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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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間違いの根源

間違いの根源

個人的な迷いや苦しみ、そして、社会的な混乱や苦しみはすべて間違いです。

そして、すべての間違いの根源はバラバラ観です。

バラバラ観自体が不可分一体の存在の真実を間違って理解するところから生れます。

バラバラ観、とくに、自他の分離、つまり、自分がこちら側にあって、他があちら側にある、「自分は他と分離した存在である」という観念は「自分には何かが欠けている」という感覚を生じさせます。

この感覚によりいつも心の奥に不安感を持つようになります。

さらにそこから、孤独感、いつも他と比較するところから優越感や劣等感、差別意識、競争意識、征服欲、「自分(たち)が一番かわいい」という利己主義(エゴイズム)などが生まれます。

でも、それはすべて間違いです。

この世界では何かから切り離されたものなど一つもありません。

求める人と求められるものや人がいるのではありません。

あなたから切り離された何かがあるのではありません。

あなたはこの世界の中に生きているちっぽけな存在なんかではありません。

「すべては一つ」というのは“いまここ”の真実であり、どこかのおとぎ話ではありません。

つまり、真実は誰でもすでに悟っているのです。

「自分は悟っている」などと思っていない人も、ただ、その真実に気がついていないだけです。

それは水の中にいるのにもかかわらず、「のどが渇いた!」と叫んでいるようなものです。

そういう意味で、どこかに悟りを求めるというのは「労多くして功少なし」です。

いや、「少なし」どころではなく、まったくの「ムダ折損の草臥れ儲け」です。

「脚下を看(み)よ」という言葉がありますが、キョロキョロと自分を探し回ってもダメなのです。

真実は“いまここ”にあるからです。

“いまここ”の真実を一切アタマを通さずに、一切あるがままに受け止めればいいのです。

求めてはダメです。

ただそのまま受け止めるのです。

そのための実践として、僕は瞑想の自然法や自観法を勧めています。

只管打坐でもよいでしょう。


そうすれば、“いまここ”において、すべてが自発的に、自由に、無条件に、現われ、しばらく留まって、また消えていくのが分かるでしょう。

そこには、(分離した)受け止めるものも、(分離した)受け止められるものもありません。


ですから、自分が何かを受け止めるのではありません。


宇宙はずっと前からただすべてをあるがままに無条件に受け止めています。

瞑想の実践をしていると、このようなことがしだいに深く分かってきます。

でも、「分かろう」と求めてはいけません。

求める気持ちやアタマでの理屈付けなどの思いもすべて手放して、“いまここ”にくつろぐのです。

もちろん、アタマも必要があって“いのち“が生み出したものです。

アタマが存在の真実を無視して暴走することが問題なのです。

ですから、必要なときに、“いのち“という土台に立脚して、アタマを働かせることがとても大切です。




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