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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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自覚のセミナー感想文 Dさん

自覚のセミナー感想文 Dさん
                  
昇平先生、えりか先生、この度は5日間のセミナーをありがとうございました。

今振り返ってみて、ひとつひとつの問いに対する答えが明確になったことはとてもありがたかったと思っています。

「なんとなく頭では分かった気がする」という表面的なことではなく、本当のこと、当たり前のことを直視するというのは、何より貴重な体験であったと思います。少しでも早く答えを出すことが良いことであるかのようなスピード社会の中で、5日間本質的な問いに向き合えたということは贅沢な時間であったとも思います。

心の奥底に眠っている「本当のこと」を見るよりも、目を逸らしていた方が楽な様な気がして、現代人はまわりの様子を伺いながら、人と同じ生き方を選択しています。でもそんな生き方がもう通じなくなってきていることも事実です。

私自身、学校を卒業して社会に出てからいつも何かが違う、何かが違う、と思いながらやってきました。そうした気持ちとのバランスを取る為に、ヨガ、アーユルベーダ、マクロビオティック、座禅、読書、ボランティア、大掃除、片づけ、と色々なことをやってきました。

もちろんどれも自分の心を落ち着かせるのに適していて、どのことからも生きるヒントをたくさんもらいました。でも、人と人とのつながりを心から感じられる瞬間ほど、安心感を得られることはないというのも明白でした。

このセミナーを通して、全てのことはつながっているという答えにビシッと導いて頂けたのは何よりありがたいことでした。

あとはいかに腹を決めて、背筋を伸ばして生きていくかだと思います。大人がわくわくしながら次世代の為に働くようになれば、より良い時代がやってきます。そしてそれに気づき始めている人がたくさんいることも希望だと思います。

「これまでがあるからこれからもある」すべてつながっている、と明確にして下さってありがとうございました。

浅瀬でチャプチャプやっていればなんとなく楽しいね、で終わるかも知れない人生ですが、さらに深く泳いで違う景色を見てみると、本当のことから目を逸らして生きていく訳にはいかなくなります。

人と自然との距離がもう少し近かった時代には、人が自然の一部であることは当たり前と捉えられていたはずです。現代社会でパソコン、スマホまみれになっていると見え難くなってしまうことですが、やっぱりどんな時代がこようとも事実は事実、事実はひとつだけと思えば自然と心が強くなれます。

戦うのではなく、自然に感じられる様になることが大切と教えて頂きありがとうございました。

スタート地点に立ったと実感していますので、感じるままに行動していきたいと思います。

セミナー期間、お世話役に当たってくださった山田さん、洋子さん、ありがとうございました。
いつも整体を指導して下さるナオ先生もありがとうございます。
お手伝いに来てくださった、ゆうこさん、まさちゃんもありがとうございます。
そして今回一緒に参加した皆さんもありがとうございました。





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自覚のセミナー感想文 Cさん

自覚のセミナー感想文 Cさん

自覚のセミナーに参加させていただいたことを本当に感謝しています。

何をするセミナーか妻は何も教えてくれませんでした。聞いても「私からのプレゼント、67歳からの新たな人生が開かれるかもしれない」としか答えてくれませんでした。それでも、参加することへの拒否反応は不思議なほどありませんでした。

妻とは、福島相馬市に行き、原発事故被害の現状を目のあたりにし、原発廃止の正しさを再認識したり、憲法改正の大きな動きに反対の意志行動をする等、社会の動きに対しては、同じ方向を向いているとは認識していました。しかし、それらのことと、整体がどうして結びついているかは理解できず、整体セミナーでは人が本来持っている治癒力を高めることを学んでいるものと思っていました。

しかし、今回のセミナーで、私の頭の中の壁がなくなり、全てが一つのいのちに繋がっていることに気付き、妻の生き方を理解するとともに、素晴らしさを感じました。

セミナーが終わり、妻と顔を合わせると自然と笑みが出るようにもなりました。

セミナーの中で、これまでの人生を振り返る機会がありました。
しらべていくと、頭の中に浮かんでくるのは、二度の山の事故でかけがえのない二人の仲間を失ったこと、あの時こうすれば事故は防げたはず等、全て後悔することばかりで、いっそ、自らの命を断った方が楽になれると考える自分がいました。

それでも、今、生きていることをそれで良いと肯定しなければ、立ち上がれない自分がいました。山での事故から35年が経ちますが、いまだ頭の中に当時の状況が浮かんではその度、自分を肯定していました。

