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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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死して生きる

死して生きる

今回ここに書こうとしていることは、あくまで僕の個人的な心境ですが、何かの参考になることもあるかもしれないという思いで書きます。

僕はまだ若かったある時に、意識的にすべてを捨てました。「手放した」と言ってもよいでしょう。

人はいつも「こうしたい。ああしたい」という思いを持って生きています。けれども、結果は、事実としては、かならずしも、自分の思い通りにはなりません。

それまで僕もずっとそうだったのですが、多くの人は「結果が自分の思い通りになるかどうか?」と始終“気をもみながら”毎日を生きています。

これは実に疲れます。“消耗”そのものの生き方です。

“死”についても同じです。「もっと生きたい」という気持ちは生物としての人間の本能から出てくるのかもしれませんが、事実は、死がいつ自分に訪れるか分からないのです。

いま突然自分に死が訪れたとしても、この世界ではそういうことはよくあることの一つにすぎません。

ただ、人はそういう事実をなるべく考えないようにして、眼をそらしながら毎日を生きているだけではないでしょうか?

でも、僕は「自分がいつ死ぬかわからない」という事実に眼をそらすことができなかったのです。

「もっと生きていたい」という思いを持ちながら「自分はいつ死ぬかわからない」という事実に直面しながら生きていくことはとてつもない苦しみであると感じたのです。

そこで僕は「もっと生きていたい」という思いを捨てた(手放した)のです。

それは「いつでも、いまこの瞬間であったとしても、自分の死をすっきりと受け入れる」覚悟を持って生きていくということです。

それが僕の「死して生きる」という言葉の意味です。

自分の死だけではありません。

自分の親しい人の死についても同じような覚悟を持って生きようと決意しました。

さらには、死だけでなく他のことについても、同じ覚悟を持って生きようと決意しました。

僕の心のなかには「こうしたい。ああしたい」という思いがあります。それを全力で狙(ねら)って生きていくことは当然ですが、その結果がどうであろうと一喜一憂はしないと決意しています。

ただ、狙って生きていくだけで、その結果は最初から手放しています。事実の世界は自分の力で何もかも思い通りにコントロールできるものではないからです。

そういう意味では、結果だけでなく、思いはあっても、思いそのものを手放しにして生きています。

江戸時代、佐賀藩のある人が書いた『葉隠』という書物には次のような文句があります。

「武士道とは死ぬことと見つけたり。」

僕流には、「生きることは死ぬことと見つけたり」となります。

死んだ人には今さらなんの憂いも辛さも苦しさもありません。

世の中はただあるがままにあるだけで、どの季節や天候も、どんな事件も災害も、ただそれだけのことです。

でも、生き方としては、楽しいと言えばこんな楽しいことはありません。

できても、できなくても、ただ真心一杯で生ききるだけです。

江戸時代の禅僧である至道無難禅師は次のような頌(うた)を詠んでいます。

生きながら死人となりてなりはてて
思いのままにするわざぞよき




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コメント

「体は治るようにできている」と同様に「心は穏やかになるようにできている」ことが分かりました。
上手くやれそうです。ありがとうございます。

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