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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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自覚のセミナーの感想  I I さん

自覚のセミナーの感想  I I さん

先日は大変お世話になりました。
夜遅くまでセミナーを振り返り、私たちの気づきを見つめて指導に当たってくださり、本当にありがとうございました。

私は幼少期、好奇心旺盛で活発な女の子でした。お転婆で自然の中で遊ぶことが大好きでした。しかし年を重ねるにつれて、家庭や学校教育や仕事場で、人間の作りだした本来必要のない概念を身につけてしまっていました。

〇〇も△△も□□も▽▽も、「ねばならない」もない。それなのに必死で競争し、人との比較で自分の存在を確かめたり、親の期待に応えたり、こうあるべきと考えてしまったり、自分で自分を苦しめてきたことにセミナーを通して気づくことができました。

どんなことがあってもスッキリ楽しく生きていくことができる。自分は実際、過去にその体験を通して楽しく生きていくことができると分かっていたはずなのに、「具体的にどうやったら楽しく生きていけるのか…」と思い悩みなかなか答えが出せませんでした。

今までの癖で頭であれこれ考えてしまって、真実を見つめることができなくなっていたようです。真実が見えた時、「ああ、答えはちゃんと自分の中にあったんだ」と気づき、「真実が見えれば答えはなんてシンプルなんだ。なぜ今までこんなことを考えていたのか」と笑いだしそうになり、心が軽くなりました。

この「自分の中に答えがある」ということが分かり、ネガティブな感情についてもう一度見つめなおすと、これもまた今までは自分でネガティブな感情を選び、自分で自分を苦しめていたことが分かりました。
 
 こうして真実を見つめていると、〇〇も△△も□□も本来は存在せず、人間がバラバラ観の中で概念を作り出してきたことが分かります。自分は一切欠けることなく完結している。そしてこの大宇宙の中ですべてが繋がっている。この不可分一体の感覚が分かった時、自分がいかに多くの人の存在の中で生かされているか、そしてまた自分の存在もこの世の中でなくてはならない存在なのだということを感じました。

セミナーから自宅に帰るまでの道のりがじわじわと、行きとは違う光景になっていました。セミナーに参加することができたのは先生たちのおかげ、整体ライフスクールの先輩たちのおかげ、泊めてくれる友人のおかげ、送り出してくれる夫のおかげと思っていたのが、セミナーの帰り道には、直接かかわりがないように思えていた見知らぬ人たちも自分がこのセミナーに参加するためになくてはならない存在だったのだと感じることができ、すべてに感謝の気持ちが湧いてきました。

 また、いつもセミナーの際に家に泊めてくれる友人のことを思いました。彼女は自分の帰りが遅い時も次の日が早い時も家に泊めてくれ、食事も風呂も布団も自由に使ってねと言ってくれます。〇△の観念がなくいつでも身の回りの物を手放す用意がある彼女は本当に開かれた心で私を迎えてくれています。

不可分一体を真に理解しそれに沿った行動をとれるということはなんて気持ちが楽で自然体なのか。彼女の行動や発言を受けていたことが、今回不可分一体を理解することで改めて自分の体験となり、実感になりました。

今回のセミナーで多くの気づきや発見がありましたが、実は正直なところ私はまだ100%腹には落ち切っていないと思います。昇平先生に違うテーマで質問されたら腹から即答できるかというと、きっと答えを出すのに時間を要するテーマもあると思います。

以前の私なら、人と比較をして焦ったり、急いで(本当の理解でなく頭で考えて)答えを出していたかもしれません。分かったフリをしたかもしれません。しかし今は、落とし込めていない部分があるということを事実として受け止め、その上で人と比較するのではなく自分のペースでじっくり向き合って答えを出すことができると思います。

今回の学びをより深いものにし、そして真実に沿った生き方をしていくために、日々自分と向き合う時間を持ち、真実に目を向け、日常の中で落とし込んでいきます。

セミナーが終わったここからがスタートだと思っています。

昇平先生、恵理佳先生、奈央先生、本当にありがとうございました。
これからもご指導よろしくお願いいたします。





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自覚のセミナーの感想  HHさん

自覚のセミナーの感想  HHさん

自覚のセミナーを再受講させて頂き、ありがとうございました。

4年前の受講時はまだ整体のセミナーも始めて間もなく、しかも、人一倍ボーッとしていて何の自覚もなかった私の受講の動機といえば、今思えばただ自分のためだけのエゴ的なものでした。

それにも関らず、そのような自分が存在の真実を知り、否応なしにこの世の全ては繋がっているのだという事実を浅いながらもハッキリと体得出来た事は、全く奇跡としか言いようのない事でした。

あれから4年が経ち、その間、奈央先生の整体セミナー、昇平先生のセミナーを続けさせて頂き、先生方の絶妙なサポートのお陰でどうにか見失わずに来られた存在の真実を、もっと深め、もっともっと自分を越えて広げて行きたいという思いで今回は臨みました。

今回のセミナーとその後の日常を通しての一番の気付きは、私はそもそも「調べる」という事の意味がきちんと理解しきれていなかったという事と、「アタマモード」というのがどんなモードなのかハッキリわかっていなかったという事で、つまり私は瞑想というものの真の意味を、全くと言っていいほど理解出来ていなかった、という事でした。

今更このような有様で本当に恥ずかしいのですが、この気付きは、セミナー後の日常生活こそが本番であり重要なのだという事を痛感しながも、またいつの間にかアタマになってしまっ たり、同じ間違いを繰り返してしまって来た自分にとって、とても大きなものでした。