しかし、これまでの人生の全てをしらべ直す過程でそのことを受け入れることでき、自然と涙が出たことに気が付きました。

受け入れることができたのは昇平先生と参加された方々の問答の中で、これまで生きてきた社会が、自己中心の欲の社会、世間でいう常識の社会の中で適応するよう生きてきたことが自覚できたからです。

ものの見方、考え方が根本的に間違っており、すべてのことが一つのいのちと繋がっていると確信したことから、これまでの人生はすべてを受け入れることができました。

そして、これから残された人生を楽しく過ごすことができると思うことができるようになりました。

また、真の幸福についてのしらべの中で、娘の結婚、出産、青空の下での農作業等、孫との楽しいひと時等、これまで幸せと感じたことは多くありました。それらは、誰もが幸せと思うことだし、幸せを感じる心の状態のことを幸せと思っていました。

しかし、もう少ししらべると、どこか心の底ではその幸せがいつか壊れでしまうのではと不安も感じていることに気が付きました。その場では、真の幸せ、幸福とは何かを見つけ出すことはできませんでした。

深める中で、そんな幸福は一時的、仮の幸福である、「私たちは、一つの単細胞から生まれた生命体で、全て繋がった一つのいのちであり、自分という存在はなく、個々の幸せはない。全てのいのちが幸せになることが真の幸せである」との昇平先生の教えで、はっと気付き、頭の中のもやもやが、サーッとなくなりました。

まだ戦争をしている国、食料難で苦しんでいる人達等、回りを見渡せば、幸せとは思えない状態の人が多くいます。これらの人たちも私たちと繋がった一つのいのちであることから、決して今、生きている世界は真の幸福とは言えません。

そして、今、目の前では、人々の幸せを守るための憲法が改悪され、過去の歴史に刻まれた戦争前夜の状況になっていることも、真の幸福を求める上で大きな課題となっていることも理解できます。

真の幸福となるためにどうしたらいいのかしらべていく中で、妻が整体を継続していることは、自分だけの整体を求めて継続しているのでなく、一人でも多くの人に整体を通じ平和の世界、真の幸福の世界になるよう生きている。そのことは、一つのいのちの幸せに繋がっていることを改めて理解できました。普段の生活の中で解ります。

自覚のセミナーが終わった後、私の体の中で、これまでにない何かが動き始めたようです。

それは、頭の中で表現できない大きなもののような気がします。まだはっきりと分かりませんが、残された人生を一つのいのちが幸せになるよう歩んでいく中で、自然と明らかになると感じています。

ご指導いただきました、昇平先生、奈央先生、恵理佳先生そしてセミナーを支えていただいたスタッフの皆様、共に過ごさせていただいた参加者にお礼申しあげます。 





                                            
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自覚のセミナー感想文 Bさん

自覚のセミナー感想文 Bさん

先日の自覚のセミナー大変お世話になりました。本当にありがとうございます。

 5日間のセミナーが始まる前、とても緊張していました。

私は、奈央先生のセミナーへの参加も無く勉強不足な上、このセミナーを受けさせてもらえる状況になっても甘えて自ら学ぼうとせず日々、息子のことで一喜一憂し「勝手に悩み」「勝手にもがき苦しん」でいました。

また、自分に自信がなく「自分だから出来ない」「仕方ない」と、行う前から諦めていました。

初日の課題は、まさにそんな私を救ってくれるものでした。劣等感、自己嫌悪など見えないモノに自ら縛られ苦しんでいました。その日は、スッキリした気持ちで 夜は呼吸法など行い休みましたが、二日目のセミナーの朝は、身体が重く特に肩甲骨の辺り、身体の悪いところが浮き出ているような感覚でした。

セミナーが開始し、すぐに昇平先生に「よく眠れた?」と聞かれた時、私は、答えられずにいましたが、答えなくても私の体調や心の動きが、どんな状態か昇平先生には手に取るように分かっているのだな。と思いました。

私だけでなく一人ひとりの受講者の状態が、手に取るように分かっていて、昇平先生の問いかけは、一人ひとり違い、その人が、課題の「何に」悩んでいるのか全部見えていると・・・

四日目の朝は、とてもスッキリとして身体も頭も軽く心は穏やかに、とても気持ちの良い朝を迎え、セミナーの席についていると、昇平先生から英語で何か質問され、内容は分からなかったのに、すんなり「よく眠れました!」と元気よく答えている自分がいて自分でもびっくりしてしまいました。

