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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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自覚のセミナー感想文 (KMさん)

自覚のセミナー感想文 (KMさん)
                      
 まずは、昇平先生・奈央先生・恵理佳先生 また、お世話になった全ての方々に、心からお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

 私は、KYさんに「自覚のセミナー」をご紹介いただき参加することとなったため、どなたともお会いしたことがなく、5月1日が皆様との初めての出会いでした。

 初対面にもかかわらず、全ての方がとてもお優しく、笑顔で迎えてくださったので、初日から安心して過ごすことができました。

 このような事情なのは私だけだったと思うので、セミナーに参加後の感想としては、他の方々とは、違う感じ方をしているかもしれません。

私にとっては、二つの新しい世界との出会いでした。

ひとつは、自覚のセミナー
もうひとつは、野口整体

 どちらも、これからの私の人生にとって宝物となるご縁だと思いました。

 最終日にもお話させて頂きましたように、先生方との出会いは、もちろんとても貴重な体験でしたが、参加された皆様が師となってくださったといいますか、どなたの発言も、非常に有難いアドバイスでした。

 いろいろな意見をお聞きしていて、改めて実感したのは、自分自身も含め「頭の中で考えている世界を、現実の中に投影している」、そして「頭の中で考えたことを、現実に体現しようとしている」ということです。

 これだけ大人数で、ひとつのテーマに沿って、しかも充分な時間を取り、各人の意見を聞かせていただいたことがなかったので、とても興味深かったです。

 私が思ってもみなかった言葉で表現される方がおられた時などは、本当に新鮮でした。

その設定の時、このキーワードを選択するの?という驚き。

つまり、最初からその人の頭の中にはそのアイテムが存在していたということですが、私の頭の中には元々存在すらしていないというこの事実。

「頭が認知している通りに、世界を見ている」。そして「行動している」。「自分の頭の中の考え方が変わると、見えている世界も変わる」。そして「その世界を体現しようと試みる」。すると、他に影響を与え「まわりの世界も変わってゆく」ということ。

 実際、私が変わると周りも何かしら変化するということは、これまでも経験したことでもあり、これから自分がどう変わるか、本当にしっかりと「自覚して生きていこう」と再認識いたしました。

 また、先ほども書きましたように、私はほとんど何の知識もなく「整体」に接する機会に恵まれました。

 皆さん全員が、ご自分のお体を理解しておられ、またご自身だけではなく、体調があまりよくない方のことも気遣い、行動していらっしゃるという、本当に穏やかで、平和な時間でした。

 その空間にご一緒させて頂き、私は幸運だったと思います。
自宅に帰りましてから、早速、数冊の本を購入し、今更ながらですが、整体について勉強中です。

 食事も、お会いしたことのない方からの心からの贈り物で、まさに目には見えないけれども、相手のことを思う心遣いと優しさでいっぱいでした。

 毎回の食事が本当に楽しみで、たくさんの元気を頂きました。本当に有難く思っております。

 人間は皆、本当は答え(真理)を知っているのに、混乱しがちな、このややこしい世の中だからこそ、内省への旅、そして自分自身の肉体への理解・調整が、とても大切だと気づかされました。

 それには人の温かさがとっても有効なのですね。孤独では、そのことに気づくのが難しいように思います。

 そう考えると、今回のセミナーに参加できた私は、とても幸運でした。

 あらためまして、皆様に感謝したいと思います。

 またセミナーの時、たまに笑いもあり、程よい緊張とリラックスできる空間。このバランスの良さも、皆様のお人柄だからこそのことと思います。

 環境も、美しい花々、透き通るような鳥の囀り、自然の恵みのお野菜。

 この経験を、私にとっての単なる「その時限りの桃源郷」とはせず、全ての命に、本当の意味での幸福が訪れるよう、自分ができることを実行していきます。

 またいつの日か、皆様にお会いできたら嬉しいです。

 5日間、本当にお世話になりました。

 心からお礼申し上げます。ありがとうございました。



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自覚のセミナー感想文 JYさん

自覚のセミナー感想文 (JYさん)
                          
 はじめに、昇平先生、奈央先生、恵理佳先生、かかわってくださった全ての方々、共に参加した皆さんに心から感謝を申し上げます。

 始まるまでは、期待と不安で胸がいっぱいでした。昇平先生が自覚のセミナーは一生に一度だとおっしゃっていたので、これは本当に真剣に取り組まなくてはならないと身の引き締まる思いがしました。

