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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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なぜ人間は自ら苦しむのか?ー2

なぜ人間は自ら苦しむのか?ー2

“いのち”の顕現である大自然や大宇宙の様子を観察していると、この世界はの本質とその姿は調和・共生であり、この世界は本来完璧であることが推測できます。

それにもかかわらず、なぜ完璧であると思われる“いのち”自体がなぜアタマを持った人間を生み出し、その人間が自ら苦しんでいるのでしょうか?

「なぜ」ということを「何のために」という問いに変えると、もしかしたら「こういうことではないか」と推測できるような感じがします。

人間はなにかで苦しみがあるとその苦しみを取り除きたいという根源的な欲求が生じます。

たとえば、頭が痛ければ、多くの人がその不快な感覚を取り除きたいと思い、頭痛薬を飲んだりします。

ところが、頭痛薬によって苦しみが取り除かれたように思えるかもしれませんが、体の感覚が敏感な人は、そのような表面的な療法では決して不快な感覚が根本的に取り除かれたわけではないことに気がつきます。

そこに気がつくと、何のために生じたのか? 頭痛というのは一体何なのだろうか? その根本原因は何なのだろう? というような疑問を抱くようになります。

つまり、最終的に、「本来、人間の体はどのようなものか?」という疑問にぶち当たります。

頭痛は私たちに本来、自分の体とは何なのか?という自覚を促す体の奥の奥から発せられる警告だと言えるのではないでしょうか?

そして、それを追求していくうちに、「人間の体というものはもともと健康に生きられるようにできている」という真実にたどり着くことができるのです。

その真実にはっきりたどり着き、体のハタラキそのものに任せるときに、体は自然に整って、いつのまにか頭痛の根本原因も消えてしまっています。

このような事実からも、人間のいろいろな苦しみもにも頭痛と同じような役割があるのだと推測できるのです。

つまり、逆説的ですが、人間のいろいろな苦しみは、本来人間とは、いや、自分とは何か?ということに気づかせるために生じているのではないかと僕は思うのです。

苦しみを対処療法的に取り除こうとしても、根源的な苦しみは消えることはありません。

それどころか、ますます苦しみと混乱の度合いは大きくなっていきます。

現代社会において、アタマのハタラキによって作り出された科学技術文明がこれほどまでに発達?してきたにもかかわらず、医療の問題はもちろん、個人的な苦しみ、そして社会の混乱はますますその度合いを増してきています。

たとえば、福島だけでなく、世界の原発問題は本当に深刻です。

これが人間に輝かしい幸福と平和をもたらすのではないかと期待されてきた科学技術文明の正体です。

僕は、このような苦しみや混乱、その結果による行き詰まりは、それを通して私たち人間、そして、自分自身の本来のあるべき姿に戻る、つまり、自覚を促す天の警告であるとしか思えないのです。

この自覚を通してしか私たちは真に幸福に生きることはできません。


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なぜ人間は自ら苦しむのか?

なぜ人間は自ら苦しむのか?

らっきーさんから次のようなコメントが入っています。

「私は、自覚のセミナーを受けるまで、今の社会は一番進化した結果であって、そこで起きている問題(戦争・自然破壊など)は、人間が生きている限りしょうがないこと、と諦めていました。
進化の方向がおかしい、別の社会の形があるなんて、考えたことがありませんでした。
良しとされた行き着いた先が核兵器なんて…!明らかに、おかしいですね。」

これこそまさに「人間という存在」に対する根本的な問いかけです。

「人間という存在に対する根本的な問いかけ」というよりむしろ「自分という存在に対する根本的な問いかけ」と捉えてみれば、その切実さはいっそう身にしみるのではないでしょうか?

個人的であれ社会的であれ、人間はなぜこのように苦しまなければならないのでしょうか?

