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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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幽霊の正体見たり  その1

幽霊の正体見たり  その1

あなたは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という故事を聞いたことがことがあると思います。

文章の意味は、「夜、どこか暗いところで、何かボーッと白く揺れているものを見て、幽霊だ!と思ってものすごく怖くなったのだけれども、よく見たら、それは何と!枯れたススキの穂が風に揺らいでいただけだった。それで安心した。」ということです。

この故事は「疑心暗鬼で物事を見ると、悪いほうに想像が膨らんで、ありもしないことに恐れるようになる」ということを言いたいのでしょう。

まさにその通りです。

それと同時に、もう一つ、この故事が面白いのは、誰でも「幽霊」の正体が枯れたススキの穂だったと分かれば、そのとたん、“一瞬にして”「怖い!」という気持ちが消えてしまう、ということです。

この故事はタバコ問題にも見事に当てはまります。

またタバコの話かと思われるかもしれませんが、まあガマンして読んでください。

というのは、このタバコの説明は、タバコだけでなく、存在の真実や生き方の真実について、自分の考えていることや理解していることが、果たしてちゃんとした位置づけになっているかということをチェックするのに最適だからです。

何回も禁煙に挑戦したのだけれども、どうしてもタバコを吸いたい気持ちが消えずに禁煙に失敗し続けてきたにもかかわらず、タバコの正体についての説明を聞いたり読んだりして、「タバコにはメリットは一つもない。あるのはトンデモないデメリットばかりだ。そもそも、タバコを吸う必要はまったくなかったのだ」とタバコの正体(真実)に気付いたとたんに、一瞬にして「タバコを吸いたい」という気持ちがなくなってしまい、何のガマンも努力もすることなく、すっきりとタバコをやめていった人がいます。

つまり、「吸いたい!」という気持ちが、タバコの正体(真実)に気がつけば、「瞬時に、そして、永久に」消え去ってしまうのです。

ところが、タバコの正体についての説明を聞いたり読んだりして、アタマでは分かったような気がするのだけれども、実感としてははっきりとは分からないという人たちがいます。

それは、一応タバコの正体がわかったと思ったにもかかわらず、タバコに対する世間一般の考え方や過去の自身の禁煙の体験に影響されて、「タバコをやめるのはとてつもなく難しく苦しいのだ。そんな簡単に吸いたい気持ちがなくなるはずがない」などと、依然としてスモーカーモードの疑心暗鬼な気持ちで考えているために、せっかく見えていたタバコの正体が曇ってしまうのです。

これは、「あれは幽霊だとばっかり思っていたが、枯れたススキの穂だった」と一度はっきり分かったにもかかわらず、「あれは幽霊だ」と依然として“幽霊モード”で考えていることと同じです。

私たちは、真実(本来の事実)とアタマの思い(妄想)はまったく別物であること、そして、問題となっているのは、アタマの思いではなく、真実(本来の事実)は何か?ということだ、ということに気付くことが大切です。

(つづく)




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よい友達をつくるには

よい友達をつくるには

「よい友達をつくるには」などと言うと、何だか安っぽいノウハウ本のタイトルように聞こえますが、よい友達を持っていることは人生の幸せの大きな要素です。

よい友達をより多く持てば持つほど幸せに生きることができると言っても決して過言ではありません。

そういう意味で、ここで「よい友達をつくるにはどうすればよいのか」ということについて考えてみることはとても大切だと言えましょう。

でも、これまでこのテーマを本気で考えてみた人は意外と少ないようです。

それは心のどこかで、そういう友達ができるかどうかは、ただの成り行き次第だと思っていたからではないでしょうか?

でも、それは違います。よい友達ができるかどうかは自分次第なのです。

では、あらためて、本当によい友達をつくるにはどうしたらよいのでしょうか?