 セミナーで一つひとつの課題に取り組んでいくうち、今までは当たり前のように感じていたことが自分の思い込みであったり、自分と他人とをいつも比較して、その違いから自分はだめなんだと感じていたことも全て思い込みであったと気づくことができました。

 初めは従来のものの考え方、捉え方をしてしまい、見当違いのことをずっとぐるぐる考えていましたが、真実の姿はどうかと気づいた時に、心の中で、あっ、と叫んでいました。

 この世界は本来ある意味とても単純にできているのに、人間だけが思いにとらわれ複雑なものにしてしまっているのだと気づきました。自分と相手との間にも境界はないのだとわかった時、とてもほっとしました。
「あなたがいなかったら私はここにはいない」ということのすばらしさ、しかし今までそのことを気づかずに生きてきたということがわかり、もっと早く気づいていればと感じました。

 とはいえ、今この時点で自覚のセミナーに参加することは、過去のどのひとつが欠けていても実現しなかったと思います。これまでの生き方あっての今の自分です。

 セミナーから帰って、変化がありました。実家暮らしをいいことに家事にはあまり積極的ではなかったのですが、自ら進んで今できることをやらないと気持ちが悪いと思うようになりました。

 それから、職場で考え方や捉え方が合わないと思っていた人に対して、ついイライラしてしまうことがよくあったのですが、自分も相手も同じひとつのいのちを生きているんだと思い出した時、いやな気持ちがすっと消えてなくなりました。なんだか親近感が沸いてきました。

 多くの日本人は、自分を含めてですが、この当たり前の生活が世界の誰かの犠牲の上で成り立っているということを知らずに生きていると思います。

 人間同士に限らず、あらゆる全てのものが同じいのちなのだから、苦しむ誰かに気づいたら、自分のできることは何かと考え、行動を起こさなければなりません。それは義務ではなく、自然と湧き上がるようなものだと思います。

 日々の生活の中で時間が足りないと感じますが、本来、時間はあるもので、要は何に使うかだと思います。ただ、この肉体としての時間は限られているので、「今、ここ」を懸命に生きることが人間に与えられた使命なのではないでしょうか。

 ひとりの人間としては、これからどう生きていくか、知らなければならないこと、学ぶべきことがまだたくさんあります。まあ、しなければならないことなど何も無いのでしょうが、情熱を持って、今この瞬間を生きたいと思っています。


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自覚のセミナー感想文 YSさん

自覚のセミナー感想文 (YSさん)

先日は、5日間、ほんとうにありがとうございました。
先生の全身全霊で私たちに向き合ってくださったあの濃密な時間が、目をつぶると鮮明によみがえってきます。

先生が丁寧に「自覚」への道を示してくださったおかげで、私が自分というひとつの小さな存在と思い込み、ありもしない殻にとじこもっていたことが、ほんとうにもったいないことだということに気づくことができました。外面だけを気にして、自分には何もできないと思い込み、くすぶり腐っていた自分...今ではこっけいで、笑ってしまいます。

全てのことに枠もなければ、境目もない。不可能なことも無い。劣っていることも無い。
そう気づけたことで、目の前が開けました。開けた、というより今まで何もないところに何か幻影を見てしまっていたのだと分かりました。何事もすっきりとした心地で受け止めることができます。そして自然と足が前に出ています。とてもとても楽です。気楽です。

今までのクセで、頭で考え込んでしまうこともありますが、「あ、今おかしなことしてる」と気づくことができます。逆に、「本当にそうか?」と事実に思いを重ねて勝手に解釈していないかを確認するクセを身に着けようとしています。

帰宅後、義母に、以前嫌な思いにさせてしまったことを謝りました。義母は「いい、いい」と早口に返しただけでした。私は、愛犬ロッコの面倒を5日間も押し付けて、ご苦労かけました、と付け足しました。義母は「この子は何をするにもべったりで疲れたよ~」と言っていました。一瞬「伝わってるのかなぁ…」と思いましたが、そんな風に義母とふつうに会話できるようになったことで、関係が変わってきましたし、義母もよく笑うようになりました。先週は川沿いの菜の花を見に、三人でドライブに出かけてきました。

義母に対して私が私の色眼鏡で見てしまっていたことがよく分かりました。これまで義母の話にきちんと耳を傾けたことがなかったことに気づきました。義母は普通と違う、わがままばかりで困った人だ・・・と思っていましたが、私がそう思い込んでいたことが、関係を悪くしていたのだと思います。

