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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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言葉と名前

言葉と名前

多くの場合、私たちは言葉を使って意思を通じ合わせています。

でも、本当にお互いに意思が通じ合っているのでしょうか?

「多くの場合は通じ合うけれども、通じ合わないこともある」というのが平均的な答えでしょう。

でも、具体的な物などを指し示す場合はともかく、自分の思いを伝え合うというような場合には、本当はまったく通じ合ってはいないのです。

会話と言うものは「お互いがそれぞれの言葉を同じ意味として理解している」ことを前提として成り立っています。

例えば、「平和」という言葉は誰でも同じような意味で理解している思い込んでいます。

でも、本当は、「平和」という言葉の意味は人によって違っています。

たしかに、大体の意味は共通しているかもしれませんが、まったく同じとは言えません。

それは、「平和」という言葉一つにしても、それぞれの人がそれぞれ生きてきた異なった環境のなかで習得してきたものだからです。

ある言葉をまったく反対の意味に理解していたり、とんでもない意味に受け取っていたりすることさえ少なくありません。

とくに精神的なことを話す場合などには、お互いそれぞれの言葉を理解しているつもりでも、実際には相当ズレがあると言ってよいのではないでしょうか。

例えば、みなさんは僕がいま書いているこの文章を読んで、まあまあ理解できたと思うかもしれません。

でも、それは、あくまでみなさんお一人お一人が”自分なりに”勝手に理解しているにすぎません。

つまり、僕は僕なりに勝手に理解し、みなさんはお一人お一人”自分なりに”勝手に理解しているということです。

ですから、真実は、僕が何かを書いたり、話したりしているのは、あくまで”独り言(モノローグ)”を言ったり書いたりしているにすぎません。

皆さんはそれを読んで”一人合点”をしているというわけです。

そうではあるのですが、ここが実に不思議だと思うのですが、それにもかかわらず僕がこのようなことを話したり書き続けているのは、別の意味で、通じていくものがあると思っているからです。

というのは、僕が話したり書いたりしているのは、人差し指で月(存在の真実)を指差しているようなものだからです。

月を自分で掴む代わりに、一生懸命それを差している指を掴もうとすることがどれほど愚かなことかは誰にでもわかるはずです。

同じように、僕がみなさんに望んでいることは、僕の言うことを信じるのではなく、それが指差しているものを自分で体験的に掴んでいただきたいということです。

“いのち“はただ一つです。

でも、その部分部分に名前を付けることは本来一つのものをバラバラであるかのように思わせます。

本当はどんなものでも名前によって規定できるものではなく、名付けようがありません。

“いのち“の実物はただ”ソレ”でしかありません。

ですから、存在の真実は言葉や名前や思いをすべて手放しにして、ただ、あるがままに受け入れるしかないのです。




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