プロフィール

昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

最新記事

カテゴリ

最新コメント

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

今滞在されている皆さんの数

現在の閲覧者数:

これまで訪問された皆さんの数

観念脱落  その1

観念脱落  その1

眼が見えても見えなくても、自分は決して変わらない。体や心、さらには外界の状況はいろいろ変わることはあっても、自分自身は決して変わらない。なぜなら、体や心は着物のようなもので、それらを着ている自分自身ではないからだ。自分は体や心のずっと内側にあって、絶対不変で完璧であり、何があっても傷つくものではない。だから、どんなことがあっても、恐れることも心配することもないのだ。以上は、僕が26歳のときの気づきを当時の僕の拙い言葉で表現したものです。

この確信は今日に至るまでどんな状況にあっても微塵も揺るぐことはありませんでした。そのお蔭で、今日まで、文字通り、何物も恐れることなく楽しく生きてきました。

けれども、当時は、「自分は身体や心ではなく、目に見える形や動きではない」ということには気づいていたのですが、「その“自分”の正体は何なのか」ということがはっきりしていたわけではありませんでした。

そのときはまだ「個としての“自分”はある」という観念に縛られていたからです。

別の角度から言えば、それまで、すでに“自分”というものについて、体験的に存在の事実をはっきりと捉えていたにもかかわらず、それを表現しようとするときに、“ある”とか“ない”という二元相対的にしか表現できない言葉の制約によって、捉えた事実を的確に表現できないでいたのです。

そんな中、30歳の時に、たまたま「自分とは何か、この世界とは何か」ということを、1週間と期間を限定して、徹底的に極めようという機会に恵まれました。

毎日朝早くから夜遅くまで食事の時間も惜しんで取り組みました。考えに考え続けました。どんどん自分が追い込まれていきました。その中で、ハッとするような気づきがいくつかありました。しかし、それらは断片的なもので、何か一番大切なことがはっきりしてないという感じで、結局もやもやした感じで1週間が終わってしまいました。

ところが、その直後に、突然、強固な岩山のような頭に一筋の小さなひびが入ったような感じがしました。さらに、いくつもひびが入り、それがどんどん大きくなる感覚があり、ついには、岩山の一角、あるいは、老朽化した大きなビルの壁などが欠けて崩落するような感じで、頭から観念が崩落し始めました。そして、どんどん、次から次へと観念が落ちて、最後にはすべての観念の岩山がガラガラと大きな音を立てながら粉々になって崩れ落ちてしまいました。そして、気がつくと、下に落ちた粉も消えていたのです。

ここで、観念というのは、自他、所有、優劣、差別、好き嫌い、善悪、浄不浄、自由不自由、義務、責任など人間が作り出した観念、感情その他に関する思い込み、捉われ、事実に沿わない妄想、思いなどです。

そのすべての観念が脱落したのです。

こうして、観念がストッと落ちてしまい、「そもそも、“自分”というコロッとしたものはなかったのだ」ということにはっきりと気づくことができました。

(つづく)





←クリックで応援よろしくお願いします
人気ブログランキングへ

<< 観念脱落  その2 | ホーム | 生死 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム