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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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MHさんからの手紙

MHさんからの手紙

昇平先生、奈央先生、エリカ先生

この度は(6月1日からの)整体のセミナーでは大変お世話になり、ありがとうございました。

自覚のセミナーからイギリス留学を経て2年、やっと先生方の伝えようとして下さっていることが届く自分になれました。

今はただ喜びに浸っています。2018年5月31日までの自分をなつかしく感じるほどです。物の見え方、聞こえ方がこれほどまでに転換するとは大きな驚きでもあります。と同時に、先生がおっしゃったように、こんなにも簡単で目の前にあったという事実に気の抜けたような思いもあります。

「自然体」「平常心」ということの本当の意味をつかめたというのは大きな喜びです。もちろんまだまだこれからですが、少なくとも進むべき方向性がハッキリしたことは、大きな安心感となりました。

いかに自分が五感、とくに視覚にとらわれていたか、それが故に盲目になっていたか、ということは、私だけの問題ではなく、世の中すべての問題であると再認識しました。

私はこれまでいつも変わりたい、変わりたい、とばかり思っていた気がします。もう変わりたいと思わなくていいのだ、そんな風に思う自分はいないだろうと思うと、とても楽な気持ちになります。と同時に、これから生きてゆくことが楽しみで仕方なくなりました。特に、人と出会ってゆくことが楽しみです。

怖いことがなくなるというのは自由ですね。大げさかもしれませんが、人生で出会う問題のほとんどは既に解決されたという興奮も感じています。

とにかく一番大切なことを教えて下さりありがとうございました。それ以上の言葉はありません。

とりあえず残りの学生生活を存分に楽しみ、日々磨いていくことを忘れずに、適度な緊張感を持って生きてゆけたら、と思います。

先生方もスペインのセミナー、お体に気を付けて出発してください。

また、秋に帰国の際にご連絡致します。

       2018年6月4日
                   M.H




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自分というもの  その3

自分というもの  その3
(その2からのつづき)

26歳の体験の前までは、僕には、この世界では自分を含めてみんな分離してバラバラに存在し、ここに自分というものが存在していて、その外にはすべて自分でないものが存在しているというように思っていました。

ですから、普段は意識することはないとしても、ふとした時に、この世界では自分はどこまでも孤独であると感じていました。だからこそ、何かの折に、自分の心の奥にケチな根性があるのに気がついて、時々、我ながらイヤになることもありました。

それが一変しました。この世界のすべてが自分の分身であり、自分の兄弟姉妹であり、自分自身でした。

空に浮かぶ雲が僕であり、風に揺れる木の葉が僕であり、遠くに見える山が僕であり、「キーッ」と鋭い声で鳴いている鳥が僕であり、膝の上に跳び乗ってきた子ネコが僕であり、テーブルの上のボールペンが僕なのです。

すべてが自分なのです。同時に、自分はどこにもいないのです。こんなことに、ふと気がついたのです。気がついてみれば、これがまさしくこの世界の真実の姿であり、それまで見ていたバラバラの世界は、そのように見えているにすぎません。

生き方も一変しました。「まごころ、本当の心」そのままで生きていけばよいのだ。人のため世のために自分の全てを出していこう、その結果、たとえ野垂れ死にしても、何の悔いもないと思いました。それが最高の生き方だと思いました。それは悲壮な決意でもなんでもなくて、非常に自由で軽やかな新しい人生の出発でした。

すべて手放しで、まごころ丸出しで生きていく。「まごころ」というのは、通常の思考や感情などの通常の心を超えたところに、元々存在する自分の本体である“いのち“から湧き出てきているのだと思います。それで生きられるだけ生きればいいと思いました。ケチな思いがまったくなかったとは言えないでしょうが、自分なりには精一杯まごころに沿って生きてきました。幸いにも、それでちゃんと食えてきました。まさに道中衣食有りです。

他の人からはどう思われるかわかりませんが、自分としては、これまで本当に満足して生きてきました。「満足」という言葉を「安心」と置き換えてもよいでしょう。

確かに、現象としては、いろいろと不都合なことが身に降りかかってきたこともあります。たとえば、緑内障は半年後には奇跡的に回復しましたが、もともと眼は何かと弱く、いろいろ不都合な症状が出てきます。交通事故に巻き込まれたこともあります。