他にも、参加者の方と昇平先生のやり取りをじっくり聞いていく中で、その迷いや苦しみが次第に自分のものとなっていくのを感じ、そこから自分自身が新たな気付きを得たり、深めたりする事ができ、これは前回と全く同じだったので、その時の仲間の顔も浮かんできて、みんなみんなが本当に愛おしく思えてなりませんでした。

また、たった5日の間で参加者皆さんのお顔が日に日に明るく輝き、本来の姿を現していく様を目の当たりにして、自覚のセミナーって本当に本当にすごい!と心底実感しました。

帰ってから、昇平先生のブログで、3日の憲法記念日の朝日新聞の小林多津衛先生についての記事を 拝見しました。
その中の、「君が正義に反することを行い、私が黙って君にそれをやらせておくとすれば、不正なのは私自身である」という言葉がとても胸に響きました。その言葉は正に、自覚のセミナーを受け存在の真実を再確認した私自身のものでもあると思いました。

一人でも多くの人が本当の自分に気付き、本当に安心して、健やかに、自信と喜びに満ち満ちて生きられる世界になるように。 油断せず、気張らず、どこまでも自由に、進んで行きます。

昇平先生、奈央先生、恵理佳先生、この度も底なしの愛情をありがとうございました。

そして、セミナーに心を寄せて下さった皆さま、ありがとうございました。

そしてそして、人生の貴重な5日間を共に過ごした参加者の皆さま、ありがとうございました。





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自覚のセミナーの感想  GGさん

自覚のセミナーの感想  GGさん

今回この自覚のセミナーに参加する機会をいただくきっかけとなったのは、まさしく自覚のセミナーを受けたことで生き方を変えるきっかけになったというNTさんとそのご家族を見てぜひ受けたいと思いました。

日々の人への小さな言葉かけや態度は何気なく過ぎ去っていくようですが、実際は人(自分)の心の中に深く残り、それらが自分や自分の生活や人、自然に対する態度や心がけになっていくように今は感じられます。

思い返すと、Tさん一家には寛容さと温かさ、そして家族が皆幸せそうにいつも穏やかに笑っていて(もちろん子どもたちはヤンチャですが)、整体のセミナーに参加する勇気が得られました。

また、奈央先生をはじめセミナーに参加されている方々の笑顔、優しく細かい心配りや気遣い、よくあろうとする姿勢にとても影響を受けました。整体のセミナーを受けることで自分自身に気が通ってきて、人や人の考え方を素直に受け入れられる準備が少しずつ整ってきた(本当はどうありたいのかという感覚を取り戻してきた)のだと感じています。

自覚のセミナーでは、〇〇について自分の中でしっかりと調べるという体験によって、そもそも〇〇というものは思い込みの物差しをわざわざあててみないと成り立たない、人間が作った概念だということが明確にわかり、本当に救われました。

いかに、人から与えられ自分で作り上げてきた物差しを何にでもあてて、落ち込んだり浮かれたりしていたのかを思い返すと今では馬鹿々々しく思えます。

いつもジャッジしている自分から逃れたいのに逃れられない数多くの方にこの事実を知ってほしいという思いが強くあります。

余計な物差しを取っ払い、自分がいつも楽しく気持ちよく事に当たり、その結果としてまわりと仲良くやっていければ、自然と人にその事実は伝わっていく、少なくとも相手が「なんだか自分の思いがおかしいような・・・?」と疑問を持つきっかけになると思います。

自分の「思い」と「事実」を整理しながら自覚のセミナー後の日々を送っています。思いが勝手に頭の中を支配する癖はまだまだあるので、今本当に大事なことはなんなのか、何かに強くこだわっていないか、というような内省をすることもあります。そのようなときは瞑想と邪気の吐出を心掛けるようになりました。

昇平先生の自覚のセミナーは本当に一生に一度の大変貴重な体験です。このような奇跡に恵まれたことに涙が出ました。父の目指していたものをやっとまっすぐに受け止めることができました。

大事なのは事実を知ることです。事実がきちんと知らされていないということは大きな問題ですが、事実を知ろうとする以前に子どものころから、この社会、特に教育とテレビなどのメディアによって頭の中を捏造させられ、その機会を得られないでいる人が大勢いるというということが本当の問題だと思います。この事実とこの感覚を決して忘れず、自分の生き方に反映していきます。





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自覚のセミナーの感想  FFさん

自覚のセミナーの感想  FFさん


当初「自覚セミナー」というタイトルを聞いた際、自分には不要だと思っておりました。

自覚の意味として、「自分自身のあり方を反省し、自分が何であるかを明瞭(めいりょう)に意識にもたらすこと」、また仏語としての「自ら迷いを断って悟りを開く」といった意味は、既に知っているし、西田幾多郎の「自覚の立場」に関する書籍も読んだことがあり、今更何をという思いが、正直強かったのです。

ただここ数年、仕事上、また私生活で大きな変化が多々あり、改めて「自覚」を意識することは無駄では無いと思い、今回の参加を決めました。

とは言え、既に「自覚」の意味は知っており、自分自身に迷いは無いと、セミナー開始時点でも信じておりました。その後、初日、2日目と野村先生、参加者の方々と対話させていただく中で、「自分に迷いは無い」と信じていた自分に対し、徐々に疑問が湧き上がってきます。

