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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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絶対世界の中で相対的に生きる  その6

絶対世界の中で相対的に生きる  その6

その5で、「永遠に変わらないみんなが幸福で平和な社会を実現するために社会的意識を持って生きる」ことを私たちが真実に生きるための必須条件の一つとして挙げました。

ところが、これまでの本格的な宗教においては、このことについてはまったくと言ってよいほど言及されていません。

これは人類の存在そのものさえ危惧されるような現代社会においては宗教の大きな落ち度であると思います。

宗教はなぜ私たちが社会的な苦しみや混乱を乗り越えるための方策を私たちに指し示さないのでしょうか。

それは、キリスト教や仏教などの本格的な宗教が成立し、人々の中に広まっていった時代の社会的状況と密接に関係があります。

人類の社会はその長い歴史のなかで、フランス革命が起るころ以前まではずっと厳しい階級制度のもとで一般の民衆は虐げられてきました。

そのために、一般の民衆が強大な権力者に抵抗して社会を変革していくことなどは夢にも考えが及びませんでした。

そのような過酷な生存状況のなかで、切実に「救い」を求めていた虐げられた一般民衆の間に宗教は広まっていきました。

そこで宗教家によって説かれたことは「個人としての救いへの道」でした。なぜなら、仮に宗教家が社会の変革を説いても一般民衆にはたわごととしか思えなかったからです。

そのような社会的状況がずっと続いたことと、宗教の特徴として、教祖の教えをはじめ、昔からの伝統を重視し守る傾向が非常に強いということがあり、近代以降、一般民衆が社会の在り方について堂々と意見を表明し、不完全ではあっても、選挙などを通じて社会を変革していけるようになっても、それらの本格的な宗教は依然として、「個人の救い」ということだけを信者に説き続けています。

もちろん、個人のことだけでなく、「一隅を照らす」とか、「汝の隣人を愛せよ」と説き、周りの人々に対する思いやりや慈善活動や奉仕活動などが推奨されています。

このような思いやりやそれに基づく行動は社会の潤滑油であり、みんなが幸せに生きていくためにとても大切であり、素晴らしい教えだと思います。

でも、ここまで混迷する現代においては、社会を根本的に変革し、みんなが幸福で本当に平和な世界を実現していくためには、隣人愛や善意に基づいた一隅を照らす行動だけではまったく不十分なのです。

それでは、いつまで経っても、人類社会の流れの方向は変わりません。それは人類の歴史が明瞭に証明しています。

このままでは、ますます私たちの社会は行き詰まってしまうでしょう。

現代の私たち一人ひとりに求められているのは、「一人も不幸な人がいない社会」を実現しなければ、自分は決して真の幸福にはなれないのだという真実を直視することです。

そして、真に幸福で平和な世界の実現のために全力で具体的に行動し生きていくことなのです。

それこそが絶対世界の中で相対的に生きる私たちの真実の生き方であり、また、真の生きがいなのです。

(終わり)





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