それは、実際は、「何で今まで気がつかなかったのだろう」と驚くほど簡単なです。

そのためには、「自分はどんな性格の友達が“本当に”欲しいか?」ということを心のなかで具体的にしっかりと確かめて(それを整理して、紙に箇条書きにして、すぐに見れるようにするとよいでしょう)、そのような人に“自分自身がなればよい”のです。

「いや、そんな人になるなんて、難しくてできないよ!」と考えないでください。

やってみれば簡単にできます。

誤解を招かないように言っておきますが、そのような人の“ふり”をするのではありません。

こころのなかでよく確かめてみればわかりますが、先に確かめたそのような性格は、実は、自分自身がこころの中でずっと望んでいたことなのです。

これは、そうありたいのだけど・・・、という意味ではありません。それが「自分自身の本当の望みだ」という意味です。

そのことが納得できたら、「自分自身が心の底から望むからそうやるのだ」という気持ちになれて、実際に、そのような性格がどんどん中から出てくるようになるのです。

あなたが心の底から望むような人になれば、自然によい人があなたの周りに集まってくるようになるでしょう。真理(宇宙の法則)はそのように働いているからです。

聖書にも、次のように書かれています。

「それで何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」新改訳聖書 マタイの福音書 7章12節

僕の恩師和田重正先生の「日本を自ら率先して、世界の環境問題の解決と貧困や飢餓や病気、戦争の惨禍に苦しんでいる人々の福祉に国力を挙げて貢献する国にしていこう」という提案(略称:ネホサ:Neo Homo Sapiens : 新人類)もまったく同じ真理に沿ったものなのです。

よい友達をつくるには、自分から仲良くしていく。

自分が理想の友達になる。

「自分はどういう友達がほしいか?」と考え、自ら率先してそのような人になる。

また、私たちが整体ライフスクールでやっている愉気や相互活元運動の根本も同じ真理に沿ったものです。

さらに、人だけでなく、真理は普遍的なものですから、国の在り方も同じです。






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真実は一つ  

真実は一つ  

この世界は不可分一体の世界です。

不可分一体という存在の真実に基づいた観念(思い)が不可分一体観であり、その存在の真実に基づいて生きるとき、それは正しい生き方ということになります。

けれども、存在の真実を正しく理解しないで、「みんなバラバラだ」と思うところから「バラバラ観」という間違った観念(思い)が生じます。

そして、この「バラバラ観」という間違った観念(思い)に基づいて生きるとき、それは間違った生き方ということになります。

でも、間違ってはいても、“それぐるみ”この世界は不可分一体であり、不可分一体という事実そのものは何があっても変わることはないのです。

つまり、何があっても不可分一体の世界しかないのであり、不可分一体の世界から絶対に落ちこぼれることはありません。

その意味で、この世界は絶対安心の世界であると言えるでしょう。

ただ、実際には、不可分一体の世界でその真実に沿って生きれば、スムーズに何の問題もなく生きていけるのですが、バラバラ観を持ち不可分一体の真実に逆らって生きて行けば、本来の川の流れに逆行するようなわけですから、何かにつけて問題が起きて、生きていくこと自体が苦しみと混乱となってしまいます。

それは個人的なことだけでなく、社会的なことについてもまったく同じことが言えるのです。

いずれにしても、この世界には不可分一体という真実一つしかありません。

ですから、そもそも、不可分一体観に沿った生き方とバラバラ観に沿った生き方の二つを同列において、どちらがよいかと論じることはできないのです。

なぜなら、不可分一体は「観念」というよりも、存在の真実(本来の事実)そのものであり、バラバラ観はアタマが描いた妄想(錯覚)にすぎないからです。

この世界には、もともと、不可分一体という存在の真実しかないのであり、それは何があっても変わることがないのですから、真実の生き方をしたいと思えば、誰でも素直に不可分一体の真実に即して生きるだけであり、不可分一体観で生きるか、それとも、バラバラ観で生きていくか、それの二つの選択肢が対等のものとして存在しているわけではありません。