人間なんてしょせんそんなものなのだ。だからそんなことを気にしないで、日々目の前の自分、あるいは、自分の家族の生活をできるだけ充実させて、あるいは、面白く可笑しく好きなように生きるしかないのだという方々も結構多いのではないかと思います。

もしかしたらそれが正解なのかもしれません。

でも、僕はそれは結局ただの問題放棄であり、その時々に一喜一憂しながら、この世をただ流されて生きているだけではないかと思うのです。

しかも、そのような生き方が自分自身だけのなかで完結しているのであれば何も問題はないでしょう。

でも、人間は自分だけで生きているのではありません。

ですから、当然、自分の生き方は自分以外の人の生き方に大きな影響を及ぼしています。

そして、その影響は巡り巡って自分、そして、自分の家族の生き方にも大きな影響をもたらします。

この世の中はそのようにできています。

この事実をはっきりと理解すれば、あらためて自分自身の生き方を真剣に問いなおしてみなければならないでしょう。

歴史を振り返ってみても、これまでこころある方々がこの疑問を解決しようとしてきました。

しかし、それはそのような方々だけの問題ではないはずです。いまここに生きている私たちひとり一人にとって切実な問題なのです。

とくに、原発その他いろいろな深刻な問題でこのように行き詰ってしまった、あるいは、このままでは本当に行き詰まりかねない現代社会に生きる私たちひとり一人に突きつけられている絶対にクリアーしなければならない課題なのだと思います。

僕は決して一種の終末論に取り付かれて「人類の行き詰まり」を強調しているのではありません。

それどころか、この「人類の行き詰まり」こそ私たちの輝かしい未来を開く門ではないかと考えているのです。

その門を開く鍵がラッキーさんの次のコメントにあるのだと思います。

「いのちの働きで、一個の受精卵から出来た頭が、どうして物事をバラバラに判断してしまうのでしょうか?どうして、一体のいのちから生まれたはずなのに、人間だけ、自然に反するような判断をしてしまうのでしょうか?」




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大乗的自覚

大乗的自覚

これはラッキーさんの以下のコメントを読んでの感想です。

いろいろものが集まっているのがこの世界だと思っていました。

よくよく考えてみれば、自分の体だって、心臓や肺などの臓器、骨、血管などなど、人体模型のように出来上がった部分が集まって出来てるわけじゃないですよね…。

疑問な点が一つ。

いのちの働きで、一個の受精卵から出来た頭が、どうして物事をバラバラに判断してしまうのでしょうか?

どうして、一体のいのちから生まれたはずなのに、人間だけ、自然に反するような判断をしてしまうのでしょうか?


僕はこれをとても素直なコメントだと思います。

皆さんはどのように思いますか?

これまでの皆さんからのコメントを読んで、いくつか感じるところがあります。


まず、ブログの個人としての自覚に関することには、それなりにコメントがあったように思います。


もちろん、中には、原発についての情報など、現在起こっている現象に関しては、活発に投稿する人もいます。

ところが、そのような現象がなぜ起るのだろうか?などという、人類の存在に関する根本的な背景などについてのブログに関しては、コメントがほとんど出なくなっているということです。

これは一体どうしたことでしょう?


次に コメントには何か正解をバシッと書かなければいけないと思っているのではないですか?

だとしたら、何も書けないですよね。

これが正解だと自信を持って書ける人なんてほとんどいないと思います。

でも、何か感じることはあると思います。

それが正解であろうと疑問であろうと、何でも書いてみるということが大切なのだと思います。

それが人と人をつないでいく王道だと思いませんか?


さらに、 正解を先生(つまり、この場合は僕ですが・・・)が教えてくれるというような感じになっていませんか?

もしそうであれば、それこそ現代教育の「素晴らしい?成果」です。

明治維新以来、日本の教育はひとり一人が自分で考えるということを極力抑制し、既成勢力の牛耳る国や社会のシステムに奴隷のように従い、文句も言わずに順応させるということを根本方針として組み立てられてきました。

そういう意味では、まさに僕も皆さんも現代教育の犠牲者です。

このような教育を受ける中で、私たちはもっとも大切な自分というものの存在の輝きを忘れてしまったのです。

このブログの目的は、私たちが「自分が他と取替えのできない、かけがえのない自分であり、同時に、自他一体である」という存在の真実に目覚めることです。

そして、小さな自分の安らぎのためだけの自覚、すなわち、小乗的自覚ではなく、みんなが幸せで平和な社会を創っていこうという大乗的自覚を持って、「行動する人」になるということです。

もう一度、

自分は何のために生まれてきたのか?