今までの私では、答える前に「英語だから分からなくて恥ずかしい」「間違えたらどうしよう」など考えて、答えることもできず縮こまり、首を傾げることくらいしかできなかったと思います。自ら見えない壁を作りがんじがらめにしていました。

一つ一つ課題を調べ、セミナーが終わるころには、心が楽になり穏やかな気持ちとなり静かな世界があります。そして、今も穏やかです。

五日間、家を留守にしましたが、戻ると一人で留守番をしてくれていた息子もホッとした様子でした。息子のしっかりした部分も見ることができました。

しかし、試すようなことは続きます。翌日は、息子は体調を崩し、朝、学校には「遅刻していく」と言っていましたが、休んでいました。夜 頭が痛い。というので足湯を勧めても「うるさい」「やらない」と怒ってばかりでした。

これまでの私のままだったら「どうしよう!困った!」と すぐに心配だけして原因も調べず青ざめているところですが、「こう言うこともあるだろうな」と心は穏やかに冷静に接することができ、隣の部屋から後頭部へ愉気をしました。

これからは、息子の身体、心の変化を見逃さないように見守り、自分で乗り越えられるように親として、もっと勉強し息子と きちんと向き合えるようにしていきたいと、やっと親としての自覚が出てきました。

反発があっても、きちんと話を聞き、説明も出来るように本を読んだり調べていきたと思います。

今までは「こうでなければならない」と自分の中の常識を掲げ自分も息子も閉じ込め、息子に窮屈な「人間」を押し付けていたように思います。

私自身が、自分を認められずにいたので、息子のことも認めることが出来ずに否定してばかりいました。良いことを行っても「当たり前」で、悪いことをしたり、何もしないと、理由も聞かず説明もせずに ただただ怒っていたように思います。

私は、セミナーの中で、たびたび「自分と他人は違う」と、「個人」をずっと意識し、それが正しいと思っていました。なので、隣の人と私の繋がりについて聞かれた時に、真逆の「他人」と答えていたりしていました。

ところが、「世界はひとつ、みんな繋がっている。それも、ただ繋がっているのではなく、何もかも自分そのものなのだ」と、分かった時の驚き!

でも、その後で、「今、しあわせか?」と聞かれた時、世界には不幸な人がたくさんいるのに、「しあわせ」という判断をしてしまう浅ましさ!

今ここに自分がいることにも、表面的な感謝のみで、真の感謝を知らずに生きてきました。

自分が、どんなに恵まれているか、分かろうともせず、無い物ねだりばかりしていました。そんな自分があることも冷静に気づけるようになりました。

セミナーの後半では、昇平先生や奈央先生が叔父、叔母として、いつも私のためを思い掛けてくれていた言葉が目の前を出ては消えていきました。

気が付くと自然と涙が流れ感謝の気持ちでいっぱいになりました。
この感謝は、言葉では伝えられません。この気持ちを忘れずに、これから、私がやるべきことをやるだけです。

空回りしないように、勝手な思い込みをせず分からないときや躓いたときは、素直に相談し教えていただき、しっかり今の自分を生きてゆきます。

叔父さん、叔母さん、恵理佳さん、衆くん、洋子さん、みなさんに感謝しています。

本当にありがとうございました。





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自覚のセミナー感想文 Aさん

自覚のセミナー感想文 Aさん

先日はありがとうございました。

ずっと楽しみにしていた自覚のセミナー。

奈央先生の整体もまだ始めてから日が浅かったのですが、「身体が変わってきたからいいわよ」と仰って下さったので参加する事が可能になり、その後の奈央先生からのお手紙で、「自覚のセミナーは一生の構えです」と書かれていたのですが、参加してその意味がわかりました。

そしてセミナーは私の想像の遥か斜め上の世界でした。

ですので、全く身体を整えていなかったら、もしかして腹で決めて人生を構えるという事にもう少し時間が掛かったかもしれないなと思いました。
心身相関という事でしょうか。


5日間という思えばあっという間の時間でしたが、あんなにも自分を見つめる、調べるという事をしていなかったので、最初の2日間は長く感じました。

如何に普段自分を外に置いておいたのでしょう。ただなんとなく生きていたんだなと改めて思い知らされました。

ですが、3日目以降の時の経つ事の速さと言ったら!