でも、どんなことがあってもいつも自分自身は根底では安心の中で生きてきました。肉体が死ぬときも、恐らく、この安心の中で死んでいくのではないかと思います。

それはそれとして、この世の中にはいろいろなことで苦しんでいる不幸な人が犇めいています。一人も不幸な人がいない世の中を実現することこそが僕の人生の目標です。

こんなことを言うと、「偉いですね」と言われそうですが、それこそ見当違いというものです。みんな一緒、みんな自分なのであり、他人事ではないからです。

(おわり)





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自分というもの  その2

自分というもの  その2
(その1からのつづき)

26歳のときに、目が見えようが見えまいが、自分は変わることはない。したがって、自分の人生の価値と意味は変わらない、ということが体験としてはっきり分かりました。そして、それから1週間の間にそれまでの人生の悩みが全部解決しました。それまで人生に対するいろんな深刻な疑問があったのですが、その一週間のうちにその疑問自体が一切なくなってしまったのです。

では、「何がそれまでと違ったのか?」と問われても、なかなか言葉では説明できません。
でも、強いて言葉で表現すれば、「世界観が540度、1回転半変わった」、あるいは、「それまで見えていると思っていた世界とはまったく違う世界が見えた」と言うこともできるでしょう。

僕はその時まで、「いろいろな精神的活動(心)と肉体的な活動をしているこの体」が“自分”というものであると思っていました。簡単に言えば、この体と心が自分だと思っていたのです。

ですから、病気やケガでこの体が損傷したりすれば、それは「自分が損なわれた」ということであり、心の働きに何らかの異常が出てくれば、それは「自分が異常になった」ということであり、心の働きを含めてこの体の働きが停止すれば、それは「自分が死んだ」ということであると思い込んでいました。

ですから、肉体的に死ぬことは「自分がなくなる」と思っていたので、怖くて仕方がありませんでした。

同じように、眼が見えなくなるということは、「自分が大きく損なわれることである」と感じていました。ですから、怖くて仕方がなかったのです。

ところが、眼科医の説明を冷静に聞いている自分に気づいた時に、アレッと思い、何か自分の中を外から覗き込むような感じになりました。それからすぐに病院の玄関を出て、空を見上げた時に、前方に葉っぱがすっかり落ちたイチョウの木が見えているのですが、同時に、無意識の内に、逆方向の眼の奥の方を見ている感じになったのです。そして、そこには、ただ静寂で透明な空間だけがあることに気づいたのです。

もちろん、これは視覚的な錯覚に過ぎないのですが、それをきっかけに「本当の自分というものは、この体や心ではなく、それらの内側というか奥にあって、色も匂いも形も姿も音もなく、ただ空っぽで透明・静寂、それだけに、何があっても絶対に変わらない確かな実在である」ということにはっきりと体感的に気づいたのです。

その後は、時間を見つけては、体や心ではなく、それらの奥にある本当の自分を確かめるようにしてきました。それと同時に、この体の外にある人やネコや草や木、あるいは、机や畳、部屋など、あるいは、森や山や空など、いろいろなものに意識を向けるようにしてみると、やはり、それぞれの奥に同じ透明・静寂で空っぽな確かな実在が感じられるようになってきました。

それで、その実在を“いのち“と呼ぶことにしたのですが、結局、この世界にあるものは姿、形は違っていても、すべてこの同じ一つの“いのち“が現象として現れていることを知りました。すべては不可分(分けることができない)一体、すなわち、「みんな一緒」なのです。

(つづく)





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自分というもの  その1

自分というもの  その1

眼が見えても見えなくても、自分は決して変わらない。体や心、さらには外界の状況はいろいろ変わることはあっても、自分自身は決して変わらない。なぜなら、体や心は着物のようなもので、それらを着ている自分自身ではないからだ。自分は体や心のずっと内側にあって、絶対不変で完璧であり、何があっても傷つくものではない。だから、どんなことがあっても、恐れることも心配することもないのだ。

