渓声山色 その2
自分、そして、この世界の真実については、前回のブログで説明が尽きており、それ以上なにも言いたいことはありません。
でも、僕が前回書いたことについて、「どうも腹に落ちない」と思われた方もいらっしゃることでしょう。
そこで、これから書くことはあくまで理屈にすぎませんが、少し別の角度から説明してみましょう。
大宇宙や大自然の有り様を観察したり検べると、基本的には、大宇宙や自然はすべてのものが常に変化しながら全体として調和しているということに気がつきます。
「基本的には」と書いたのは、ずっと固定したままで完全に調和しているわけではなく、より完成度の高い調和に向かって、常に進化しているからです。
その進化のはたらきは一貫しており、1点のミスもなく完璧です。
大宇宙や地球や大自然の動きを見ると、例えば、これまでも星が誕生したり、爆発して消滅したり、星雲どうしが衝突したり、小惑星が地球に衝突したり、火山が爆発したり、地震や津波が起こったりしてきました。
こういう出来事は、「調和」という観点から見れば、一種の「乱れと思われるような現象」と言ってもよいのかもしれません。
けれども、そういう「乱れ」が“いのち“のはたらきにより必然的に何度となく起こり、その度に“いのち“のはたらきとしてそれを乗り越える動きが起こって、より完成度の高い調和した、つまり、進化した大宇宙や地球や大自然が形成されてきました。
生物の進化の歴史を見ても、数々の天変地異その他の困難な状況、「乱れ」に直面するごとに、それを乗り越えようとして、生物は現在まで進化を重ねてきました。
また、小宇宙と言われる私たちの身体にも時々「乱れ」が生じますが、身体にはその「乱れ」を自らを整えようとするはたらきがもともと備わっています。
このように、「乱れ」にも、それを乗り越え調整しようとするはたらきにも必然的な意味があるのです。
さらに、別の例で説明してみましょう。
この社会には戦争や対立、飢餓、貧困、差別、地球環境問題など、いろいろな深刻な状況がありますが、これは調和という観点からは「乱れ」と言えるでしょう。
けれども、この場合の「乱れ」も“いのち“のはたらきにより意味があって生じているのです。
そういう「乱れ」があるからこそ、「なんとかしたい」という思いの人たちが現われ、その努力によって、より完成度の高い調和した、より進化した社会が実現していくのです。それは、今日までの人類社会の歴史が事実として証明しています。
個人的な悩みや苦しみ、あるいは、マイナス感情、間違った観念に基づく行いなどについても同じです。そのような「乱れ」があるからこそ、それを無意識にも意識的にも乗り越えようとして、その結果、私たちは精神的にも、生き方としても向上・進歩していくことができるのです。
このように、“いのち“の世界で起きていることには「乱れ」も含めてすべて意味があるのであり、「すべてよし」なのです。(続く)
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