他の皆さんも同じだったのか、顔もキラキラして笑い合うことも多くなり、本当に心から気持ちが良い気の流れができた気がします。

それが在るべき姿なんだなぁと思います。其々が自分を知り、そしてその全てが、宇宙も過去も全て含めての全てが、ただこの瞬間に存在していて、それ自体が幸福であること。

それをちゃんと感じていたら、世界中の人があのセミナーの空間の様にみんながみんなが輝いていられるんですね。

あの心地良さは体験した事がありませんでした。みんなが居て心地良い。1人では感じる事が出来ない流れでした。

私は今私としてとても幸せです。

セミナーで手放した数々の事、全部で「いのち」だという事の例えようのない喜び。

頭でなんとなく知っていただけで、本当にはこんな幸福知りませんでした。

それをたった5日間で得られるとは思いもしなかった。という事は、5日間あれば戦争や争いはなくせるんですね。
実際には無理でも、でも戦争を確実になくせる方法をやっと知りました。

自分だけが理解していても駄目なんだ。
みんなで一緒に理解していく事が大切なんですね。

私は今本当に幸せです。もう怖いものがなくなりました。
怖い事が怖い。悲しい事が悲しい。ただそれだけの事だったとわかったので。本当はそんなものないんだって。

迷ったら、宇宙や自然に聞きます。真実は一つだから。あとは人間が勝手に創り上げた考えだと教えて下さったので。


昇平先生が、ポロっとお手伝いの先輩に、「本当は感謝なんてないんだよ。お互い様なんだよ」と仰ったのを聞いて、もうその深さに、愛情に、胸が熱くなりました。忘れられない瞬間です。

ですが、あの様に愛情そのもので生きてらっしゃる昇平先生、奈央先生、エリカ先生にお会い出来た事に私は心から感謝しています。

そしてこの道に導いて下さった我が会社の先輩方、整体関連の皆様、一緒に受けた方達、全部全部に感謝です。

これを広めていくには、まず私自身がこの5日間で腹に決めた事を、体現していかなくては。

私がこのセミナーを受けたいと思ったのは、それを教えて下さった先輩その人自身を見て受けたいと思ったように。


あれから毎日嬉しくてニヤけてしまいます。
5日間、本当にありがとうございました。
長文失礼しました。

またこれからも宜しくお願い致します!





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自覚のセミナー感想文掲載について

次回からしばらく、先ごろ行った自覚のセミナーの参加者による感想文を掲載します。

感想文を掲載するにあたり、プライバシーの尊重に配慮して名前はすべて匿名にしました。

また、分かりにくい、あるいは、誤解の恐れがあると僕が判断した表現などは、意味を損なわない範囲で、多少表現を変えたところがあることを、執筆者の皆さんと読者の方々にあらかじめご承知いただきたいと思います。





人の気持ちを受け止める

人の気持ちを受け止める (再掲)

世の中には、一見、それなりに幸せそうにしていながら、実は、親、子ども、兄弟、夫婦間など、家族の誰かとの間に問題を抱え、長い間ずっと苦しんでいるという方々がとても多いように思います。

家族だけでなく、友人関係、あるいは、仕事の同僚や上司や部下、隣人などとの人間関係に苦しんでいる方も本当に多いようです。

そういう中でも、家族との間の苦しみは、もっとも親しい、切っても切れない密接な間柄であるだけに本当に苦しいものです。

日常的には、なるべく気にしないようにして暮らしているのですが、その苦しみはずっとこころのそこにあって、本当にすっきりした気分で生きているわけではありません。

そして、何かの折には否応なくその事実に直面して、そのたびに絶望感を抱かざるをえないのです。

多くの方がこの問題は結局解決はできないのだとして、あきらめて生きているのではないでしょうか。

これは本当に惜しい生き方です。

そう一番思っているのは、実は、本人なのですから、考えれば考えるほど苦しくなってきます。

では、解決の道はないのでしょうか?

これまでも、自分なりに努力は精一杯してきたつもりだ。それでも、どうにもならないのだからと言われるかもしれませんね。

自分自身の経験から、僕にはそのお気持ちはよく分かるつもりです。

でも、いや、それだからこそ、よく考えてほしいのです。

あなたはその問題を相手の人のせいにしていませんか?

相手の人が何か自分の望まないことを言ったりした場合に、すぐに「変なことを言っている。それは間違っている」として、相手の人を裁いて、相手の人の言うことを拒絶してきませんでしたか?

あなたは相手の人が言う言葉の真意をどこまでも汲み取ろうとしないで、すぐに、「相手はこんな意味で言っているのだ」と決め付けてはいませんでしたか?

