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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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自覚のセミナー感想文  Gさん

自覚のセミナー感想文  Gさん

はじめ私が自覚のセミナーに参加したいと思ったのは、2つの理由がありました。
一つは、「自分自身や日々の出来事、この社会を、自分が今まで身につけてきた“色メガネ”を通してではなく、“透明な目”で見られるようになりたい」ということ。

そしてもう一つが、野村奈央先生の整体ライフスクールに参加する中で感じたことがきっかけでした。整体ライフスクールで出会う、セミナーに長く通う人たちが皆、朗らかで明るく、誰に対しても自然体で心がオープンで、気持ちや行動を惜しみなく当たり前のようににこやかに分けてくださる方ばかりなのです。「わたしもこんな人になりたい」と思い、皆さんが受けていたこの自覚のセミナーに参加しようと思ったのでした。

待ちに待った自覚のセミナー。5月の新緑爽やかなセミナーハウスでの5日間は、その息吹に後押しされるように、日に日に心と体がクリアに軽やかになっていき、これからの私にとって、かけがえのない時間になりました。

今、自覚のセミナーを受ける前の私とは確実に違う、新しい自分がいます。自分を縛っていたものが錯覚だったと分かった今、「どんなことも自分で自由に選ぶことができる」、「自分でそうすると決めさえすれば、すぐにそのように生きられる」という事実を、体中で実感しています。この叡智を、これからの人生でどう体現していくか。伸び伸びと、自分なりに表現していこうと思っています。

セミナーでは、まず始めに恵理佳先生から、「自覚のセミナーは、教えてもらうという受け身の姿勢ではなく、自分から掴みに行く姿勢で臨んでほしい」という内容のお話がありました。そこで、「この5日間は、絶対に自分から逃げず、自分を誤魔化さず、とことん向き合おう」と心に決めてのぞみました。

まず初日、いかに私たちがこれまで、言葉や教育、社会規範によって自分自身や社会を規定してしまっているかということを痛感しました。それらすべては真実ではなく、ある種錯覚だったのだと、腹の底から納得できたのです。これは、目からウロコの体験でした。

セッション全般にわたって昇平先生の言葉や進め方、問いかけは、頭ではなく体感として腹の底からの納得に導くものでした。本当に腑に落ちた時、「今まで本を読んだりしてわかった気になっていたのは、本当にただ上辺だけのことだった」と実感しました。

テーマによって、スムーズに納得できるものと、なかなか納得できないものがあったのも、自分自身を再発見する思いでした。自分の中にそれほど思い込みがないテーマはするりと腑に落ちるのですが、自分の中に強い思い込みや考え方のクセがある場合は、一転、なかなか自分で先に進むことができないのです。

そんな時も、昇平先生は私たちを信じて待っていてくれましたし、自分自身で気づくことができるよう、いろんな角度からヒントを授けてくださいました。時にはズバッとその「引っかかり」のキモを目の前に見せてくれることもありました。そうした昇平先生のリードが、自分自身の心からの気づきに繋がり、気づけばギューっと強く握り締めていた思い込みや考え方のクセの数々を、パッと手放していたのです。

私自身、整体ライフスクールに通う中で気づいた、自分自身を苦しめる思い込み、考え方のクセを、さわやかに手放すことができました。それは、ライフスクールで気づいて以来、自分自身でも手放すよう取り組んでいましたが、なかなか強情な思い込みで、どうしても同じ思いに戻ってきてしまっていたというものです。案の定、自覚のセミナーでもこの思い込みが顔を出したのです。

逃げずに向き合うことはとても苦しかったですが、セッションでその苦しさも全部さらけ出しました。先生の導きで、その思い込みを持ってしまった本当のからくり、何が間違っていたのかがハッキリとわかりました。さらに、その思い込みを持った肯定的な意図や、私にもたらしてくれた恩恵も、すべて気づくことができました。「苦しいもの」だったその思い込みが、ある面では「わたしの力」だったことに気づいた瞬間、その思い込みは晴れやかに昇華していったのです。

また、いらない思い込みをいつまでも手放せなかった自分の思考回路についても、ハッキリしました。この思考回路に気づけたことも、自分にとって大きな賜物です。昇平先生と恵理佳先生、そして参加者の皆さんに温かく見守っていただきながら、これらと明るく決別することができました。

不思議なものでセッション中は、自分自身とだけ対峙しているはずなのに、一緒に参加した皆さんの一つ一つの気づきが、自分の気づきに繋がっていくのも感じました。そしてともに過ごす皆さんが真摯に自分と向き合い、ハッと気付かれた瞬間を目の当たりにするたびに、自分のことのような喜びが湧きあがりました。優しい気が通いあう安心安全な場所だと実感できたからこそ、ここまで深い体験ができたのだと思います。

この場を作ってくださった昇平先生、恵理佳先生、亜希子さん、整体ライフスクールの皆さん、そして一緒に参加した皆さんに、心から感謝しています。ありがとうございました。

お陰さまで、爽やかで清々しい愛にあふれた新しい空気が体中を駆け巡るような感覚で終了した自覚のセミナーでした。そして、ここからが本番だと思っています。

セミナーから戻り、実際に自分の考え方が軽やかに変化していることにふと気づくことがすでに何度もあります。自分の中だけで完結することなく、周囲と輪をつくるように、この生き方を体現し続けていこうと思います。ありがとうございました。





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自覚のセミナー感想文  Fさん

自覚のセミナー感想文  Fさん

先日は大変お世話になりました。
多くの方々のお陰がたくさんありセミナーを受けることができました。どうもありがとうございました。

私がこのセミナーを受講したのは、身近な人が受講してから何やら軽やかでキラキラとしていて楽しそうだな~がきっかけです。
今まで自分とはなんだろう?とか劣等感や常にある心のモヤモヤに少なからず考え悩み苦しんできました。

そういった重い課題をたった5日ですっきりさせていることに私もそちらに行きたいなと思いました。
今思えば、もうすでにそこから私の自覚ははじまっていたのです。
セミナーの内容には触れてはいないながらも、普段 の会話や行動を共にしていることで感じることや思うことが知らないうちにわたしの中で変化をしていたように思います。

