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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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自覚のセミナー感想文  Bさん

自覚のセミナー感想文  Bさん

「変わりたい、でもどうやったら変われるのだろう。このままで良いわけない。」

大人になってから今までずっと、そんな風に思ってきました。

私はコンプレックスが強く自分に自信が持てなくて、自分のことがあまり好きになれませんでした。

数年前から現在の会社で働き始め職場の人間関係には恵まれており、昨年から奈央先生の整体に通い始めてから徐々に「自分のことを好きではない」感情は軽減されてきましたが、それでもまだ、何かあると落ち込んで引きずってしまうこともあり、どうしたらこの先の生活を楽しく過ごせるのかを考えてきました。

「自覚のセミナー」へ参加することが決まり、楽しみな気持ちと不安な気持ちが入りまじっていました。

すでに「自覚のセミナー」を受けている周りの知人達からは、受けて良かったとの感想を聞いていたのですが、具体的なセミナーの内容は伏せられていたので、ワクワクする期待感や、私自身が捻くれているため、みんなのように素直に色々と受け入れられるのだろうか…、などの気持ちを抱きながらセミナーを迎えました。

セミナーは合計5日間行われますが、今まで自分が持っていた固定概念に縛られ過ぎて、最初のうちは昇平先生がお話されている内容がつかめず、頭のなかは「?」マークがぐるぐると回っている時間が長かったと思います。

セミナーの3日目ころまでは、心が開いたと思ったらまた閉じてしまったり、素直になれない時があったりで、様々な感情に振り回されていました。

途中、マイナスの感情にがんじがらめになり、自分はセミナーに何をしに来たのだろうかと不安になったりもしました。

ですが、昇平先生がヒントを与えてくださり、自分で考え参加者の皆さんの意見を聞いていくうちに、今までのコンプレックスや怒りや悲しみの感情は自分の心が勝手に作り出して思い込んでいただけで、実際の「事実」を見つめて受け入れ、自分も相手もバラバラではなくひとつなんだと気が付くことが出来ました。

今までの人生は、自分の思い込みでマイナスの感情に侵されていた時間が多かったけれど、これからは自分次第で楽しくもなれるのです。

「こんなこと言ったら間違っているかも…」と思って自分の発言を控えてしまうことが多いのですが、「とにかくやってみよう」と先生はお話してくださいました。

そんな風にマイナスに考えているのはきっと自分だけだし、一歩踏み出してみれば段々とそれが自然にできるようになってくる、と思えるようになりました。

私の人生は他の誰にも操れなくて、私自身で良くしていくのです。そしてそれは明日から始めれば良いことではなく、今から初められるのです。

時には意見の食い違う相手も出てくるとは思いますが、事実をよく調べて相手に素直な気持ちで伝えれば、理解を示してくれる。私たちはひとつなのですから。

4日目辺りから急速に目の前が開けたような感じになり、5日目のセミナー終了時は参加した皆さんとの絆も生まれ、とても楽しく充実した大切な日々となりました。

セミナーを受ける前の不安な気持ちはどこへやら、終わった時はすっかりすがすがしい気持ちになっていました。

そして、日常の生活に戻り1週間が過ぎました。

今までのマイナスに考えてしまう癖がまだ強く、物事を斜に構えて見てしまうこともまだありますが、そんな時はまず一歩引いてその物事の「事実」を見て、よく調べるようになりました。

自己嫌悪や怒りが湧いてきたときには、この気持ちは勝手に自分が作り出しているだけで事実は違う、ちょっと待って、という風に冷静になれるようになってきたと思います。

自分はまだまだダメだな…、と一瞬感じてしまいますが、その感情を引きづらなくなっています。

今までの自分が、どれだけ感情に振り回されて事実を見ることがおろそかになっていたかを痛感しています。

これからは、「事実をよく調べる」という癖をつけていきたいと思います。

そして、頭で考え過ぎずに心を開いて人と接したいです。

今まで閉じてきたので、「心を開くこと」は私の今後のテーマです。開いている人を勝手に羨ましく思ってきましたが、自分にもそれができるのです。

今後も央先生の整体にも引き続き通って、心身共に健やかな人間になって生きていきたいと思っています。

5日間、親身になってセミナーを開催してくださった先生方と係りの方、本当にありがとうございました。

これからの人生、楽しくなりそうです。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします!





