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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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以魚為水

以魚為水

道元禅師の『正法眼蔵』の『現成公案の巻』に次のような文章があります。

魚が水を行く時に、どんどん行っても水の際(きわ:尽きるところ)はなく、鳥が空を飛ぶ時に、どんどん飛んでいっても空の際はない。けれども、魚も鳥もいまだ昔より水や空を離れたことはない。水や空を大きく使う必要があれば大きく使う。使う必要が小さければ小さく使う。このように、魚は水のいたるところを泳ぎ回り、鳥は飛んでいかない空はない。けれども、鳥がもし空を出てしまえばすぐに死んでしまう。魚が水を出てしまえばすぐに死んでしまう。以水為命(水をもって命と為す)ということを知るべきである。以空為命(空をもって命と為す)ということを知るべきです。以鳥為命(鳥をもって命と為す)であり、以魚為命(魚をもって命と為す)である。以命為鳥(命をもって鳥と為す)であり、以命為魚(命をもって魚と為す)である。(以下略)

私たちの二元相対的アタマは、通常、(個としての)魚がそれとは異なる存在である水という場の中で泳ぎながら生きていると理解しています。

けれども、存在の真実は、以水為魚(水をもって魚となす)、つまり、水が魚を魚たらしめる)と同時に、以魚為水(魚をもって水と為す)、つまり、魚が水を水たらしめているのです。

すなわち、魚は水によって支えられて存在し、同時に、水も魚によって支えられ存在しています。

上の道元の文章の中で、「命」=「水」と読み替えれば、この僕の解釈が的外れとは言えないことは明らかでしょう。

「水」=「命」=「魚」であり、「空」=「命」=「鳥」です。

さらに言えば、「空」は「水」を支え、「水」は「空」を支えているのですから、「命」=「水」=「空」=「鳥」=「魚」(順不同)です。

水も魚も空も鳥もすべて大いなる“いのち“が一時的な姿として現れたものであり、もともと一つのものであるために、それぞれが相互依存して支えあいながら存在しています。

さらに道元の文章を紹介しましょう。

生というのは、たとえば、人が舟に乗った時のようなものである。この舟はわたしが帆を使い、わたしが舵を取る。わたしが棹(さお)を刺(さ)すと言っても、舟がわたしを乗せて、舟のほかにわたしはない。わたしが舟に乗って、この舟をまた舟たらしめる。この真実が明らかになった時には、すべては舟の世界である。天も水も岸もみな舟として現れているのである。それはわたしが舟に乗っていない時とは同じではない。だから、わたしが生をそのようにあらしめているのであり、生がわたしをわたしたらしめているのである。わたしが舟に乗っているのだから、わたしの心身も世の中のこともすべて舟のはたらきである。全大地・全虚空がすべて舟のはたらきである。生であるわたし、わたしである生というのは、こういうものである。

よく、道元禅師の『正法眼蔵』は非常に難解であり深淵だと言われます。たしかに、そういう面がないとは言えません。けれども、禅師の存在の真実についてのさとりは実に確かなものであり、書かれていることのポイントは簡潔明瞭であると僕は思います。




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コメント

道元禅師の「正法眼蔵」をアタマで読もうとしていた時は、難しくてとても読めるものではないと、諦めていました。
「命」=「水」=「空」=「鳥」=「魚」これは凄いです・・・

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