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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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必然と自覚 その2

必然と自覚 その2
(その1からのつづき)

この世界では、自分がどう思おうと、すべて起きるべきことが起きており、完璧です。
このように言われて、あなたはどう思いますか?

多分、あなたの本音は「そんなことはない。たとえば、何の罪もない人が夜道で通り魔に理由もなく殺されるような事件が時々起きている。このような事例は他にも数えきれないぐらいある。そんなことは絶対に起きてはいけないことだ。それなのに、それを『起きるべきことが起きている』とか『完璧だ』と言われてもとても納得できない」と言うような感じではないでしょうか?

あなたがそのように思うのも当然です。でも、僕が言いたいことは、あなたのそんな思いをも含めて、起きるべきことが起きているのであり、その意味で完璧だということです。

こう言っても、多分、まだ、何かしっくりこないとか、何かおかしいという感じがするかもしれませんね。

実は、この存在の真実は二元相対的思考では少し理解しにくいところがあるので、順を追って説明してみましょう。

この世界、あるいは、この大宇宙は最終的完成に向かってまだ進化・発展の途上にあります。宇宙や大自然の様子はビッグバン初期の段階から見れば、完成とは行かなくても、かなり進化した調和の状態にあるようです。人体も30億年以上何千万回もの進化を重ねてかなり完成に近づいてはいるようです。

ところが、宇宙や大自然や人体などに比べると、人間社会や人間一人一人の生き様を見るとまだまだ多くの不調和や混乱や苦しみの中にあると言えるでしょう。

それはなぜか? 宇宙や大自然や人体は一元絶対つまり不可分一体の存在の真実の法則・真理(宇宙の場合は宇宙の法則、大自然の場合は大自然の法則、人体の場合は人体の法則・本能)に沿って働いています。

一方、ほとんどの人は人間に本来備わっている自然の法則の顕れである心・真心を軽視し、二元相対的にしか思考できないアタマ(大脳)に頼って、バラバラ観に基づいた社会の中で生きています。

“いのち“はなぜ人間にこの世界の一元絶対の真理つまり不可分一体の存在の真実に背(そむ)きかねない二元相対的思考をするアタマを与えたのでしょうか?

それは、簡単に言えば、この世界に“自覚した存在”を誕生させたかったからです。

植物や人間以外の動物は大自然の法則、つまり、本能に沿って生きているので、基本的に大自然と調和して“ただ”生きています。つまり、彼らは大自然と本能的に調和して生きているだけで、“無自覚”なのです。

擬人的に表現すれば、それだけでは創造者である“いのち“は満足できなかったのでしょう。”彼“は自分がどういう存在であるか、自分が生きているこの世界がどういうものであるかを自覚した存在を創らなければ、この世界を創造する意味がないと、そもそもの初めから考えていたのでしょう。

では、そのような自覚した存在を彼はどのように創ろうと考えたのでしょうか?
それは、まず、わざと一元絶対の存在の真実に反して二元相対的にしか思考できないアタマ(大脳)を持つ存在を進化の過程で生みだすように生物進化の仕組みを創ったのです。

(つづく)





必然と自覚 その1

必然と自覚 その1

存在の真実とは何か? つまり、自分とは何か? この世界とは何か? 自分はどう生きればよいのか? これが「いのちの塾」の基本テーマです。

さて、多くの人はこの世界や自分について次のように考えているようです。
ここに、大宇宙・世界という入れ物(空間)があり、その中に自分を含めていろいろなものがバラバラに存在している。

しかし、存在の真実は、全宇宙・世界全体がひとつの大生命体なのです。それは、小宇宙と言われる人体には、胃や腸、心臓、肺、肝臓、腎臓、血液などいろいろな器官や組織や細胞がありながら、そのどれひとつバラバラではなく、全てが有機的に繋がり、互いに支えあいながら、人体というひとつの生命体を構成しているのと同じです。

その一大生命体を僕は“いのち“と呼んでいます。この世界のあらゆる存在や現象は“いのち“の顕れです。当然、自分を含めてすべての人間の存在、その行為や思いや感情なども“いのち“の顕れです。