以上は、僕が26歳のときに眼科医に「緑内障です」と宣告された直後に体験した気づきを当時の僕の拙い言葉で表現したものです。

26歳の時の気づきをもう少し詳しく説明してみましょう。

眼が見えないということは、体の一部に不具合があるということであるが、それは自分が着ている洋服に穴が開いているようなものだ。しかし、たとえ洋服に穴が開いても自分自身に傷が付くわけではない。つまり、本当の自分自身は何があっても傷つくこともなく、絶対に変わらない、何一つ欠けるところがない完結した存在である。

それはまったく透明で静寂で何もなく「空っぽ」のように見えるが、実は、どこまでも何かが充満している。

それはまさに般若心経に書かれているように、もともと生まれたものではなく、何かによって消滅するものでもない。何かの条件によって増えたり減ったりするようなものではない。そして汚れたり清くなったりするようなものでもない。不生不滅であり、絶対不変の存在なのだ。

自分は何があっても死なない。いずれ時が来て肉体は滅びても、自分は死なない。肉体が滅びて、自分という意識があるのかどうかはわかりませんが、自分はどこにも行かない。これは魂(そんなものがあるのか知らないが)の話をしているのではない。肉体、心、魂(それがあるとして)などの着物の話ではなく、それを着ている奥にある本体、つまり、自分のことだ。とにかく、自分というものは絶対不変であり、何があっても傷つくことはない。だから、何も恐れることも心配することもないのだ。

この確信は今日に至るまでどんな状況にあっても微塵も揺るぐことはありませんでした。そのお蔭で、今日まで、文字通り、何物も恐れることなく楽しく生きてきました。


けれども、当時は、「自分は身体や心ではなく、その奥にあるもの」ということには気づいていたのですが、「その“自分”の正体は何なのか」ということが充分にはっきりしていたわけではありませんでした。

それまで、すでに自分というものについて、体験的に存在の事実をはっきりと捉えていたにもかかわらず、そのときはまだ「個としての自分はある」という観念に縛られて、自分と全体の関係ということにあまり関心が向いていなかったからだと思います。

でも、その後心が落着いて、全体との関りがだんだん見えてきて、次第にはっきりしてきたのは、自分が不生不滅の絶対の実在であるのと同じように、この世界のすべてのものが不生不滅の絶対の実在であること、そして、真実は、この世界のすべてがぶっ続きの同じ一つの不生不滅の絶対の実在であるということです。

すなわち、「自分は宇宙であり、庭の1本のタンポポの花が宇宙だ」ということです。

(つづく)






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本当にわかるということ

本当にわかるということ

タバコの実態を調べてみると、メリットは一つもなく、あるのは、とんでもないデメリットばかりだということがわかります。

このタバコの真実がはっきりわかれば、吸いたい気持ちは完全に消えてしまいます。吸いたい気持ちがなければ、いらない紙くずをゴミ箱にポイと捨てるようなもので、やめるのに精神力はまったく必要ではありません。やめたい気持ちと吸いたい気持ちとの葛藤もないので、禁断症状も出ません。ですから、簡単にタバコをやめることができます。

ところが、「タバコの真実が分かっても、吸いたい気持ちがなくならない」という人たちがいます。

ここで、問題です。
そういう人は、タバコの真実がわかっていないのでしょうか? だから、吸いたい気持ちがなくならないのでしょうか?

このように質問すると、ノンスモーカーの人たちは大体「そういう人たちはアタマでわかっているだけで、本当にはわかっていない」と自信たっぷりに答えます。

まだタバコを吸いたいと思っている人たちも「自分たちは多分本当にはわかっていないのだろう」と自信なさそうに答えます。

要するに、「本当にわかっていれば、吸いたい気持ちがなくなって、すぐにやめられるはずだ。そうでないということは、本当にはわかっていないのだ」と言いたいのでしょう。

タバコだけではありません。存在の真実についても同じような現象が見られます。

僕はセミナーやブログを通じて、存在の真実について、みなさんにわかるように説明しています。

一部の人たちはすっきり「わかった」と言い、その瞬間から存在の真実に沿った生き方に見事に転換し、その後も生き生きと生きています。

ところが、多くの人たちの反応の仕方はタバコの場合とよく似ているのです。その時は、「よくわかった」と、とても喜んでいるのですが、その後、はっきりと存在の真実に沿った生き方に転換したようには見えません。本人に聞いてみても、同じように感じているようです。

これはどういうことでしょうか?

