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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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宇宙の進化の方向とその原動力

宇宙の進化の方向とその原動力

大宇宙そして大自然は常に調和に向けて自らを整えています。その力が自らに備わっているのです。

時々調和が乱れたかのように見える“揺らぎ”の現象が起きますが、その都度、大自然はその“揺らぎ”を乗り越えて、より密度の高い調和した状態を自らを整えながら創造しています。つまり、進化していくのです。

大自然の中では、人間が作り出した肥料や農薬や機械や人間の作業を使わななくても、植物は数々の自然災害などの“揺らぎ”を乗り越えてより高度の調和と繁栄を創造しています。

たとえば、この世界に残っている深い森の中に入って行けば、今でも、人間の手とはまったく無関係に、自然に芽生え、成長して、今ではとてつもなく大きな木に成長した樹木を発見することができます。

福岡正信先生の無為自然の農法は大自然のなかの植物が自らを整え、調和・繁栄する原理に即した農法です。簡単に言えば、「基本的には、何もしない農法」であり、米その他の作物は大自然の中の植物と同じように、自然に目が出て、茎が伸び、生育し、実を着けます。

同様に、大自然の動物は自らの体を自ら整え健康に生きています。人間の体も、本来自、ずから整うようにできているのです。

私たちにはそのような機能と能力がもともと備わっています。病気と言われる”揺らぎ“が生じても、自らそれを克服し、それによって、以前よりもいっそう健康になっていきます。

ただ人間の体に備わった大自然、あるいは、大宇宙の智慧のハタラキに任せることが真の健康への道なのです。

小さなアタマで「やれ、薬だ、やれ、注射だ、やれ、手術だ」などと、自然のハタラキを邪魔すれば、いつまでも健康になれません。

この生命の原理に即したものが野口整体、すなわち、「健康の自然法」です。(注意:「自然の健康法」ではありません。)

大宇宙の星々の整然たる秩序見よ! 大自然の調和と繁栄を見よ! そして、小宇宙である人間の体を見よ!

このいのちの世界は自らに内在する自動調整機能によって健康・健全に保たれ、困難を乗り越え進化し続けています。
  
本当はこの人間の世界も同じなのです。

私たち人間が小さなアタマで「ああだ、こうだ」とその本来のハタラキを邪魔するために、いつまでも健康な社会、真実の幸福・平和社会ができないのです。。

でも、それらの”揺らぎ“があってこそ、それを大きく乗り越えていく動きが、私たち、そして、この世界の”中から“発動し、人間の世界はより調和した世界に進化していくことができるのです。

そういう意味で、私たちは本来何も心配しなくてもいいのです。

個人的な病気、人間関係その他の苦しみや争い、社会的な争い、環境の破壊なども、本当は、でたらめに起こっているのではありません。

ですから、本当は、何があっても大丈夫なのです。すべては起こるべくして起こり、この世界はより調和した世界に向けて常に進化し続けているのですから。

でも、でたらめに生きても自分も人も苦しいだけです。

一人一人が進化の方向に素直に沿って生きること、それが真の幸福というものです。





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妄想社会  その2

妄想社会  その2

(その1からのつづき)

ほとんどの人々はバラバラ観とそれから派生したいろいろな観念を当然とする社会の中に生まれ育ち生きてきたので、それらが間違った観念・妄想であるなどとは夢にも疑わずに当然のこととして生きています。

ここで、便宜的に不可分一体である本来の在り方の世界を「左側の世界」、バラバラ観を基盤とする世界を「右側の世界」、と呼ぶことにしましょう。

同じ右の世界においても、その妄想の激しさやそれによって引き起こされる行為や現象の激しさの度合いによって、激しいものが「右側の右」、穏やかなものが「右側の左」、その中間が「右側の中間」と大まかに分かれます。

「右側の右」というのは、例えば、個人的には強い憎しみや嫉妬、非道な殺人、社会的には企業間の熾烈な競争、テロ、国と国との戦争などです。

「右側の中間」というのは、例えば、対人関係のもつれやいざこざ、学校の成績、職場での出世競争などです。

「右側の左」というのは、例えば、個人的には孤独感や羨(うらや)み、家庭内のちょっとしたいざこざなどですが、「右側の右」に対して“対立的に“反対する思いやそれに基づく運動も入ります。

平和運動だから不可分一体観に基づく「左側の世界」の生き方ではないかと思うかもしれませんが、 “対立的“である限り、それは本質的にはバラバラ観を基盤とした「右側の世界」の生き方であり、決して、バラバラ観から脱却したものではありません。

このように、バラバラ観を持って生きている人々は、その時々の状況に応じて、個人的、あるいは、社会的な判断に基づいて、右側の世界の「一番右」と「一番左」の間のどこかで生きています。

