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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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宇宙は一つの“いのち”

宇宙は一つの“いのち”

この宇宙(世界)は生きています。つまり、一つの大生命体です。

一つの大生命(僕はそれを“いのち”と呼んでいます)がこの世界を現して、この世界を展開させているのです。

この世界のあらゆるもの、大自然のあらゆる現象、社会におけるあらゆる出来事、感情、感覚、欲望、思考、行い、そして、喜び、苦しみ、悩み、迷いなどもすべて“いのち”の現れです。

“いのち”そのものは不変の唯一絶対の実体です。ですから、その現れであるこの世界も常に変化しながら絶対です。

このように言うと、“いのち”とこの世界という二つのものがあるように聞こえるかもしれませんが、一元絶対の存在の真実を二元相対的にしか表現できない言葉で表現しようとするとそのように聞こえるだけで、実は、“いのち”とこの世界は同じ一つのものであり、いわば、1枚のコインの表と裏のような仕組みになっているのです。。

この変化する世界にはさまざまな生命があるように見え、それらは別々の存在だと思われていますが、それは私たちの五感と大脳を通して見ているからであり、別々の存在と見えるものは、実は、すべて唯一の実体である不変の“いのち”の現れです。

ですから、現れている一つ一つのもの、例えば、今目の前にある机、その上にあるパソコン、そのキーを打っている手、浮かんでくる思い、それがそのまま唯一絶対の“いのち”(の現れ)であり、それらをおいて“いのち”はありません。

ですから、存在の真実は、それはすでに“いまここ”に現成しています。ですから、何も求める必要はないのです。

ここで、“いのち”の現成の有様を「生死」について検べてみましょう。

例えば、桜は咲いたり散ったりすることにより桜としてあります。

“いのち”は生死により自らを現しているのです。


“いのち”そのものはもともと生じたのではなく、初めからあります。生じたものではないので滅することもありません。つまり、“いのち”そのものは不生不滅であり、生死するものではありません。

“いのち”はただ一つのものですが、それはいくつもある中の一つではありません。数を超越して、唯一絶対の実体なのです。

この世界は唯一絶対の不生不滅の“いのち”であり、その顕現としてすべてがあるのです。

つまり、この(現象の)世界は不生不滅の“いのち”が生滅の姿かたちをとってみずからを現しているのです。

ですから、生死こそが私たちが不生不滅の“いのち”である絶対的な証拠であると言えましょう。

別の角度から言えば、唯一絶対の実体である“いのち”は五感と大脳を通してみると二元相対の世界として見えます。

つまり、この現象世界では、すべてのものが、見かけ上、バラバラで別々であるかのように見えます。

けれども、すべてのものが、見かけ上バラバラで別々にみえることこそ、すべてが一元絶対の実体である“いのち”であるという決定的な証拠なのです。





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