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自覚のセミナー感想文  Aさん

自覚のセミナー感想文  Aさん

私は20年間一般企業で働きました。大量生産・消費、人より効率を優先する働き方などに疑問と違和感をもちながらも、ミッションを遂行せざるをえない日々。一方で、世界の動きを知るほど、戦争や原発、農業や健康など取り巻くことのほとんどが既得権益や政治経済の手段になり、自分もその加担者になっていることがわかります。怒りと責任を原動力に反対運動やその種のNPO活動を行っていました。その後、心に従い、退職を決め、地域活動に専念することにしました。これは最初のスタート、10年前のことです。

ところが、ある時、そのような活動や組織も、私が違和感を感じていた大きな社会と同じ構図だということが見えてきました。やっていることはいいのですが、自我、権力、依存という面で、構図は同じではないか。思い描く世界と、そうはいかない現実のはざまで葛藤しているなか、父の急な発病と死が重なり、自己免疫疾患であるリウマチに罹患し、全身の痛みと消耗で寝たきりの1年間をすごしました。

それまで邁進していた活動をすべてやめざるを得ない状況と、ずっと心に残る葛藤を抱えたまま逡巡している病み上がりの時に、片浦での活動のきっかけをいただいたのが第2のスタート、5年半前のことです。そして、自分の関わる小さな範囲でいいので、とにかく既存の社会とは違う別の枠組みの社会を創りたいと今の活動を始めました。

和田重正先生が説かれた「けちくさい根性をだすな」「いいことはやる」「ただやる」「出し惜しみはしない」ということをいつも心に邁進してきましたが、活動が軌道にのり、関わる人も喜んで、私自身も楽しみ悦びを感じるのに、それを覆う疲労感と責任の重さ、日々消えることのない緊張感に消耗していくのがわかりました。

想いに従い活動を深めているのに、なんでこんなに消耗するんだろう。なぜ、全てをやめたい気持ちにおそわれるのだろう、、、そんな混乱を察知されたのか、Mさんが差し出してくださった手が、奈央先生の整体セミナーです。そこには、奈央先生や先輩たちの存在に全面的に「委ねる」ことができると安心感と、心身が快復していく実感がありました。

ところが、日々に慣れると心と頭が抱える混迷は消えず、活動が進むほどそのぐるぐるが強化していきます。そして昨年の12月から再びリウマチの症状が発症。これでは7年前の繰り返しじゃないか。新たなスタートをきったはずだったのになぜまたこういうことになるのか、自分のへその緒で自らの首をぐるぐる縛っているような苦しさでした。

私のこれまでの経験や思考、本で読む賢人からの知恵では、ぐるぐるするばかりで解決の糸口は見えない、もう、心の持ちようとか小さなモデルチェンジでは解決しない、スカンと全部頭ごと心ごと入れ替えたい、混濁の真っただ中にいました。4月末までの私です。
そして迎えた5/1~5までの自覚のセミナー。

途中、自分の癖を再認識したり、“あっ”という気づきがあったりしましたが、はっきりとこれまでの考え方から組み合え起こったのは、3日目の「できる、できない」の問いと、最終日の右の世界と左の世界のところです。

私は第2のスタートの時に、これまでとは違う構図、つまりバラバラではなくつながりのある社会という構図を自分の身の回りから創造したい、と決意して邁進してきたつもりが、実はずっとバラバラの世界の中でぐるぐるしていたということにハッとしました。

まずは、創造するということ時点が右の世界だ。右の世界を意識的に抜けたと思っていたのに、実のところ、ここにどっぷりはまっていたのだ。
人々を束ねよう、創造しようという力み、関わる人が悦びを感じれるようにという想い、これらはすべて、バラバラ感を元にする自我や不足感からくるものだったんだ、だからあんなに消耗や重荷があったのか。