それがあるように思えるとしたら、それは存在の真実(本来の事実)そのものとアタマの思い(妄想・錯覚)を同列の同次元のものと、それこそ、妄想・錯覚しているということです。

要するに、真実(本来の事実)は一つしかないのですが、一方、思い(考え)はそれこそいろいろなものがあります。

そして、思い(考え)には真実に合致した正しいものと、合致しない間違ったものがあります。

存在の真実についていえば、真実に沿った不可分一体観が正しく、真実に沿わないバラバラ観は間違いです。

ですから、いったん不可分一体の存在の真実をはっきりと確認したら、バラバラ観に沿った生き方などもともとはなかったことにすぐ気がつくはずなのです。

この当たり前の事実に気がついたら、素直に不可分一体の真実に沿って行くだけです。

他に、どのような生き方があるというのでしょうか。





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非対立の世界こそ真実の世界  その4

非対立の世界こそ真実の世界  その4
(その3からのつづき)

ネホサの考えに触れた人の中には、「エゴイズム的生き方から転換してノンエゴイズム的に生きていくことはとてもよいことだと思うのだけれども、そのためには大変な努力と頑張りが必要だろう」と思っている人が少なからずいます。

でも、僕は実際はまったくその逆だと確信しています。

ノンエゴイズム的に生きてこられた方々の体験を調べてみてそう思うのですが、個人だけでなく国家についても同じことが当てはまるはずだと僕は確信しています。

まず、自分の国に「ノンエゴイスティックな国にしよう」という理想が掲げられたらみんなどんなに誇らしく思うことでしょう。

そして、そのようなノンエゴイスティックな国では、個人の努力が国家の理想に直結し、その国家の理想がさらに人類の願いに直結しているので、日々勉強や仕事などの自分の努力そのものが喜びとなるでしょう。

一方、バラバラ観に立脚したエゴイスティックな生き方はアタマの妄想で作り上げた上り坂を上っていくようなものですから、何をやっても難しく苦労なのです。

ところが、不可分一体の存在の真実に沿ったノンエゴイスティックな生き方は、もともとそこにあった平坦な道をそのまままっすぐに歩いていくだけですから、仕事や人間関係もどんどん楽しく、スムーズになって行きます。

それでも、「そのような国にしていくためには、結局、現実の武力や駆け引き外交などによって国を守ろうとする政策と“対立”せざるをえないのではないか? それでは“非対立的”やり方とは言えないではないか?」という意見もあるかもしれません。

その端的な表現が「そんなきれいごとを言って、もし、万一他の国が攻めて来たらどうするのだ?」という意見です。

これは完全な誤解です。

ネホサは「今すぐに軍備を撤廃して、国力を挙げて国際環境問題の解決と途上国の福祉に国力を挙げよう」と言っているのではありません。

ネホサとしては、現実の政策論争には“直接には“関わらないで、それはそれとして、現実の政策と並行する形で、「日本をノンエゴイスティックな国にしよう」という機運を国内に高めていこう。そして、将来的に、徐々に世界のどこの国にもなくてはならない尊敬される国になって、軍備がなくてもどこからも攻められる危険のない状況を作っていこう。このようにして、日本が自ら率先して国家エゴイズムを超えて、新しい世界の礎(いしづえ)となろう、というのがネホサの考えです。

では、どうしたらそのようなノンエゴイスティックな理想を日本に掲げることができるのでしょうか?