しかし、この世界のあらゆる存在や現象は決してデタラメに顕れているのではありません。それは、大宇宙の星の運行や大自然や人体などの調和した姿やハタラキを見れば明らかです。“いのち“はより大きな成長とより深い調和を目指して、刻々と自らを世界として自らを展開しています。

つまり、この世界のすべては“いのち“のハタラキであり、“いのち”そのものです。ですから、この世界のあらゆる存在や現象は起こるべきして起こっています。その意味で、完璧なのです。

自分や他の人が「これはよい。あれはダメだ。これは好きだ。あれは嫌いだ」など、どう思ったとしても、何をしたとしても、それも“いのち”のハタラキで、必然的に起こっています。ですから、“それらの思い”ぐるみ“完璧です。

自分やその他の人の思いや行いなどを含めて、この世界のすべての存在や現象は、 “いのち“が“いのち“を“いのち“している、つまり、“いのち“がより大きな成長とより深い調和を実現するという自らの目的に向かって展開している姿です。ですから、“いのち“のレベルですべてが絶対的に完璧なのです。

誤解のないように繰り返し言いますが、私たちは何も思ったり、言ったり、したりしてもいけないとか、ムダだなどと言っているのではありません。私たちの思いや行動や生き方がどうであれ、それぐるみ、より大きな成長とより深い調和を目指している“いのち”のハタラキで起こるべきして起こっているということです。

ですから、自分がどう思おうと、何があろうが、この世界ではすべて起きるべきことが起きているのであり、この世界は “すべて完璧”な世界なのです。

この真実に目覚めた時に、この世界において「あれはいい、これはダメだ、こうすべきだ」などと思ったり、いろいろと行動したりしながらも、私たちは根底において“いのち“の世界に対する絶対の信頼・大安心を持ち続けることができるのです。

それは、たとえれば、孫悟空がお釈迦様の大きな温かい手の中で、いろいろな思いを抱きながらも、根底において、お釈迦様の手に絶対的な信頼と大安心を持って生きているようなものです。

(つづく)





驚異的な体のハタラキ その7

驚異的な体のハタラキ その7
(その6からのつづき)

どうして人間は肥満になるのでしょうか?
それは食べすぎるからです。

では、どうして食べすぎるのでしょうか?
とても美味しいから? たくさん食べないと栄養不足になると思っているから? などなど。

正解は本当に美味しい食べ物を食べていないからです。“本当に美味しい味“と言うのは、白砂糖やその他のものを加え、生の味を胡麻化した味ではなく、食べ物が砂糖や調味料なしの自然そのままの状態で美味しいと感じるもののことです。

私たちの味覚は私たちの体を健康に保つように働いている本能のハタラキによるものです。
ですから、味覚は、生のものを他の物を加えて胡麻化したものでなく、生のままで体によいものは”美味しい“と感じ、体によくないものは”不味(まず)い“と知らせてくれるセンサーです。

ですから、生のまま、そのままで美味しいもの、たとえば、果物は最高に体によい食べ物で、必要な栄養素がバランスよく含まれています。

このように生のままで本当に美味しい食べ物を食べ、体が必要な栄養素を取り入れると、体は満たされ、自然に食欲も満たされ、それ以上は食べたいとは思わなくなります。

ところが、栄養素が糖分だけというように、偏っていたり、必要な栄養素が不足していれば、いくら食べても体は満たされないので、体自身がもっともっと食べなければと、食欲が落ちずに、食べ続けたくなるのです。そういう食生活を続けていれば、いずれ肥満にもなり、また、胃や腸、あるいは、肝臓や腎臓などの消化器や排せつ関係の器官、さらには、血液も老廃物過剰で濁ってきて、さらに重篤な病気になってしまいます。

いずれにしても、生の状態で美味しいものは栄養素がバランスよく含まれているので、体自身がもう必要な量を摂取したと感じれば、自然にそれ以上は食べたくなくなるので、好きなものを好きなだけ食べて、いつも本来理想的な体重と体型を維持することができるのです。野生のカバのように。