かけがえのない自分の人生はこんなものでよいのか?

この社会はこのままでよいのか?

そして、自分に何ができるのか?


と、深く自分自身に問いかけてください。


いまこそ本当の自覚、つまり、大乗的自覚が求められているのです。


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人類の進化の方向ー2

人類の進化の方向ー2

全面核戦争による人類絶滅の危機を私たちが叡智と努力によって克服したのではないことは前に述べたとおりです。

全面核戦争による人類絶滅の危機の可能性は、今のところは、ほとんどありません。

と言っても、過去にそのようなような可能性を引き起こした根本原因事態が取り除かれたわけではないのです。

ということは、将来、かつてのソ連に替わる超大国が勃興すれば、再びある二つの大国、あるいは、二つの陣営が大量の核兵器を擁して対峙する状況が起こりえないとは誰にも言えないのではないでしょうか。

ご存知のように、昨年の3月11日の福島第一原発の事故はいまだに収束する見通しがたっていません。

それどころか、もし再び大きな余震が発生すれば、今回の事故で非常に脆くなっている原発施設が崩壊し、今回の大事故をはるかに超える大惨事に至る可能性があるとも言われています。

六ヶ所村の再処理工場がフル稼働しているときに、もし大きな事故が起これば、地球上の半分の地域の生物がことごとく死滅するであろうとも言われています。

六ヶ所だけではなく、かつてフランスの施設でも、ヨーロッパ全体が吹っ飛んでしまうような事故が間一髪というところで未然に防げたということがありました。

チェルノブイリにしてもスリーマイルにしても、ほんのちょっとしたことから偶然が偶然を呼んで大事故になっています。

つまり、原発関連の施設は、どんなに事故防止に努めていても、思わぬことで大きな事故が起こりうるし、事実、起こっているということです。

そして、いったん事故になったら、とてつもなく大きな犠牲と被害がもたらされます。

人類の歴史の中で、物質的な豊かさや国や企業の利益のために、便利、快適、高能率を求めてきた科学技術文明がこういうものを生み出してしまったということです。

さらに問題なのは、核兵器、原発、環境問題、エネルギー枯渇問題、食料不足などの深刻な社会的な問題だけでなく、人間のこころ自体が蝕まれて来ているということです。

このまま人類社会の進んでいる方向を変えない限り、人類社会は、遅かれ早かれ、本当に行き詰まってしまう可能性が大きいと言えるでしょう。

なぜなら、現在、人類の社会はこのように深刻な諸問題に直面しているにもかかわらず、何一つ根本解決の目途が立っていないからです。

では、この行き詰まりを超える道はないのでしょうか。

現在までにこころある方々がそれを乗り越える道を模索されてきていると思いますが、いまだ解決の方策は見つかってはいません。

それは、いずれも解決への発想が対症療法の域を出ていないからだと思います。

僕は人類史上かつてない現代の行き詰まりを解消するためには行き詰まりの、根本原因を解明し、それを取り除くという根本療法的方策しかないのだと断言します。

では、行き詰まりの根本原因は何でしょうか?

その根本原因を取り除く方策とは何でしょうか?

これが私たちひとり一人に突きつけられた人類歴史上もっとも重大な課題です。



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時空を超えて

時空を超えて

大悟したと言われるあるマスターの言葉

何もない! 

何もないのだ。

一切空である。

救う人も救われる人もいない。

死もなく生もない。

空間も時間もない。

ここはどこ?

いまここ? 何それ?

何もないのだ。

誰もいないのだ。

神? 何それ?

すべては夢だ。

すべてはまぼろしだった。

では、このように言っている者は誰だ?