以上の構図的説明は非常に大雑把ではあるのですが、私たちの存在に対する意識とそれに基づく生き方や社会の在り方を意外にうまく説明できるようと思います。

この構図から見えてくるのは、ほとんどの人が病気の症状の程度の差はあっても、同じ“バラバラ病”という精神病に罹っているということです。そして、問題はほとんどの人が自分(たち)がそのような精神の病いに罹っていることにも気がついていないということです。

これは、数十年前までは「タバコは喜びであり心の支えでであり、大人の男性がタバコを吸うのは当然のことである」と言われていた個人的、社会的意識とある意味では非常に似ています。

このように、私たち人類が今日まで個人的にも社会的にも数々の苦しみと混乱の中で生きてこなければならなかったその根本原因は、私たちのほとんどがバラバラ病というメンタルプリズンに囚われていながら、その事実に気付かなかったところにあります。

けれども、そのメンタルプリズンから脱出することは、決して難しいことでも悲壮な決意を必要とするものではありません。

そのためには、「存在の真実は本来不可分一体だと」という視点から、ただ、この世界を見、生きてみればよいのです。

そうすれば、ある瞬間に「本当にそうだ」ということをはっきりと実感をもって自覚できるでしょう。

さて、今あなたはこの構図のどこにいますか?


(おわり)





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妄想社会  その1

妄想社会  その1

この世界は本来「不可分一体の世界」です。

「不可分一体の世界」とは「分けることができない一つのものが刻々といろいろな模様のように展開している世界」という意味です。

ところが、私たち人間の大脳(アタマ)は二元相対的にしか思考することができないので、私たちの五感とアタマを通してこの世界を見ると、見かけ上、この世界は「バラバラな世界」、すなわち、「バラバラに分れたものが寄せ集まってできた世界」であるかのように見えてしまいます。

それは、見かけ上、すべてがバラバラに見えているだけなのですが、ほとんどの人はそれがこの世界の本当の姿だと信じ込んでいます。僕はそういう見方を「バラバラ観」と呼んでいます。

バラバラ観からは本来はこの世界に存在するはずのない、たとえば、利己観念、優劣観念、差別観念、所有観念などいろいろな個人的、社会的観念が作り出されました。

利己観念というのは、自分、あるいは、自分の家族、自分の国、あるいは、会社など自分の属するグループが他と比べて一番大切だという考え方で、要するに、「自分(たち)がなにより大切」、「自分(たち)さえよければいいのだ」ということです。

この社会ではほとんどの人がバラバラ観を持って生きているので、すべての、利己的な行動、利己的考え方に基づく感情や行動、たとえば、孤独感、憎しみ、羨み、イジメ、競争、争い(戦争)、権力、搾取、人種偏見、差別待遇、貧富、環境破壊、など、その中で生きる人々の個人的な生き方や社会的現象のほとんどはバラバラ観とそれに基づくいろいろな観念、すなわち、妄想によって引き起こされます。

もちろん、私たち人間には、本来、不可分一体である生物として、集団本能が備わっているので、状況に応じてその本能が他を思いやる気持ちとして発露し、それが小さな親切な行動として現われることも日常生活のなかでよく見られる風景です。

あるいは、また、地震などの災害時に、全国からボランティアの方が集まって奉仕活動することなどは、まさに、本来、不可分一体の存在である私たちの思いやりの社会的発露の典型だと言えるでしょう。

それはそうなのですが、バラバラ観に基づいたこの社会では、個人的には、人々は個人を単位とし、あるいは、家族を単位として、そして、社会的には、職場などの組織や国を単位とし生きていくことが基本とされているので、結局は、まずは、自分、あるいは、自分の家族、自分の属する職場としての組織、自分の属する国が、まず、何よりも大切だという観念で行動し生きています。

その意味では、本来、不可分一体の存在である生物としての集団本能の発露である思いやりの感情やそれに基づく行動は、あくまで、個人の自発的なものとして脇役的に発露されるだけで、この社会においては主要な動きや現象は個人的にも社会的にもバラバラ観を基盤とするいろいろな間違った観念、すなわち、妄想によって引き起こされているのです。

そういう意味で、この社会はまさに「妄想社会」であると言えるでしょう。

(つづく)




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自分の考えとは  その2

自分の考えとは  その2

私たちは誰でも、無意識に何かをやってしまったというときは別として、普段は、いつも自分で考え、自分の意志で選択・決断していると思っています。

ところが、本当にそうなのか?  その考えを持つようになったのはどうしてなのだろうか?などなど、と検べていくと、今まで“自分”が自分の考えでしているのだと思っていたことはすべて、遠い遠い過去、それも“自分”が生まれるずっと前から、いや、両親が生まれる前から、いや、その前の前のそもそものこの世界の初めのはじめから切れ目のない原因結果の必然的な連鎖の結果として現われているいるにすぎないということが分かります。

