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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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左と右の世界  その5

左と右の世界  その5

これまで左の世界と右の世界という言い方で説明してきましたが、本来は左の世界しかありません。

右側の世界は左側の世界の中で“いのち”のハタラキによって(創り出された人間のアタマのハタラキによって)創り出された、いわば、“濁り”のようなものであり、それも左側の世界に内包されているのです。

言葉を変えれば、本来はどこまで行っても一元絶対の不可分一体の世界しかないのですが、その中に創り出された人間のアタマがこの世界は二元相対のバラバラな世界であると錯覚し、二元相対のバラバラ観に基づいて社会を創り、それを営んでいるのです。けれども、それは、あくまで、“見かけ上”のことであり、その“見かけ上ぐるみ”すべて一元絶対の不可分一体の世界であるということです。

そういう意味では、この世界はどこまで行っても、何をやっても落ちこぼれることのない絶対安心の世界であり、この真実によって私たちは究極の絶対の安心を得ることができることは確かです。

けれども、“いのち”によって二元相対的思考しかできないアタマを与えられた私たち人間は、その究極の絶対安心を基盤として、さらに、“見かけ上”においても、完璧に不可分一体の社会を創っていくことが内的に求められていのです。

それは、静かに自分の“内なる声”である真心を素直に聴いてみれば容易に分かることです。真心こそ“いのち”の願いなのですから。

個人的であれ、社会的であれ、苦しみや混乱を、自分のものであれ、他の人のものであれ、本来は、思わずそれを何とか解決したいという思いが沸き起こり、「そのためにどうしたらよいか」と考え、行動することは本来はごく自然のことであるはずなのです。

それが、自分のことであれば、当然そうするのだが、他人のことや社会のことは関係ないということであれば、それこそ心がバラバラ観に毒されているからです。

でも、そういう人でも、例えば、もし、道路で幼い子供が転んだら、たとえ、その子が自分の子供でなくても、思わず、「大丈夫?」とその子供を抱き起すのではないでしょうか。

その気持ちこそあなたの“本当の気持ち”、すなわち、“いのち”の願いなのです。

真心は心がけてそれを素直に聴こうとしていれば、中からどんどん湧き上がってくるようになります。

真心は不可分一体の“いのち”そのものからダイレクトに私たちに湧き上がってくるものですから、それがどんどん湧いてくるようになると、自分のことだけでなく、個人的、社会的な苦しみや混乱を何とか解決したいという気持ちがどんどん強くなってきます。

このような現象を観察していて思うことは、“いのち”は、わざわざ、二元相対的な思考しかできないアタマを備えた人間を創造し、人間に個人的、社会的な苦しみと混乱を作り出させ、それによって、行き詰りることによって、人間たちが自分という存在そのものに疑問を持ち、存在の真実(本来の“自分”、本来の世界)に目覚めるように“仕組んでいる”のではないかということです。

和田重正先生もご著書『もう一つの人間観』(地湧社)のなかで、同じような説明をされています。

この本はまさに名著だと思います。ぜひ、購入されて読んでみてください。

(つづく)






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