どうやら、本人は「アタマで分かっただけで、本当にはわかっていないのではないか?」と思って、自分自身でも不甲斐ない思いをしているようです。

でも、ここで僕ははっきり断言します。

僕のタバコの説明を聞いたスモーカーの人たちも、セミナーで存在の真実を自分で確かめた人たちも、本当は、よくわかっているのです!!!

ただ、それ以前の、自分の感覚(妄想)がクセのようにその上にチラチラと重なって見えるために、真実がちゃんと見えていないように感じてしまい、自分はよくわかっていないのではないかと感じるのです。

雲の上にはいつも青空があります。

雲を何とか取り除こうとするのではなく、青空だけを見ていれば、いつのまにか自然に雲は消えてしまいます。

同じように、クセのように現れる妄想的感覚を相手にするのでなく、自分は真実を本当にわかっていることを確信し、それに沿って生きていけばよいのです。そうすれば、脳内に新しいプログラムが形成されて、クセのように現れていた妄想的感覚はしだいに現れないようになっていきます。

僕のセミナーで存在の真実を自分自身で確認されたかたは、自信を持ってください。

あなたは“本当は”わかっているのです!!!





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なぜ平和な世界を希求しないのか

なぜ平和な世界を希求しないのか

1967年3月6日未明に

人間は空を飛ぶことを夢見た
人間は水をくぐることを夢見た
レオナルド以前にも
それを空想した人があるかも知れない
レオナルド以後の多くの人々の夢は実現した

人間と人間が殺し合わない世界の実現は
空を飛ぶより
水をくぐるより
より切実な夢ではないか
人間の集団が他の集団から襲われることを
疑い恐れている あわれな姿
人間として人間を恐怖する姿
そんなことがあってよいものか
なぜ、それをなくすことを夢みないのか
人間が他の人間の上に爆弾を落とす
そんなことが
平気でできる人間がいてもいいものか

生きようと切な願いを持つ人々
その切な願いにかこまれて
生きようとする自分

自己を生かし 他を生かす
人間の悲願のすべては
そこにかかっているのではないか

エラスムスが夢み
カントが夢み
限りなく多くの人々が夢み
意識的にせよ 無意識的にせよ
すべての母親が心の底に願い夢みている
戦争なき世界がどうして実現できないのか


社会に正しさを豊かさを育てようとする社会
科学は何をしているのだろう
社会をよくし正しくしようとし
隣人愛人類愛を説き願うすべての教育者は
何をしているのだろう
戦争なき世界の実現は夢なのか
夢は実現できないというのか
空を飛び 水をくぐり 宇宙の果ての
月に星に旅しようとする夢は実現できても
人と人が殺し合わない世界の実現は
できないというのか

「人間の業の深さ」などといって良心をごまかし
何もせず 傍観していてよいものなのか
世界の科学者教育者
すべての人々が手をつなぎ
力を合わせる時が来ているのではないか
日本の科学者は
なぜアメリカの科学者によびかけないのか
なぜ世界の働くもの 科学者教育者は
団結しないのか
なぜすべての人々は
自分でできる平和の道をさがさないのか

(1967年 3月 小林 多津衛 70歳)


この文章は僕が敬愛する故小林多津衛先生が書かれたものです。

パソコンの整理をしていたら、さっき偶然この文章を発見しました。

僕も昨日からずっとまったく同じ趣旨のことをブログに書きたいと思っていました。

実に不思議です。


(なお、「なぜ平和な世界を希求しないのか」というタイトルは僕が仮に付けたものです。)