多くの人は、ちょっとでも熱が出たり、胃が痛かったりすれば、それ医者だ、注射だ、薬だ、予防注射だなどと大騒ぎをしています。その根底には「私たち人間は弱いものだ」という思い込みがあります。

私たちは洗脳社会に生きています。テレビを見れば、しょっちゅう薬やサプリのコマーシャルをやっています。製薬会社の第一目標は「いかに儲けるか」ということは明らかです。ですから、コマーシャル作りも人々に親切なふうを見せながら、いかに巧みに多数の人を不安にさせて、自社の薬を買わせるかに置かれています。

しかし、私たちは決して弱い存在ではありません。私たち人間は大自然から生まれ、すでに30億年以上も数々の困難を乗り越えて進化を続けてきました。

私たちには健康に生きるための機能がすべて備わっています。

健康だけではありません。
アタマを正しく使い、私たちに備わっている本能に従って生きて行けば、心身共に健全かつ幸福に生きていけるのです。

私たちにはすべて必要なものはすでに備わっているのです。
社会的洗脳から脱して賢く生きてゆきましょう!

(おわり)






驚異的な体のハタラキ その6

驚異的な体のハタラキ その6
(その5からのつづき)

野生の動物には食物が不足して痩せているものはいても、肥満したものはいないそうです。
野生のカバたちは肥満しているのではありません。食べ物を十分食べているカバたちはみな理想的な体型を保っていると言います。

それは、なぜでしょうか?
彼らは人間のように体にあまり必要でないものを食べたり、食べ過ぎたりしないで、大自然の法則、すなわち、本能に従って、体に必要な食べ物を必要な量だけ食べているからです。

それに対して、ほとんどの人間は本能に従って食べていません。簡単に言えば、食べ物に関してほとんどの人間はアタマに頼りすぎて、本能を無視したり、見失っているからです。

けれども、アタマを正しく使えば、人間の体の本能に従って、楽しみながら必要な食べ物を、必要なだけ食べて、肥満を防ぐことは簡単にできるのです。

では、アタマを正しく使って人間の体の本能に従う、とは具体的にどういうことでしょうか? 砂糖を例に説明しましょう。

多くの人が、砂糖が入った食べ物やお菓子が好きなのは、その甘さに惹(ひ)かれるためだということは誰にもわかるでしょう。では、なぜ、私たちは甘いものに惹かれるのでしょうか?

それは、私たちの先祖がチンパンジーやゴリラと同じような生活をしていたときのことを想像すればすぐにわかります。その当時人類の先祖は暖かいアフリカの森の中に住み、果物や木の葉っぱ、草、虫や小動物などの”自然食“を自由に”自然から”手に入れて食べて生きていました。

なかでも、果物は炭水化物を主として、エネルギーの源となる糖分や各種のミネラルなどの栄養価に富んでいるだけでなく、同時に、安全な水分を摂取できる“とても美味しい完全食”でした。

森を離れて草原に住むようになっても、人類の食生活は基本的には変わりませんでした。すなわち、人類は甘い果物はとてもよい食べ物であることを体験的に覚え、それはやがて本能的記憶となったのです。つまり、人類は本能的に甘いものを美味しいと思うようになりました。本来、“美味しい”ということは“体によい食べ物である”と本能が知らせてくれているのです。

このように、甘いものを多くの人が好むのは本能なのです。でも、本能だから自然なのだとは言えません。

その後、人類は農耕時代に入って、“タマで考えた作物”を自分たちで作るようになり、人間の食生活が大きく変わっていきました。その過程で、砂糖の栽培が始まります。

甘い砂糖を好むのは、本能的に、”完全食“である果物と同じように砂糖も完全食であると錯覚してしまうからなのです。

つまり、本当に求めているのは“果物”なのです。しかも、現代では、砂糖は精製されたものがほとんどで、果物のように糖分を体の組織にうまく適合する役割を持った各種のミネラルがほとんど含まれていません。

