに、あなたには今できないことがたくさんあるのかもしれません。

けれども、それは必ずしも、これからもずっとできない、ということではありません。

あることが今はできなくても、工夫と努力によって、将来、それなりにできるようになる可能性は誰にもあるのです。

それが前回のブログ『やればできる』で言いたかったことです。

何ごとにおいても、自分で勝手に「自分はダメだ」と決め付け、自分の能力に勝手に限界を作っていることこそ、自分自身をもっとも粗末にすることではないでしょうか。

それは頑固、我執(エゴの固まり)そのものです。

それは人と自分との間に垣根を作り、孤立して生きるということにも繋がっていきます。

私たちは「どんなことでも、自分で勝手に自分の能力に限界をつけることはできない」という真実をはっきりと確認することが肝要です。

簡単に言えば、私たちの能力は無限なのです。

どんなに困難に思えるようなことでも、「かならずできる」という信念のもとに、できるように、できるように、たえず、やり方や方法を工夫し改良しながら、努力を積み重ねることによって、かならず克服できるのだと思います。

僕は人間は誰でもそのような能力を持っているのだと確信しています。


世の中には、個人的、社会的、あるいは、地球的規模のさまざまな困難な問題があります。

今日までこころある方々がそれらの問題を憂い、何とか解決しようと、それぞれの分野で懸命な努力を続けられています。

それらの方々の努力には本当に頭が下がります。

けれども、一方では、そのような困難な問題を解決するなんて、自分にはとても無理だと考えて、何の努力もしようとしない方々があまりにも多いように思います。

でも、個人的、社会的、あるいは、地球的規模のさまざまな困難な問題のほとんどは私たち人間自身が作り出したものです。

だとすれば、それらの問題を私たち人間自身の手によって解決できないはずはありません。

ダメな人間などいません。やればできるのです。

今日、人類社会はあらゆる面で急速に行き詰まりに向かって突き進んでいます。

このような危機的状況において、一人でも多くの方が「理想は工夫と努力によってかならず実現できる」という信念に目覚めるられることを願っています。




←クリックで応援よろしくお願いします

人気ブログランキングへ

やればできるー2

やればできるー2

こうして、毎晩翌日の授業を予習するのが日課となった。

もちろん、それ以後は、手を挙げる度に毎回指名されるということはなくなっていったが、予習して授業に臨むので先生の話もだんだん分かるようになっていった。

分かるにつれて、僕はますます授業に積極的に参加するようになっていった。

そして、1学期の終了式の日に通信簿が渡された。僕は一瞬目を疑った。国数理社の主要4教科で5が二つ、4が二つで他の教科は3だった。

先生の話では主要4教科ではクラスで5、6番だということだった。

2学期3学期と僕は元気に勉強を続けた。苦手だった音楽や図工なども伸びてきた。その間、勉強はやり方を工夫することで能率がどんどん上がるということにも気がついてきた。

こうして、予習を重視しやり方を工夫し改良することにより、中学、高校、大学と成績はおもしろいように伸びて行った。

そして、最終的には大学院の博士課程修了というところまで伸びたのである。

僕は自分の自慢話をするためにこの文を書いているのではない。「人間の値打ちは学歴なんかで決まるものではない」ということを一番言いたいのは僕なのだから。

ただ事実を事実として書いて、若い人たちの参考にしてほしいと思うのである。

僕は勉強だけやっていたのではない。

やはり、勉強よりも友達と遊んでいるほうが圧倒的に楽しかったし、テレビやマンガのほうが好きだった。その意味では勉強は相変わらず嫌いだったと言うほうが真実である。

しかし、同時に、嫌いではあっても、勉強して成績が上がってゆくのも正直に言って張りがあった。

そこで、遊びの時間を確保するために、嫌いな勉強をできるだけ要領良く短時間で済まそうと思い、能率の上がる勉強のやり方を常に工夫改良するようになったのだ。

こうして、勉強のやり方はどんどん能率的になり、成績が向上していったのである。

遊びの時間をできるだけ長く確保するために、短時間に勉強の実績を上げたいという執念に似た強い思いは、また同時に、思いもしなかった副産物を生むことになった。それは、集中力が大幅に向上したということである。

最初のうちは成績を上げるということだけを目指して、いやいやながら懸命に勉強していたのであるが、理解が進むにしたがって、勉強の内容そのものの面白みが分かってきた。

こうして、「やればできる」ということはますます強い信念になっていった。

しかし、それだけでは表現が足りない。「やり方を常に工夫改良して、強い集中力を持ってやればできる」のである。

この信念は学校を出て社会人となって、いろいろな仕事をやっていく時、大きな支えにもなり自信ともなっている。

それにしても、あの時先生が「あなたはやればできるのよ」と言ってくださらなかったら、今の僕はない。

あの一言が僕の人生を決定的に変えたのだ。

そして、その時僕が素直に「そうか」と思わなかったら、やはり今の僕はない。

今でも、その時僕が素直だったことに自分自身感謝したい気持ちだ。

また、初めて手を挙げた時に、先生が僕を指してくださらなかったら、今の自分は確実にない。

このように考えてくるととても不思議な気持ちがする。

もちろん、先生の適格な指導技術があったからであり、先生には心の底から感謝している。

それにしても、あのようなことが事実として自分に起きたということがどうしても不思議に思えてしかたがないのだ。
   (終わり)




←クリックで応援よろしくお願いします

人気ブログランキングへ


やればできる-1

やればできる

僕は10年ほど前まで、人間を社会や制度に合わせる教育ではなく、「ひとり一人の人間自身のための教育」ということを主眼として私塾をやっていました。対象は中学生と高校生です。

今回と次回のブログはその当時に書いた文章です。

その後にぜひ書いてみたいと思っている文章の前座的な意味で、ここに掲載します。



「やればできるー1」


僕は小学校の5年生まで文字通りの落ちこぼれだった。成績はクラス50人中、下から3番か4番以上に上がったことがない。

最近、当時の通信簿が出てきたので、確かめてみると、1年から5年まで5段階相対評価でほとんどの科目が1であり、そこに申し訳のように2が一つ二つあるだけである。算数だけはずっと3だった。

授業中は先生の説明がほとんどまったく理解できないので、しかたなくボ一ッとただ授業が終わるのを待つしかなかった。それは本当に苦痛だった。

1、2年のころは、しょっちゅう具合が悪いと言っては学校を休んでいた。いわゆる、不登校である。

そのうち、親も先生にも病気はうそだと分かってしまい、毎日父親か母親に手を引きずられながら学校に通った。

親は毎日少なくとも午前中はずっと教室の後ろに座っていた。僕がいつ学校から逃げ出してしまうかもしれないからだ。

今はもちろん親にとんでもない迷惑をかけてしまったと、心から申し訳なく思っているが、当時の僕はそんなことを思いやることもできないほど精神的に幼かった。

3年になると、どうやらひとりで学校に通うようにはなったが、授業は相変わらず少しも分からなかった。

休み時間は時間を惜しんで友達と遊んだ。そして、下校時間になると走って家に帰り、土間にカバンを放り入れるとすぐ外に走り出て、日が暮れて真っ暗になるまで友達と遊び回っていた。

宿題はほとんどやらなかった。学校は地獄だったが、遊びは天国だった。

当時、僕は自分が落ちこぼれだということさえも分からなかった。だから、劣等感も感じなかった。本当に幼稚だったのだと思う。

こうして6年生になった。1学期もしばらくして、担任の先生に職員室に呼ばれた。

恐る恐る担任の先生のところにいくと、先生はしばらく僕の目を見て、一言「あなたはやればできるのよ」と言われた。

その後どんな話をされたのかすっかり記憶から落ちている。

しかし、最初の「あなたはやればできるのよ」と言われた言葉に、今もって自分にも不思議であるが、僕は素直に「そうか」と納得してしまった。理由もなにもなかった。

「とても僕なんてダメですよ」と言えるほど自分のことが分かっていなかったのではないかと思う。

自分に対する無知がかえってよかったのだと言えよう。

「そうか」と思い、じゃあ今晩から早速勉強してみようと、翌日の国語の授業範囲を国語辞書を使って、漢字の読み方や言葉の意味などをいくつか調べた。

そして、次の日、国語の授業が始まった。前日に予習らしきものを初めてやったせいか、少し興味を持って先生の話を聞いていた。

すると、なんと先生の説明していることが少しは分かるのである。これは初めての体験で本当に不思議な感覚だった。

そのうち、先生がある言葉の意味を質問をした。それは、前日僕が調べた言葉の一つだった。僕はその意味を覚えていた。

7、8人の生徒がいっせいに手を上げた。僕は一瞬ためらったが、おずおずと手を挙げた。学校に入って初めて、先生の質問に手を挙げたのだ。

先生は「おっ」というような表情をして僕を指された。僕は小さな声で答えた。先生は「その通り。よく出来ました」と言われた。

学校に入って初めて先生に褒められたのだ。僕は何か嬉しいような気持ちと同時に「そうなのか」と納得するものがあった。

気を良くした僕は、その日の晩も国語や算数、社会などを予習した。

次の日、学校で数回手を挙げて、その度に先生は僕を指してくださった。前日調べたところなので、みんな正解である。

何となく気分が良かった。



←クリックで応援よろしくお願いします

人気ブログランキングへ

父と子

父と子

今回のブログは僕が27歳のときに書いたもので、当時、柏樹社という出版社から発行されていた月刊誌『まみず』に掲載されたものです。

昨日たまたま見つけて、この文章を読み返してみると、あらためて「そうなのだ」と深くうなづくものがありました。



「父と子」


私の父は今年80歳になります。

先日、重態だという電話で、早速、私は実家に見舞いに行きました。父の状態はローソクが燃えつきて、今にも最後の炎がフッと消えていきそうな感じでした。

しかし結局、奇跡的に持ち直して回復に向い、今ではどうやらもとの体にもどりました。原因は高血圧のため服用した薬があまりに強すぎたのだそうです。

私は寝床のそばに坐って、すっかリ衰弱しきった父の姿を見ながら、「父の一生というのは何だったのだろう。父と子というのは一体何だろう」ということをあらためて考えさせられてしまいました。

父は明治24年(1891年)に九州のいなかに、水呑み百姓の次男として生まれました。非常に苦労をして学校を出て、戦前はまだ珍しかった航空関係の仕事に従事し、戦争が終るまでは相当な社会的地位にあったようです。

しかし、戦後は一転して、航空関係の仕事が全く無くなったので、やむなく田舎に帰って百姓をしていました。

生活が苦しくなる一方なので、町に出てなれない商売を始めました。まだ小さい私たち子供3人をかかえて、父は老いた体にもかかわらず、もくもくと働いていました。

私が17歳ぐらいのときです。父は突然、全く畑ちがいの司法書士の国家試験を受けるために勉強を始めました。その時父は67歳でした。2年目に合格して、父は司法書士の仕事を始めました。全国で最高齢の合格者だったそうです。

ちょうどその頃は家の商売が行きづまって、このままでは、すぐ上の兄と私は大学に行けそうにもないといった状態でした。

父は私たちがまだ小さいときは、私たちを中学か高校まで出して、あとはのんびりしたいと思っていたようです。

ところが、私たちが大きくなるにつれて、子供の持てるカだけは出させてやりたいという願いが非常に強くなってきたのでした。

司法書士の仕事を始めることによリ、生活がいくらか持ち直したので、兄も私もひき続いて大学に進学しました。しかし、司法書士の細かい仕事は老いて弱った父の神経にはあまりにも過酷でした。

父はもともとは体はとても丈夫でしたが、次第に神経がまいってしまい、さらには神経性の高血圧になってしまいました。

父は薬を飲んで仕事を続けました。ところが、どういう薬を飲んでも、薬を飲むと頭がモーローとし、休のカがなくなってしまうのです。毎日家に帰るとすぐに寝てしまうような状態でした。

父は自分が倒れるわけにはいかないという一念で、体に合わない薬を飲みながら、兄に続いて私が大学を卒業するまで司法書士を続けました。その時父は74歳になっていました。

今思えはまことに恥しいことですが、このような父の姿を見て、それは親として当然のことをしているのだとしか私は感じませんでした。

ところが、卒業して2,3年たってから、私が一人の人間であるのと全く同じく、父も一人の入間なのだということに初めて思いいたったとき、私は父に対してとりかえしのつかないことをしてしまったことに気がつきました。

「あの時なぜ、僕が働くと父に言ってやらなかったのだろう。そうすれば、父は体を悪くすることもなく、自分の人生を楽しく生きられたのだ」という思いが、それ以後、弱った父の姿を見るたびに、私の心に浮んでくるのでした。

ところが、先日、看病しながら衰弱した父の体に触れたとき、何とも言えないものが父の体から伝わってきたのです。

その時、とりかえしのつかないことをしてしまった私を父はとっくの昔に、そのまますっぽりと包みとって許してくていたのだということを知ったのです。

考えてみると、父はあの苦しい生活の中で、ただ誠実に生きることによって、実に多くのことを私に与えてくれていたのです。

その父の姿が今、どれだけ私の生きる支えになっているかということを顧みるとき、まさに父の愛は無限であることを身にしみて感じるのです。

そして、互いに奪い合ってしか生きてゆけないようなこの世の底を、実になんともいえないほど、あたたかいものが流れていることを父の愛を通じて知ることができたのです。




←クリックで応援よろしくお願いします

人気ブログランキングへ

ハチ公

ハチ公

昨日の東京新聞に「ハチ公最期の写真」が出ていました。

亡き主人を渋谷駅で待ち続けた忠犬ハチ公が、駅から少し離れた路地でひっそりと逝ったあとに撮られた写真です。ハチ公は11歳だったそうです。

新聞にはハチ公がまだ元気だったころの写真も掲載されていました。

この写真を見た方々はどのような感想を持たれたのでしょうか?

我が家では以前からずっと犬やネコを飼ってきました。そのために、今日まで多くの死に出会ってきています。

僕がハチ公の写真を見て感じたことは、我が家の犬やネコが死んだときに感じるものとまったく同じでした。

僕が彼らの死に際していつも感じるのは厳粛さです。

同時に「すごいなぁ!」と思うのです。

何がすごいのかと自問自答してみるのですが、はっきりと「これだ」と言うことはできないのです。

ただ、私たち人間のいろいろな思いや感情を超えた死という事実の厳粛さを強く感じているのだと思います。

そうです。死は厳粛なものです。

犬やネコの死だけでなく人の死も厳粛なものです。

私たち人間のいろいろな思いや感情を超えて、死はただただ厳粛なものです。

なぜ、死は厳粛なのでしょうか?

それは、死が私たち人間のいろいろな思いや感情を超えた事実だからこそではないでしょうか。

犬やネコだけでなく、多くの方々が身近な人の死という事実に直面して、たじろぎ、動揺し、大きな悲しみを感じるということには僕も共感しないわけではありません。

それはそうなのですが、そのような場面で同時に、多くの方々がこころのどこかでは、私たちが死や生を超えた存在(“いのち”)であるという事実をあらためて感じていられるのではないでしょうか。

そうであるからこそ、死がただただ厳粛であるのだと思うのです。

死が厳粛なものであるということは、逆に言えば、生も厳粛なものであるということです。

真実は、生も死もそれぞれ“いのち”の一場面にすぎません。

別の言い方をすれば、本当は、「人間は死なない」ということです。

私たちは普段の日常生活のなかで、大したわけもなく忙しくしたり、あれこれと心配したり、人といがみ合ったり、ちょっとしたことで喜んだりと、一喜一憂しながら生きています。

それはそれでよいと思うのですが、それだけでは浮き草のようなまことに浅薄な人生になってしまいます。

私たちは普段の生活の中でこそ、折に触れて、いまここに生きている自分が、すべての存在が死や生を超えた大いなる“いのち”であるという厳粛な事実に立ち戻ることが大切なのです。