以前なら感情がすぐに揺さぶられ本質が捉えられなかったことが、フラットな心持ちでひとつひとつのテーマに向かえたことと、問いかけられた時、ずっと抱えていたと思っていたある怒りが既に無かったことは驚きと不思議な感覚でした。

重い課題と思っていたことも、実はシンプルで当たり前の簡単なことであること。
アタマでこねくりまわし、難しくしていたことにも気づきました。
見えるものしか見ず、自分の都合の良いように捉えていたことが逆に自分自身の首を絞め、勝手に苦しんでいたことは今となっては滑稽でしかありません。

こたえは自分の中に既にあり、ただアタマで理解しようと苦しんでいただけででした。
真実をしっかり見つめて検証し、そこへ辿り着くのに行ったり来たり足踏みしたりする、その過程があったからこそ無理なくそう思えます。

はじめは苦しい作業でもありましたが、真実がわかると面白くて仕方ありません。
さまざまな角度から問いかけて丁寧に導いてくださり、自ら気づき手放せました。
それは大きな自信となりました。そして安心感と透明感のある世界が広がっています。
とても清々しくすっきりとした気持ちで豊かで自由な生き方が出来るのだというワクワク感も溢れています。

あなたは私。私はあなた。みんな 私。
みんな繋がっているひとつのいのち。

これに気づけば、世の中の多くの問題が解決できてしまうと確信がもてました。
気づいた人から実践することが大切だということも。

私が影響を受けた様に、既に受講した人が自ら心をを開いて頭をブレさせずに深化させ進めて行くことを実践している姿は、周りに影響を与えることになります。
そして今度は私が実践していくこと、さらにどんどん繋がりもっともっと大きな力になることを想像すると嬉しくなります。
何が出来るのだろう?とはじめは思いましたが、今は何でも出来る!に変わりました。

このすべてが無理がないことに心地良さを感じています。
これは凄いセミナーですね。

昇平先生の自覚のセミナーと奈央先生の整体の セミナーに出会えたことに感謝します。
みなさん、本当にありがとうございます!!!





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自覚のセミナー感想文  Eさん

自覚のセミナー感想文  Eさん

今の感動・感激・感謝を

私は今、幼児期に野山をかけ回り、遊び回っていた頃の記憶が湧き出してきて、天真爛漫だった心の状態をとり戻してきています。あの頃の、ワクワクする気持ち、何でもできてしまうような気力が、体の中から溢れてくるのです。

錆びついていた脳・心・体までもがどんどん輝き出している感じなのです。
私は生まれ変わりました。六十才を目前にして。

今まで抱え込み、捕られていた、怒り・憎しみ・悲しみのマイナス感情とすっきりサヨナラできました。60年間、なんと損な生き方をしてきたのでしょう。もっと若い時にこのセミナーを受けていれば・・・と思いました。が、この歳で、この時に先生のセミナーを受けることができたからこそ、こんなにも私の生き方そのものを大きく変えることができたのでしょう。

長年のコンプレックスからも、こんなにも短期間、あっという間に解放されるとは思ってもいませんでした。長年持ち続けていた“私はなんてノロマなんだろう”。“切羽詰まらないと仕事に取り掛かれず、結局、満足な仕事ができない私”等々の考え方、全部、持たなくていいものでした。

今は大切に愛情込めて育ててくれた両親や祖母に感謝しています。父と祖母はもうこの世にはいませんし、母は認知症で私の言葉が届くか分かりませんが、心から「ありがとう」を伝えたいです。

約30年、共に歩んできた夫にも感謝の気持ちを伝えることができました。思い通りにならない夫に腹を立て、文句を言っていた自分に気付きました。そのことを素直に謝ることができたことに私自身驚いています。結婚して初めてかもしれません。心から「ごめんなさい」が言えたのは。

子供たちにも、今度、顔を合わせた時に謝ろうと思います。結局は自分の思い通りにならない子ども達をしかったり、縛りつけていたのだと気付きました。
“暴君だった妻・母を家族よ許して下さい”という気持ちです。

家族だけではありません。友人や他の人に対しても同じでした。自分の思い(それが好意であったとしても)を押し付けていたのです。私の考えが一番よくて、それを他の人に認めさせようとしていたのです。このことに気付くことができてよかったです。私は暴君のまま死なずにすみます。

大声で世の中の人に伝えたいです。

「悩みを抱えている人、悲しみの底からはい上がれない人、怒りまくっている人、憎しみにとらわれている人・・・。皆さん、このセミナーを受けましょう!あなたの人生、変わります。」

生まれ変わった私は、これからの人生、どのように生きていくか。私と、私の家族、友人たちにこの私の愛の波は広がっていくでしょう。そして、さらに、この世界に愛を広げていけるように一歩一歩、進んでいこうと思っています。

スーパーマンは対処療法で世の中を救おうとするだけ。だけど昇平先生は、根本療法で、この世を救おうとしている。
私たち人類を幸せへと向かわせてくれる。
人だけではない、猫も犬も牛も動物、虫も、木・花・草・植物も、さらに水も空気も土も・・・。
そう、地球全部、宇宙までも!!