頑張って満たさなきゃならない、希望のもてる未来を創らなければならない、これらはすべて、今が満ちてないという前提のもとにあった、だから不必要にアドレナリンを出し続けたのか。

既に私達も社会も満ちている、そこに無理やり力を施して何をやろうとせず、既にできてるんだから、あとはただやればいい。
この「ただやる」ということをこれまでも何度も聞いていながら、ここでようやくその真理を体得できたように思います。

「一体感」「つながり」、このような言葉は世の中にあふれていて、わかったつもりで真意を分かってなかったです。わからないから、こういう言葉を使いながらも同じ構図の中で同じあやまちを繰り返すことになりました。

それは考え抜いた末にしぼりでてきた結論とか、苦しみぬいて悟りを開いたということではなく、ふっと肩の力がぬけるように、訪れました。長い時間をかけて熟成させるとか、考え抜くとかそういう余計なエネルギーはいらなかったわけです。

でも、世の中、シンプルなことを見極めることほどこそ、本当に難しい。
それを、たった5日間で、悟りを得るような事実が起こったことが不思議でなりません。
究極にシンプルな問いの連続と、集中とリラックスの間合いと、お茶の時間や夜の時間の安らぎと、そこにいない多くの方々から見守られているという愛情の重層感と、全てが関連しあい織りなす先に、あの気付きがあったと思います。

そして、一つ一つ納得しないと前に進めない面倒くさい私ですが、昇平先生、えりかさん、Yさんが、いとうこともなく、ひとつひとつ丁寧に向きあってくださったおかげで全面的に委ねることができ、左の世界を実感できるまでにいたりました。

通常は、面倒くさがってここまで向き合ってもらえないし、こちらも遠慮し消化不良で終わってしまいます。
こういう関係性の世界があちこちに紡がれていけば、どんなに楽に生きることができるでしょう。楽に生きることができれば、真理に近づきます。そういう人やコミュニティが増えれば、大きなパワーなくして、どこにも依存せず各々が本来の力をだしあい活かしあう社会ができるのだなーと思います。
そして、それが、私が、すっと思い描いてきた社会なのです。

セミナー後の具体的な状況を一つご報告します。
私は毎晩夜中に全身が炎症して暑さと汗でふとんをはいでしまうのですが、セミナー以前は毎夜中目覚めてはこういう思考でした。
“ふとんをはいでしまったせいで冷えて、朝ますますカラダが痛くなる。それを知っているのに、なんで布団をかぶせなかったんだろう”
“いやいや、ここは発想の転換をして、途中で目覚めたことを前向きにうけとり、今からふとんをしっかりかぶって寝ろということだろう”
等々、些末なことにも、まず、いちいち反省やら前向きに転換しようなどということをやる、そんなこと考えているうちに、頭がいそがしくなって眠れなくなり、朝目覚めてもどっぷり疲れている、なんてことが常でした。

でもセミナー以降の今はこうです。
“ふとんをはいでしまった。あー、そうか、ふとんをかけて寝よう。”
ただそれだけ、いちいち、行動の意味づけをしない。

あー、それがどれだけ楽なことか。今までは気が付くと寝ている間もご飯を食べてる間も肩がこわばっていたのに、今は楽ちん。私もこんな風になるんだー、気持ちも体も軽くなって、帰宅後2日目から夜は炎症が起きず眠れています。

そして、これまで一人で頑張ってきたような錯覚がありましたが、なにをなにを、たくさんの友人、知人、家族の愛情や想いや尽力のもとやってきたのだ、なんてありがたいことか、という感謝の気持ちに満たされています。

バラバラ感からのスタートではなく、「すでにもう満ちている」ことからのスタート。
だから、不足を満たすためにより省みたり、より段取ったり、より頑張ったりする必要はない。だって「すでに満ちている」んだから。その基盤の上で「ただやればよい」。

