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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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ボサツとして生きる

ボサツとして生きる

「われまさに一切所有を捨つべし。われまさに心を一切衆生とひとしうすべし。」
    (大品般若経金剛品第十三)

この言葉には端的にボサツの生きる目標、あるいは、人生の理想が表されています。

「何か菩薩様ってすごいなあ。だからお寺に行って菩薩様のお像を拝めばご利益があると言われているのだろうな」などと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。

でも、そんな根性で菩薩様のお像を拝んでもまったく意味がありません。

というのは、このボサツというのは、私たち人間をはるかに超えた超能力的な存在なんかではなくて、まさに、私たち一人ひとりの本来の姿そのものだからです。

たしかに、世の中に広くはびこっているバラバラ観から見れば、「われまさに一切所有を捨つべし」とか「われまさに心を一切衆生とひとしうすべし」というような“崇高な”ことはまず我々生身の人間にはとてもできないことであり、それこそ、尊い神様や仏様でなければ絶対ムリということになるのでしょう。

でも、不可分一体の存在の真実に気がついてみれば、この世にもともと所有などということはないのですから、観念的でなく、実際に一切の所有を捨てて生きることは当然のことであり、また、生きとし生けるものは同じ一つの“いのち”を生きているのですから、すべての人々の心を自分の心としてと生きていくということも当たり前のことなのです。

すなわち、本来、私たち一人一人がボサツなのであり、その真実に目覚め、ボサツとして生きていくところに真の生きがいと喜びがあるのです。

では、あらためて『大品般若経金剛品第十三』を以下ご紹介しましょう。

「われまさに一切所有を捨つべし。われまさに心を一切衆生とひとしうすべし。われまさに十方一切(天地一杯)の衆生。もしは地獄衆生、もしは畜生衆生、もしは餓鬼衆生にかわりて苦痛をうけ、一々の衆生のために無量百千億劫(むりょうひゃくせんまんおくこう:数えきれないほど長い年月)かわりて地獄のなかに苦しみをうくれば、すなわちこれらの衆生、無余涅槃(むよねはん:心身ともに全ての束縛を離れた状態)にいたるべし。この法をもってのゆえに、この衆生のためにもろもろのごん苦をうけん。これらの衆生、無余涅槃に入りおわりてのち、みずから善根を植え、無量百千億阿僧祇劫に(数えきれないほど長い年月)、まさに阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら‐さんみゃく‐さんぼだい:一切の真理をあまねく知った最上の智慧)を得べし」

このように、自分が悟るのは後回しにして、まず地獄に落ちた人々のすべての苦しみを代わって受けて人々を救い、人々に先に悟ってもらおう。それから後に努力して自分の悟りを得よう、というのがボサツの誓願であり生きる姿勢です。

これを読んで、ボサツとして生きるのはとても苦しそうと思われたかもしれませんね。

でも、事実はちがいます。

ボサツの道こそ「自分も嬉しい、みんなも嬉しい、生きていてよかった!」というどこまでも開けた幸せ一杯の大道なのです。

あなたも、どうせ生きるのなら、こんな生き方をしてみたくないですか?





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コメント

ボサツとして

一切の所有を捨て、心を一切衆生とひとしうする。先生が実践され、私たちをそのように大事にしてくださってきたと思います。
愛をいっぱい受けた私は「自分もうれしい、みんなもうれしい」まごころ丸出しのボサツとして生きます。

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