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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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活元運動をしましょう

活元運動をしましょう

今回は瞑想という観点から活元運動について考えてみましょう。

活元運動は私たちの体や心にもともと備わっている機能で、体と心の働き自体をより活発にするために、必要なときに自動的に発動する運動です。

例えば、あくびや嘔吐、赤ちゃんが手足をバタバタしているのも活元運動です。

そういう意味では、誰でも活元運動をすることができると言えるでしょう。

けれども、活元運動を必要な時によりスムーズに、より活発に発現させるには、最初に3つの予備運動をしたほうがよいでしょう。

(そのやり方については、『健康生活の原理』 野口晴哉著 ちくま文庫 をお読みください。)

私たちの体と心は私たちの思い(考え)によって動く部分もありますが、大部分は思い(考え)を超えた大きな力によって働いています。

そして、実は、私たちの思い(考え)さえもそれを超えた大きな力によって働いています。

つまり、私たちの体と心の働きはすべて思い(考え)を超えた大きな力の発現そのものなのです。

にもかかわらず、多くの方々はその真実(真の自己)を見失って、アタマの思い、あるいは、思いで捉えた自分を“自分“であると錯覚してしまっています。

ところが、アタマの思いは、いつも「いまここに満足できない」というやっかいな性質を持っているのです。

そのため、いつも「物足りよう。物足りよう」として、結局は、いつも物足りることができないのです。

なんとか頑張れている間は、「もう少し頑張りさえすれば、きっと満足できる結果が得られるはずだ」と、いつも「もう少しだけ頑張ろう」と思って何とかやれている気になっています。

でも、結果は他の人には見えているのです。

自分の思うように行かないことが重なってくれば、かならず最後には、体だけでなく、心もへばってしまいます。

そういう中で、瞑想しても雑念ばかり出てきて、瞑想すればするほど疲れて厭になってしまいます。

本当は、雑念が出るのは体と心のストレスを解消しようとしている自然の働きなので、実にありがたいことなのです。それを“相手にしないで“いれば何の問題もないのですが、思いで何とかしようとして結局は疲れてしまうのです。

そういうときこそ、雑念が出ることも厭わず、どういう結果が出なければならないなどという思いをすべて投げ出して、活元運動をすればよいのです。

要するに、自分の思いではどんなにしようとダメなのです。

結局は、行き詰ってしまい、思いで固めた小さな“自分“に閉じこもってしまうことになります。

“自分“の小さな思いなどすべて投げ出して、自分の本体である大いなる力、“いのち“に任せきるのです。

以下は、道元禅師の言葉です。(一部、漢字混じり、現代仮名遣いに直しました。)

ただわが身をも心も放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏のかたより行われて、これに従いもて行く時、力もいれず、心をも費やさずして、生死を離れ、仏となる。誰の人か、心に滞るべき。



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