「自分は本当に『自覚』の意味が分かっているのだろうか」、「あれ、自分は何を未だに拘っているのだろう」、「本当に迷いなく、『腹が据わった』生き方が出来ているのだろうか」。頭で考えていた自信が、否、頭で考えていたという時点で、未だに「迷い」は払拭されていなかったのです。

セミナーを通し、先生がおっしゃられたように、自分自身で、また時間を掛けずに「自覚」を意識する事は非常に難しいと改めて感じました。

参加者の方々の想いを共有し、自分に問い掛ける時間を取ることによって、初めて「迷いが断てる」のだと。

また、この意識を継続することが非常に大切で、同時に自分自身が行動を起こさなければならないと思いました。

今回、セミナーに参加することによって得たこの体験、感動を周りの人々、またそれ以外の多くに人々に伝え、参加をしてもらうようにするのが私の役割です。





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自覚のセミナーの感想  EEさん

自覚のセミナーの感想  EEさん

昇平先生、恵理佳先生、5日間ありがとうございました。

また、お世話していただいたスタッフの皆さま、差し入れをしていただいた皆様、5日間共に過ごした仲間の皆さんありがとうございました。

今回、私は、妻からの誘い、奈央先生からのお誘いのお手紙を頂いて今回参加させていただきました。

この自覚セミナーというものが何なのか?何をやるのか?昇平先生とはどんな方なのか?参加者はどういう人達なのか?妻に聞いても当然教えてくれず、以前参加した人も教えてくれず真っさらな状態で今までに無いような緊張・不安な状態で今回挑みました。

それは5日間終えてみて分かりました。教えられない。言葉にできないという事を。

最初の1日目、2日目は先生の出されるテーマの意味が分からずチンプンカンプンな事を答えていました。

でも1つ1つ調べていくうちに段々感じることができる自分が居ました。

そして、2週間経った今でも1つ1つのテーマを心で感じている自分が居ます。
今までの生活の中で悩み、怒り、不安など色々考えてきた事が、なぜか小さく感じ楽な気持ちを感じられます。

今思えば、何であんな事に怒りを覚えたのか、何で自分を卑下していたのか、何で、この人を嫌っていたのかなどなど、不思議に感じます。

数年前、当時大きな仕事を一緒にしていた外部の会社の仲間に「会社を一緒に立ち上げませんか」と誘われ私が15年勤めていた会社を先に辞めその仲間が退職して合流するのを1年待ちました。

しかし、彼は退職と同時に部下の人と違う会社を立ち上げてしまいました。当然私とは合流せず離れ離れの道を行くことになりました。

それだけならまだしも私の長年付き合っていたお客さんもその彼の元に仕事を発注するようになってしまい、私は、怒り、自分への批判、長年付き合ってきたお客さんが無くなった寂しさ、絶望感、空虚感、そして人への不信感、様々な感情が沸き上がりました。

それは、数年経った今でもその感情は消えることなくずっと心に残っていました。

しかし、今回のセミナーに参加して、今まで心に残っていた感情に変化が生じました。

それは、何でもない事なのだ。と 宇宙から見たらほんの小さい事。
あのテーマはこういう事なのだ。このテーマはこういう事なのだ。と

その1つ1つのテーマを調べ、感じた事が、あの感情に変化をもたらしたのだと思います。
現に今までなら、怒りや劣等感を感じていたであろう事がこの2週間の間にも起きましたが、あのテーマで調べ上げた事が、怒り等より先に心に沸き上がり、何てことはないと平気に対処できるようになりました。
そして、この人もセミナー受けて、調べ上げたら良いのにとも思いました。


今後もいろいろな局面に出くわすかと思いますが、調べた事、感じた事を常に心に置き
気持ちの迷子になった時は、その場に立ち止まってもう一度、調べて行こうと思います。

そんな変化をもたらしてくれた素敵な、貴重な5日間でした。
本当にありがとうございました。

このセミナーに参加できた事を幸せに思います。

今後も妻ともども宜しくお願い申し上げます。


最後に、奈央先生へ
今回のセミナーにお誘いいただき、ありがとうございました。
あの一押しが無ければ参加しなかったかも知れませんでした。
本当にありがとうございました。

                            



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自覚のセミナーの感想  DDさん

自覚のセミナーの感想  DDさん

自覚のセミナーに参加させて頂いた50歳代の女性です。
昨年出会った女性と急速に仲良くなり、彼女が野村奈央先生の本を読んで興味を持ち 1人で○○で行われる整体の勉強会に参加をすると伺い 私も東京に行く予定があったので日程を合わせて一緒に行きましょうという事になりました。

入門コースに参加させて頂き初めて奈央先生にお会いして 先生の言葉のひとつひとつが心に沁みて自然に涙が溢れるという体験をしました。
2回、3回と入門コースに参加させて頂きその度に気づきや感覚 捉え方が深まっていく様に感じました。

同時に実家の母が怪我で入院。母が早期の退院を強く希望して自宅に戻ったのも束の間 炎症を起こして再入院。同居をしている妹(三女)親子も手一杯な状況だったので 仕事を辞めたばかりの次女が東京から手伝いに来てくれました。

長女である私は幼少の頃から父(養父)と母に長女であるがゆえの重圧の中で生きてきました。
次女と三女(実子)は別の世界にいるかの様にも見えました。家族への複雑な思いはあるものの整体で何かが動き始めている感覚もあり 妹達と協力し合い 母は無事に退院。認知面もなんとか持ち直し その後の通院でも経過は順調でした。

