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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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花は愛惜に散る

花は愛惜に散る

僕は青空に浮かんでいる雲を見るといつもとても親しみを感じます。

まだ若かったときには、なぜ雲を見るとそんな気持ちが湧いてくるかといつも不思議に思っていました。

でも、いまはなぜなのかはっきりとわかります。

それは、自分もその雲と同じだからです。

自分もその雲と同じものから生まれた、と言ったほうが分かりやすいかもしれません。

家の外に出て、あたりを見回すと、道端に小さな花がいくつも咲いています。

その向こうには、梅の木、桃の木などとともに、いままさに満開の桜の木が咲き誇っています。

その先に草むらがあり、どこかでウグイスやコジュケイなどの鳥たちが鳴き、遠くには山がすこし霞がかって見えています。

いま、我が家の庭や畑、そして、周りはまさに“いのち“の萌えいずる春です。

みんな同じ“いのち“です。自も他もありません。

もはや、存在の真実を悟るために修行さえ必要はありません。

この自然の中に、そっと身を置くだけで、誰でも自ずと悟りを得ることができるでしょう。

そこに我が家のネコたちが家の方から走ってきて、あたりを走り回ったり、木に登ったりしています。

思わず、「君たちも僕と同じなんだね」という言葉が出てきます。

僕は、そのとき、そのときに出会うすべてのものがとても愛おしいのです。

それは、それらがみんな自分と同じ “いのち“だからということだけではありません。

すべてがそのときだけの一時的な姿であるからです。

生きとし生けるもの、在りてあるものは、本来は、生死を含みながら、生死を超越した不生不滅の“いのち“です。

“いのち“が壮大なスケールで一瞬一瞬顕現しているのがこの現象の世界です。

そういう意味では、たとえば、桜の花が散り、雑草が生えるという現象は人間の感情を超えたところでの“いのち“の営みであると言えるでしょう。

でも、それはそうなのですが、私たちが「やはり、桜の花が散るのを名残り惜しいと思い、雑草が生えるのを嫌だなあ」と思うのも人の情かもしれません。

(しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。)(道元禅師 正法眼蔵第一 現成公按)

人の生と死、出会いや別れなどだけでなく、この世界のすべての存在とその有様は“いのち“が顕現した一瞬一瞬の姿であり、いま現れている姿は次の瞬間にはもはや別のものに変わってしまいます。

だからこそ、私たちはその一瞬一瞬の姿に愛(いと)おしさを感じずにはいられないのです。

そして、一瞬の姿の中にこそ悠久の世界を感得するのです。

一期一会。

“いまここ”。これ以上大切なものはありません。


以下、僕の大好きな詩をご紹介しましょう。


雲――生命のうた (抜粋)


天地一杯のところから忽然として浮かび出で

天地一杯のところへ忽然として消えてゆく雲

雲こそは

生きとし生けるもの、在りてあるものの原型

天地一杯こそ

その生命なのではないか

(『正法眼蔵 生死を味わう』内山興正著 大法輪閣 より)


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コメント

先日、夜桜を見に行きました。
それはそれは美しく、時を忘れて
楽しみました。
近くのお店の人によると、満開なの
は二日ほどだということです。
帰ってきて、このブログを読み返し
「まさにこれだ!」という感じです。

自分も変化しますが、その奥にあるいのちに沿っていけばいいんだな、と安心しております。
だって私もいのちなんだもの。

あまりに素晴らしい内容に深く感銘し、涙がでるほどです。
「君たちも僕と同じなんだね」
うちの猫・まなそらまるに、犬のゆきに、植物にかけている
言葉でした。

「天地一杯」豊かな安心の世界はすごいです。



嫌なものは?

「自分もその雲と同じだから」「みんな同じいのち」
そうですね、だから自然の中に身をおくと心地良いし、赤の他人の赤ちゃんも愛おしいんですね1
ただ、ふと疑問も湧いてきました。「雑草が生えるのは嫌だな」の”嫌だ”と思ってしまう人やモノ。例えば憲法9条を変えようとしている政治家のセンセイ方、以前博物館で目にした江戸時代の拷問の道具類、原子力発電所など いのちの営みを遮る方向のモノは愛おしく思えません。
 「雑草」は自分にとっては都合の悪いものですが愛おしい
 「大地震・津波などの自然災害」は非常に厳しいが受け入れられます。
 「政治家のセンセイ方」も一緒にお茶はしたくはありませんが受け入れられます。
 「原発」は?
 古民家園などに展示してある粉を挽きに使う水車と原発は両方ともエネルギーを生み出すシステム、でもやはり原発は…、じゃあ大規模な水力発電は?
と考えていくと是か?非か?の境界線が見えなくなってしまいます。
 このブログを読んでいる方達はどうお考えですか?
 今日から週末までPCから離れてしまいすぐに反応出来ないのですが何かヒントを頂けたらと思っています。
 
 

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