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自覚のセミナーの感想  NNさん

自覚のセミナーの感想  NNさん

昇平先生のお話を聞き、ブログを読み、奈央先生のご指導で身体を整え、セミナーのお世話係を重ねることができて世間の洗脳から解放され完全に自由になりました。

ごくふつうの私が絶対に変わらない存在の真実を知ることができるなんて、先生方と出会わなかったらあり得ないことです。もし、整体に出会わず、自覚のセミナーを受けていなかったら、バラバラ感の世界でみじめでつまらない人生だったと想像します。

2年前の自覚のセミナーで、CCさんの深い気づきを目の当たりにして、鳥肌が立つほど感動し涙がでました。
自分の検べ方がいかに浅いものなのかに気が付き、猛烈に反省し、これからはごまかしなく、まっすぐ逃げずに検べていこうと決意しました。それでも去年は恵理佳先生に自分でも気が付いていない怒りについてアドバイスをもらいました。そして今年も自分のテーマがありました。

セッションで、参加者の様子をみていて、「私はこのテーマは知っているよ。聞いたことあるよ」と思いながらセミナーに参加するのはもったいないなと感じました。自分も分かったつもりになっていないか、一度検べたその先のもっと深いところを検べました。そしてみなさんが答えていた言葉や、戸惑い、引っかかっていることを検べました。

言葉の中に、あれ?と感じる自分自身はなんだろうと検べていくと、自覚を受ける前の自分はどうだったのか?少し先に分かり始めているというおごりはないか?人に寄り添っているのか?バラバラ感ではないのかと思いました。

世の中がどれほど間違っていて、息苦しく、不自由に生きている人が多いのかと感じ、自覚のセミナーの存在も知らない人が大多数で、私たちがいかに恵まれているかを有難いと思うと同時に広めていくことが先に知った人の役割だと思いました。

先生はみなさんの言葉を丁寧に聞いて、参加者自身で気が付けるように色々な角度からセッションを進めていきました。参加者が気が付いていき、表情がだんだん安心していく様子をみていると、先生の深い深い愛情を感じ、どこまであたたかくやさしいのだろうと思いました。先生がみえているみなさんの本当の姿はどれだけ輝いているのかだろう。わたしはどうだろう?みなさんの本来の輝きが見られているのだろうか。もともとみんな輝いているのに。

セミナーでは一人では気付けないことを、仲間がいることで気が付き、思いがけない言葉に響き合って、反応し合って、深まっていきました。誰一人かけても今回のセミナーにはならないことを実感し、「すべてよし」ということが身に染みました。

セミナーが終わって、自分のテーマを検べるため、静かな時間を過ごしました。
セミナーが終わって3日後、騒がしい地下鉄を歩いていると、まわりを歩く沢山の人や人工的な地面、天井、柱など目に見えるもの、見えないもの宇宙まで一体感を感じ、深い安心感に包まれて涙が出ました。

ああ、見ているようで見えていなかった~。毎日、見ているはずの景色、人、花、空、星、虫までキラキラ輝いていました。ずっとそうだったんだ。だけど新鮮で、美しいな、楽しいな~と嬉しくなりました。

不可分一体のいのちをいきているんだ!湧き上がった気持ちは消えません。
きっともっともっと深く無限なんだろうと想像しますが、今、私が感じたことは、それは、それで、ただ今を精一杯楽しく生きていこうと思います。

5年前は、主人が自覚のセミナーに参加することなど、夢にも思っていませんでした。先生方から学び、「無いってことは無い!」と心の底から思えて、彼のペースにも合わせて少しずつ準備をしてきました。

もし、勧めるのが私だけだったら、彼の参加はもっと時間が必要だったかもしません。奈央先生はじめ、ガイアで働く人や整体ライフスクールのみなさん、本当にたくさんの人に助けてもらい実現しました。こんなにありがたいことはないです。

こんな風に、みんなの真心が人と関わって広がって、実現していくことを体験すると、何に対してもお互いが助けになって巡っていく。ということが、本当はとても自然なことなのだと思い、楽しくなってきます。

言葉では表せないほど先生方にお世話になりました。過去も含め私はどれだけたくさんの人にお世話になったんだろうと思うと、今度は私が世の中に真心丸出しで恩返しをしていきます。そういう生き方をしていきます。