私に看護師になることを勧めてくれたのは母でした。当時 私がなれるわけがないと強い思いがありましたが、あるきっかけでこの道に進むと自ら決断をしました。
これまでたくさんの経験が未熟で不十分だらけの私を育ててくれました。長い長い道のりではありましたがここまで続けてこれました。

野村昇平先生の自覚のセミナーに参加を決めたのは奈央先生のお葉書を読み返している時でした。
「自覚のセミナーはほんとうに人生最大の体験になると思います。」と書かれた言葉に "あッ!行かなきゃ‼︎"と私の中から湧き上がるものがありました。参加する為の準備も問題なく進んでいきました。

自覚のセミナーで 私の人生経験全てに奥行きと広がりが存在している事に気がつきました。
たくさんの感情 、喜びや達成感の先の先、奥の奥が存在していたなんて セミナーに参加していなければ知り得なかった事です。

より自分自身になれた やっと辿り着いたという感覚でした。揺るぎない素晴らしい自分自身と出会い 歩み始めています。

昇平先生 奈央先生 恵理佳先生 サポートして下さった皆さん ありがとうございました。
真の笑顔で歩んで行けそうです。

本当にありがとうございました。




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自覚のセミナーの感想  CCさん

自覚のセミナーの感想  CCさん

今回、自覚のセミナーを開いていただいた昇平先生、恵理佳先生に深くお礼を申し上げます。そして、セミナーを支えていただいた皆様に感謝を申し上げます。

「真実は一つしか存在しない。その真実に沿って生きていく」

今回、自覚のセミナーを再受講し、改めて深く自覚したところです。そして、「平和の背骨に人々の自覚がなければならない。」と、和田重正先生が書かれていたことの意味を、今回のセミナーの中で、深く理解することができました。

参加された方、一人ひとりが、個としての自分に深く向き合われ、そして、間違った観念に気づき、存在の真実に目覚めた時の喜びに満ちた顔は、忘れることができません。

そして、真の平和な世界を創っていく、多くの仲間ができた喜びを隠すことができません。
今、日本を含め世界の社会情勢は混沌とし、人類のさまざまな危機的状況を肌で感じます。なぜ人類は愚かな道を進んでいるのでしょか。

昇平先生は、「人類の危機は大いなる“いのち”が、人類が進化していくために与えた試練であり、乗り越えていかなければならない。そのためには、人びとが不可分一体の真実を自覚することが必須条件である」と、言われています。

今回の自覚のセミナーで、
すべての存在は一つの大いなる“いのち”の現れであり、すべては、繋がっている不可分一体である。そのことを自覚したなら、人類の危機の根源であるバラバラ観からのエゴイズはなくなり、真の平和な世界は実現できる。
と強く感じました。

このことは、頭で描いた空想でなく、まぎれもない真実であり、永遠になくならない、もともとある事実であると実感しました。

残された人生を、世界のみんなが幸せになる、真の平和を実現するために生きていきます。

参加された方みんなが、同じ道を歩んでいるかと思うと、なんだかウキウキし、自然と力が湧いてきます。ありがとうございました。





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自覚セミナーの感想  BBさん

自覚セミナーの感想  BBさん
                                     
さて、何から書き始めようか。あれこれと思いは巡る。

お誘いを受けたとき、すでに予定が入っていたので無理と思ったが何か心に引っ掛かるものがあり数日迷った。 今、ここでやめたら後で後悔するような気もした。 セミナーの始まる日が私の仕事の新学期のスタート日なので参加するとなると仕事をやめることになる、法事の予定もお断りしなければならないなど大きな決断だ。 

しかし今までの自分のターニングポイントのような気がする。 決めた!と思ったら気が楽になった。ドンと収まり揺らがなくなった。 その地方を訪ねるのも初めてなのでワクワクした。当日思ったよりスムーズに集合場所の駅に時間内に着くことができた。途中、富士山が急に眼の前に現れたように美しく見えた。雨の予想だったので心晴々と気持ちよかった。

初めてお目にかかる受講者の面々、いったい何が始まるのやら・・・初対面だが皆さん、とてもいい感じ。そして久ぶりに野村先生ご夫妻に再会、二度目のお出会いなのに少しも距離感を感じない。ずーっとそばにいたような気がする。

いよいよセミナーが始まる。荷物の準備のときノートや筆記用具などたっぷり用意したのに全然使わない、メモも取らない、体感と直感だけ。移動のときも飲み物とハンカチ、タオルだけ、何もない。こんなの初めての経験だ。だんだん慣れてくるととても身軽だ。身も心も。  

最初のテーマ、これは自分なりにクリアした課題なので迷わなかった。 

次のテーマ、これも違和感なし、意義なし。ガッテン、ガッテン。 

次のテーマ。 次。 ・・・

初めての受講者はみんな、キョトンとした感じだ。えっ、何? 「何を聞かれてるの?」と一瞬わからない。問いかけが二回、三回になると、 あっ、そうかと気づいた。

次々とテーマに予想できない事がらが飛び出してくる。ときどきゲームのように遊びながら心をほぐしてくれるので皆、緊張感が取れていく。 中には何のことやらさっぱりわからない、とてもついていけない、来たことが間違い、時機じゃない、帰ろうと思ったと言った人がいた。

面白い。みんな一人一人機根が違うのだ。 でも誰もやめるないし、帰った人もいない。どんどん引き込まれていくようだ。最後には皆さん、満足して感動のうちに帰った。

私は 「〇〇〇に入らなければならない」というテーマに躓いた。 〇〇〇という言葉に引っ掛かった。ことばにこだわって何を見つけるのかがわからない。「先生の例題が悪いんじゃないの」とか、「別の表し方にしてよ」とか思ったりしたが、そもそも言葉のマジックにこだわる自分の硬さに気づいた。

そうじゃない、それではないのだ。もっと真実を見ろと少しずつ気づいていく。受講するこちら側は受け身で期待しながら待っているだけだけど、先生サイドはセミナーの企画、宿泊設備の手配、プログラムのプロセス等々、本当に誠心誠意、精魂込めて準備してくださっているのだ。

わかりやすく噛んで砕いて一人一人の理解を浸透させるようにゆっくり根気よく導いてくださっていることが伝わる。
迷路のようにコーナーに立つたび 角を曲がると次の景色が見えてくる。でもそれがゴールか、また迷い込むのかわからないのだが だんだん明るくクリアに そして身体や心に長年こびりついたさびや汚れが剥がれていくように軽く明るさが増していく。まだ輝きだすところまではいかないが そうなりたいと心の底から感じる。

セミナーからの帰路 愉快でたまらない。帰宅してから次の日も愉快だ。飛び跳ねたいようなそんな気持ちだ。
何故? 説明できない。 周囲の景色は何も変わっていないのに心がとても軽い。「空」(くう)が開けるとはこのことか。 全然難しいことではなくとてもシンプルだ。回転ドアみたいにくるっと回ったら、それで今まで背負っていたり、抱えていたりしていた荷物が不用になった。

これからはせっかく磨いたガラスがいつのまにか曇ったり濁ったりしないよう心の点検を怠らずにしよう。

「自覚のセミナー」にお誘いいただいたことを本当に感謝しています。ありがとうございます。





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自覚のセミナーの感想 AAさん 

自覚のセミナーの感想 AAさん              
                                
心から忘れられない時間を過ごしました。
私の中の変化というか、まるで、全体をまきこんで変化をしていくような大きな体験となりました。

最初は、昇平先生からの質問の意味がよく分からず、その質問にちゃんと答えたつもりでも何かが違うように感じました。それの何が違うのかが自分の中ではっきりせず、だんだんと自分が出した答えに対する疑問が深くなっていくばかりでした。

そこで、よく分からないまま、嫌な感情や想い出がむくむくと沸いて昇平先生にぶつけてしまっていました。でも、先生はよく分からない状態になっていた私を、あせらさず、私自身がより深い部分で気づけるように言葉をくれていました。

それがまるで一段一段階段をおりていくみたいに、自分と深く向き合えるよう順序立てて整理してくれているようでした。心のどこかでとても安心しながら、感じたことを話していたように思います。

その後も昇平先生からの質問のテーマは響くものばかりで、「〇△ますか?」と問われた瞬間、今までの私は条件反射のように「〇△ない!」と心の中で声をあげていました。

けれども、そうじゃない何かがある、それはテーマが進むにつれ深く感じていきました。同時に、すごくその何かに心が惹かれるように、導かれるように深く考えたような気がしています。

こんなに自分のなかを探索したことは今まで無かったです。そしてどれも人生をかけた真剣そのもの、途中頭が痛くなって何も考えられなくなりました。

けれども、この時間を絶対に無駄にしちゃいけない、こんなにまっすぐ向き合ってくれている、この場所に居られる事のありがたさを強く感じていました。昇平先生や恵理佳先生がつくってくれていた空気感にものすごく包まれていたような気がします。

自分が感じた事を言葉にしていきながら、今までの私だったらこう思うという、当たり前と感じていた答えがどれだけ表面的なものだったかを、全く違う視点から痛感させられていきました。また、どれだけ周りの情報が真実だと感じていたのだろうと思いました。

全部がつながり、みんな一緒だということをひとつひとつ、気づきとして感じるたび、胸が熱くなったり軽くなったり、そして腹の底から沸き上がってくる感覚はなんとも言えない広い安心感と感動そのものです。そして、そう生きていくという覚悟を感じた事は、色々なことに一喜一憂していた私にとって、この感覚は二度と消えることはない事、消え去るはずはないこと、ほんとうに大きな喜びでした。

心の隅にあった無気力感のように黒くて重たいものが、穏やかなものへとなったのです。軽いのです。 動ける、という喜びです。

ずっと私は、自分が感じる違和感のような不安と、向き合って生きていかなければいけないと義務のように思っていた事が、あぁそんな必要はないんだなと、ほっと息をついたような気持ちがしました。 生きていて良かったなと思いました。

セミナーのあの場で、出会えた方達とつながり合えた事、本当に嬉しく楽しかったです。みんなの言葉や過ごした空気の中で、心から笑ったりより深く考えるきっかけになったり、全部の時間がとてもあたたかいものでした。

そして、セミナーの後半、外をお散歩した時の自然の様々な音や光がこんなにもあたたかくて、綺麗で、まるで違った美しさを感じた事も忘れられません。本当に不思議でした。ぜんぶが一緒なんだなと思いました。

参加をして、とても良かったです。言葉じゃ伝えきれません。全身全霊で、全力で、みんな一緒を目指してこの喜びを分かち合っていきます。




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自覚のセミナー感想文掲載について

自覚のセミナー感想文掲載について

次回より、ゴールデンウイークに開催した自覚のセミナーの感想文を掲載します。

なお、掲載するにあたって、以下のようにさせていただきます。

よろしくご了解くださいますようお願いいたします。

1 それぞれ筆者は匿名とします。

2 セミナーのテーマを直接意味する言葉は伏字にするか、または、意味を損なわないように適当に書き直させていただきました。

  これはこの自覚のセミナーを未受講の方々に余計な先入観を与えないためです。

3 その他、ほんの少しですが、表現をわかりやすくするために、あるいは、誤解を招きかねないところは、文意を損ねないよう注意を払って変更したところがあります。

4 毎日1篇ずつ掲載します。

5 順不同です。
  順番にはとくに意味はありません。




 

