プロフィール

昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

最新記事

カテゴリ

最新コメント

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

今滞在されている皆さんの数

現在の閲覧者数:

これまで訪問された皆さんの数

ありのままに見る

ありのままに見る

車で町から我が家に帰る途中、僕はしばしばその景色の素晴らしさに心から感動してしまいます。

青空に雲が浮かんでいて、遠くにはいくつかの山が見える中に、林や畑があり、所々に家々があり、そこに田舎道が曲がりくねって続いています。

他の人に聞いても、ほとんどの人は、確かにその景色は田舎の感じで悪くはないけれども、ごく平凡な景色であり、とても感動するような景色とは言えない、と答えるでしょう。

でも、僕はそんな景色に出会って、いつも心から感動しながら運転を続けています。そして、その度に「この景色に出会ったことにより、これまでの人生のすべてを100パーセント肯定することができる」とさえ思うのです。まさか運転中ですので天に向かって合掌するわけにもいきませんが、まさに、そんな感じです。

実は、このように景色を見て心から感動するのは、いつもの帰り道だけでなく、他の田舎道を通る時や我が家から空や雲や遠くの山々や林や畑を見る時も同じなのです。

ですから、その時々の気分(心理的状態)や脳の条件反射で景色がそのように見えるのではないことは明らかです。

どうして、こんなに感動するのだろうかと考えてみると、ずっと若い時にも、2,3回同じような体験があったことを思い出しました。

でも、若い時の体験の時には、その素晴らしい景色と感動の先に、「もっと、もっと」と、まだ求めたいものがあるような気がしてたことをはっきりと覚えています。

ところが、ある頃より見え方がさらに変わって、いつも「これですべてよし! これ以上求めるものは何もない!」と感じるようになりました。そして、庭の草花やネコたちを見ても同じ性質の感動を感じるようになったのです。

それが今日まで続いているのですが、見え方がそれ以前とどのように変わったかと考えてみると、感覚的には存在しているいろいろなものがそのまま、直接見えるようになったと言えるでしょう。

“直接”というのは、それまではメガネを掛けて、それを通して見えていたものが、裸眼でその実物がはっきりと見えたというような感覚です。

より正確に言えば、自分ではそのものを、つまり、実物をそのまま見ているつもりだったのが、事実は、思いというメガネを通してスクリーンに映った映像を見ていたということです。

それまでは、スミレの花一つ見ても、見ているつもりで、実は、まったく見ていなかったのです。思い、つまり、ラベルによって色付けられ歪んだレンズを通してスミレを見ていたからです。バラの花を見る時でも、バラの花用のメガネで見ていたというわけです。

ところが、実物を直接見ることができるようになったら、この世界の人間がバラバラ観という妄想によって作ったもの以外はすべて、その一つ一つが、そして、その全体が、ありのままで完結し、そのようにあることこそがこの上なく安らぎであり美しいということに気がついたのです。





a href="http://blog.with2.net/link.php?1689320" title="人気ブログランキングへ">←クリックで応援よろしくお願いします
人気ブログランキングへ

<< アッピーパパ | ホーム | 只管運転 >>


コメント

楽しい世界

裸眼でモノを見るようになると、どうも他の人からも、裸眼で私のことが見えるようになるらしい、と感じる今日この頃です。楽しいです。

自然の中で瞑想を深めていくことができたら・・・

私は都会に住んでいて、どう工夫をしたら自然の中で瞑想ができるのだろうと、
気が付くと、もっともっとと何かを求めている自分がいました。

でも、今、自分がいるそのままの環境で、そのものをただ見ていればいいのか。
瞑想は、なにかを求めるものじゃなく、ただ、瞑想すればいいんだったと思ったら、地下鉄から降りて沢山の人と歩いていると
急に、ああ、そうか。そのままでいいんだと。
パ~と広がっていく幸せな感覚がありました。

大都会でも関係ない。ただ、そのままでいいんだ。という安心感でした。

そんな安心感が都会に広がること。なにができるか、宿題にします。

11月のセミナーで先生から「観念的」というお話を聞き、まさに私は観念的に生きてきたと気が付きました。
いつも無意識にアタマを通して何もかも見ていたのです。
すべて間違っていました。
そのままを見るということは清々しく、愛おしいのですね。




日々の生活の中では、すべてがありのままで完結していて美しいと感じています。でも、今も起こっている戦争について知るとき、こんなことはおかしい、あってはいけない、という強い気持ちが起こります。
戦争=バラバラ観という妄想で作ったものが無い、本当に平和な世界にしたいです。

セミナーに参加して街に戻ってくると、同じ街の景色なのに「あれっ?」というくらいどこで何を見てもキラキラ輝いています。

そんな状況が数日で戻てしまうことも、次のセミナーまでずっと続く事もあります。

この輝いて見えるのが「ありのままに見えている」なんですね。

日々の瞑想・愉気・行気を深め、いつもありのままを見られる状態でいることが平和を創る原点かと感じます。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム