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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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天地一杯の“いのち”

天地一杯の“いのち”

どっちにどう転んでも、天地一杯の我が“いのち”。

本来の自己は“いのち”の世界から外れようとしても、絶対に外れようがありません。

なぜなら、本来の自己がその“いのち”そのものだからです。

それはアタマでどう思おうと、絶対安心の世界です。

ですから、何も心配することなく、悠々と大らかに、爽やかに生きてゆけばよいのです。

このままで、すべてが完璧です。

でも、それは何もしないということではありません。

何もしないということは死んでいるということです。

生きている以上はその時々の状況に応じて何かをしたいと思い、何かをします。

毎日ただたんたんと生活をし、仕事をするだけというような方もいるでしょう。

週末にはよく買い物に出かけるという方もいるでしょう。

連休には家でのんびりするかたもいれば、旅行に出かける方もいるでしょう。

家を出て、通りを歩いていると、小さな子どもがつまずいて転んだのを見て、あなたは、思わず駆け寄って、「大丈夫だよ」と言ってその子を抱き上げるかもしれません。

休日には自分の趣味に打ち込んでいる方もいるでしょう。

「もう原発はごめんだ」と思い、デモや集会に参加するかもしれません。

夕方には勤めから家に帰り、新聞や本を読んだり、テレビを見たりもするでしょう。

疲れればお茶でも飲みながら、のんびりもするでしょう。

そのすべてが、そのままですべて完璧なのです。


ただ、それはそうなのですが、本来、自分は天地一杯の“いのち”であるということを深く自覚したならば、その当然の結果として、その方の考え方や行動も変わってきます。


同じ仕事をしていても、自分だけのため、自分の家族だけのためと思って仕事をするのと、この仕事がすべての生きとし生けるもののためと思ってやるのでは、それこそ天と地の差があります。

そういう意味で、本当の自分とは何かも知らず生きていくのと、それを深く生きていくのは、まったく異なった人生となります。

そして、この社会に本当の自分を自覚した人が増えるにしたがって、生きることがますます楽しく、充実したものになっていくでしょう。

どっちにどう転んでも完璧です。

ではあるのですが、「その中でどのように生きるのか?」ということは、人生の一大テーマと言えましょう。





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エゴイズムの放棄

エゴイズムの放棄

相手に勝たなければ自分が生き残れない。相手を潰さなければ自分が潰されてしまう。どんどん環境を破壊しなければ自分自身が維持できない。

このようなエゴイズムを基盤とした現在の国家や経済のシステムは根本的に自己矛盾しています。

なぜなら、このまま行くと、周りの動植物を巻き込みながら、いつ自分自身が滅びてしまうかもしれないからです。

国家エゴイズムが飢餓で苦しむ8億人以上の人々を横目に、地球に住むすべての人々を何回も皆殺しにできるほどの核兵器を作り、絶え間ない戦争や熾烈な経済戦争を引き起こし、人類の生存そのものが危ぶまれるほどの環境破壊を推進する原動力となっています。

いま私たち人類はエゴイズムに基づく国家や経済システムによって地球環境もろともに自滅してしまうのか、それとも、その限界を知って、まったく異なる道を歩み始めるかの分岐点に立っています。

私たちにとって、いまもっとも大切なことはこの事実をはっきりと認識することです。

多くの人々をつぶさに観察してみると、個人的にも社会的にも利己的な生き方や政策などは決してよいことではないと、心の中では、思っているようです。

でも、現実的には、つまり、自分たちが生きていくためには、あるいは、自分たちの国が生き残っていくためには、「しかたがないのだ」と利己的な生き方や政策などを容認しています。

現代の経済システムや国家のエゴイズムにメリットが何かあるでしょうか。

何もありません。


この国家エゴイズムがなくなれば、世界は自動的に調和を取り戻し、本来のあるべき平和を取り戻していくでしょう。

多くの人がエゴイズムは結局自分にとって得になると思っているようです。

でも、事実は、得になるどころか、相手も自分も損をするのです。誰も得するものはいないのです。

これは子どもにもわかる簡単な真実です。そして、それはこれまでの歴史がはっきりと証明しています。

人間が本当に幸せになるためには、そして、人類社会全体が本当に平和になるためには、エゴイズムシステムから脱出するしかないのです。

では、どうしたらエゴイズムシステムから脱出することができるのでしょうか?