それから、私は自分の思い通りに物事が進まないことに、苛立ったりくじけたりしやすいということもよくよく分かりました。がんじがらめになって苦しんでいたのは、自分の思い、妄想にとらわれていたからで、全て自分に原因がありました。これまで、頭で分かったつもりでも、そのことを乗り越えられなかったのは、自分を守り、他のせいにしたいというエゴが原因だということも、はっきりしました。

自分なんてない、ということがはっきりしたとき、これまで自分を縛り付けていた重たい鎖がいとも簡単に外れ、楽になりました。
自分の思い通りになることよりも、周りの人が笑顔でリラックスしている、そんな光景を見ることの方が、私は幸せを感じます。

これまで私は、「何をすべきか?」とよく自問していました。そして自信がない自分には何も出来ないと思い込みくじけていました。そしてそんな自分を恥ずべき存在と嘆いていました。空回り、ばかげたことです!今、私は目の前にあることをただたんたんと、すっきりとした気持ちで行うだけです。出来ることを探してただそれをするだけです。

まずは今、瞑想をすること、心を静かにすることを一番たいせつにしたいと思っています。そして全てとつながっていることを実感しつつ、平和を作る人になりたいと思います。

私ができるのはまず伝えることです。もっと言葉を磨いて、大切なことを的確に伝えられるようにしたいと思います。

全エネルギーを注いでくださった昇平先生、お手紙で私を自覚のセミナーへ導いてくださった奈央先生、見えないところでたくさんのお仕事をしてくださった恵理佳先生、おいしいお野菜を育ててくださった秋秀さん、すばらしいご馳走をお送りくださったセミナーの皆様に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 



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自覚の大切さ

自覚の大切さ 
                 
私たちにとって“自覚”ほど大切なものはありません。

生きている当の自分が何者であるのか? 自分の生きるこの世界が何であるのか?を本当には知らずに生きることは、この世界のなかでただ自分の思いや気分で浮き草のように生きているにすぎません。

誰でも自分はかけがえのない存在だということは本能的に感じています。

それだけに、本当に自分を知らず、本当の世界を知らず、本当の生き方をしないことほど愚かなでもったいないことはありません。

ましてや、人類社会がこのように急速に行き詰まりに向かっている現代、私たちはあらためて本当の自分、本当の世界を、アタマを超えて体験的に理解することが何よりも重要であると思います。

では、本当の自分、本当の世界、つまり、存在の真実とはどういうことでしょうか?

それは、すべての存在は“不可分一体”であるということです。

別の表現をすれば、すべての存在はそれぞれ姿や形が異なっていても、みんな同じひとつの“いのち”であるということです。

諸々の人間の苦しみ、社会の混乱の根本原因は、それぞれの存在はバラバラであると錯覚しているところにあります。

では、その錯覚はどのようにして生じるのでしょうか?

私たちは通常、物事をアタマによって認識・判断・思考します。しかし、アタマによる“思い”は本質的に相対的なものであり、自と他を別け、物事をバラバラの存在と誤って認識します。

 したがって、思いによって認識した事実は、結局のところ、自分の都合で解釈した“事実まがい”でしかなく、“ありのままの事実”ではありません。

また、思いによって認識する“自分”は、しょせん“他とのカネアイ”で自分で勝手に規定している自分でしかなく、真実の自己そのものではありません。

つまり、究極的には、思いによっては、真実の自己、不可分一体という存在の絶対的真実は捉えることができないのです。

ということは、僕の提唱する“瞑想の自然法”のような正しい瞑想によってアタマの思いを鎮める機会をできるだけ多く持つことが重要だということになります。

それは、自然体で事実をありのままに見れるようにするためです。というのは、私たちは普段事実をありのままに見ているつもりで、実は、見てないことがとても多いからです。

また、存在の真実に目覚めた方々の体験記など読むと、アタマではどうにもならない、のっぴきならない問題にぶつかり、もがきにもがいて、とことん行き詰った絶体絶命の状態において、突然アタマ(思い)を超えた意識が働き、不可分一体の存在の絶対的真実が直接的に捉えられるようです。

僕の主宰する「自覚のセミナー」もこのような原理に基づいており、多くの受講者が、深浅の差はあるにしても、存在の真実にはっきりと目覚められています。

次回のブログよりしばらく、これまで自覚のセミナーを受講された方々の感想文を順次ご紹介します。


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もしあの時

もしあの時

最低半日ぐらい、充分自分の時間を持てるとき、「いま自分がこのブログを読んでいるという事実にどんな人やどんな事柄が関わっているか?」ということを一度徹底的に検べてみませんか。