たとえば、今自分がお茶を飲もうとして、パソコンの横にある茶碗を手に取ったとします。

その行為は自分以外の人がやっているわけではないのですから、たしかに自分の意志で自分がやっているには違いありません。

でも、その意志が“自分”に現れたのはその原因があるからです。そして、その原因があるのは、その原因が現れた原因があったからです。このように、原因の原因その原因と遡っていくと、“自分”の意志というものがあるとは言えなくなってしまいます。

また、この“自分”の体はどこから来たのかと検べてみると、最初から“自分”の体というものが実体としてあったのではなく、この体を構成している細胞や組織や器官などの要素はすべて食べ物として自分の外から集まってきたということがわかります。

けれども、それは取り入れたままでずっと固定しているのではなく、絶えず古くなったものは分解されて体外に排出され、代わりに、新しく外から取り入れた物質によって置き換えられています。

また、体に取り入れる食べ物にしても、そもそもそれぞれの食べ物の構成要素はどこから来たのか?、その前はどこから来たのか?  その前は? と丁寧に検べていくと、ついには大自然、地球全体、そして宇宙全体のすべての存在が集まってきたことが分かります。

同様に、“自分の体“から排出された物質にしても、それがどこに行くのか? それからどこに? と検べていくと、やはり、大自然、地球全体、全宇宙のすべての存在へと広がって行きます。

そもそも、この“自分”というもの自体があるのかと、過去に遡って検べてみると、“自分”が過去現在未来を含んだ大宇宙全に広がってしまい、“自分”というコロッとしたもの(“個”)なんかないことがわかります。

要するに、見かけ上、“自分”というものがあるように思えるために、“自分”という意識があるように思え、自分の意志、自分の力があるように見えるというだけのことなのです。

要するに、この世界には“個”なんてないのです。

ただただ、一つの“いのち”があるだけで、それが瞬間瞬間にいろいろな模様を描いているだけです。

そして、私たち人間はある瞬間における模様のある部分を“自分”という“個”であると錯覚しているのです。

本当は“自分”なんてないのであり、みんな自分の分身です。





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自分の考えとは  その1

自分の考えとは  その1

あなたはパソコンやスマホなどを使ってネット上にある「いのちの塾」のサイトに接続して、今まさにこの「自分の考えとは」というブログを読み始めたところだと思います。

その間、あなたはいろいろなことを考え、その考えのなかから自分でいくつかの考えを選択し、それらを行動に移して、今このブログを読んでいます。

たしかに、このように一連の自分の考え、選択、行動を振り返ってみると、全部自分で考えて自分の意志で決めて行動しているように見えます。

でも、本当にそうなのでしょうか?  そもそも、自分の考え(意志)というものがあるのでしょうか?

まず、あなたはどうしてこのブログを読む気になったのでしょうか? 

その答えは人によってみんな異なっていることは当然でしょう。

けれども、読む気になるまでに起こったこと、起った考えや気持ちなど、なぜそのようなことが起きたのか、なぜそのような考えや気持ちが起きたのかと、ここで時間を充分にとって、可能な限り過去に遡(さかのぼ)りながら、できるだけ詳しく丁寧に検べてみてください。

その作業中に全部を事実として検べきることは当然できませんが、「多分こんなこともあったのでは?、あるいは、あったはずだ」というように適当に推測や連想を働かせながら検べていただければと思います。


その作業を時間をかけて丁寧にやっていただくために、今回のブログ「自分の考えとは その1」はとりあえずここまでにします。

そして、このブログの続き「自分の考えとは その2」のアップは2,3日後にする予定です。

いずれにしても、「前にやったことがある」とか、「検べなくても、もう結論は分かっている」などとアタマですぐに結論を出して、分かっている気になるのではなく、あらためて実際に具体的に、かつ、連想力を充分に働かせながら丁寧な検べてください。

その作業が済んだ後に「その2」を読んでいただくようにお願いします。

今回は誌上セミナーのテスト版みたいなものですが、どうかよろしくお願いします。


ついでに、

お願い 1
「いのちの塾」のブログは特別な理由があるわけではありませんが、毎回1300字以内に収めるようにしています。今回はブログの内容をじっくり吟味しながら読んでいただくことよりも、この後テーマについて時間を掛けて「検べて」いただくことをお願いすることが主眼であるので、制限字数よりはかなり少なくなったことをご了解ください。

お願い 2
この「いのちの塾」は毎回とても重要なテーマを扱っています。そのため、説明を明快にするために表現の仕方を微妙に工夫をしながら書いています。そういうわけで、このブログはしっかり納得できるまで時間を掛けて読んでください。ムード的に読んで分かったような気になったとしても、かえって害になることも多いのです。

お願い 3
2に関してですが、このブログはできれば小さな画面のスマホではなく、それらよりも画面の大きなパソコンやタブレットでブログの全体を目に入れながら、各文章を読むようにしてください。その方がこのブログをより深く理解することができるからです。





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