それは、個人としても国家としても自らエゴイズムを放棄する以外に方法はありません。

多くの方々がこの弱肉強食の世界において、本当に自らエゴイズムを放棄してやっていけるのだろうかと思われるかもしれません。

でも、まさにこれこそ人間が本当に幸せになり、人類社会全体が本当に平和になるための正道であり、もっとも確かな道なのです。

それは、少なくとも個人の生き方としては、これまでの歴史の中でそのように生ききった方々によって十二分に証明されています。

では、本当にエゴイズム的生き方を放棄しようと決意すると何が現われてくるでしょうか。

それは思いやり、そして、真ごころという人間本来の情です。

思いやりや真ごころは、私たちがエゴイズムという幻想から解き放たれ、人間本来の自然の姿に帰った時に自然と沸き起こってきます。

私たちは、個人的にも社会的にも、ただ自然の姿に戻りさえすれば、喜びも自由も平和も手にすることができるのです。



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平和を妨げるもの

平和を妨げるもの

近代科学文明が人類にとってなくてはならない自然環境を破壊し、人類の生存そのものが危ぶまれるほどになってもなお破滅の方向に進み続けるのは一体どうしたことでしょうか?

それは人間の大脳が「すべての存在はバラバラだ。自分は他とは利害を異にする存在だ」という認識から、自己中心的に考えるようにできているためためです。

そこから出てくる「自分さえよければ」というエゴイズムが人間の幸福と平和を妨げる根本原因です。

そのエゴ(イズム)が本来ありもしない幻想の恐怖を生み出します。

人間はその恐怖から逃れようとして、また別の恐怖を生み出していきます。それは次々と恐怖を連鎖的に生み出し、多くの人々が永遠に抜け出せない迷路に落ち込んで混乱しているのです。

そのような人々は自分が生き残っていくためには相手に勝たなければいけない。争わなければ生き残っていけない。この世界は強いものが勝ち残っていく生存競争の世の中なのだと思い込んでいるのです。

たとえそれが幻想や錯覚による思い込みから生じるものであっても、現実的には、それは恐怖世界そのものです。

エゴイズムから生まれた恐怖があらゆる不幸の原因になっています。

そして、エゴイズムをもっとも強力に推進しているのが国家という存在です。

人類はその誕生以来、自分達が生き残っていくために集団を作り、他の集団と争ってきました。集団の規模が国家という形になって今なお争いはなくなっていません。

ほとんどすべての国々の根本政策は、自分の国を守るために軍備を増強し、自国の経済、発展というところに置かれています。

現代の世界は飢餓問題や環境問題など多くの困難な問題で行き詰っています。

世界の国々の軍事費をこれらの問題の解決に回せば、一気に解決の方向に向かうということは、子どもにも分かる簡単な理屈ではないでしょうか。

それなのに、いまだに戦争によって多くの罪もない人々を殺し、何十万年も続くような放射能汚染を撒き散らす原発や兵器を平気で作り、自国の経済優先のために自然環境を破壊するのは、この国家という規模のエゴイズムが当然のこと、当たり前のこととされているからです。

その典型的な例が福島の原発事故です。そして今や政府は「生活を守る」という美名の下に超危険な原発の再稼動を行い、さらに推進させようとしています。

もちろん「生活を守る」ことは大切なことです。でも、生活する前に、命がなくなってしまえば、どんな生活さえできないのです。

世界に原発がある限り、人類には未来はないのです。

国家エゴイズムによる発展はもう限界に来ています。

人間のエゴイズム、弱肉強食の世界を肯定する現代の経済システム、そして、それをサポートしている国家エゴイズムは、本当は、いまや完全に行き詰っているのです。

はっきりこの事実を認識することが本当に平和な世界を実現するポイントなのです。



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善なる大自然

善なる大自然

生命は誕生から何十億年もの時間をかけて進化し、人間が生まれました。

でも、大自然の進化の結晶とも言える人間が大自然を破壊しています。

他の動物とは異なり人間は大脳を発達させてきました。大脳はすべての存在はバラバラだと認識します。

要するに、自分は他とは異なった存在であり、利害を異にする存在だと認識するのです。

その結果、大脳は一人一人の個体の生存・生き残りを優先して働く傾向が強いのです。。

でも、このようにして、自分を中心に物事を考えていくと、奪い合い、争い、戦争などが起こってきます。

その結果は自分にとって有利なるどころか、お互いが不幸になっていきます。

本当は、一人一人の個体にとって一番得なことは、自分を中心に考えるのをやめることなのです。

自分を中心に考えるから不幸になるのです。

人間は大自然から生まれ、人間も大自然の一員であり、大自然がないと人間は生きてはいけません。

大自然というのは常に調和の方向に向かっています。ということは、大自然の法則に沿って、みんなと調和して生きることが、人間は幸せになれる唯一の生き方だということです。

もともと大自然は全体が調和して生きていけるようにできています。

たとえば、人間の体やこころには大自然の叡知がもともと備わっています。

ですから、自分さえよければという考え方を捨てれば、大自然の叡知が発動するようにできているのです。

つまり、人間の本性は、もともと、すべてと調和し、みんなが平和に生きていけるようにできています。

人間はいつも、善を求め、喜びを求め、自由を求め、平和を願っています。にもかかわらず、人間の社会の実体は混乱と苦しみと争いの世界となっています。

でも、大自然には善しかありませんし、喜びしかありません。人間が求めているものはすべてこの大自然のなかにあります。

大自然の調和からはずれているからこそ苦しみんでいるのです。

人間は大自然のシステムを破壊することによって苦しみや不幸を生み出しています。それにもかかわらず、実際には、苦しみから逃れるために、ますます大自然のシステムを破壊し続けています。

私たちは平和な世界を望んでいます。でも、どのような平和を望んでいるのでしょうか。

多くの人は平和とは武力や法律による強制、禁止することによって実現できると考えているようです。

人間とはもともと自分中心の身勝手なエゴの存在であるから、お互いが平和に暮らすためにはお互いを何かで縛らなければいけないというものです。

なぜお互いを縛らなければいけないかというと、その根底に怖れがあるからです。

この恐れは錯覚から生じています。

その錯覚というのは、すべての存在はバラバラだという認識です。人間は五感と大脳を通して、みんなバラバラだと錯覚してしまうのです

けれども、存在の真実は不可分一体、つまり、すべての存在の本質は同じ一つの“いのち”なのです。

それは、大自然を見れば誰にも分かる単純な事実です。



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大自然の中の人間

大自然の中の人間

大宇宙がわたしたちのの住む太陽系を生み出し、地球を生み出し、地球が植物や動物を生み出し、その中から人間を生み出してきました。

人間は生まれるまでに、母親のお腹の中で単細胞生物時代から人間になるまでの40億年近い生命の進化を再体験するそうです。

人間は自然そのものであり、人間は自然がないと生きていけないのです。

植物も動物も、そして人間も自然と調和し、自然の完璧な力を最大限に引き出すことができた時に、もっとも幸せに生きることができます。

近代科学文明は、人間が便利で快適で安全な生活ができるようにとの考えから自然を破壊し汚染してきました。

でも、本当は人間がもっとも便利で快適で安全に生きるためには大自然の法則に沿った生き方をすることしかないのです。

大自然を人間の体に例えると、今の文明というのは、わざわざ五体満足の健康な体の足を切り落とし義足をつけ、手を切り落とし義手をつけ、心臓の替わりに人工心臓をつけ、科学技術の力を誇らしげに語っているようなものです。

