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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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ただ呼吸する

ただ呼吸する

私たちは病気にかかった場合やスポーツをしている時などを除いて、自分の呼吸をとくに意識することは普段めったにありません。

(それは心臓の鼓動や血液の循環、消化活動などについても同じです。)

普段、私たちは、意識するしないに関わらず、「自分が呼吸している」と思っています。

それはそうなのですが、私たちは通常は自分の意思で呼吸をコントロールしているのではなく、体が勝手に呼吸をしています。

だからこそ、私たちは眠っている間でも、呼吸をちゃんとしなければならないなどと心配する必要がないというわけです。

瞑想、とくに随息観(呼吸をただ意識しながら坐っていること)が深まってくると、そのうちに、“自分“という思い、あるいは、意識が消えてしまいます。

その状態では、はっきり眼は覚めていますが、“自分“が消えるとともに、ほとんど意思も働いておらず、ただ、呼吸しています。

もちろん、生理的に言えば、鼻や口、気管、肺などの呼吸器やそれに連動する心臓などの循環器の働きによって呼吸というハタラキが営まれています。

けれども、随息観で“自分“、あるいは、意思が消えている状態では、ただ、呼吸しているだけです。

「ただ、呼吸が呼吸を呼吸している」という表現がもっとも適切かもしれません。

その状態にあっても、半眼であれば目の前にいろいろなものが見えています。

どこかで鳥の声や自動車の音なども聞こえています。また体の感覚もいくらか感じられます。

ただ、呼吸を含めてそういういろいろなものがありながら、すべてがひとつになっています。

その状態においては、呼吸はもはや呼吸として独立にあるものではありません。

いろいろなものがすべてひとつになって呼吸しています。

そこにはもはや呼吸しかありません。

それは同時に、何もない世界でもあります。

そのひとつのものにはもともと名前もありません。

ですから、“いのち“、"空"、"無"、"心"、"大いなる存在"、“真実の世界”、“真実の自己”、"大宇宙"、"大自然"、あるいは、“呼吸”、“ソレ”など、どのように呼んでもいいでしょう。

多くの方々は「いまの自分には何か足りないものがある。それを満たしてくれるものがどこかにあるはずだ。それを手に入れないかぎり安心できない」思い、常に物質的なものであれ、精神的なものであれ、「もっと、もっと欲しい」と追い求めています。

一言で言えば、私たちの多くはいつも「物足りよう」という思いに振り回されながら生きています。

けれども、真実は、“いまここ”において、“自分“に足りないものなどひとつもありません。

その真実に気がつくためには、「物足りよう」という思いを手放しにして、ただ呼吸を意識しながら坐っていればよいのです。

そこには、自分の思いがどうであろうとも、すでに、すべてが満ち足りた世界が現成しています。

そして、やがてそのうちに、その真実をはっきりと自覚する日が来るでしょう。


つとめて瞑想をして本来の自分に戻りましょう。



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