今思うのはただそれのみです。でもそれは強い信念のような固いものではなく、繭とか綿のようなふわふわして弾力のある光が透けて見えて柔らかい、でも確固としたものです。
小さな畑をやっていて思うことこですが、種をまいて芽吹いたら、特に肥料をほどこしたり草刈りを完璧にしなくても、陽を遮る草を刈って、必要なだけの水をあげて、とにかく生育を妨げる、遮断するものを取り除き、必要最低限のことをほどこせば、種の設計図のまま育っていくことを感じます。

今回は、自分を遮るものがよくわかった。
これからも、つい自ら進みを遮断してしまう癖の沼に足をとられず、「いまのままで既に満ちている」、だから、意味づけや原因を深追いせず「ただやればいい」という感覚を大事に歩んでいこうと思います。

そして重ね重ね、セミナーの日だけではなくそこに向かう準備の時点から、またセミナー中に姿がなくても、ともにそこにいて見守って下さっている先輩や同志の方々の厚情、そして、セミナー中やセミナー外で起こった小さなできごとさえもきめ細かく正しく共有し伝わっている層の厚い基盤という安心感を、どうもありがとうございました。
これが本当の「愛」てやつだと思いました。





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自覚のセミナーの感想文について

自覚のセミナーの感想文について

次回より、ゴールデンウィーク中に開催した「自覚のセミナー」に参加された方々の感想文を掲載します。

ただ、セミナーの内容については、その説明やそこで体験されたことを具体的に書くと、今後参加したいという方々に不必要な先入観や誤解を与えてしまう恐れがあります。

そこで、そのような懸念を感じるような箇所は、実は、ほんの少ししかないのですが、本人が書かれた意図を損なわない範囲で、僕が多少表現をぼかしたり、場合によっては、削除したりさせていただいたところもあるということを、ご本人にも、また。それを読まれる方々にもご承知いただきたいと思います。


さて、今回の自覚のセミナーの結果については、僕自身とても素晴らしいものだったと思っています。

ただ、セミナー中にも、また、参加者のみなさんの感想文を読ませていただいて感じることは、「セミナーが終了したときが、セミナーの出発点でもある」ということです。

ここで参加者のみなさんに言っておきたいことがあります。

セミナーで「よく分かった」と思っても、実際の生活の中でいろいろなことに直面して、「本当はまだまだよく分かっていなかたのだな」というようなことをたびたび体験されるでしょう。

でも、そこでガッカリしてはいけません。それは当然のことであり、同時に、むしろ喜ぶべきことだと捉えて欲しいのです。そして、何ごとにもいつも自分をゼロにして、「本当はどうか」と、明るく爽やかに取り組んでいってほしいと思います。

その姿勢こそセミナーを通して一番学んでほしいことだったのです。

言葉を変えれば、本当は、誰でも、いろいろな物ごとにきちんと対応して、処理し、問題がある場合にでも、それを乗り越えていく能力が備わっています。そのことに、皆さんはセミナーを通して気がつかれたはずです。

ですから、今後は自分の中にあるその力を信じて、自分の足で立って、人生の大道をしっかりと足を踏みしめながら歩いていってほしいと念願しています。

参加者のみなさんについて、それぞれ「こうしたらよいと思うのだが」という思いが僕のなかにないわけではありません。

でも、それをみなさんに忠告めいてお話しすること自体、みなさんの迷惑になることはあっても、決して、益するところはないということを、僕は充分知っているつもりです。

今後、いろいろなことにおいて、「どうしたらよいか」分からなくなってしまうようなことがあったとしても、その時こそ、本来の自分自身に戻るチャンスであり、また、そうすることで解決への道が自然に見えてくるということを、みなさん自身が体験すること、それこそが、みなさんの本当の成長に繋がっていくのだと思います。

(この文章は以前に「自覚のセミナーについて」として書いたものと同じものですが、改めてそのまま掲載します。)