昇平の補足
僕のことを「先生」、「マスター」、あるいは、中には、冗談めかして「救世主」などと呼ぶ人もいますが、僕はただの“地球人”です。
本当は、誰でもみんなただの地球人です。特別の人なんかいないのです。
「自分がただの人である」ことに気づいたひとだけが地球を救うことができるのだと思います。




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自覚のセミナー感想文 Dさん

自覚のセミナー感想文 Dさん

先祖をさかのぼると、皆んな血縁。その中には韓国、イスラエル等、世界各地から日本にやって来て・・・。

種がとんできて混ざり、地球上の生物は皆な先祖は一緒でつながっている。

生物はどうやって造られたのか?何んだったのか?
生物の誕生は?
赤ちゃん→精子と卵子→ミトコンドリア→ビックバーン→宇宙のいのち

昔の映画「猿の惑星」の最初のシーンを思い出しました。
猿が上に向かって骨を投げるとその骨が宇宙に変わるシーンを観て何んだかすごく感動したのは「あぁ、こういう事だったのだ」と思いました。

紙は紙だが紙ではない。紙が出来るまでには目に見えない所で色々な人や物が関わって交わって、つながっている。その人や物も、人でもない、物でもない、宇宙の微粒子、いのち、その目に見えない所の事実を調べる事を癖にすることを心掛けて行きたいと思います。

思いと事実、思いは勘違いで、その勘違いの方ばかり(憤る、悲しむ、苦しむ、等)で行動してきたのを、これからは事実は何なのかと日頃から事実を調べる事、事実を知る事を癖にして行こうと思いました。

あるテーマについてしらべていた最中に、「ハッ」と気がつきました。自覚のセミナーに来る前の日に、娘が「お母さんの宝物は何?」と、すると私は「それはあなたよ。」と答えた事を思い出しました。そして気が付いたのです。私は彼女を所有していたのだと。本当に目から鱗が落ちるとはこういう事なのですね。ハッキリ自覚しました。このセミナーに出た一番の収穫だと思います。

自然界の物、水、空気、人の肉体も全ての物は環境を壊す様な事をしてはならないと思います。それは人の肉体もできるだけ自然な物を食べる、例えば納豆を食べる、容器を洗う。その洗った水も地下に行く、その地下(土)から植物や木がはえる。だから、自然な物、害のない物を食べる、それはまわりまわってつながっているから。

私はそこらにはえている山菜を採って食べる、自然の中で育っている山菜に農薬がかかっていると自然の物なのに自然の物でなくなる。

あるがままであるのには、必要な物、必要でない物の真実を自覚していこうと思います。

この感想文を書くのにあたって、セミナーで自覚する事を学んだ事を日々思い出して、それを考えて、こんなに真剣に物事を深く考えた事はなかったと思います。この様な機会を与えてくださった事に感謝します。

最後に昇平先生に出会えた事、自覚のセミナーを受けられた事に感謝いたします。本当にありがとうございます。


昇平の補足
Cさんの書かれたオリジナルの感想文には、自覚のセミナーの内容を具体的に描写したようなところが一部含まれていました。未受講の方に少しでも先入観や誤解を与えないように、そこのところは僕の判断で少しぼかした表現にしました。ご了解ください。





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自覚のセミナー感想文  Cさん

自覚のセミナー感想文  Cさん

「それでいい、それがいい」 

昨年より自覚のセミナーにお誘いいただいていましたが、自分が参加することは一生ないだろうと思っていました。私は観光地で飲食店を営んでいるため、セミナーが開かれる連休は一番の稼ぎ時、冬の減収分を補う貴重な期間だからです。

 しかし、今年は運良く?店の移転と重なったため時間ができました。それでも参加を迷ったのは「自分が変われなかったらどうしよう」という懸念でした。先にセミナーに参加した妻の様子を見ても、当時の自分には何も変わってないように見えていたことも気持ちにブレーキをかけていました。けれども、セミナー直前に数年来の心配事であった実家の処分ができたことで気持ちに区切りがつきました。「ひょっとして問題の原因は自分の中にあるのではないか」とふと思ったのです。

 そして、妻の全面的な協力を得て無事に参加することができました。
 セミナーから帰ってきて10日がすぎて思います。変われなかったらどうしようという心配はそもそも心配ではありませんでした。セミナーの前も後も私は何も変わらないからです。

 ただ、昇平先生は気づかせてくださいました。セミナーで経験した徹底的に自分を「調べる」こと。これまで生きてきた45年間の中で、あれ程自分と向き合った時間はありませんでした。短くなったと聞きますが、4泊5日の日程があるから、ひとつひとつ調べることができました。

 「マイナス感情」についてのセッションの際、私の中にずっと巣食っていた理不尽な体験を話しました。話しながら思い出しただけで怒りで手が震えました。しかし、調べることを通して、いつの間にかその出来事を単なる事実としてとらえることができるようになりました。すると、不思議なことに自分の中にあったドス黒い感情がすーっと消えていきました。

 次々と自分の身におこる不幸?な出来事に、なんで自分ばかりと嘆くことがしばしばありました。でも、不幸の「不」の文字がそもそも存在しないことがわかったいま、私の心はとても平穏です。劣等感というコトバの「劣」という文字に勝手に苦しんでいたことがわかってからはfacebookなどSNSでも友人の幸せを素直に喜んであげることができて嬉しいです。

 また、直系の子どもはいなくても、ルーツをたどればみんな同じ、どこかで血を分けた兄弟姉妹なんだと気がつけたことで、この世界をより良いものにして子ども達に渡してあげる責任があることを改めて意識しました。

 超常的なもののせいにすることはひとつもなく、あるがままの自分の内面ととことん向き合う時間。私は「アタマ型」なので、先生の問いかけに対しても腑におちるまで粘りました。みんなを待たせてしまっているなと心の片隅で思っても、本当に納得がいくまで調べることができたのは、先に整体ライフスクールで信頼関係が培われていたおかげです。

 整体ライフスクールと自覚のセミナーはまさに車の両輪。場面場面で、いつも奈央先生がおっしゃっている言葉が頭の中に蘇ってきました。私はストレスで息が深く入らなくなってしまっていたことがありました。奈央先生が手を当ててくださって、ようやく息が入ってきた瞬間は私にとっては奇跡体験だったのですが、今回自覚のセミナーに参加して、心が伴わなければ身体だけを整えても駄目なのだと痛感しました。逆に言えば、心が伴えば身体も変わるだろうと感じました。

 自覚のセミナーを受けて、私の中の怒りや悲しみ、劣等感は、その時々にベストを尽くしてこなかった「後悔」という感情が招いていたと気がつきました。自覚のセミナーを受けたいま、先生方がおっしゃる「いま、ここ」を大切に、日々全力を尽くしていこうと身の引き締まる思いです。