相手の話をどこまでも聞こうとしないで、自分の言いたいことを先に言ったり、あるいは、口にしないでも、言いたいと思ってはいませんでしたか?

相手の話をよくよく聞いてみて、相手が本当に理不尽なことを言っている場合に、それだけで相手を非難して裁いてはいませんでしたか?

そのような理不尽なことを言わざるをえない相手の気持ちを受け止めようとしましたか?

人間関係上のトラブルはほとんどの場合、どちらか一方だけで作られたわけではありません。相手と自分の二人で作りだしたものです。

トラブルの種は一方的に相手の人のせいというわけではないのです。

あなたは、理屈でどちらが正しいなどと裁くのではなく、本当に相手のそう言いたい気持ちを心から受け止めようとしてきましたか?

思い当たる方は、自分が相手の気持ちをこころから受け止めようとしないで、いつも拒絶してきたことに対して、どちらが正しいのかなどという理屈を超えて、できるだけ早い機会に、こころから相手に詫びることができますか?

これからももっとも親しい方とのトラブルをいつまでも引きずって生きたいですか?





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対症療法だけではダメ

対症療法だけではダメ (再掲)

現代社会に生きる私たちは様々な個人的、組織的、あるいは、社会的な問題を抱えながら生きています。

そして、多くの心ある方々がその解決のために努力されています。

そのおかげで、解決した問題もたくさんあると思います。

その意味で、それらの方々の努力に対してこころから敬意を表したいと思います。

けれども、全体として見た場合に、私たちの抱える問題はますます増大し、また、ますます深刻になっていっているように思うのです。

これは一体どうしたことでしょう? 

それは、簡単に言えば、「私たちが根本療法の大切さを本当には分かっていない」ということだと思います。

体の疾病の治療において、対症療法というのは、現われている症状だけをとりあえず解消させるやり方です。

これに対して、根本療法というのは疾病の根本原因を取り除くことにより、疾病を根治させるやり方です。

たとえば、アフリカなどにおける深刻な飢餓問題を解決するためには、まずは早急に飢餓で苦しんでいる方々に食料を支援することが必要です。つまり、対症療法です。

けれども、それで飢餓問題を根本的に解決できたとは言えません。

なぜなら、いくら食料を支援しても、飢餓問題が生じる根本原因を取り除かないかぎり、いつまでも飢餓で苦しむ人が次々に現われるからです。つまり、根本療法が必要なのです。

このように、いろいろな問題を解決するには、一般的には、車の両輪と同じように、対症療法と根本療法の両方が必要なのです。

どちらが欠けても望ましい解決を得ることはできません。

これはちょっと考えてみれば誰にでも分かる単純な真実です。

ところが、私たちが上記の様々な問題を解決しようとするときには、ほとんどの場合に、対症療法的にだけ対応しようとしているのではないでしょうか。

つまり、私たちは「問題の解決のためには、対症療法も必要だけれども、何よりも必要なのは根本療法だ」という当たり前の真実が本当には分かっていないのです。

僕は対症療法なんかどうでもよいと言っているのではありません。それももちろん必要です。

でも、「問題を解決しようとする場合には、何よりも根本療法が必要だ」と考え、それを実行しようという人がもっともっと増えて欲しいと僕は思うのです。

率直言えば、「問題を解決しようとする場合には、何よりも根本療法が必要だ」ということが世の中の当たり前の常識にならないかぎり、私たちは本当は解決可能であるはずの様々な問題にいつまでも苦しまなければならないでしょう。

それどころか、その先にあるのは完全な行き詰まりです。

このブログでみなさんに一貫してお伝えしようとしていることの一つは「どのような問題に対する場合にでも、根本療法的考え方と方策が大切だ」という単純な真実に目覚めていただきたい」ということです。

悪臭は元から断たなきゃダメなのです。





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痛み止めの薬は効かない

痛み止めの薬は効かない (再掲)

頭が痛いとき、痛み止めの薬を飲むと、たしかに、痛みは解消します。

でも、それで本当に痛み止めの薬が効いたと言えるでしょうか?