2+3は5

2+3は5

算数の世界においては、2+3=5です。

仮に、2+3=6と思い、そう思って現実に生きていても、それは錯覚・妄想であり、それはただ2+3=6という夢をみているにすぎません。

夢から覚めれば、寝ぼけていなければの話ですが、瞬時に、2+3=5が真実だということがわかります。

夢を見ていても、見ていなくても、2+3=5という真理・真実は絶対に変わりません。


誰でももともとノンスモーカーでした。

もともと、タバコを吸う必要はありません。

タバコを吸いはじめて、仮に、タバコを吸う必要があると思い、そう思って現実に生きていても、それは錯覚・妄想であり、それはただ、「タバコを吸う必要がある」という夢をみているにすぎません。

夢から覚めれば、瞬時に、「もともとタバコを吸う必要はない」ということが真実だということがわかります。

夢を見ていても、見ていなくても、「もともとタバコを吸う必要はない」という真理・真実は絶対に変わりません。


誰でももともとノンスモーカーでした。

もともと、誰でも裸で生まれてきました。

ただの赤ちゃん、ただの人として、ただ泣き、ただ笑い、ただ眠り、ただオッパイを飲んでいました。

大きくなって、仮に、自分は優れている、あるいは、劣っているなどと思うようになっても、それは錯覚・妄想であり、ただ、「自分は優れている、あるいは、劣っている」などという夢をみているにすぎません。

夢から覚めれば、瞬時に、「もともと、自分もみんなもただの人なのだ」という真実がわかります。

夢を見ていても、見ていなくても、真理・真実は絶対に変わりません。


つまり、誰がアタマでどう思おうと、真実は思い以前にすでに、そして、ずーっと、そっくりそのまま現れています。

真実は誰かの説であるとか、考え方であるとか、観念ではありません。

算数やタバコだけでなく、それ以前に誰でもすでに真実を生きているのであり、もともと何一つ欠けることなく、完結して、輝いています。

本当の自分、存在の絶対真実に目覚め、絶対真実の生き方しかないことを悟ることが自覚のセミナーの目的です。

アタマに自分を合わせるのでなく、あるいは、現実に自分を合わせるのでなく、真実にアタマを合わせるのです。真実に沿って生きるのです。

妄想・錯覚の世界から本来の真実の世界に戻る(?)ことは決して大変なことでも、苦しさに耐え、頑張って努力しなければならないというものではありません。

それが楽しくて、楽しくて仕方がないから、楽で楽でしょうがないから、戻る(?)のです。

(?)を付けたのは、本当は“戻る”のではなく、ただ、「もともとそうだったのだ」ということに”気付く“だけだからです。その時、それがどんなに楽しく楽であるかという思いが湧き上がってくるのです。

ただ、そこで終わってはいけません。

その真実をどう生きるか? 生ききるか? それがもっとも重要です。

それが抜けていれば、腑抜けの生き方になってしまい、一生を台無しにしてしまいます。





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心が真実の自己

心が真実の自己

馬祖道一禅師はよく「即心是仏(そくしんぜぶつ)」、すなわち、心が真実の自己であると言いました。以下は「即心是仏」に関する非常に分かりやすい逸話の一つです。


汾州和尚は洪州の馬大師が禅門の第一人者であると聞いて、わざわざ出かけて礼拝した。(中略)
汾州は礼拝して尋ねた、「真理に至る三つの道の教えは、ほぼ究め尽くしました。かねて、禅門は『即心是仏』だと聞いていますが、まだ全く了解できません。お願いします。お教えください」。

馬大師は言った、「お前の了解できぬその心こそがそうだ。その外には特にない。了解できないときは迷いで、了解できたときは悟りである。迷えば衆生(あれこれ迷っている普通の人)であり、悟れば仏(悟りを得た真実の人)である。衆生を離れて別に仏があるのではない。手が拳(こぶし)となり、拳が手となったりするようなものだ」。

と聞いたとたんに汾州はカラリと大悟し、涙を流して咽(むせ)び泣きながら馬大師に申しあげた、「今まで私は仏道は深遠で、長い年月精進に精進を重ねて、始めて成就するものとばかり思っていましたが、法身(絶対的真実)のありのままがもともと具わっていること、一切のものは心から仮に生じ、ただ名前だけがあって実体はない、ということが、今日やっと分かりました」。

馬大師は言われた、「そうなのだ、そのとおりだ。一切の心の本性は不生不滅であり、一切のものはもともと空寂である」。(以下略)
(参考:『馬祖の語録』 入矢義高編 禅文化研究所出版)


この世界のすべてのものは不生不滅の“いのち“、すなわち、心が顕現したものです。つまり、心はあらゆるものにあるがままでもともと具わっています。逆に言えば、一切のものは仮に生じているのであり、名前はあっても実体はなく、そのままでもともと空であり、静寂そのものです。

アタマのはたらきも心、つまり、存在の真実の現れです。ただ、それはアタマで考えることは何でもよい、つまり、存在の真実に合致するということではありません。

つまり、アタマで考えた“内容”は存在の真実に合致するときも、しないこともあるということであり、合致した時が悟りで、合致しない時が迷いです。

ですから、勝手な妄想やデタラメな思い、あるいは、それらに引きずられた行為がよいわけはありません。

ただ、存在の真実に関して言えば、それ以前に、アタマを含めて、すべてがありのままですでに具わっていることを了解したならば、それが悟りなのです。

多くの人はせっかく具わっているアタマで妄想し、勝手な夢を見ているために、つまり、アタマモードになっているために、存在の真実そのものに気づいていません。

それはスモーカーのアタマがスモーカーモードになって、タバコは本来必要ないものというタバコの真実に気づいていないのとまったく同じです。

では、どうしたらよいのでしょうか?

アタマでは存在の真実そのものは摑えることはできません。存在の真実はそれ以前にすでに“いまここ”にすべてそっくりありのままに現れています。

それを求めようとする心こそが存在の真実であることに気付くことです。





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赤十字国家の提唱

赤十字国家の提唱

僕は2007年に『国の理想と憲法』を七ツ森出版より上梓し、世界の恒久平和実現を実現するために、「日本を国際環境平和国家にするという理想を掲げよう」という提案をしました。

この提案の原点となったのが和田重正先生の『国家エゴイズムを超えて』と小林多津衛先生の『赤十字国家への提唱』という2冊の本です。

先日多津衛先生についての記事が朝日新聞の長野版に掲載されましたので、以下、それをそのままご紹介します。この記事を機に多津衛先生の思想と実践記録、そして先生が立ち上げられた「多津衛民芸館」(佐久市望月)の存在と活動に興味を持っていただければ大変幸いです。


改憲の足音…今こそ小林多津衛
(2018年5月2日 朝日新聞長野版)

小林多津衛が収集した皿や猪口(ちょこ)などが並ぶ民芸館を継ぐ吉川徹さん。2016年7月には日本民芸夏期学校が開かれ、「民芸運動の中で平和を考える」をテーマに120人余りが参加した=佐久市望月

あす憲法記念日
 「憲法は大丈夫かや」。17年前に104歳で亡くなった民芸研究家、平和運動家の小林多津衛(1896~2001)=佐久市=が晩年によく口にした言葉が、杞憂(きゆう)とは言えない状況にある。9条は「人類の現在未来を照らす光」といい、日本は軍拡をやめ、医師や医薬品など「善意」を世界に届ける「赤十字国家」になるべきだと唱えた小林。9条改憲の足音が聞こえる今こそ、この先達を知ってほしい。3日は71回目の憲法記念日。

「9条 人類照らす光」軍拡批判
 1年前の5月に、佐久市にある多津衛民芸館長の吉川徹(80)が、市長と教育長にあてた書簡がある。
 「政府や自治体は、自らの政策に対する批判の自由を保障し、国民の前に政策と批判が同時に並べ置かれ、自由に判断できる状況をつくる努力が求められる」「政策があり批判があり、その中で判断できる状況をつくることが中立性」
  佐久市教育委員会が「政治的」という理由で、市民有志が企画した原発に関する講演会の後援を取り消したことに対し、A4判2枚に学習の自由や教育の中立性についての「私の考え」を書き記したものだ。
 吉川は旧望月町長。在籍していた東京の大学の研究室に声がかかったことが縁で、社会教育主事として町に赴き、地元の公民館の責任者をしていた小林多津衛と出会った。
 婦人会や青年団と一緒に減反政策、ゴミ処理問題を考える勉強会を開くなど1960年代の公民館活動は活発だった。社会教育主事とは無縁の職場に配転されたこともあったが、「学習の自由への攻撃」と仲間たちと闘った。場外馬券場や小学校統合に反対する住民運動にも参加。町長を1期務め、次の選挙は佐久市との合併反対を訴えたが、推進派の候補に敗れた。
 吉川に影響を与え、共に行動してきた小林の原点は戦前の教員時代にある。
 武者小路実篤らが主宰する雑誌「白樺(しらかば)」の精神に基づく教育を目指す「白樺教師」の一人だった。個性や自由を重んじた教員たちは修身の教科書より、武者小路ら白樺派の作家や西欧の文学、絵画などを好んで教材に選んだ。小林も仏作家ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」のガリ版刷りを授業で使った。
 しかし、そうした教育を快く思わない権力側によって「信州白樺教師」らは排除されていく。中心的存在で1919年に退職を強いられた赤羽王郎は、小林に一葉のはがきを送る。「なぜ黙っているんだ 何とかものを言え」。ただ、そう書かれていた。
 この件以降も、多くの教員が治安維持法違反容疑で検挙された2・4事件(33年)などの弾圧を受け、県教育界は戦争遂行に協力していった。
 あの時、小林が教員の組合運動に積極的に加わらなかったのは、いつも子どもたちのそばにいたいという思いが強かったからではないかと、吉川は考える。一方で、「トゲのように残った戦前・戦中の経験を『自分の弱さ』として抱え、『平和』と言い続ける戦後の生き方が決まったと思う」。
 後押ししたのが、日本国憲法だ。前文や9条の透徹した平和主義に「歓喜した」という小林は、53年の浅間山麓(さんろく)米軍演習地設置反対運動に参加したり、82年の日本民芸協会全国大会で異例の「核廃絶・軍縮」の声明を提案したりした。
 85年に著した小冊子「赤十字国家の提唱」で、「軍備によらず、世界への善意の貢献によって国を守る道」を説いた。9条を持つ日本にとって大事なことは、「どこかが攻めてきたらどうするのかという議論を超えて、戦わない状況をどうつくるかだと言っていた」と吉川は振り返る。
 85歳で、平和問題などを取り上げた個人誌「協和通信」を創刊した。「君が正義に反することを行い、私が黙って君にそれをやらせておくとすれば、不正なのは私自身である」。94歳で再刊した際、ロマン・ロランやシュバイツァーとともに私淑していたガンジーの思想を受け、憲法9条があるのに軍備増強が図られている現状を見過ごせないとの意思を鮮明にした。
 「軍備がなくても平和は達成できるんだという、先生が示した道に確信を持たせることが我々の大きな役目ではないか」。吉川は、そう感じている。

