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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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爽やかに生きよう

爽やかに生きよう

僕は22歳のころに、「この人生を爽やかに生きよう!」と決心しました。

それは、何よりも和田重正先生に出会ったことが大きなきっかけでした。

先生に出会って、それまでの自分の生き方が爽やかどころか、むしろ、真逆だったということにあらためて気付きました。

それ以来今日まで「爽やかに生きよう!」という言葉を折に触れてこころのなかでつぶやきながら生きてきました。

実際は「お前さんの一体どこが爽やかなのだ?」と言われれば返す言葉も見つかりませんし、自分が未熟なのは一番自分自身が自覚しています。

その一方、爽やかに生きようと決心する前よりは随分爽やかに生きているのではないかと思っていることも事実なのです。

いずれにしても、僕の「爽やかに生きよう」という言葉をより具体的に表現すると、「どんな状況のなかでも、あるいは、どんなことが起こっても爽やかに生きよう」ということになります。

というのは、この人生は必ずしも自分の思い通りにはならないからです。

「この人生は必ずしも自分の思い通りにはならない」、これは絶対の真実です。

それは思いは事実とはもともと違うからです。

思いの流れと事実の流れは違うと言ってもよいでしょう。

思いを描き、それに基づいて事実に働きかけることはできますが、そうすることによって事実が必ずしも思い通りになる、あるいは、変わるとは言えません。

ですから、物事が自分の思い通りにならなかったといって、暗くなったり、悲しくなったり、腹を立てたりするのは大損なのです。大馬鹿といったほうがよいかもしれません。

多くの人は、アタマのどこかで、「事実は思い通りになるはずだ」と思い込んでいますが、
本当はそれは錯覚であり、妄想です。

また、「ねばならない」という観念に縛られている人も非常に多いようです。

でも、よく検べてください。本来、この世界に「ねばならない」ということはどこにもないのです。

「こうでなければならない」という錯覚、いや、妄想に捉われて、自分を、そして、周りの人々を苦しめる愚かさに一刻も早く気付いてほしいとこころから願わずにはいられません。

これは大変失礼な表現で、傲慢な言葉に聞こえるかもしれませんが、一番愚かなのは僕自身だったと認めざるをえません。

「いや、それが錯覚、あるいは、妄想だということがどうも実感的にはっきりとわからないのだ」という方もいるかもしれませんね。

そういう方にお勧めの方法があります。

それはそれが錯覚、あるいは、妄想だとわからなくても、今この瞬間から「どんな状況でも、どんなことが起こっても爽やかに生きていこう」と決意して生きていくことです。

そうすれば、実際に、どんな状況でも、どんなことが起こっても爽やかに生きていくことができますし、また、「事実は思い通りになる」とか「思い通りに事実はならなければならない」などということが錯覚、あるいは、妄想だったことが自然にわかってくるのです。

やってみればわかります。





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