それは実に簡単です。とにかく、賛同者を増やせばいいのです。そうすれば、後は自然に道が開けていきます。

あなたが「ネホサはよい考えだ」と賛同しているということは、日本のほとんどの方が賛同する可能性は十分にあるということです。

ですから、まずは、賛同者を増やすために、ネホサについての説明の仕方をみんなで研究することから始めればよいと思います。

(おわり)





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非対立の世界こそ真実の世界  その3

非対立の世界こそ真実の世界  その3
(その2からのつづき)

和田重正先生は現代世界の行き詰まりの危機を乗り越え、新しい人類の未来を切り開くためには、「これまでの行きがかり(歴史の因果の流れ)の外に出なければならない」と言われ、また、「これまでの平面を別の平面で切らなければならない」とも言われました。

これは、「この世界はすべてバラバラの対立の世界だ」というアタマの妄想が作り上げた「自国が繁栄しさえすればよいのだ」という虚構の国家エゴイズムをより強固にしていく道を進む限り、私たちはますます行き詰まり、ついには破滅してしまう可能性が強いということです。

それを回避する唯一の道は、「本来、この世界は不可分一体の非対立の世界である」という当たり前の真実に立脚して、「国家エゴイズムを超えて、まず、日本を地球環境問題の解決と途上国の福祉に国力を挙げて貢献する国にしよう」と積極的非対立の国を創造していくことだということです。

これを比喩的に分かりやすく言えば、「喫煙かガマンの禁煙」の生き方ではどこまで行ってもだめだということです。

タバコ問題を根本的に解決するためには、「タバコは実は麻薬である」というその正体を暴いて、「もともとタバコなんて吸う必要はなかったのだ」という当たり前の真実に気付けば、自然にタバコを吸いたい気持ちも消えてしまう」ということと同じです。

吸いたい気持ち自体がなければ、吸わないでいるのにはガマンはもちろん、何の努力も必要ではありません。

それと同じように、「自分さえよければよいのだ」というエゴイズムは「すべてはバラバラである」というアタマの妄想から出てくる思いですから、そういう気持ちになったときの自分の気持ちを点検してみれば、誰でも内心気分がよくないことに気付きます。

それは、自分の本心が望んでいることではないからです。

自分の本心は誰でも「みんなと仲良しでありたい。困っている人や動物がいたら喜んで助けてあげたい」ということです。

本来、みんな不可分一体なのですから、それが当たり前なのです。アタマではないのです。そういう心が集団本能としてもともと私たちの心に組み込まれているのです。

ですから、その内心の声(真心)に素直に沿って生きていくことは、存在の真実、大宇宙の法則(真理)に沿って生きていくことですから、一人一人にとってもっとも容易で楽しい生き方になっていくのは当然です。

それを”国家“に当てはめたのがネホサの提案なのです。

国家は国際社会のもっとも重要な単位であるだけでなく、同時に、国家の体制によって国民の生活や生き方が大きく左右されるという意味で、一人一人の国民の幸福にとっても国の基本的姿勢がカギとなるのです。

ですから、自分の属する国がエゴイズム国家からノンエゴイズム国家に転換すれば、国民一人一人の意識や生き方もエゴイズムからノンエゴイズムへと大きくシフトしていくことになるでしょう。

これがネホサのもう一つのネライです。

(つづく)





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非対立の世界こそ真実の世界  その2

非対立の世界こそ真実の世界  その2
(その1からのつづき)

“アタマの人”は「この世界はすべてのものはバラバラで対立世界である。だから、この世で一番大切なものは自分であり、自分の家族であり、自分の国である」という妄想を真実だと思い込んでいます。その結果、個人的にも社会的にも自ら苦しみと混乱を引き起こしながら生きています。

それは、30年ほど前までは、多くの人が「大人の男の人はタバコを吸うのが当たり前だ。吸わないのはどこかおかしいのだ。吸いすぎには気を付けた方がよいのかもしれないが、タバコはいいものだ」という妄想を当然のことと信じ込んでいたのと同じようなものなのです。

要するに、アタマの人は、「周りの人がみんなそのように言っているから、それは真実である」と思い込んでいるだけなのです。

ネホサは「この世界は、本来、不可分一体の非対立の世界だ」という当たり前の真実に立脚して、「日本が世界に先駆けて率先して、武力でなく平和的手段によって地球環境と途上国の福祉に国力を挙げて貢献する国を目指そう」と提案しています。