(昇平: 今回の「自覚のセミナーの感想」はこれで終わりです)





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自覚のセミナーの感想  MMさん

自覚のセミナーの感想  MMさん

先日は貴重な体験をありがとうございました。

4泊5日でしたが、とても長い時間を過ごしたような気がします。

心や言葉、考える力を引き出していただいて感謝の気持ちでいっぱいです。

いつでも安心して戻れる場所も見つけられました。

小さい頃からの生活環境と体験で感情も凝り固まってしまい、生きている感覚もなく、誤解されることも多く、ずっと自分を押し殺すように過ごしてきました。

整体に出会ってから、少しずつ不安を感じることは少なくなっていましたが、芯にある塊のようなものはずっと残ったままでした。

その塊が自覚のセミナーを受ける中でほぐれていき、胸いっぱいに息を吸い込めるようになりました。

親や祖母、近所の人達も本当は心のあたたかい純粋で素朴な人たちなのに、いろいろな事情で悲観的になり、批判や非難、怒ることでしか自分を発散、表現できなくなっていったのだと思えるようになりました。

里山の暮らしは大変なことも多いですが、見方を変えれば、こんなに恵まれている場所はないことに気づきます。山や川で虫や魚、動物と触れ合ったり、水や土、光や風、木々や葉っぱの揺れる音を身近に感じたり、朝や夜の凛とした空気、すべてに幸せを感じられます。

人に対しても、自分に対しても可能性を狭めるような考え方はもったいないということに気づきました。昇平先生、奈央先生、恵理佳先生のように、可能性を広げていけるような人間になりたいです。

人生の中でいろいろな事が起きますが、ありのままに受け入れて、前を向いて楽しい気持ちで進んで行きます。

ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。
                               
                                



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自覚のセミナーの感想  LLさん

自覚のセミナーの感想  LLさん

まず、昇平先生、恵理佳先生、先日は5日間のセミナー本当にお世話になりました。

そして、自覚のセミナーをプレゼントしてくれた両親や、直接セミナーには出ていないけれどセミナーに想いを馳せてくださっていた奈央先生、お世話係の山田さん、準備に携わってくださった方々、そのほかにもはかり知れないほど多くの皆さんに支えられてこのセミナーを受けられたこと、本当に感謝しています。

セミナーは、昇平先生がひとつずつ問いを出し、その問いについてそれぞれがしらべ、答えを出すというものでした。

その中で、3日目のある問いが、私にとっては答えにたどり着くのが困難で、時間を要するものでした。しかし、なかなか答えが出ず燻っている私を、愛をもって見守ってくださる昇平先生をはじめとするみなさんのおかげで、本当にすっきりと答えが出ました。

私はその問いについての答えがわかった時の、あの、すうーっと腹におさまっていく感覚、確かに答えが腹の中に浮かび上がり、しっかりと据わった感覚を一生忘れません。忘れられません。思い出すだけで涙が出そうなくらい、感動的な体験でした。また、それと同時に、その場にいるすべての人たちが、窓から見える草花が、この世のすべてのものが、愛おしくてたまらなく感じました。

そして、その後のセミナーの中で、いのちはひとつながりで、”みんな一緒”である。みんながいるから私という存在が成り立ち、私という存在がいるからすべてのものが成り立っているのだという話を聞き、3日目のあの問いについてわかった時の、すべてが愛おしいというあの感覚は、”みんな一緒”であることを私の存在そのものが理解したから生じた感覚だったのだ、と思いました。

その愛おしいという感覚が私の中でとても明快で確かなものであっただけに、いのちはひとつである、”みんな一緒”である、という真実も、本当にはっきりと私の腹におさまっていきました。

今、セミナーを終え、普段の生活を送っていますが、本当に日々が愉快です。

セミナーを受ける前には苛立っていたことも、今はむしろ楽しめているくらいで、なんであんなにストレスに感じていたのかしら、と思います。

それだけでなく、日々の生活を送っているだけで、本当に愉快で楽しくて満ちています。

私がセミナーですべてが愛おしいと感じられたように、本来はすべてのものが愛おしい存在であるということを、すべての人が気づき、ひとつながりのいのちを大切にしていくことができるのが真の幸福であると思います。

この真の幸福を実現するために、セミナーを通して体得した真実に沿って生きます。そのスタートとして、この自覚のセミナーの体験を確かに自分の軸にしていきたいです。





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自覚のセミナーの感想  KKさん

自覚のセミナーの感想  KKさん

四泊五日の長丁場、「一生に一度」の機会と思って仕事の休みを取り、参加しました。

どんな内容かわからず不安もありましたが、整体で一緒になった方が数名いらして、もともと人見知りしない性格ですのでたのしく過ごさせていただきました。

あっという間の五日間、おわって新幹線に乗り、帰宅して。またまたあっという間に二週間が過ぎてしまいました。セミナーの内容を振り返るひまもなく・・・・。

あの時間をそのまま持ってこれたらよかったなあと思います。
あの時間はなんだったのか、ふりかえっても思い出せない。
日常にまぎれて、ふっとんでいってしまった・・・。

わかったこと、わからなかったこと、自分のこれからの課題です。

ひとつ言えるのは、子どもの頃の「ホールケーキ9等分」を思い出せてよかったです。

昇平先生があるテーマについてお話されていたときに、急に思い出して・・・母は平等にわけていたんですね。

うまく書けなくてすみません。いろんな地方からきたひとたちが、集っている、それぞれが意見を持ち、会話をすることで新たな気づきにつながる・・・。貴重な時間をすごさせていただきました。

いろんな方からの差し入れもありがたかったです。
お花の差し入れ、すてきでした。お茶やおかしも。わたし何も気づかなくて・・・なにか持ってくればよかったですね。新聞くらいしか、差し上げられすに。

セミナーの会場もすごくいい環境で、街中でくらしているわたしには新鮮でした。





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自覚のセミナーの感想 JJさん

自覚のセミナーの感想 JJさん

5日間の自覚のセミナー受講後、職場や家庭の日常生活に戻って、色々な場面で自分の受け取り方が以前と全く変わったことに驚いています。今までなら些細な事でも「自分の思い」で怒り、グルグルずっと頭で考えていたのに、事実を受け止めて終了。イライラや怒りの感情が起きない。大きな安心感に包まれ心はとても穏やかです。

お世話係様を含めて16名の受講者でしたが、先生と一対一で会話しているような感覚でした。あの場にいたメンバーや離れた場所から自覚のセミナーのためにサポートしてくださった方々がいらしたから、真実に辿り着くことができたのだと思います。

今まで自分自身と向き合う作業をしていなかった(避けていた)ため、先生の問いかけに反応が鈍くて言葉に出すのが遅くても、それぞれのペースに合わせてじっくり導いてくださったので、焦ったり、自分はダメだと落ちこぼれたりせずに作業することができました。

他のメンバーの意見を聞いて、自分の本当の想いに気づいたり、泣いたり笑ったりしながら、メンバーと一緒に真実をみつけていく作業は楽しかったです。一つ一つ真実が明らかになるごとに肩の荷が下りたように気持ちが楽になって、モヤがかかっていたのがスーっと晴れて、自分の表情が明るくなっていくのがわかりました。

「自分の思い」が作り出した必要以上の恐れや自己否定や怒り、その他諸々の負の感情によって苦しんでいたことに気づきました。自分で自分を苦しめていただけでした。

まだまだ今までの癖がでて、頭で考えてしまうことも多いので、自覚のセミナーでの色々なセッションを振り返っています。その場でわかったつもりだったことに気づいて、しらべなおしたり、先生方や参加メンバー達のあたたかい深い愛に包まれた安心感と一体感を、遠く離れていても「みんな一緒!」なんだと再確認しています。

自覚のセミナーを受講することができて本当によかったです。

先生方をはじめ、セミナーにかかわる全ての方々に出会えた、このかけがえのない体験を、今後の自分の生き方に必ず生かしていきます。みんなが幸せになるために、まずは自分の心と体を整えて、どんなときも笑って暮らせるように、笑って人生を終えられるように、毎日を精一杯生きていきます!

これからもよろしくお願いいたします。





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