どんなに科学技術が発展しようとも、もともとの五体満足以上に快適な生活を送ることはできません。

普通人間は空気がないと3分と生きてはいられません。また、体の70パーセントは水でできています。

それなのに空気をどんどん汚し、水を汚染し、空気や水を浄化し作り出してくれる森林や自然を破壊しています。

それでいて幸福な人生を望んでいるのです。変だと思いませんか?

人間が自然の一部であるということは、最高の幸せは自然と調和して生きることの中にあるということです。

自然を破壊しながら、幸せな生活を営み、幸せな社会を実現しようということは根本的に間違っています。

ところで、人間は自然がないと生きてはいかれませんが、自然は人間がいなくても生きていけるのです。

人間がこのまま自然を破壊し続ければ自然とともに人間自らが滅びるだけです。

人間は自然を破壊することはできるけれど、再生することはできません。再生できるのは自然の力だけなのです。

人間ができることは、自然の再生力を邪魔しない、つまり、自然の法則に沿って生きることだけです。

私たちはあらためて自然と調和した生き方はどうあるべきか、それをどのように実現できるかということを生き方の根本としなければならないと思うのです。

それと同時に、自然と調和した社会のあり方とはどういうものか、そして、そのような社会を実現するための方策こそ今もっとも求められているのだと思います。



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大自然は完璧

大自然は完璧

これまで「存在の真実」をテーマに「自覚」という視点に力点を置いてこのブログを書いてきました。

あらためて読み直してみると、自覚という角度から書きたいことはだいたい書いてしまったように感じています。

もちろん、もっと書いておきたいことがないわけではありません。

それはその時々に書いていきたいと思いますが、今後は「自覚と平和」という角度に力点を移して書いていきたいと思います。

とは言っても、もっとも重要なことは「自覚の深化」にあるということが変わるわけではありません。




大自然は完璧

大自然はそのままで完璧に上手く機能するようにできています。

大自然は常に全体の調和を取りながら、より調和が取れる方向に進んでいます。

調和が乱れたものは修正され、修正不可能の場合は一度破壊され、再生されていきます。

大自然というのは人間を含めた森羅万象すべてのもののことで、それが調和されるように全体が働きあっています。

人間だけの都合で再生、調和をはかろうとしても、全体を見通すことができないので、そのほとんどが破壊の方向に進んでしまいます。

人間が出来るもっとも確実な方法は大自然の力にまかせることです。

大自然が上手く機能することができるように、大自然の力を邪魔している妨げになるものを取り除いて、大自然の力を最大限に引き出すことです。

医学が病気を治すことはできません。治すのはあくまでも人間の体の中にある大自然の力、自然治癒力です。

人間が出来るのは、元に戻ろうとする自然治癒力が最大限に発揮できるようにその妨げになっているものを取り除くことだけです。

昔から文明は、緑の自然を破壊し続け、そこが砂漠化してしまった時に滅びていきました。

農業でさえ、作物を取り続ければ土地が枯れて作物が取れなくなりやがては砂漠化してしまいます。

それでは人間は自然を破壊しなければ生きていけないのではないか、と思う方もいるでしょう。でも、そうではありません。

人間が自然の力にまかせていけば、自然は自ずから再生し、元の豊かさを取り戻すことができます。

その事実を福岡正信先生の自然農法や野口晴哉先生の野口整体が証明しています。

人間が自然を妨げるようなことさえしなければ、自然は自ずと調和をとり栄えていくのです。


* 参考資料として以下の本を紹介します。

  『わら一本の革命』 福岡正信著 春秋社
  『整体入門』    野口晴哉著 ちくま文庫
  『風邪の効用』   野口晴哉著 ちくま文庫
 


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