誰なのだ??


私は誰? ここはどこ?



なんかどこかで聞いた言葉ではありませんか?

あぶない! あぶない!


目を覚ましてください!!!


人生大道あるのみ。

本当にそれだけです。


で、大道って何と言われるのですか?

大道は夢やまぼろしではなく、目の前にあります。

日常の当たり前の生活がそれです。


お腹が空いたら何か食べたいでしょ?

おかしなことがあれば笑うでしょ?

外で雨が降ってくれば傘をさすでしょ?

自分の指を何かに挟んだら痛いでしょ?

アタマを何かにぶつけたら痛いでしょ?

小さな子どもが転んで泣いていれば、どうしたの?と抱えあげるでしょ?

福島のような原発事故二度と起こってほしくないでしょ?

世界中から戦争や対立がなくなってほしいでしょ?

みんなが幸せになってほしいでしょ?

平和な世界になってほしいでしょ?

そういうことに対して、

自然に当たり前に行動すること。それが大道です。

それ以外何があるというのでしょうか?


目を覚ましてください!!!




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人類の進化の方向-1

人類の進化の方向-1 

数百万年前に最初の人類が誕生したと言われています。

問題は現在に至るこの長い年月の間、人類は何を願い、また、人類社会はどのような方向に進化してきたのかということです。

結論的に言えば、まず安全、便利、快適、高能率、そして、生存の確保のために物質的な豊かさを求めて人類の歴史が刻まれてきたのだと思います。

では、人類社会はなぜこのような方向に進化してきたのでしょうか?

その一番の原動力は、人類の大脳の発達です。

人類が類人猿、あるいは、その他の動物と決定的に異なっているのは大脳の発達です。

その大脳の発達にともない、とくに、1万年か8千年前ぐらいから今日まで、便利、快適、高能率と物質的な豊かさを求める努力が段々報われてきました。

とくに、18世紀後半からの産業革命から、個人でも企業でも国家でも、便利、快適、高能率、物質的な豊かさを求め、科学技術が優先され、急速に発達してきました。

そういう意味で、科学的な合理性に対する確信と科学技術の急速な発達がこれまでの人類社会の一つの大きな特徴だと思います。

僕は便利、快適、安全、高能率の象徴が核兵器ではないかと思います。

東西冷戦の終結から20年ほど経過した現在では、全面核戦争による人類の絶滅の危険性はほとんどないと言ってもよいと思います。

しかしながら、限定的、あるいは、局地的な核戦争が勃発すれば、その被害は想像を絶するものになるでしょう。

それは、たった1発の「小さな原爆」でさえ広島や長崎であれほど甚大な被害と多数の犠牲者を出したことを考えれば容易に推測できることです。

その後に開発された原水爆は広島や長崎の原爆の何十倍、何百倍、何千倍もの威力があったのです。

米ソ間の冷戦状態がもっとも激しかった頃には、地球上の人類全体を何十回と繰り返して殺せるだけの核爆弾が存在しました。

また、それを敵国に30分以内で打ち込めるミサイルが何千機も米ソ双方にありました。

まさに気ちがい沙汰です。

しかも、指1本でボタンをポンと押し、10分後30分後に何百万・何千万の人間を殺しながら、自分は安全なところにいられるわけです。

便利快適を求め、そのあげくに、もっとも高能率で、しかも自分は安全でいられる。このような兵器を人類は開発してしまったのです。

科学技術文明の一つの象徴的な事実はそういうことです。

これは、少なくとも冷戦時代には瞬間的に人間が絶滅する可能性があったということです。

前に述べましたように、確かに、現在では全面核戦争の可能性はほとんどないと言ってもよいでしょう。

それは幸いにも東西冷戦は終結したからです。

けれども、それは人類の努力によって成し遂げられたわけではありません。

それは、たまたまソ連が主に経済的な破綻によって崩壊してしまったからなのです。

人類がその叡智と努力により全面核戦争の可能性をみごとに克服することができたということではないのです。



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