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幸福の輪

幸福の輪

ある国で“幸福の輪(通称:ワッカ)”というのものが流行っているそうです。

どんなものかと言えば、ワッカをアタマに装着し、ストレスを感じたり、何か落ち着かないとか不安だ、集中力が欠けてきたなどというたびに、ワッカに付いているスイッチを押すと、途端にリラックスし幸福な気持ちになるというのです。

私たちが毎日の生活においてもっとも求めているものは“安らぎ”です。それが、スイッチを押しさえすれば、すぐに手に入るというわけですから、ワッカはそれこそ飛ぶように売れているのです。

多くの人が食事をするときも、床に入っても、四六時中ワッカを装着して毎日生活するようになり、ワッカは人々の間になくてはならないものになりました。

ところが、ある時、ある医学研究チームによるワッカは脳卒中の原因となるという研究発表を発端として、多くの医学的検証がなされ、ワッカがいろいろな重篤な病気を引き起こす可能性があることが広く人々に知られるようになったのです。

そういう風潮の中で“禁スイッチ”に挑戦する人がたくさん出てきました。

”禁スイッチ“とは「安らぎを得るためにスイッチを押したいという気持ちを精神力でガマンする」ということでが、これがなかなかうまく行かないのです。

人々にとってワッカは喜びでありこころの支えなのです。ですから、どんなに健康に悪いと言われても、本音の部分ではスイッチを押すのをやめたくはないからです。

ところが、最近になって、ある科学研究チームがワッカの構造の解明に成功したそうです。
その報告によると、ワッカを頭部に装着してスイッチを押すと本人が気がつかないうちに,輪が時間を掛けて少しずつ閉まり、何か不安で落ち着かない気持ち、つまり、ストレスが生じる。

でも、そのストレスは一般のストレスと同じような感じなので、本人はワッカがそのストレスを作り出しているとは思わない。

そういう状態でスイッチを押すと、プロセスがリセットされ一旦輪が緩んでもとに戻り、ホッとする。

そして、再び本人が気がつかないうちに輪が少しずつ閉まっていき、ストレスが生じる。スイッチを押すたびにこのプロセスが繰り返されるというのです。

つまり、ワッカは日常生活の中で生じる普通のストレスを解消するどころか、ワッカが余計なストレスを作り出していたのです。

ワッカの正体がわかってしまったら、誰でも思わずワッカを頭からはずでしょう。

そして、二度と着けたいとは思わないでしょう。

着けないでいるのになんの努力も必要ありません。

このように、ワッカの価値観を持ちながら、“禁スイッチ”をいくら頑張っても、その延長上には“脱ワッカ”はありません。

すなわち、「ワッカから根本的に解放される」ためにはワッカをはずす、つまり、ワッカの価値観の間違いに気づき、それを捨てればよいのです。

以上はもちろん架空の話ですが、同様に、バラバラ観を持ちながら、いくら頑張っても、その延長上に「真に幸福な人生を生き、真に平和な世界を実現する」ということはありえません。