ところが、アタマの人は不可分一体の非対立の存在の真実に気付いていないので、ネホサの提案を単なる空想的理想論としか思えないのです。

私たちはまずは、本来、この世界は不可分一体の非対立の世界であることをはっきりと自覚することが必要です。

それは決して難しいことではありません。

仮に、自分の思いが正しいと思っていても、そのアタマの思いをいったん棚上げして、自然界のありのままの事実を本当はどうか?と検べてみればよいのです。

たとえば、同種の動物間で生殖活動のためにオス同士がメス巡って争うということがありますが、通常は相手を追い払ってしまえば、そこで争いは終わります。

また、肉食動物は他の種類の動物を殺して食べますが、必要なだけしか殺しません。必要もないのに他の動物を大量に殺すことなど決してありません。

人間のように同種の動物間でしょっちゅう争ったりもしません。

殺し合うということもないわけではありませんが、それは例外的なことであり、しかも、非常に小規模です。人間のように同じ人間を大量虐殺するようなことは決してありません!!

人間以外の動物はこの不可分一体の非対立の世界で本能だけに従って、他の動物や植物と調和しながら生きています。

本来は、私たち人間も同じなのです!!

これまでの自分の考えをいったん横において、自然界と人間社会の事実を直視し対比するのです。

そうすれば、本来この世界は不可分一体の非対立の世界であり、人間社会の苦しみや混乱は「この世界はバラバラの対立世界である」というアタマの妄想(錯覚)が作りだしたものであるということがはっきりと分かるでしょう。

この真実に気づけば、アタマの妄想は瞬時に、そして、永久に消え去ります。

そうすれば、ネホサの提案がどれほど当たり前で、現実的かつ画期的な考えであるかが分かり、心から感動し、一人でも多くの人に一刻でも早く知らせずにはいられないようになるでしょう。

(つづく)





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非対立の世界こそ真実の世界  その1

非対立の世界こそ真実の世界  その1

僕は20代のときに、和田重正先生の「人類と日本の未来を開くために、みんなで国に理想を掲げよう」という単純明快、現実的かつ画期的な提案(通称「ネホサ」)に深い感銘を受けました。

ところが、この考えに触れても、ほとんどの方がその真意を理解できずに、精々「単なる理想論だ」とか「考え方はよいのだけれども実現は難しいだろう」というような感想だけで終わってしまっています。

それは、いかに現代人には“アタマの人”が多いかということです。

分かりやすく、いつものタバコで説明しましょう。

“アタマの人”というのは、「タバコには望ましくない副作用はあるけれど、なくてはならない人生の支えだ。吸いたい」という妄想で作り出した価値観で生きている人です。

ですから、アタマの人は、「やめた方がよいのだけれども、と思いながら、まあ1本吸おう」と喫煙の道を歩み続ける人と、「吸いたいけれども、健康に悪いのでやめなければ」と思い、意志の力で吸いたい気持ちを押さえつける禁煙(ガマン)の道を選ぶ人に分かれます。

それに対して、“事実の人”というのは、それまでタバコを吸ってきたのだけれども、「もともとタバコは必要でも吸いたいものでもなかった」という当たり前の真実に気付いて、「やめた!」とすっきりとタバコをやめて生きていく人です。

つまり、アタマの人は、「本来、タバコの正体は麻薬であり、必要なものではない」という真実に気付いていないので、喫煙続行かガマンの禁煙かの道を選択する以前に、「本来、タバコは必要なものか、必要ないものか」)というもっとも根本的な選択の分岐点があることに気がついていません。