平和・民主社会が「夢」
 2014年に出版された「石より堅い9条がある」(川辺書林)で、小林の赤十字国家論を紹介し、そこから想起する板画を添えたのが板画家、森貘郎(75)=千曲市=だ。タイトルは、小林が好きだった言葉「人生には石より堅い夢がある」にちなんだ。
 「あんずの里」として有名な地元で森は、小林を囲む花見会を催した。亡くなる2年前まで約15年間、小林はその輪で語り合うことを楽しんだ。声高に、押しつけるような物言いはしない。「ものづくりや一品一品を大事にし、日常の美しさを守っていくという民芸は、平和な社会があってこそという考えに共鳴した」と、森は話す。
 子どもたちにいいものに触れてほしいと、吉川らと民芸館立ち上げに奔走し、開館した1995年に99歳で館長となった小林。沖縄や北海道のアイヌ民族などの地域の文芸に着目し「隣国の文化への尊敬が、『平和への願い』の基礎である」は、小林の口癖だった。
 「現在のヘイトスピーチやネットにあふれる他国への蔑視や攻撃を、先生がいたらどう思うだろうか」と吉川。個を尊重し、違いを認め合いながら築く平和で民主的な社会――。戦前から小林が描いた「夢」を、夢のままで終わらせてはいけない。=敬称略(北沢祐生)





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生で生きる

生で生きる

百丈が馬祖大師のお供をして山を散歩していると、突然野鴨が飛び立って行くのが見えた。
馬祖、「何だろう」。
百丈、「野鴨です」。
馬祖、「どこに去ったか」。
百丈、「飛び去ってしまいました」。(昇平コメント:鈍い!鈍い!)

馬祖は百丈の鼻をねじりあげた。 (昇平注:ここにいるじゃないか!)
百丈は痛さに思わず声を立てた、「あ痛、あ痛」。
馬祖、「また飛び去ってしまったと言う」。
百丈はここでドカン!と悟って、背中いっぱい汗が流れた。

寮に戻ると、わあわあと大声をあげて泣いた。
同僚が尋ねた、(中略)「なぜ泣いているんだ」。
百丈、「大師に鼻をねじりあげられ、痛くてたまらないんだ」。
同僚、「どんなわけがあって、大師に叱られたのだ」。
百丈、「自分で和尚に尋ねてくれ」。
同僚は馬大師に尋ねた、「百丈はどんなわけで和尚に叱られ、寮で泣いているのですか。どうか和尚、私におっしゃって下さい」。
馬祖、「彼はわかっておる。君が自分で彼に尋ねなさい」。
同僚は寮に帰って言った、「大師は君はわかっていると言って、君に尋ねてみよとのことだ」。すると百丈はハッハッハッと大笑いした。
同僚、「さっきは泣いていたのに、今はどうして笑うのだ」。
百丈、「さっきは泣き、今は笑う」。
同僚はぽかんとしていた。

翌日馬大師は、法堂に上がって説法の座についた。大衆が集まってくるや否や、百丈は飛び出して、礼拝の敷物をたたんでしまった。
馬祖はすぐに座を下り、方丈に帰った。
そして百丈に尋ねた、「さっきわしが堂に上がってまだ何も説かないのに、お前はどうして敷物をたたんでしまったのだ」。
百丈、「昨日私は和尚に鼻をねじりあげられ、痛かったです」。
馬祖、「昨日君はどこに心を置いたのだ」。
百丈、「今日は鼻はもう痛くありません」。
馬祖、「お前は今日のことをよくわかっている」。
百丈は礼拝して引き下がった。

(参考:『馬祖の語録』入矢義高編 筑摩書房 P168・P169)

この逸話はまさに、存在の真実を自覚するには、「生きた体験」すなわち「生の体験」が何よりも大切だということを伝えてくれます。

アタマの理解だけでは、悟りの日干しのようなものです。

この逸話の第一段の全般はそれまで百丈がいかにアタマの世界に生きていたかがよくわかります。

ところが馬祖に鼻をねじりあげられたとたん、その痛さのあまり、「あ痛、あ痛」と生の声がほとばしり、生きた真実の世界にはっきりと目覚めることができたのです。

こうして、百丈は存在の真実から遊離したアタマの世界を離れ、いつも“いまここ”に生きるようになりました。

それ以降の段は、ただただ、同僚の鈍さと馬祖の親切心が克明に描写されていると同時に、存在の真実に目覚めた百丈のきびきびした動きがとても印象的です。

泣きたければ泣き、笑いたければ笑う。これこそ、まさに、即心是仏そのものです。


さて、このブログのタイトル「生の声」の「生」はどのように読むのか? 「セイ」か?それとも「ナマ」か? 

「生(セイ)」は「生きていること」ですから、当然、「生(ナマ)」です。

生(ナマ)で生きるのでなければ死んでいるのも同じです。





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