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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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思いがけぬ目覚め  その1

思いがけぬ目覚め  その1

以下は僕の恩師である和田重正先生のご著書『よい教育の場を求めて』(柏樹社刊)の中の文章ですが、先生が存在の真実に目覚められた時のことがかなり生々しく書かれています。

奇しくも、このところ僕が書こうとしていることと符合する所が多いので、みなさんの参考になると思い、あえて先生の書かれた文章をそのまま3回に分けて掲載する次第です。


思いがけぬもう一つの"目覚め" 

こうなったとき、人のすることはきまっています。私も例に洩れずハッキリと覚悟をきめました。そして、十年がかりで作り上げたところの「人間は自分のありのままの正体を知ることはできない。それは生きる意義を知ることができないという意味でもある。結局、如何に生きるべきかということを徹底した意味において知ることは絶対にあり得ない。また神や仏を信じて救われるのには自分の心はあまりに頑なである。この頑なな心をどうすることもできない自分は、宗教からも見放された人間であると思わなければならない」という理屈を繰り返し繰り返し検討し直して、その誤りのないことを確かめました。完全な敗北を確認したのです。そしてまず自分の辿ってきた考えの筋道を数日かかって一通り書き纒めました。これを読んでくれることによって、自分の死の意味を理解し、父や兄弟の悲しみがいくらか軽くなるだろうと思ったのです。そこでいよいよ実行にとりかかりました。姉の用い残したグレランという劇薬を多量に服むのです。

4月2日正午のことです。将に服もうとするとき、日頃口をきいたこともない女中が廊下伝いに急ぎ足で私の部屋にやってきて、障子を細く開けて言いました。「ごらんなさいませ。もうこんなに咲き始めました」

その張りのある明るい声に誘われて、私は何気なく振り向きました。女中の差し出して示す桃の小枝にはポッとまさに開こうとする桃色の蕾がついています。それを見たときの私の驚きようは、ただ目を見張るばかりでした。そして心中にはこんな叫びが渦巻いて起りました――、「みんな間違いだ。今まで見たり考えたりしたことは悉く夢だったのだ。コレが本当なのだ。真実なのはコレなのだ」

この驚きや叫びと同時に明るい世界に生まれ出たような気がしました。予期しない、あまりに急激な世界の変貌のために、暫しは呆然としましたが、「まてまて、これも瞬間の夢ではないか」と思いましたので、驚いてなおそこに立ちつくしている女中を去らせ、独り正坐して静かに瞑目しました。――生け垣の外を子どもが歌って通ります。庭の植込みで小鳥が啼いています。時々、遠くを走る省線電車の音が伝わってきます。5秒ぐらいだったか、それとも2、30分も経ったかわかりません。「よし!」という気がするので、それでも恐る恐る目を開けてみました。後戻りしていません。急に腹の底から大きな笑いが押し上げて来ましたが、辛うじて爆発を抑えました。

久しぶりに障子をあけて庭を眺めました。桜も松も生きています。門の外へも出て見ました。森も小川も雲も大地も、春の麗かな光の中にいのちのよろこびに燃え上がっています。このとき、私は生まれてはじめて天に向って合掌しました。思慮も分別もなしにただ合掌したのでした。

実にこの世界は生きた世界である。今までの世界は生きていない世界だった。あの世界はバラバラのものの寄り集まりの世界だった。この世界は一の世界である。あの世界の質は極度に粗い。この世界は精妙微妙を極めている。この世界の景色はあの世界の言葉では言い表わすことができない。これが実物ならばあれは影絵にすぎない。要するにこの世界は光と、もえるいのちの活々とした行き詰りのない世界でありました。しかもそれこそ己れの本来の住居だったのです。

(つづく)





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