“痛み“という症状は、頭の中に「何か異常があるよ。気をつけて!」という警報シグナルであり、また、自然治癒力がその異常な箇所に集中するように注意を引き付ける作用であり、同時に、痛みそのものが自然治癒力の表れであると考えられます。

ということは、もし、頭が痛いとき、痛み止めの薬を飲んで、痛みが消えたときに、「これで頭の異常はなくなった。問題はすべて解決した」と考えるとすれば、それは室内で火事が発生して盛んに燃えているときに、廊下で音が鳴り響いている火災警報器のスイッチを消して、警報機の音が止んだから、室内の火災は鎮火した。問題はすべて解決した」と言っているようなものです。

痛み止めの薬で“痛み“の感覚を感じさせないようにしても、痛みが生じた根本の原因が解消して、問題の根本が解決したわけではありません。

必要なことは痛みの症状ではなく、痛みの生じる根本原因を探り当て、その根本原因を取り除くことです。

これは頭の痛みだけでなく、その他の身体的な症状について言えることです。

薬で痛みを感じさせないようにすれば、身体にもともと備わっている免疫系統を中心とする自然健康維持機能が働かなくなったり乱れてしまいます。これは身体にとって大きな障害となります。

なぜなら、自然健康維持機能は私たち人間が何千万年、何億年という進化の過程で獲得した能力であり、私たちが健康に生きていくためにはもっとも重要な機能だからです。

その他のことでも基本的には同じです。たとえば、一般的にストレスは悪いものと考えられがちですが、これは「今のままではマズイよ。気をつけて!」という警報シグナルであり、私たちがより生存しやすいように進化の過程で獲得した重要な機能です。

ですから、ストレスを感じているときに、お酒や精神安定剤などを飲んで感覚を麻痺させて、ストレスを感じなくさせたとしても、ストレスの根本原因が取り除かれないかぎり、ストレスが解消したわけではないのです。

ですから、お酒や薬が切れてくれば、再びストレスを感じ、再びお酒や薬に頼ることになってしまいます。

このように神経系統や感覚を直接いじることを頻繁に繰り返していれば、いずれ身体の自然健康維持機能が大きくダメージを受けてしまいます。

お酒やタバコや精神安定剤を含めて、対症療法では私たちの病気や身体的な異常を治すことはできません。対症療法に頼れば頼るほど、根本的に解決することが難しくなってしまいます。

それは私たちの身体のことだけでなく、その他の個人的あるいは社会的な諸問題の解決についてもまったく同じです。

混迷する現代において、いまこそ“人間個人の自然“、そして、”人間社会の自然“を見直し、それを絶対的に信頼することが重要であると思います。





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思いは事実ではない

思いは事実ではない (再掲)


思いは事実ではない。これは単純な事実です。

でも、「思いは事実ではない」と言われて、ただ「それはそうだ」とアタマで思うだけでは、まったく意味がありません。

その真実にこころから気づくことが大切なのです。

というのは、ほとんどの人が「自分の思いが事実である」と思い込んでいるからです。

でも、それは間違った思い込みにすぎません。

「自分の思いが事実である」という思い込みは、それほど強力に私たちのこころにしみ込んでいます。

そして、私たちはその間違った思い込みに基づいて、考え行動していきます。

ですから、その結果、自分自身だけでなく、周りの人々にも混乱と苦しみをもたらすことになってしまいます。


思いは事実ではない。これは簡単な事実です。

ですから、そう言われると、アタマではすぐに分かった気になってしまいます。

そこに大きな問題があります。

本当に体得するのは意外と難しいのです。

私たちは子供の時から「自分の思いが事実である」と思い込み、信じ込んできました。

ですから、ちょっとアタマの先っぽで「思いは事実ではない」と分かったつもりになっても、実際には、ほとんどの生活の場面で、自分の思いを事実と錯覚して生きています。


では、どうしたら「思いは事実ではない」ということを体得できるでしょうか。

僕は第一に瞑想の自然法をお勧めします。

とにかく、瞑想の自然法を毎日最低1回、できれば2回、25分ずつほど実践することです。

そうすれば、「思いと事実は別々のものだ」ということをアタマで理解するのではなく、簡単に体感し確認することができます。

日々の実践によって、その体感はますます確かなものとなり、日常の生活のなかでも思いや気分に振り回されることも少なくなっていくでしょう。

もう一つお勧めしたいのは自観法です。

これは、日常の生活のなかで、ちょっとしたときに、1分間か2分間、自分が思ったり、感じたりすることをただじっとこころで観察するのです。

ポイントは「ただ観ている」ということです。

つまり、自分の思ったり感じたりすることを自己評価したり,分析したりしないということです。

自観法を1日に3回から5回ほど実践すれば、2,3ヶ月のうちには自分でも驚くほどの心境の変化を体験されることでしょう。

本当の幸福をアタマでなく、こころから実感するために、瞑想の自然法と自観法はとても有効なツールなのです。


いま、ここまで書いてきた今回のブログを読み返してみると、同じ表現の繰り返しがとても多いことに気がつきます。

読みにくいかもしれませんが、それだけ僕の気合が入っているのだろうと、好意的に受け止めていただければ幸いです。

なお、思いと事実、瞑想の自然法、そして、自観法については、これまでブログのなかで何回か触れていますで、併せて読んでいただければと思います。





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みんな自分だ

みんな自分だ (再掲)