 長時間全力で向き合ってくださった昇平先生、セミナーにお誘いくださった奈央先生と恵理佳先生、セミナーを支えてくださった諸先輩方、そして同じ時間を共有できた参加者のみなさん本当にありがとうございました。





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自覚のセミナー感想文  Bさん

自覚のセミナー感想文  Bさん
                              

 今回、自覚のセミナーを受講したいと思ったきっかけは、奈央先生の整体セミナーに参加して、周りの方たちがとてもやさしく、落ちつていて居心地がいいなとかんじたことからです。その周りの方に、ある不安に思っていることを相談したことがあります。すると、予想外の返事で、その方は不安になることはなく、これから何が起こっても大丈夫だと言い切ったことにとても驚きました。
誰でも、不安や悩みは必ずあるのが当たり前なのに、どうしてそんなにどうどうと構えることができるのか不思議でした。また、別の方は職場で「ひまわりみたい」と言われる。ということを聞いて、そのように言われる存在であることに納得し、わたしもそんな人になりたいと思いました。
自覚のセミナーがどういったものか、よくわかっていませんでしたが、そういう風に自分が変われるのではないかと思い受講しました。

 昇平先生にお会いしたのは初めてでしたが、わたしの心の中を知っているかのように感じました。セミナーの5日間はひとつも無駄がなく、すべてがわたしに必要なことでした。
私たちはいろいろなことを当たり前に思いこんで、たくさんのことを見落としていることに気づかされました。セミナーが進むなかで、自分の考え方が進んだようにみえてまた、戻ったりしていくのは、この思い込みの根深さなのだなと感じました。
日常の生活のなかで思い込んでいることはたくさんあって、本当にそうなのかなとか気づくことができれば、いろいろなことが変わってくるのだなと思います。もっとシンプルで簡単なことなのに自分で生きることを難しくして苦しくしていたのだなと気付きました。

私はセミナーが始まって割とすぐにつまずいてしまいました。自分でもなぜそこでつまずいてしまったのかよくわからなくて、恥ずかしいなとか、なんで?と聞かれるかなとか思っていました。しかし、先生からも周りの参加者からもそういったことを聞かれることもなく、セミナーの終盤あたりで他の参加者の方に「なんであんなテーマと関係ないところで自分がつまずいてしまったのかよくわからないし、はずかしい」と話したら、即答で「それは自覚のセミナーだからだよ。それもセミナーの内容なのだよ」と言われて、すごく驚きました。セミナーの内容のことではないと思っていたけれど、自分の中のなにかに触れたのだろうなと思いました。それはまだ自分のなかでぼんやりとしてはっきりしないけど、これから気付くことなのかもしれません。
先生はセミナーの中でたくさんの冗談を言ったりして私たちもたくさん笑いましたが、その冗談の中にも先生の糸があることに驚きました。
ひとつのことを私たちは考えているつもりだけど先生はいろいろな方向から私たちにアプローチしてきていたのだなと思いました。

私は、過去の苦しいことや嫌なことを解決するときに、引きずったり人を恨んだりしてはよくないということは頭でわかっていて臭いものに蓋をする感じで思い出さないようにしてきたように思います。忘れたはずなのに、なぜ何年たっても夢のなかにでてきて思い出させるのか、ふとした時に思い出して嫌な気持ちになったりするのか、よくわかりませんでした。私の中で消化したように思い込んでいたけれど消化していなかったのだなと思います。

苦しいこと嫌なことを解決するのにマイナス面しか頭になく無理やりただ思い出さないようにした過程に問題があったのだと思います。自分で考えるということが抜けていたことに気が付きました。先生のことばを頼りに考えていったときにこの苦しいことや嫌なことは今の私があるのにはプラスにもなっていたのだと考えられました。そう考えたときに私にはいろいろなことに欠けていて幸せではないと思っていたけれど、私は本当に幸せだなと心がスッと軽くなってうれしくなりました。これが自覚のセミナーなのだなと気持ちも終わりに向かったころ、先生の一言でハッとして気持ちがドーンと落ちました。結局、自分のことしか考えてないことに気付いたからです。そして自分がそういうことも気づかない人間だったのだなとショックを受けました。幸せはみんなで幸せになりたい。世界中の人が幸せになるって不可能に思っていたけど、これなら、できるとわかりました。

再受講者の方とお話をしたときに、わたしは自覚のセミナーを受けたけれども同じ質問に対して自分のことばで説明できないなあと思うことがありました。やはり再受講者の方はもっと深いところまで見えているのだろうなと感じました。一生に一度というセミナーと思っていたし、またいつでも受講できるということでもないので先生の本を手元においていつでも見られるようにしたいし、みんなにも知ってもらいたいと思います。そのために私ができることをしたいと思います。

今回、セミナーで学んだことはいろんなことに通じているし、今から気づくこともたくさんあるのだと思います。恵理佳先生が「このセミナーは自分たちで作り上げるもの」と言っていた意味が最初はわからなかったけどよくわかりました。

昇平先生、奈央先生、恵理佳先生、お世話係の方、参加者の方、お掃除やお料理をしてくれた方、みえないところからもたくさんの方たちがこの自覚のセミナーを支えてくれていたのだなと感謝しています。本当に楽しい貴重な5日間でした。
ありがとうございました。


昇平の補足
Bさんが「テーマ以外のところでつまづいた・・・・・」と書かれていますが、人生の切羽詰まったような場面において、「絶対に間違いは許されない」と思い緊張感や不安感のような気持ちが強くなり、どうしてよいかわからなくなったり、女性はおもわず涙が出てきたりすることががあります。僕はBさんがそのような心の状態だったのではないかと推測しています。

もし、その推測がいくらかでも当たっているとすれば、それはつまづきでもなんでもなく、むしろ、Bさんがそれだけテーマに真剣に取り組まれたということであって、逆に、望ましいことであると僕は理解しています。





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自覚のセミナー感想文  Aさん

自覚のセミナー感想文  Aさん

先日は5日間お世話になり、ありがとうございました。
昇平先生、奈央先生、恵理佳先生、お世話係の皆さん、食事の用意をしてくださった皆さん、気にかけてくださった皆さん、共に参加した皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。心より御礼申し上げます。