ですから、「タバコをやめるには、ただやめればよいのだ」と言っても、アタマの人には何か空想的で非現実的な発想だとしか思えないのです。

それと同じように、戦争と平和というテーマに関しては、“アタマの人”は「この世界は対立世界である」と思い込んでいます。

ですから、そこでは「戦争はしない方がよいのだけれどもと思いながら、場合によっては、戦争はやむを得ない」という武力で国を守る道と、「戦争になるのはまずいので、武力でなく駆け引き外交で行こう」という駆け引き外交で国を守る道と、その二つを適宜使い分けたり、一緒に使ったりする三つの道があります。

けれども、アタマの人は、武力、あるいは、駆け引き外交か、あるいは、それらの併用の道を選択する以前に「本来、この世界は対立の世界であるという考え(実は、妄想)に立脚したやり方で行くのか、それとも、この世界は非対立の世界であるという存在の真実に立脚したやり方で行くのか」というもっとも根本的な選択の分岐点があることに気がついていません。

ですから、「まず、自分たちの日本を自ら世界に先駆けて、地球環境問題の解決と途上国の福祉に国力を挙げて貢献する国にし、世界の国々になくてはならない国にしていこう」という不可分一体の非対立の真実に立脚したネホサの提案は単なる空想的理想論としか思えないのです。

(つづく)





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人が一番求めているもの

人が一番求めているもの

私たちは人生のいろいろな場面でいろいろなものを求めて生きています。

それは人によっても、また、その時々の状況によっても異なります。

けれども、「結局は何を一番求めているのか?」と問われれば、多くの方々には、「幸福」とか、「平和」とか、「自由」というような言葉が浮かんでくるのではないでしょうか。

でも、「もっと直接的に、もっと感覚的には、何を一番求めているのか?」と訊かれれば、どうでしょうか?

僕は、それは「安心」だと思うのです。

人は何より「安心」を求めているのです。

幸福や平和や自由などはその安心を成り立たせるために必要な要素なのだと思います。

でも、幸福や平和や自由などはもちろんとても重要なことですが、そういうことだけでなく、日常の生活においても、人は何よりももっと直接的、そして、感覚的に安心を求めて生きています。

それは、例えば、のどが渇いているときに水を飲むとホッして安心するというようなことです。

人はいろいろなものを求めて生きていますが、同時に、というか、その根底ではいつも安心を求めて生きているのです。

たとえば、スモーカーはタバコを吸わなければ、ホッとして安心できない、つまり、「タバコがなければ安心して生きていけない」と思い込んでいるので、それが禁煙を非常に難しいものにしています。

まだ、ほとんどの人がその事実に気がついていませんが、実は、お酒(アルコール)もタバコと同じです。

アルコールは神経を麻痺させ、ストレスを一時的に感じなくさせるので、ホッとできような錯覚をしているだけなのです。でも、ほとんどの人がその安心もどきの精神状態を求めてお酒を飲むのです。

このように、この社会では、多くの人々が錯覚した“安心”を求めてタバコやアルコールを繰り返し繰り返し摂取し続けています。

でも、それはタバコやアルコールに限りません。

いわゆる、いい学校に入り、いい会社に入り、いい社会的地位に就き、経済的に豊かになり、などということも、結局は、安心を求めているのです。

でも、それらは、状況次第で変わり、根本的に不安定なので、不安になって手に入れたものに執着したり、もっともっと安心できるものを求めようとします。つまり、一時的な安心しか手に入れることができないのです。一時的なはかない幸福感と言ってもよいでしょう。

それは、根底に、「どこまでも何かを手に入れなければ安心できない」という錯覚があるからなのです。

けれども、真実は、私たちは誰でも初めから、そのままで、こころから大安心して生きていてよいのです。

何か欠けていると思うから、それを手に入れなければ安心できないと錯覚しているために、いつも不安を抱いて、もがきながら生きることになるのです。

私たちはタバコやアルコールがなくてもすっきりと生きていくことができます。

同様に、いい学校や会社に入らなくても、経済的に豊かにならなくても、いや、そのようなものに頼らないからこそ、大安心で生きていけるのです。





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