その結果は、ご自分でやってみれば分かることなので、僕の方からは説明しません。

けれども、このテーマについて検べる課程を通じて、この世界の存在の真実の姿、そして、「自分とは何か?」ということがはっきりとこころの眼に見えてくるでしょう。

検べ方はいろいろあると思いますが、まずとっかかりとして、「もしあの時あの人に会わなかったら、いまのこの事実は存在しなかった」というようなことを思い出せるだけ思い出してみるのです。

「会う」ということだけでなく、「する」、「言う」・・・と広げていきます。

そして、「あの学校に行っていなかったら・・・」などの出来事や事柄についても検べてみましょう。

このようにして、検べられるだけ検べてみると、自分がいまここでこのようなことをしているという事実が存在するためには直接自分に関わることだけでも、ものすごい数の出会いと出来事があったことにあらためて驚嘆してしまいます。

そして、このようにして自分が出会ったひとり一人(たとえば、父親、母親、祖父、祖母、兄弟姉妹、先生、友人、同僚・・・)に同じようにものすごい数の出会いと出来事があったわけです。それを想像できるだけ想像を膨らましてみましょう。

そして、それらのひとり一人が出会ったそのひとり一人にまた・・・と想像を巡らしてみましょう。そして、それらのひとり一人が出会ったそのひとり一人にまた・・・と。

それらの出来事の一つひとつが起こるために、どのような出来事や出会いがあったのか・・・。

そうです。これは実際に自分でやってみなければ、この凄さには気づくことはできません。このブログを読むだけではあまりにももったいなさすぎるのです。

存在の真実の姿、自分とは何か?ということについて、多くの方々が、普段、見ているのは、存在、そして、自分というものの姿のごく表面、ごくごく一面でしかなかったことを痛烈に感じられたのではないでしょうか。

そして、存在の真実、そして、本当の自分ということ検べるときに、もっとも大切なことは、実は、目に見えないところにあるのだということにもはっきりと気がつかれたのではないでしょうか。

そうです。目に見えないものこそもっとも大切なのです。

すべてはアタマでどんなに分けようとしても分けることができない一つの“いのち”です。

これを僕は不可分一体と表現しています。


すべてが自分。自分はすべて。

自分というものはない。他というものもない。

あなたはわたし。わたしはあなた。

パソコンからふと目を上げると、窓の外に青空が見え、木々の新緑が朝の光に輝き風に揺らいでいます。

ベランダの手すりには一羽の小鳥が留まりじっとしています。

チュンチュン。チュンチュン。

すずめのようです。


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さわやかな風を

さわやかな風を

今回はつい2,3日前に『毎日新聞』に掲載された『余録』をご紹介します。

ここに登場する両角憲二(もろずみ・けんじ)さんは僕の妻である野村奈央の弟です。


余禄

 スポーツが好きな子どもたちを持つ保護者に読んでほしい文書がある。

東京都町田市にある私立和光(わこう)中学男子バスケットボール部顧問だった両角憲二(もろずみ・けんじ)さんが書いた「和光の丘より さわやかな風を」だ

▲バスケット経験を持つ両角さんは1990年に赴任して驚いた。ジャンプシュートを打てる生徒がひとりもいなかった。さらに驚いたのが週3日という練習日数の少なさと、午後5時20分には終了という練習時間の短さだった

▲負けて当たり前という言い訳が試合前から用意されていた。相手コートにさえなかなかボールを運べないという状況から13年後の2003年12月21日、東京都新人大会で約650校の頂点に立つのだが、そのサクセスストーリーを紹介したいのではない

▲優勝を決めたその日、応援の保護者ら向けに両角さんが配布したのが「和光の丘より」だ。

(1)相手の不注意によるミスには拍手しない

(2)相手のフリースローの失敗に対しては拍手しない

(3)相手のファウルに対して拍手や「ナイスファウル」などの声をかけない

(4)審判のジャッジに対する不満の声はかけない

▲ゲームは相手がいて初めて成立する。だから対戦相手は「敵」でなく、ナイスゲームを共に作る「パートナー」なのだ。どんなに強くても、相手のミスや反則を喜んでいては敬意や称賛は得られない。審判が気持ちよく笛を吹けてこそナイスゲームは生まれるのだ

▲両角さんは現在、和光中学・高校の校長の職にあり、現場の指導からは離れている。だが、フェアプレーの精神が凝縮(ぎょうしゅく)された文書は10年後の今も色あせず、いや今だからこそ光を放っている。

(2013.5.5)
(平成25年5月5日毎日新聞朝刊より転載)




さわやかな風

さわやかな人

気持ちいいですねえ!

僕もそんな人でありたい!


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