昇平先生、自覚セミナーでは自分自身で気づけるように配慮して導いて下さり、ありがとうございました。
先生のシンプルな問いかけになかなか答えが出せずにいると、ユーモアを交えてきっかけとなる言葉を投げかけてくださいました。

視点を変えて、「本当はどうなのか?」と丁寧によくしらべることで今まで曖昧にしてきたことがはっきりとしてきました。
教えてもらうと、それで分かったつもりになったり、納得できないこともありますが、自分自身で気づけたことにより腑に落ちました。奈央先生が整体ライフスクールで毎回お話してくださっていたことが、「こういうことだったのかぁ」と気づくこともでき、嬉しくなりました。

緊張しながらセミナーハウスへ行きましたが、どんどん気持ちが楽になり、気が付けば大きな口を開けて笑っている自分がいました。

今まで、相手の気持ちを心から受け入れようとせず、自分でまず、ブロックをしていたことが多かったのだと気がつきました。自分の都合のいいように解釈して、正しいことだと思い込み、相手に考えを押しつけていたことも多々ありました。思い通りに物事が進まないと、いじけたり、苛立ったりして怒った後は罪悪感が残り、長い時間モヤモヤした気持ちでいました。

特に夫に対しては、小さなことですぐに怒ってしまい「そんなに怒ってばっかりいると疲れちゃうよ。落ち着いて。」と優しく言われ、怒りたくて怒っているんじゃ無い!怒らせる夫が悪いんじゃないか!と相手のせいにしていました。
今回、自分勝手な思考で甘えた生き方をしてきたことを痛感し、恥ずかしく思い、反省しました。

帰宅後、夫に今まで嫌な思いをさせてしまったことを謝りました。
そして、今まで怒っていたことと同じ出来事が起きても全く苛立たなくなりました。今までの私と6年間一緒に生活をしてくれた夫に感謝しています。おかげさまで夫婦の仲がより良くなり、相手の話を以前より、よく話を聞けるようになりました。

それから、半年前から職場で席が隣になった男性の独り言や話し方、声のトーン、動きがうるさいと感じ、嫌っている人がいました。「声が気になって仕事に集中できないので、もう少し静かにできませんか?」とお願いをしましたが長年の癖で改善されることは無く、その人の声を聞くだけでイライラしていました。

その人のことを変えようとするのは自分勝手だと思い、好きになろうとしましたが、自分の思いは変わらず、うるさい男性に対する苛立ちと、この状況に順応できない自分に負い目を感じ、苦しんでいました。しかし、自分もその男性も姿は違うけど同じ一つの“いのち”だとわかり、自分を苦しめていた嫌な気持ちがスッと消えて無くなりました。私って単純だなぁと思いました。

今まで条件反射のようにイラついていたので、セミナー後の男性に会った時「あれ?本当に苛立って無いのかな?と何度も確かめてしまいました。職場の友人にこのことを話すと「あの人に苛立たないなんてすごい!本当?」と驚かれました。

今までバラバラだと思っていた存在が、本当は不可分一体だったと気づき、心が穏やかになったのです。
このバラバラ観から自分さえ、自分たちさえよければというエゴイズムが生まれ、大なり小なり争いが起きてしまうのですね。対立するものなど元々無いのに。全ての人がこの事実に気づけたら、平和な世界になると思いました。

また、自分の気持ちを楽にしたくて、悔やんでいたことや劣等感を手放したいと思っていました。忘れようと思っても忘れられず、“人のせいにしない” “自分に原因がある” “手放さなければならない” “そんなことはわかっている”という思いが頭の中をグルグル回っていて執着から抜け出せずにいつもモヤモヤしていました。

いつの間にか身に付けてしまった“こうでなければならない”という思いや自分で作ったものさしで、自分を苦しめていました。それがストレスとなり、体の不調に影響していたと思います

昇平先生の問いかけや、共に受講した皆さんのお話で「あっ!」と真実に気がついたとき、今までもったいない生き方をしていたなぁ。悩んでいたのがバカバカしく思え笑ってしまいました。様々な不安や恐れを持ち、複雑に考えて思い悩んでいたことが、実は単純で簡単なことでした。自覚のセミナーを受けていなければ間違った思い込みや観念を払拭することはできなかったと思います。

自覚のセミナーについて、以前、受講した方に「考え方が180度変わった」「見える世界が変わった」「天地がひっくり返るような体験」と伺って、興味を持ちました。
いつも心のどこかにつっかえているものがあり、自分で自分が嫌だったので、何かよい方向に変われればと参加したセミナーでした。

参加して、天地がひっくり返るような体験ってこういうことだったのか!と感動しました。人生の大転換です。
完璧な人なんているのだろうか?と思っていたのにみんな、もともと完璧だったのです。こんなにも心が満ちている自分になれるとは思っていませんでした。
セミナーで得ることができた気づきを自分だけのものとせず、他の人にも実感して欲しい!たくさんの人に広めたい!と感じ、広めて行けるように行動しようと決めました。

これまで社会的、世界的規模の環境破壊や貧困、争い、混乱などの問題を解決することは、自分には無理だと考えていました。このままでは良くないと思いながら、募金くらいしかできない自分がいました。テレビや新聞の情報で見て心を痛めながらも、どこかで他人事のような感覚でもありました。これもバラバラ観ですね。

今は直接、ご縁のある人も無い人も、全ての人々の平和を心から願っています。
“できない事は無い”
頭で考えて難しいと思ったら、簡単なことでも難しくしてしまいます。頭の思いを手放して、やった方が良いと思うことを実行していく自分でありたいと思います。

思いは事実ではない”ということ、“本当はどうか?”と事実をしらべることをクセづけ、セミナー参加以前の思考に戻らないように、ただ、スッキリと受け止め生きていきます。

