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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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“いのち“にミスはない

“いのち“にミスはない

「もはや我生くるにあらず。キリスト我が内に在りて生きるなり。」

これは新約聖書の『ガラテヤの信徒への手紙 2.20』に出てくるパウロの言葉です。

僕はキリスト教徒ではありませんが、存在の真実について僕が言いたいことはこの言葉に尽きます。

パウロの言葉を僕なりに解説すれば、次のようになります。

ご承知のとおり、キリストはこの世界を創り、常にこの世界に働きかけている全能の神のひとり子です。

神というのは僕の表現では“いのち“ということになります。

そして、神の子も神ですから、僕はキリストを“いのち“という言葉に読み替えたいのです。

そうすると、パウロの言葉は「生きているのは、もはや私ではありません。“いのち“が私の内にあって生きているのです。」となります。

さらに正確に言えば、「生きているのは、もはや私ではありません」という意味は、「いままでは“自分“というものがあって、その“自分“が生きているのだ、と思い込んでいたが、真実はそうではなかった」と読み取るべきでしょう。

そして、さらに詳しく言えば、「いままではこの体とこころを(他の存在と切り離された)“自分“であると思い込んでいたが、真実はそうではなかった」ということです。

パウロの言葉の奥にある意味は、「キリスト(“いのち“)がこの世界のすべての存在の内にあって生きているのだ」ということです。

すべての存在は“いのち“なのです。

さらに、キリスト教では「神は全能である」と言われています。

「だから」というわけではありませんが、“いのち“も全能であり、“いのち“はミスを犯すことはありません。

と言っても、実は、それを証明することは不可能です。

でも、僕はそれは真理であると確信しているのです。

それは、僕自身が精神的にも肉体的にも完全に行き詰まって、ギリギリのところで奇跡的に存在の真実を自覚できたという体験から来ています。

具体的には、「生きているのは“自分“ではなく、“いのち“なのだ。“いのち“の世界は”すべてよし”なのだ」という“自分“のアタマの思いをはるかに超えた体験から来る直感的な確信です。

同時に、この宇宙が始まって以来の宇宙の進化の方向性や、調和しながら整然と循環・運行する星々や大自然の有り様、生命の進化の方向性や生命の進化の先端に登場した人類社会の有り様、釈迦をはじめとする方々の自覚に至る経過などについて考えると、どうしてもそのように思えてならないのです。

たしかに、すべての存在を”個“というレベルで考えれば、個人的なことにしても社会的なことにしても、「これは良い、あれは悪い」などとアタマでは思えることも多々あるでしょう。

でも、そのようなアタマの思いを超えたところで、実は、起きているすべてのことには必要な意味があるのであり、それらを通してすべての存在が自覚した完全に調和した世界の実現に向かって進んでいるのだと、僕は確信しています。


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