私たちが不可分一体の存在の真実に気づくこと。そこから、すべてのよいことが始まりまるのです。





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奇妙な喉アメ

奇妙な喉アメ

ある日、突然咳が出てなかなか止まらなくなりました。

その時一緒にいた友人がポケットから小さな箱を取り出して言いました。

「このアメを舐めるといいよ。すぐに咳が止まるから」

アメを舐めると、本当にあっという間に咳は止まって喉がすっきりしました。

そう言うと、友人は「よかったらあげるよ。また咳が出るかもしれないからね」と箱ごとアメをくれました。

2,3日後再び咳が出ました。

早速あの喉アメを舐めたらすぐに咳が止まってすっきりしました。

その後も同じようなことが何度も起きました。

その度に僕は思いました。

「この喉アメは本当にすごいなあ」と。

ある日、また咳がしつこく出たので、箱の中を見るとアメが一つも残っていません。

それで友人に電話すると、「あのアメはどこのコンビニでも売ってるよ」と言うのです。

僕はすぐ近くのコンビニに駆け込み、その喉アメを買い、1粒舐めました。

咳は魔法のようにすぐ止まりました。

それ以来、僕はどこに行く時でもその喉アメをいつも身に付けて持ち歩くようになりました。

咳が出たときにアメを舐めさえすれば、すぐに咳は止まりとても気分がよくなります。

でも、だんだん体の調子が悪くなっているのでしょうか、その後咳の出かたもどんどん激しくなり、咳が出る間隔もだんだん短くなってきました。

「このままだと毎日毎日一日中激しい咳が出るようになってしまうのではないか?」と不安でしようがありませんでした。

そんな不安な毎日の中で唯一の救いはそのアメだけでした。なにしろ1粒舐めるだけですぐに咳が収まり、とても気持ちよくなってしまうのですから。

そのような日が続いていたある朝、新聞で「咳とある喉アメについての驚くべき発見!」という記事が目に飛び込んできました。

読んでびっくりしました。

その記事によると、「最先端の科学技術を使った研究の結果、この喉アメを舐めると、喉のいがらっぽさがすっと消えるように感じる。しかし、実は、本人が気がつかないうちに、この喉アメが喉の粘膜を荒らし、咳を誘発して起こさせているのである。この喉アメこそが咳の原因であり、咳を止めるにはその喉アメの使用を止めればよい」というのです。

誰でもこの喉アメの正体を知ったとたん、舐めたいという気持ちは消えてしまうでしょう。

この喉アメの使用を止めるのに意志の強さもガマンも何の努力も必要ではありません。

決断は一瞬のうちにやってきます。そして、その気持ちは一生続くでしょう。

喉のいがらっぽさや咳はそのうちに自然に治ってしまうでしょう。

この喉アメの話は作り話にすぎませんが、実は、私たちの個人的、社会的苦しみや混乱の根本解決ための方策もパターン的にはまったく同じなのです。

しかも、その実現が容易であることもまったく同じです。

それはこの世界の真実の姿(正体)が不可分一体であることを見抜くということです。

そこから、新しい世界に向けてすべてが“自動的に”展開していきます。

“いのち”の世界はもともとそのように出来ているからです。






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五感とアタマはどこまで信用できるか?

五感とアタマはどこまで信用できるか?

通常、私たちは私たち自身の感覚とアタマによる認識力と判断力を頼りに生きています。

でも、それは本当はどこまで頼りになるものでしょうか?

たとえば、「暑い夏、ひと仕事を終えて飲む1杯の冷たいビールは喉の渇きを癒してくれる」と思っている方は非常に多いのではないでしょうか。

でも、本当にビールは喉の渇きを癒してくれるのでしょうか?

正解は「イエス アンド ノー」です。

最初1杯のビールを飲んだ後は喉が癒されるのは確かでしょう。

ビールはアルコール飲料ですが、ビールの95パーセントを占める水が喉の渇きを癒してくれるからです。

ですから、ビールを飲んでしばらくすると、アルコールには脱水作用があるので、ビールを飲む以前よりももっと喉が渇いてきます。

そこで、2杯目のビールを飲むと、その中に含まれる水によって喉の渇きが癒されます。

でも、ふたたびアルコールの作用で喉が渇いてきます。

こうして、ビールを何杯も飲み続ける人が多いのです。

どれだけ飲んでも、ビールでは喉の渇きは癒されないのであり、ビールが喉の渇きを生じさせるからです。

(本当は、喉の渇きを癒そうとすれば、最初にコップ1杯の水を飲めば済むのですが・・・。)

これまで何度も説明しましたように、タバコも同じです。

タバコはストレスを解消することはできません。タバコがストレスを生じさせるのです。

私たちはしばしばこの社会の中で生きていくなかで、気がつかないうちに真実でないものを真実であると洗脳されていたり、個人的に誤解したりして間違った観念を持つようになります。

ある事柄についての感覚が間違った観念により生じている場合には、その感覚とそれに基づく認識や判断は当然間違ってしまいます。。

私たちは個人的にも社会的にも解決しなければならない問題に次々に直面しながら毎日を生きています。

問題を根本的に解決するためにも、私たちは何事も「自分自身がそう感じるのだから絶対間違いないのだ。あるいは、みんなそう言っているのだから間違いないはずだ」などと決めつけないで、「もしかしたら間違っているのかもしれない。本当はどうか?」と、いつもこころを開いて事実を見て、常に物事を正しく認識し的確に判断して行動しなければならないと思います。