皆さま、5日間本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。




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自覚のセミナーについて

自覚のセミナーについて

次回より、ゴールデンウィーク中に開催した「自覚のセミナー」に参加された方々の感想文を掲載します。

ただ、セミナーの内容については、その説明やそこで体験されたことを具体的に書くと、今後参加したいという方々に不必要な先入観や誤解を与えてしまう恐れがあります。

そこで、そのような懸念を感じるような箇所は、多分、ほんの少ししかないとは思いますが、ご本人が書かれた意図を損なわない範囲で、多少表現をぼかしたり、削除したりさせていただくかもしれないということを、ご本人にも、また、それを読まれる方々にもご承知いただきたいと思います。


さて、今回の自覚のセミナーの結果については、僕自身とても素晴らしいものだったと思っています。

ただ、セミナー中にも、また、参加者のみなさんの感想文を読ませていただいて感じることは、「セミナーが終了したときが、セミナーの出発点でもある」ということです。

ここで参加者のみなさんに言っておきたいことがあります。

セミナーで「よく分かった」と思っても、実際の生活の中でいろいろなことに直面して、「本当はまだまだよく分かっていなかたのだな」というようなことをたびたび体験されるでしょう。

でも、そこでガッカリしてはいけません。それは当然のことであり、同時に、むしろ喜ぶべきことだと捉えて欲しいのです。そして、何ごとにもいつも自分をゼロにして、「本当はどうか」と、明るく爽やかに取り組んでいってほしいと思います。

その姿勢こそセミナーを通して一番学んでほしいことだったなのです。

言葉を変えれば、本当は、誰でも、いろいろな物ごとにきちんと対応して、処理し、問題がある場合にでも、それを乗り越えていく能力が備わっています。そのことに、皆さんはセミナーを通して気がつかれたはずです。

ですから、今後は自分の中にあるその力を信じて、自分の足で立って、人生の大道をしっかりと足を踏みしめながら歩いていってほしいと念願しています。

参加者のみなさんについて、それぞれ「こうしたらよいと思うのだが」という思いが僕のなかにないわけではありません。

でも、それをみなさんに忠告めいてお話しすること自体、みなさんの迷惑になることはあっても、決して、益するところはないということを、僕は充分知っているつもりです。

今後、いろいろなことにおいて、「どうしたらよいか」分からなくなってしまうようなことがあったとしても、その時こそ、本来の自分自身に戻るチャンスであり、また、そうすることで解決への道が自然に見えてくるということを、みなさん自身が体験すること、それこそが、みなさんの本当の成長に繋がっていくのだと思います。


とにかく、本当のことは誰にも教えることはできないのです。

本当のことは自分で気がつくしかないのです。

何かの問題と感じていることの解決がどうしてもつかないときや、どうしてもその原因が分からないときは、よくよくしらべてみると、ほとんどの場合、問題と感じていることそのものや相手ではなく、実は、自分自身にこそ問題の原因があったことに気がつきます。

それは、簡単に言えば、自分自身が何かを持ってそれを放せない、ということです。

それに気づければ、いろいろな問題は自然と解決の方向へ向かうのです。





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釈迦、最期の言葉

釈迦、最期の言葉

前回のブログについて、仏教ではこのテーマについてどう考えたのかを書いてみたいと思います。

原始仏教の教えの一つである『涅槃経』(大パリニッバーナ経)によると、釈迦のもとに集まってきた人は二つのグループに別けられます。

一つは、日々の経済活動などを通して世俗的な幸福を手に入れることではなく、涅槃に到達するという幸福を得るために、ひたすら修行に専念する「出家者僧団」です。

もう一つは、彼らに食べ物を供養したり、建物や土地を寄付したりなど、出家者僧団を経済的に支える、いわゆる、布施の善行を積むことによって、その結果、世俗的な果報を得ることができるとされる「在家信者たち」です。

そして、釈迦は自分の死期を自覚した後、

まず、在家信者に対しては、「私の葬儀は最高レベルのやり方で執り行いなさい。そして、私が指示するいくつかの場所に仏塔を造り、私の遺骨はそこに納めて拝みなさい。拝めば死んだ後よいところに生まれ変わることができるのだろう。」

そして、出家修行者に対しては、「遺骨の崇拝には関わってはいけない。出家修行者の本分である仏道修行にひたすら専念しなさい。それが私への一番の供養になるのだ」と言ったとされています。

仏教には出家と在家という二重構造があるということです。

僕は、涅槃経で葬儀や遺骨崇拝に関する仏教の本質はあくまで釈迦が出家修行者に語った言葉に表されていると思います。

涅槃経で釈迦が在家信者に語った言葉は、仏教の出家と在家という二重構造を背景として、固定化した階級社会である当時の社会情勢と民衆の知的レベルに合わせて、便宜的に語ったもので、仏教の本質ではないと思うのです。

釈迦が亡くなって2500年余りになりますが、この間、私たち人類は物質文明の発展、科学技術の進歩、経済規模の拡大、一般教育の普及、民主主義の普及など様々なことを経験してきました。

その間、私たちの一般的知的レベルは2500年前の民衆のそれにくらべるとかなり高くなりました。また、階級社会はほとんど崩壊し、私たち民衆の社会的自由度も大きくアップしました。

けれども、現代社会は、闘争や戦争の規模の拡大、地球環境問題などいろいろな地球規模での深刻な問題により、行き詰まりと破滅に向かって急速に進んでいます。

私たちは釈迦の生きていた2500年前の社会とは大きく異なった社会に生きています。

私たちはもはや出家者、在家者のどちらであるかを問わず、「自分とは何か? この世界とは何か? 生とは何か? 死とは何か?」というテーマに、真正面から対峙しなければならない時代に生きているのです。

このような状況を考えるとき、もし、今この現代という時代に釈迦が生きていれば、彼は誰に対しても、次のように言うに違いないと僕は思うのです。

「亡き人への供養は、何よりもあなたが存在の真実を自覚し、真実の生き方をすること、すなわち、生きとし生けるものが本当に幸福で、永久に変らない平和な世界を実現するために、全力で生きることである」と。






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母の死に思ったこと  

母の死に思ったこと  

 以下は私の古くからの親しい友人が書いた文章です。ほとんど僕の考えと同じであり、「自分とは何か? 死とは何か? 生とは何か?」というテーマを考えるのに好材料だと思い、本人の許可の下にここに転載したしだいです。