←クリックで応援よろしくお願いします

人気ブログランキングへ


タローとジロー

タローとジロー

数十年前、やむをえない状況の中で、日本の南極観測隊は昭和基地に十数頭のカラフト犬を置き去りにせざるをえませんでした。

ところが、そのうち、タローとジローという2頭の兄弟が奇跡的に生き延びることができました。

さて、今回書いてみようと思うのは南極のタローとジローの話ではありません。

我が家のタローとジローというネコの話です。

タローとジローは一緒に生まれた兄弟(双生児)です。

母ネコが家の外のどこかで2匹を産み、2,3ヶ月たって我が家に連れ戻ってきたのです。2匹ともとてもかわいい子ネコでした。

タローはすぐに母ネコと一緒に家の中に入ってきました。

そして、そのまま、まるで我が家で生まれ育ったかのように、最初からみんなになついて、可愛がられすくすくと成長していきました。

ところが、ジローは中に入りたいのですが、なにか警戒してなかなか家の中に入って来ません。

このままでは飢え死にしてしまうと思い、時々家の外にもエサ場を作り、そこでエサを与えました。

ジローは外で母ネコと一緒にエサを食べ、家の中に入りたくて仕方がないのですが、なにか怖くて入ってこられません。

このような状況が半年ぐらい続きました。そして、いつの間にか、どこに行ったのか、ジローは姿を消してしまったのです。

それでも、それから1,2年ほどの中で、家のそばでジローの姿を何度か見かけました。時々は外のエサ場で食べているようでした。

そして、その後、ジローの姿はまったく見えなくなりました。

一方、タローはみんなに可愛がれ、他のネコとも仲良く暮らしていました。

数年後、僕がたまたま外を見ると、ジローが小道をトボトボと歩いているのが見えました。

僕はすぐに家の外に出て、「ジロー!」と呼びかけました。

ジローは僕の方を振り返り、そのまましばらく僕を見つめていました。

どれほどの時間がたったのでしょうか、ジローは再び道をたどり歩いて去っていったのです。

ジローはやっと歩いていました。毛並みもよくありません。全身が薄汚れた感じでとても弱っている様子でした。

私たちの住む地域では冬の夜は気温がマイナス10度くらいに下がります。エサにありつくのも大変です。

僕はもう一度「ジロー!」と呼びかけました。我が家に帰ってきてほしかったのです!

でも、ジローはそのままトボトボと歩いて行って、とうとう姿が見えなくなってしまいました。

僕は「お前は頑張っているんだな」と思いました。

ジローの姿を見たのはそれが最後です。


一方、タローはそのまま我が家の一員となり幸せに暮らしました。そして、数年後、天寿を全うして、安らかに死んでいきました。



タローとジロー。どちらも満点です。

過不足なしです。

これは僕自身が26歳のときに徹見した存在の真実です。



でも、今でも時々、ヨタヨタと歩いて去って行ったジローの姿を思い出すと、涙がジワッと浮かび上がってきます。


ジローはまだ生きているのでしょうか。




←クリックで応援よろしくお願いします

人気ブログランキングへ

いのちの世界

いのちの世界

私たちは自分だけの力で生きているのではありません。

私たちは「大いなるもの」に生かされて生きているのです。

それは瞑想の自然法や自観法をすれば誰にでも簡単に分かる事実ではないでしょうか?

いや、そんなものさえ必要はありません。

道を歩いている時でも、本を読んでいる時でも、ふと、自分自身に問いかけてみましょう。

いまこのようにしているのは、果たして自分だけの力でそうしているのでしょうか?


大自然を見てみましょう。

樹木も花も鳥もネコや犬もみんな生きています。

山も川も、海も、雲も、雨も、風も、水や空気も、そして、大地も空も生きています。

岩も石も砂も土も生きています。

大自然自身が生きているのです。

大自然を構成するすべてのものが「大いなるものに」によって生かされて生きています。

太陽や月、無数の星や星雲、そして、宇宙自身が「大いなるもの」によって、生かされて生きています。

ここで僕が「生きている」というのは、生物学的な意味の「生きている」ということだけではありません。

生物・非生物を問わず、すべてが存在しているということとそれらの相互的なハタラキを「生きている」と表現しているのです。

岩や石ころ、川、空気、水などの、いわゆる、生物でないものに「生きている」という言葉は適切でないと思う方もいるかもしれません。

でも、生物自身がそれらの非生物との間で活発で密接な相互関係にあります。

それらの非生物なしには生きることができません。

また、生物の存在とそのハタラキによって,非生物が変容していきます。

これらの事実を考えてみれば、非生物も「生きている」と表現してもよいのではないでしょうか。

要するに、生物・非生物というのは万物のその瞬間瞬間における一時的な姿でしかありません。

いずれにしても、この世界のすべてのものが「大いなるもの」に生かされて生きています。

この「大いなるもの」を僕は「(大いなる)いのち」と呼んでいます。

自分は「(大いなる」いのち」によって生かされて生きています。

でも、「(大いなる)いのち」と自分が別々なのではありません。

自分という存在自身が、そして、自分の体やこころのいろいろなハタラキ「(大いなる)いのち」そのものなのです。

この世界そのものが、自分も、そして、すべての存在とそのハタラキが「(大いなる)いのち」なのです。

ところで、”いのち”にはもともと大小はないので、いちいち「大いなる」と言うことも必要ないでしょう。

そうです。

この世界は“いのち”の世界なのです。

自分、そして、この世界のすべての存在とそのハタラキは“いのち”の顕れた姿です。


私たちはみんな一つの“いのち”を生きているのです。

1枚の木の葉が“いのち”であり、宇宙そのものです。

あなたが、そして、目の前のパソコンが“いのち”であり、宇宙そのものです。


明らかに知りぬ。

“いのち”とは山河大地なり、日月星辰なり。





←クリックで応援よろしくお願いします

人気ブログランキングへ




| ホーム |


 ホーム