たいていの方は、「この体が自分だ」あるいは、「この心が自分だ」あるいは、「この体と心が自分だ」と思っているのではないでしょうか。

「自分とは何か?」と、少しは探求した方の中には、「この体と心を使って生きている主体が自分だ」、あるいは、「もしかしたら、それが魂(たましい)というものかもしれない」などと言われる方もいます。

でも、そこをだんだん追求していくと、「“自分”というコロッとした実体があるわけではない、ただ、“自分”と意識している仕組み」があるだけだ」ということが分かってきます。

では、「“自分”と意識している仕組みとは何か? その仕組みはどこから出てくるのか?」と考えると、「その仕組みはこの体と心の奥にあるような気もするが、やはり、心の一部ではないだろうか」というところに戻ってきます。

では、「この心とは何か?」と考えると、たいてい「やはり、脳のはたらきが心ではないだろうか」ということになります。

そして、「脳は体の一部なのだから、結局、“自分”というのはこの体だ」ということになり、結局、一巡りしてもとに戻ってしまいます。

そこで、とりあえず、この体を“自分”として、周りを見ると、樹木や草花、イヌやネコや鳥や人などが目に入ります。

樹木や草花、イヌやネコや鳥などは、ただの物体として存在しているわけではありません。

彼らは生きています。つまり、生命(いのち)があります。

その生命はどこから来たのでしょうか?

大自然が彼らを生み出し、彼らを生かしているのです。

つまり、彼らに宿っている生命はそれぞれ大自然の生命そのものです。

それは人間についても同じです。私たち一人一人に宿っている生命は大自然の生命そのものです。

この“自分”も同じです。

「大自然」は「大宇宙」と言い換えてもよいでしょう。

「生命」というと、生物だけと考えがちですが、実は、生命は“変化する力”として無生物にもあるのです。

大宇宙に存在するものは、無生物、生物を問わず、すべて、大宇宙の生命力によって生み出され、その生命力によって常に変化し続けています。

この宇宙のすべての存在は大宇宙の生命力そのものです。

イヌやネコや鳥も、樹木や草花もみんな同じ生命なのです。

太陽も月も星も空や雲、太陽、山、川、海、道端の石ころさえも・・・。

みんな自分なのです。

たまたま、人間はそれぞれ“自分”という意識を持つようになっているだけで、他人などいないのです。

だから、人といがみあったり争うのが嫌なのです。

だから、みんなと仲良く生きていきたいのです。

だから、どこの赤ちゃんを見てもかわいくてしかたがないのです。

だから、イヌでもネコでもみんなかわいいのです。

だから、一輪のバラを見て、いとおしいと思うのです。

だから、空の雲や海を見て、ホッとするのです。

本当は、もともと誰でも知っているのです。

みんな自分だということを・・・。






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自分とは何か?

自分とは何か? (再掲)

「自分は誰々だ」と答えても、それは“自分”ではなく、“名前”にしかすぎません。

「人間だ」と答えても、それは知識をもとに外的に規定しているだけで、自分そのものではありません。

「この体だ」、あるいは、「この体と心だ」、あるいは、「“いのち”だ」と答えても、ただ「自分」というラベルを何かに貼っているだけで、自分そのものではありません。

「この体と心を使って生きている主体だ」と言っても、所詮、自分についての“説明”でしかありません。

実は、「自分とは何か?」という問いそのものに矛盾があるのです。

なぜなら、「自分とは何か?」と問うているもの自体が答えなのですから。

また、その問いに対して、「・・・だ」と答えているもの自体が答えなのですから。

つまり、「自分とは何か?」という問いに対しては、どんな言葉でも一言でも言えば、実物とははるかに隔たったものになってしまうということなのです。

「自分は自分だ」と言ってみても何の答えにもなっていません。

まあ、「自分は・・・だ」と答えるよりは少しはマシかもしれませんが・・・。

では、何も答えられないので、ただ黙っていればよいのでしょうか? 

とりあえずは、まあ、これが一番よい答えなのかもしれませんね。

でも、これでは、分かっているのか分からないのかも分からないといった曖昧な感じもありますね。 

このような矛盾や曖昧さを突破して、直接的に“真の自己”を体験として捉えようとするのが禅です。

もちろん、坐禅をしなければ捉えられないというわけではないと僕は思います。

なぜなら、私たちは坐禅をしているときでも、していないときでも、いつでも“真の自己”そのものを生きているのですから・・・。

要するに、“真の自己“に気がつくためには何をしていなければならない、ということはありません。

ただ、正統な坐禅を指導しているところでは、それなりのしっかりしたノウハウがあり、それにしたがって修行すれば、それなりの結果を得ることも可能だと思います。

少し曖昧な表現になってしまったのは、僕の知るかぎりでは、坐禅の道場と言ってもピンからキリまであるからです。

ですから、禅の修業をするためには正師(しょうし)、つまり、正しい指導者につくことが何より大切だといわれているのです。

話しが坐禅のほうに流れてしまいましたが、僕の薦める瞑想の自然法や自観法を毎日続けていると、ある日、ふとした時に“真の自己”に気がつくことができるでしょう。

実は、この世界に生きているかぎり、“真の自己”に気がつくチャンスはいつも与えられているのです。

風に揺らぐ木々の枝や葉、一輪の花、空を流れ行く雲、沈み行く夕日、自動車の音、雨の音、鳥の声などが、いつも私たちに「自分とは何か」」ということを教えてくれています。

それがはっきりと分かったときには、すでに、あなたはどう答えたらよいかも知っているでしょう。





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すべては一つ

すべては一つ (再掲)

宇宙はもともと一つのものでできています。

宇宙はバラバラのものが寄せ集まってできているのではありません。

この宇宙にはいろいろな “もの”が存在しています。

それらはそれぞれ姿や形やハタラキが異なっていますが、本質はみな同じものなのです。

その意味では、宇宙は人体のようなものです。

例えば、右手は左足とは姿も形もハタラキも異なっています。

でも、お互いに分離したバラバラのものではありません。

ももともと一つのものがそれぞれの細胞、組織、器官などになったのですから、姿や形やハタラキが異なっていても、すべて本質はどこまでも同じものなのです。

しかも、肉眼や顕微鏡などで見ても、すべての細胞、組織、器官はどこにも境目もなくずっと繋がっています。

ですから、仮に右手に目と脳があるとして、右手が左足やその他の器官などを見て、「それは自分だ」と言っても何も不自然なことではありません。

このように、この宇宙のすべての“もの”もともと一つのものなのです。

目には見えなくても、すべての存在は境目がなく繋がっています。

ですから、庭に咲いている一輪のバラを見て、「それは自分だ」と言っても、それはごく当たり前の事実を言っているだけです。

バラにかぎらず、目の前のボールペンを取り上げて、「これが自分だ」と言えないようでは、真の自己を自覚したとは言えません。

バラやボールペンだけでなく、人でもネコでもイヌでも草でも木でも空でも雲でも雨でも風でも空気でも川でも海でも太陽でも月でも星でも、みんな自分そのものなのです。

“他と分離した“自分などいません。ですから、“他人”などいないのです。

この宇宙のすべてが自分です。

ですから、自分は死ぬこともありません。


これが真の自己であり、真の事実の世界です。


さて、私たち人類はこれまで多くの苦しみと混乱を経験し、いまや、いろいろな面で行き詰っています。


その根本原因は、すべての存在を分離したものと観る“バラバラ観”にあります。

それは、私たち人間が発達した大脳を持つようになり、私たちの大部分が、アタマの限られた能力しかない認識力と判断力こそがすべてだと思い、それぞれの存在の姿や形などの表面的な違いに惑わされ、その奥にある本質、つまり、“不可分一体”の存在の真実に気がつかなかったことにあります。

私たち人類がこの行き詰まりを超え、真の幸福で平和な世界を切り開くためには、どうしても、バラバラ観から不可分一体観への地球規模での大転換が必要なのです。

ポイントは、どのように社会的にはたらきかけるかということです。

でも、いまだ有効な具体的方策はほとんど提案されていません。

どうか、あらためて、拙著『国の理想と憲法――国際環境平和国家への道』(特に、第3部と提唱)を繰り返し読んでいただきたいと思います。

そうすれば、そのうちに、大きな気づきがあるでしょう。





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