*****
                        
母の死から2週間がすぎました。
もうすぐ97歳になるところでしたし、一ヶ月以上前から脳梗塞で意識がない状態であったので、母の訃報を聞いて深い悲しみに落ちることはありませんでした。
それで、孫の励ましを喜んでいるようなゆとりがあったのです。
お通夜の日となったちょうどその日は、私が主催者になって、ある方を私の住んでいる町に招いて講演会を開くことになっていました。
その会を優先し、夜の9時に会が終わってから母のもとに向かい、深夜に母と対面しました。
その顔は大変穏やかであったことにひとまず安堵しました。

翌日の火葬場でのことです。
二年前には父が97歳で亡くなり、そのお骨を拾う時、「死ぬとこのとおり、骨だけになってしまうのだ!」と、この歳になってはじめてまじまじと死の実態を見つめることができました。
今回も母の遺骨を通して、この世の無常を再確認するつもりでいました。
ところが今回は全く違いました。
遺骨を骨壷に入れる役割を最初に果たし、他の人が次々に同じ動作をするのを無心で眺めていた時のことです。

「アレ!骨に執着している!」
突然こうひらめいたのです。
「嗚呼!ここからすべての間違いが始まっている!」
こう叫びたくなったほどです。

ありとあらゆる因と縁の結果によって母がこの世に生まれ、そしてまたありとあらゆる因と縁によって母がこの世から消え去っていった。
ただそれだけのこと。
感情は別にして、事実は事実としてそうあるだけ!
それなのに、個我の消滅した後に、あくまでもその個我を延長させて「遺骨」というものにまで執着しようとしている。
焼いた骨の成分はリン酸カルシウムであり、それに個性があるはずがありません。
遺体が焼かれ、そのほとんどが二酸化炭素と水に分解され空中に気体として放出されます。
その気体に執着する人は誰もいないのに、なぜ遺骨と遺灰に人は執着するのでしょう。

火葬場でのひととき、このようなことが次々と思われてきました。
故人の追悼や供養を否定するわけではありません。
ただ、人の死についての真実を考えたいだけです。
仏教では「色即是空、空即是色」の通り、すべては「空」であると教えています。
だから「本来無一物」「万物一体」であり、「個我」は観念が作り上げたものでしかないと説いています。
空や無執着を説く仏教が、なぜ遺骨を尊び、お墓をつくるのでしょうか。
これは人の死について真実を求めることではなく、ただ社会通念上の慣習以外の何ものでもないとすら思えてきます。
葬式仏教と言われる原点を発見した思いでした。
かつて、ネパールのカトマンズでヒンズー教の葬儀を目撃しましたが、河原で荼毘に付せ、骨も灰もそのまま川に流してすべて終わりでした。
最近、散骨を希望する人が増えてきたことは自然な流れのように思います。

では、人の死を弔うことの真意は何なのでしょう。
もう死者には何もできないのですから、遺された者が己の生き方を真摯に振り返ることだと思うのです。
わたしはこれまでにも親しい人の死に際して「生とは何か、死とは何か、どう生きるべきか」を真剣に考えさせてくれる、またとない機会となってきました。

たらちねの わがははうえは ひたすらに
なにをせよとて われをうみたまいしか

この和歌は私の座禅の師匠である原田湛玄老師の作だとおもうのですが、母の遺骸を前にしてこの歌が口をついて出てきました。
「ひたすらにすべきこと」がおろそかになっていたことを母の死によって気付かされました。

