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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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こころのコントロール

こころのコントロール

これまでたびたび僕は瞑想する際には思いを手放すこと、タバコやアルコールをやめたり、また、健康的な食生活を実践する場合にも、吸いたい、飲みたい、あるいは、食べたいという気持ちをガマンするのではダメだということを述べてきました。

何回も何回も繰り返し説明してきたので、多くの方は「なるほど、ガマンではダメなのだ」ということを充分理解されていると思います。

それでも、アタマでは分かっているつもりなのに、いざ実践しようとすると、どうしてもガマンになっていると感じている方もいらっしゃるのではないかと思います。

このテーマは私たちが健全な生き方をしようとする場合にとても重要なテーマです。

そこで、今回は江戸時代末期に不生禅を唱えた盤珪(バンケイ)禅師の言葉を紹介します。

これを読んで、テーマに対する理解をよりいっそう深めていただきたいと思います。


「不生になりたいとおぼしめして、怒り腹立ちや惜しや欲しやの起きるを、やめようと思わっしゃっても、それをとどめますれば一心が二つになります、走る者を追うがごとくでござる。

起る念をやめようと存ずる念がたたかいまして、やまぬものでござる。

たといふと思わず知らずに怒ることがござるとも、又惜しや欲しやの念が出来ましょうと、それは出次第に致し、その念を重ねて育てず執着いたさず、起る念をやめようともやめまいともその念にかかわらざれば、おのずからやまいではかないませぬ。

たとい色々の念が起りまするとも、その起こり出ました当座ばかりにて、重ねてその念にかかわらず、うれしきにも永く念をかけず、一心を二心に致さぬがようござる。

常に心持ちをかように思わっしゃれば、あしきことをもよきことをも思うまいのやめようのと思わっしゃらねば、おのずからやまいではかなわぬ」

「早くよいものになりたいと少しにても急ぐ心がござれば、はや不生に背いて、その場を退くというものでござる」

「少しにても悟りたいと思う心があれば、はや不生の場を退き、仏心に背きまする」


はじめに出てくる”不生”というのは”不生不滅の存在の真実”、あるいあ、真実の自己”という意味です。


江戸時代の話し言葉ですので、よく理解できないという方もいらっしゃるかもしれませんが、何回も声を出して読んでいると、その意味がよりはっきりと深く分かってくると思います。

日本語の古文が理解できるようになるためには、その文法を理解し充分な単語を覚えなければならないと言われます。

でも、僕の経験では、同じ文章をただ繰り返し音読することが古文を分かるようになる一番の方法ではないかと思います。

それは、”古文”と言っても同じ日本語だからです。

現代でも日本各地にいろいろな方言がありますが、テレビなどで何回も聴いているうちに、自分ではしゃべれなくとも、言われている意味は大体分かるという経験はみなさんにもあるのではないでしょうか。

どうぞ、ただ音読してください。



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