今日、科学技術の進歩には目覚しいものがあり、生活面ではますます便利・快適な社会になってきていることは事実かもしれません。

けれども、その他のことでは、私たちは個人的にも社会的にもいろいろな深刻な問題に囲まれながら生きています。

その根本原因は私たち人類の社会には多くの間違ったことが当然正しいこととされいるからです。

そういう意味で、私たち人類の社会とその文明はまだまだ非常に遅れた発展段階にあると言えるのではないでしょうか。

この事実をはっきり認めることこそ、個人的として幸せに生きるためにも、また、みんなが幸福で平和な社会を築いていくための出発点であると思います。






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イージーウェイ

イージーウェイ

イギリスのアレン・カーはベストセラー『Easy Way to Stop Smoking』(『禁煙セラピー』)で タバコをやめるための“イージーウェイ”という画期的な方法を提唱し、素晴らしい成果をあげています。

彼はこれまでタバコをやめるのがとても難しいと言われてきたのは、方法が間違っているのだ。ちゃんとした方法、つまり、イージーウェイ(易しい方法)を使えば、誰でも簡単にタバコをやめられると言っています。

彼のイージーウェイのポイントは次の3点です。

1 「タバコは喜びや心の支えである」というタバコに対するプラスの価値観を持ちながら吸いたい気持ちを精神力で押さえつける“ガマンの禁煙”ではタバコはやめられない。

2 吸いたい気持ちをガマンするのではなくて、「タバコは喜びや心の支えであるどころか、逆にタバコがストレスや苦しみを作り出しているのだ」という“タバコの正体”をはっきりと見抜くことが大切である。

3 こうして、タバコに対するプラスの価値観がマイナスに転換すると同時に、タバコを吸いたい気持ち自体がなくなるので自然に、そして、楽にタバコはやめられるのである。

僕も自分のタバコをやめた体験と重ね合わせて、彼の言うイージーウェイに全面的に賛成です。

実は、このイージーウェイは「世界の平和はどうすれば実現できるか」というテーマにもそっくりそのまま当てはまるのです。

多くの心ある方々の尽力にも関わらず、私たち人類は今日まで何千年もの間戦争や争いを繰り返しており、いまだに、世界の平和を実現する有効な方策は見出されていません。

それどころか、科学技術産業の発達、経済の肥大化によって事態はますます深刻になって行っています。

このままでは、私たち人類はいつの日にか破滅してしまうかもしれません。

これは一体どうしたことでしょうか?

何十億年という生物進化の頂点にいる私たち人類はただ破滅に向かって進んでいるこの状況を有効な打つ手もなく、ただもがきながら、見つめていることしかできないのでしょうか?

僕は断固として「否!」と言います。

これはこれまでの方法が間違ってからなのです。それは現在までの歴史がはっきりと証明しています。

私たちはこの事実を率直に認めるところから再出発しなければなりません。

では、世界の平和を実現する正しい方法とはどういうことでしょうか?

それは「私たちの存在はバラバラではなく、不可分一体である」という私たちの正体(存在の真実)をはっきりと見抜くということです。

この存在の真実に気づき、他と争うのではなく他を助けて行こうという人がどんどん増えると同時に、他の国と争わないで、自分の国と同じように他の国を助けて行こうという機運が活発になれば、バラバラ観を基盤(土壌)としていた戦争や争いはこの世界から急激に消滅していくでしょう。

私たちはすでにそのための有効な手段を開発し実行しています。

それは自覚のセミナーと「国に理想を掲げよう」という活動(ネホサ)です。

このように、世界平和の実現のカギはすでに私たち一人一人の手の中にあるのです。

これが僕の提唱するイージーウェイ(Easy Way to Stop Fighting)です。





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