 合掌 九拝 大真玄光





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不思議なガラス板  その6

不思議なガラス板  その6

これも愛 あれも愛

たぶん愛 きっと愛

これは『水中花』という歌謡曲の冒頭です。作詞は五木寛之さんです。さすがですね。

と言っても、僕はこの歌に興味があるのではありません。

不思議なガラス板の左側しか見えなかったときは、

「これはこれ あれはあれ それはそれ」と、ぜんぶバラバラに見えていました。

けれども、ガラス板の右側から見ることを知ってからは、

これも“いのち“  あれも“いのち“

それも“いのち“  みんな“いのち“

と見えるようになりました。

それまで見たり考えたりしたことはすべて間違いだったのです。

部屋のなかで静かに目を閉じて坐っていると、どこからかウグイスの鳴き声が聴こえてきます。

遠くを走る車の音も聴こえます。

玄関から外に出ると、我が家のネコたちが走りよってきます。

庭には色とりどりの花が咲いています。

畑には菜の花がたくさん咲いています。

目を上げると青空を背景に山桜が満開です。

風に舞いながら無数の山桜の花びらが次から次に大地に下りてきます。

森も雲も大地も春ののどかな光のなかに“いのち“の悦びに燃え上がっています。

この世界は五感と大脳の理屈で捉えた死んだ世界ではなく、まさに生きた世界です。

この世界はバラバラ世界ではなく、一つの世界です。

この世界はキメの粗い世界ではなく、実に精妙な世界です。

この世界は何かとすぐに行き詰まってしまう世界ではなく、どこまでも行き詰まりのない世界です。

この世界の本質は愛であり、すべて完璧です。

普通、私たちは自分の小さなアタマであれこれと“はからい”、しょっちゅう“もがき”ながら生きています。

けれども、この愛の世界では、“もがき”や“はからい”があるなしには拘わりなく、すべてのものが一瞬一瞬あるがままに必然性をもって展開しています。

この世界にはすべてを生かそうという大きな愛の力がはたらいています。

この大きな愛の力のなかでは、自分の小さなアタマによる“もがき”や“はからい”など何の意味も持ちえません。

それをもし、「意味がある」と言うとすれば、それは浅はかな自己満足にすぎません。

この大きな愛の力は自分と切り離されたものではありません。

私たちの五感や大脳では捉えることができませんが、この大きな愛の力こそが自己の本質なのです。

すべてを自己の本質であるこの大きな愛の力自体のハタラキに任せて生きることこそ真実の生き方です。

春の穏やかな日には外に出て自然の中に身を置いてみましょう。

そして、花や木や草や空や雲、車、人、建物など、なんでも眼に入るたびに、「“いのち“」と呼びかけてみましょう。

そうすれば、あなたにも簡単に実感できるでしょう。


これも“いのち“  あれも“いのち“

それも“いのち“  みんな“いのち“


左側から見ると、山河大地 日月星辰あり

右側から見ると、一心のみなり 


存在の真実は、必ずしも厳しい修行によってのみ会得できるというものではありません。





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不思議なガラス板  その5

不思議なガラス板  その5

般若心経のなかに「色即是空」「空即是色という言葉があります。

「色」は「現象の世界のあらゆるもの」を意味しており、それが「空」、つまり、「空っぽである」というのです。

「空っぽである」というのは、「本当に何もない」という意味ではなく、「五感と大脳では捉えることができないので、何もないように見える」ということです。

ですから、その本当の意味は「五感と大脳では捉えることのできないもの」ということです。

その「五感と大脳では捉えることのできないもの」を僕は“いのち“と呼び、仏教では「空」、あるいは、「心」と呼んでいます。

「(無限の」エネルギー」「(無限の)気」と呼んでもよいでしょう。

ところで、アインシュタインの相対性理論では、
「エネルギー」=「質量」X「光速度の2乗」となっています。

これは物質の質量の消失はエネルギーの発生であり、エネルギーの発生は物質の質量の消失を意味する」ということです。

簡単に言えば、「エネルギーは物質になり、物質はエネルギーになることができる」ということです。

私たちの五感と大脳による認識能力の限界はともかく、このように現代物理学により確かめられた真理から言っても、「色=空」、「空=色」ということは、もはや当たり前の常識となってもおかしくないのではないでしょうか。

つまり、不思議なガラス板の左側から見たこの現象世界のすべての存在とハタラキはガラス板の右側から見れば、左側から見た姿かたちのままで、同時にすべて同じ一つの“いのち“であると言っても、それは当たり前のことではないでしょうか。

それでも、五感と大脳のハタラキを過信するあまり、「目に見えるものしか存在しない」という固定観念に捉われていれば、存在の真実など絶対に理解することも、体験的に捉えることもできないでしょう。

その場合に、とくに問題となるのが大脳による「思考」です。

大脳は五感に基づいてどこまでも相対二元的にしか思考できないので、「この世界は4次元の世界であり、その中のすべてのものはバラバラである」としか認識できません。

つまり、思考自体が4次元を超えた絶対一元の存在の真実を知的に捉えることさえ大きく妨げているのです。

「存在の真実は思考を通してではなく体験的に捉えるしかない」とこれまでも度々言ってきたのはそういうことです。

思考が停止すれば、自然に存在の真実を体験として捉えることができます。僕の勧める正しい瞑想を実践されている方はそれを実感されていると思います。

もちろん、あるところまでは知性を正しく使って、これまで書いてきたような仕組みを充分理解することが必要です。

でも、それから先は体験する以外にはないのです。

もう一つは、自然の中に在って、花や木や雲などをじっと見ることです。

そうすれば、向こうのほうから、「僕らはみんな同じ一つの“いのち“だよ」と教えてくれるでしょう。


明らかに知りぬ

心とは山河大地なり 日月星辰なり






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不思議なガラス板  その4

不思議なガラス板  その4

大脳が思考に使用する言葉は4次元の世界における存在のすがたを相対二元的にしか表現することができません。

その例として、前のブログで「自分」「他」「繋がり」「関係」という言葉をあげましたが、その他に「部分」「全体」という言葉について考えてみましょう。

4次元、相対二元の世界では「部分」と「全体」はある意味では対立する概念です。

ちなみに『広辞苑』によると「部分」とはつぎのようになっています。

1 着目する全体の中を分けて考えた一つ。全体の中の1ヵ所。

2 全体の中に含まれているもの。

けれども、私たちの五感と大脳が捉える世界は9次元、11次元とも言われる存在の真実の断片にすぎず、それで「存在の真実はこうだ」と言えるものでもなく、かえって、真実を誤解することにもなりかねません。

たとえば、目の見えない人が象の鼻だけを触って、「象というものはホースのようなものだ」と判断し主張するならば、それは象の存在の真実とはおよそ食い違ったものになってしまうのと同じです。

存在の真実を体験的に捉えると、実は、「部分は全体であり、全体は部分である」、あるいは、「部分は部分でありながら、同時に全体でもある。全体は全体でありながら、同時に部分でもある」と、矛盾したような表現をせざるをえません。

でも、それが存在の真実です。それが奇妙に思えるのは4次元の世界で使われる「部分」「全体」という言葉自体が表現能力に限界があるからなのです。

いずれにしても、存在の真実は「部分は全体であり、全体は部分である」ということです。

別の表現をすれば、存在の真実は「この世界はホログラム的である」と言えるでしょう。

ホログラフィーとはレーザー光線を使った立体的な映像を作る技術のことです。ホログラフィーを使ってできた立体映像、あるいは、そのフイルムのことを「ホログラム」と言います。

ホログラムは写真のようにフイルムに記録されています。

たとえば、フイルムに一匹のネコをヨコから撮影した姿が映っているとします。

それをネコのお腹の付近でタテに両断して、例えば、フイルムの頭と首と胸の写った左側半分だけを取り出して、それにレーザーを当てます。

そうすると、ネコの頭から尻尾の先までの全身像が再現されます。右側半分に切ったフイルムでも同じことが起きます。

実は、フイルムの中のどの一部分を切り取っても、それだけを取り出してレーザーを当てると全体の像が再現できるのです。

つまり、ホログラムはどの部分もそのまま部分でありながら、同時に、全体の情報がそっくり含まれているのです。

私たちの日常の言葉では存在の真実について適格に表現することは非常に難しいのは事実ですが、このように、物理の世界ではすでに「部分は全体。全体は部分」という現象の一例が実証されています。

そういう意味で、「この世界では部分は全体であり、全体は部分である」と言っても決して荒唐無稽なことではないのです。






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