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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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観念脱落  その2

観念脱落  その2
(その1からのつづき)

観念の脱落は一瞬のうちに起こったのではありません。脱落が始まってからそれがすっかり完了するまでには10時間ほど掛かったように記憶しています。

ですから、たとえば、一時的に何もなくなってしまったような心理状態になったのではありません。

そのときの観念の脱落の様子を描写することは難しいのですが、こんな感じです。

ふいに、ある一つの観念がアタマに浮かんできました。それを見ていると、その観念がまったく実体がなく、その正体がただの幻(まぼろし)のようなものであることが見透かされたために、急に接着力がなくなって下に落ちていく、というような感じです。それが長時間に渡って、全部の観念や思い込みや妄想が脱落するまで次々に起きたという訳です。

こうして、観念がすっかり脱落して、自分はこの世界にすっかり素通しとなってしまいました。体はちゃんと見えているのに、自分が透明のような感じがするのです。それは今も続いています。

こうして、僕は、あらゆる観念やアタマの思い以前にすでに存在している世界、すなわち、不生不滅の“いのち”が顕現したこの世界において、常に変化し、生死するコロッと固定した自分というものはないこと、また、そのような他も存在しないこと、不生不滅の“いのち”こそが本当の自分であることにあらためて気がつくことができました。

まさに、道元禅師のお言葉をもじって言えば、「自分は不生不滅の“いのち”であるので、生死する個としての自分はない」のです。

かつて若かったときに、僕が真実の自分、真実の生き方を求めて、和田重正先生のところにしょっちゅう出入りしていました。

先生のお話を何度もお聞きし、ご著書も繰り返し読んで、アタマでは分かるような気がするのに、どうしても実感としてわかった!という気がしませんでした。

僕自身のこの苦い体験を、いま、振り返ってわかるのは、結局は、自分で作りあげたいろいろな観念や思い込み自体を検証することもなく、その観念と思い込みでできたレンズの分厚い色メガネを通して、先生のお話を聞き、先生の本を読んで理解しようとしていたのだな、ということです。

いま考えると、当時先生のところに集まっていた人のほとんどが、ご自分ではどのように思われていたかは別として、同じような状態だったように思えます。要するに、理解が生煮えになっていた人が多かったと思うのです。

僕自身はさんざん苦労した後に、幸いにも、気付くことができたのですが、観念や思いを通して、存在の真実を理解しようとしてもダメなのです。

ですから、体臭のように自分では気がつかず、当然だと思い込んでいる観念や思い込みに気付かせることによって、それらが自ら脱落するような場を設けることが必要です。そうすることにより、真実はずっと目の前にあったことに気がつくことができるのです。

それが自覚のセミナーであり、整体ライフスクールでの講話と只管打坐と活元と愉気の実習です。

かつて、道元禅師は心身脱落を体験し大悟されたそうですが、僕の観念脱落の体験も、少なくとも、僕にとっては、まさに、大悟だったと思います。

(おわり)





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