おまけに、糖分が凝縮されており、高濃度の糖分は動物の細胞や血液などのメタボリズムを大きく乱し、大変有害なのです。その害はとくに白砂糖において顕著です。

ですから、糖分を採りたいなら、果物を食べたり、精製していない黒砂糖やハチミツなどが望ましいのです。

(つづく)





驚異的な体のハタラキ その5

驚異的な体のハタラキ その5
(その4からのつづき)

多くの人はアルコールはストレスを解消してくれると思っています。たしかに、実際にアルコールを飲んだ後、そんな“感じ”がするのは事実かもしれません。

しかし、それはアルコールが神経のハタラキを鈍らせてストレスを感じないようにするからであって、ストレスそのものがなくなったわけではありません。ですから、酔いが醒めて、神経のハタラキが回復すると、再びストレスを感じます。しかも、そのストレスに加えて、アルコールの摂取による体の負担(ストレス)が加わるのです。

でも、そもそもストレスとは何でしょうか? 言い換えれば、ストレスはなぜ、何のために生じるのでしょうか? 

ストレスは私たちにはなくてはならないものであり、「このままでは自分を取り巻く状況が大変だよ。早く何とかしなければならないよ」という、これも体の警告シグナルの一つなのです。

ですから、アルコールや薬を飲んでストレスを感じないようにしても、状況自体が改善されるわけではないのです。それは火事で何かが燃えているときに、警報装置が鳴っているときに、警報装置のスイッチを消して警報装置が鳴りやんだのを、火事はまだ続いているのにも関わらず、「これで一件落着だ!」と言っているようなものです。

ストレスを本当に解消するには、神経を鈍らせてそれを感じないようにするのではなく、ストレスを生じさせている根本原因を取り除く以外に方法はないのです。

その根本原因が体のある部分、あるいは、全体の酷使によるものであれば、まずは、ゆっくり体や当該部位を休めることです。その根本原因が自分の外にある場合には、心身を整えながら、あらためてその問題を見つめなおして、根本原因の解決の方法を探り、的確な処置をとることです。それ以外には、ストレスを本当に解消する道はありません。

タバコやアルコールなどの依存性物質は共通して私たちにストレスが解消するように錯覚させ、実は、かえってストレスを増します。カフェインを多く含むコーヒーや紅茶や日本茶なども同じです。人間のアタマはなんとたやすく騙されることでしょう。

野生の動物は、一般に、食べ物をどのように確保するか、危険な敵からどのようにして身を守るか、厳しい気候変化など非常に過酷な環境のなかで生きています。

一方、私たち人類の生活環境はアタマを使うようになったためにここ数千年の間に、大幅に“改善”?されてきました。そのおかげで、他の動物の生活環境に比べると、特に、先進諸国あるいはそれに準じるような国々では、台風や洪水や地震や津波、あるいは、戦争などの非常時は除いて、日常的にはほとんどのストレス原因を克服してしまいました。
にもかかわらず、私たちは私たちの生活環境に比べて何百倍も厳しい状況で生きている他の動物たちに比べて、何十倍、何百倍もストレスを感じながら生きています。

これはとてもおかしくないですか?

その原因は一体何でしょうか?
それは、一言で言えば、愚かさです。言い換えれば、五感とアタマを過信して、私たち自身が何者であるかに気づかず、大自然の法則を無視して生きているからです。

(つづく)




驚異的な体のハタラキ その4

驚異的な体のハタラキ その4
(その3からのつづき)

この社会に生きるほとんどの人は熱が出ると、「熱は悪い」と考え、体を冷やしたり、薬をのんで熱を下げようとします。

これは“文明の進んだ社会に生きる現代人”にしてはあまりにもお粗末な短絡思考と言わざるをえません。多くの人は熱が出た時に「体にとって熱は悪いもの」と決めつけ、「熱がなぜ出たのか?」と考えようともしません。

熱が出るのは体にとって必要だからです。このことは野口整体を理解している人にとっては常識でしょう。

では、なぜ熱が出る必要があるのでしょうか?
それは体の不具合を調整して回復させようと、体温を上げて体内の化学反応を促進したり、汗をかいて有害な物質を体内に出すためです。

熱を外部から強制的に下げたらどうなるでしょうか? 体はあらためてさらに高い熱を出そうとするでしょう。あるいは、外部からの強制力によって、体温を上げる機能が弱まり、不具合いは治らないままに内向して蓄積して、ついには心筋梗塞やガンなどの重篤の病気にかかるというような事態を招くことになるかもしれません。

実際に、重篤の病気のほとんどはこのような間違った考え方による、まさに、不自然な処置や生活の積み重ねによって起きるのです。

”痛み“についても、多くの人は悪いものと考え、痛み止めの薬を飲んだり塗ったりして痛みを感じないようにします。

では、痛みがある時に痛み止めの薬を飲んで痛みが消えてしまったらどうでしょうか? それで“一件落着“なのでしょうか?

いいえ。痛みは必要があって起こっているのです。何の必要かと言えば、体のどこかに不具合がある場合に、それを本人に知らせて、その不具合の部位に気を集中させ、回復を促進させたり、何とか処置をするようにさせるためです。つまり、痛みは警報装置のようなものです。

ですから、痛みが出ている時に、痛みを消してしまったら、不具合は回復したどころか、かえって大変な状態になってしまうでしょう。

このように、チンパンジーやゴリラでも、イヌやネコでも大自然の法則に沿って的確な処置をしているのに、万物の霊長とも称される人間が、それこそ、間違った考えによって、もっとも愚かな行為をしているのは一体どうしたことでしょうか?

ほとんどの人は、科学や産業などの進歩に伴い私たちの文明はどんどん進歩していると考えているようです。確かに、原始時代の生活や何千年前、何百年前の生活などに思いを馳せると、一面はそのようにも見えるかもしれません。

しかし、もう一面から見れば、私たちの社会やその中での生活はますます大自然の法則から離れて行って、滑稽としかいいようもない不自然な状況に陥ってしまっていると言っても過言ではないでしょう。

これは、ひとえに、私たちが表面的な生活水準の向上に目を眩(くら)まされて、アタマをますます頼りにするようになってきたためだと言えるでしょう。

私たちは今こそ、「自分は何か? 存在の真実は何か?」というテーマに真剣に向かい合い、目の前に厳然として存在する、当たり前の真実を見失わないようにしなければならないのです。

(つづく)




驚異的な体のハタラキ その3

驚異的な体のハタラキ その3
(その2からのつづき)

一般的に、私たちは自分の体をどのように使って生きているでしょうか? 
一言で言えば、“乱用”しているのです。

たとえば、有害なタバコを長年吸い続ける。有害な酒を長年飲み続ける。有害な白砂糖を毎日摂取し続ける。精製した白米を毎日食べ続ける。精製した小麦から作ったパンをしょっちゅう食べる。肉類をしょっちゅう食べる。野菜を毎日少ししか食べない。添加物入りの食品を毎日食べる。化学肥料や農薬を使って栽培した野菜やコメや麦などを毎日食べる。
化学肥料や農薬を使って栽培した餌やワクチンを打ち、狭い環境で運動もさせないで育てた牛の肉やミルク、豚の肉、鶏の肉や玉子などをしょっちゅう食べる、などなど。

ふだん、歩いたり、体を動かすなどの運動をあまりしない。ほとんど毎日働きすぎる。たとえば、デスクワークばかりで、同じ仕事ばかりして、偏った体の使い方ばかりしている。毎日パソコンとにらめっこで眼を酷使している。仕事で神経を使いっぱなし。いつも睡眠が不足気味である。気分転換に食べてばかりいて、肥満になっている、などなど。

私たちはこのようにいい加減で過酷な体の使い方を何年も、いや、何十年も続けています。もし、それが、例えば、洗濯機や自動車など何かの機械だったとすれば、ごく短期間のうちに壊れてしまって修復不可能になってしまうでしょう。

でも、そのような驚くほど過酷な状況の中で、残念ながら、さすがに故障が出たりする場合もありますが、多くの場合、私たちの体は何とか今日までやりぬいてきました。

このように、私たちの体はほとんどの人の想像をはるかに超えて強靭(きょうじん)なのです。

ということは、もし、私たちが私たちの体を大自然の法則、すなわち、「私たちの体の健全なハタラキを守り、体に何か不都合が起こった場合にはそれを自動修復する」本能のハタラキに全信頼を置き、本能に沿って生活を営んでいけば、もっともっと長く健康に生きていくことができるということです。

私たちの体は、本来、自然の法則と本能に沿えば、健康に生きていけるようにできています。外部からの薬がなくても健康に生きられるのです。いや、外部から薬を摂取することは体の健康を守る“健康力“をかえって乱してしまい、不健康にしてしまいます。

ふつう一般の薬だけではありません。タバコを吸うことは依存性の毒物を体に入れることであり、体を害します。

酒もタバコと同じです。酒はこの地球上の多くの地域で昔から飲まれています。でも、だからと言って、酒が自然の法則に沿った飲み物であるとは言えません。
 
人間にとって自然の法則に沿った飲み物は”水“、そして、ミカンやブドウやリンゴなどの果汁です。人間の先祖と先祖を同じくするチンパンジーやゴリラの遺伝子は人間の遺伝子とはそれほど違いがないそうですが、彼らに酒を飲ませようとしても、味が嫌いで飲んだりはしません。それは人間の子どもも同じです。

私たちにとって何が自然の法則に沿った食べ物や飲み物かを知るためには、チンパンジーやゴリラが何を食べ、何を飲んでいるかを大いに参考にすべきでしょう。

(つづく)





驚異的な体のハタラキ その2

驚異的な体のハタラキ その2
(その1からのつづき)

臓器移植や遺伝子組み換えなど最近の医学の進歩は一見素晴らしいものに見えます。ところが、世間一般では、薬や手術など医学を過大評価する傾向があり、それに頼りすぎて、かえって本来のあるべき健康を損なっています。

それは必ずしも西洋医学にかぎりません。漢方薬や鍼(はり)や灸(きゅう)、あるいは、指圧、マッサージなどの東洋医学についても同じです。

つまり、私たち人間にはもともと健康を保とうとする力が備わっているのですが、ほとんどの人はその事実に気づいていないか、あるいは、その能力を過小評価しています。その結果、体に何か“不具合のようなもの“を感じると、当然のように、”自分以外の“西洋医学や東洋医学などの”他“に頼って、治療してもらおうとします。

その結果、長期的に見れば、薬その他による副作用が生じるだけでなく、私たちの体自身に備わっている健康を保とうとする力はますます弱くなってしまいます。

私たちの体は決して脆弱(ぜいじゃく)なものではありません。今私たち人間が使っている体は30億年以上前の生命の誕生以来、数えきれないほどの過酷な環境の変化や他の動物からの襲撃などの危険を乗り越えて生き延びるために、無限回とも言える突然変異を繰り返してその性能を驚異的なものに進化させてきた成果なのです。

ですから私たちの体は、たとえば、最新式の宇宙船の何百万倍も複雑なハタラキを自動的かつスムーズにこなすことのできる超精密で強靭な“サバイバル・マシーン”と言ってよいでしょう。

それに比べて、私たち人間の、いわゆる“知性”に基づく行為が、実に多くの点で大自然の法則に反している、つまり、間違っていることを考えれば、それは、もはや、“知性”と呼べるものではないことがわかるでしょう。

私たちは、本来、私たちの”知性“ではなく、大自然の法則に従って生きていくべきなのです。その大自然の法則は当然私たち自身にも働き、私たちを健康に生かしています。大自然の法則に基づくハタラキは体自身に働いているとともに、”本能“としても現れています。

私たちは私たちの本能に従って生きることによってこそ、健全に生きていくことができるのです。

お腹が空いたり、喉が渇くのは体に養分や水分が足りなくなってきたので補給しなさい、という警告シグナルです。

多くの人は”疲れること“をまずいことだと思っています。でも、疲れは休憩が必要だと知らせる警告シグナルです。もし、どんなにハードに働いても疲れを感じなかったらどうなるでしょうか? いつの日か、突然、体が壊れてしまうのは明らかです。眠気も同じです。

疲れや眠気を解消しようと思って、疲労や眠気を感じにくくさせるコーヒーを飲むという行為がどんなに愚かなことかおわかりでしょう。

本来、動物の鼻は安全な食べ物か毒かをニオイで区別します。味覚も体によい食べ物と悪い食べ物かを心地よい味かどうかで見分けます。

子どもは糖分が入っていないコーヒーやチョコレートは嫌いです。でも、たとえ、砂糖で味をごまかしても、もともと味が苦いコーヒーやカカオは体には悪いのです。

(つづく)





驚異的な体のハタラキ その1

驚異的な体のハタラキ その1

あなたは掃除をすることができますか?
あなたはご飯を食べることができますか?
あなたは本を読むことができますか?
あなたは電話で話すことができますか?
あなたは買い物に行くことができますか?

今このブログを読んでいる人のほとんどは、何らかの障害を持たないかぎり、上にあげた動作をすることができると思います。これまでは当たり前だと思ってみたかもしれませんが、よく考えてみてください。それだけでもスゴイ!!ことです。

では、上の動作をみんな同時にできますか?
一つ二つは同時にできるものもあるかもしれませんが、みんな同時にするのはとてもできないでしょう。もしできるとしたら、まさに、文字通り、神業(かみわざ)だと思いませんか?

実は、私たちの体は、ほとんど常時、苦もなく多数のハタラキを同時にこなしています。
心臓は母親のお腹に宿って以来、夜寝ている時でさえ、通常、自動的に一拍もミスすることなく規則的に鼓動を繰り返しています。
私たちの体温はほとんど常に一定に保たれています。
私たちの心臓、胃、肝臓、肺、腎臓などの体内器官は常に他の器官と調和を保ちながら働いています。
鼻、口、気管、肺、心臓、動脈、静脈、末端細胞、神経などが協力して酸素を必要な細胞に取り入れ、不必要になった二酸化炭素を体外に排出するために協力して働きます。
体に栄養物を吸収するために、口、歯を動かす筋肉、唾液、喉の筋肉、食道、胃、小腸、大腸、血管、肝臓、胆のう、腎臓、そして、それらに関わる神経などが一丸となって協力します。
胃は食べ物を消化します。腸は栄養になる物と廃棄する物を区別し、栄養物は体内に送り、廃棄物は体外に排出します。

もうこれ以上説明も必要ないと思いますが、私たちが脳で考えたり感じたりするのも、足で立ったり、座ったり、歩いたり、走ったり、手でパソコンのキーを打つことができるのも、今この文章を目で読むことができるのも、その当該器官だけのハタラキではありません。私たちの体のすべての器官、組織、細胞が一丸となって協力することによってはじめて達成できるのです。

今まさにこの瞬間においても、あなたの体は有害な菌による感染や病気から守られています。でも、薬である程度効果があるように見えても、そのハタラキの根底にあるのは体にもともと備わっている免疫システムです。

免疫システムが健全に働くことによって、体のすべての器官や組織や細胞が健全に働くように、アドレナリンやドーパミンなどの体内化学物質が、必要な時に、必要な部位に、必要な量を供給し、全身の健康が守られているのです。

最近の医学の進歩により、私たちの体についての知識は数百年前に比べて、驚異的と言えるほど飛躍的に増大しました。

けれども、それで私たちの体についてほとんど解明されたと考えるのは大きな間違いです。

私たちの体についての近年の知識の増大が飛躍的であればあるほど、今日までに医学を通じて私たちが私たちの体について知ることができたことは、私たちの体のハタラキのごくごく一部分にすぎないという事実を私たちは謙虚に認めなければならないのです。

(つづく)





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