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昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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生で生きる

生で生きる

百丈が馬祖大師のお供をして山を散歩していると、突然野鴨が飛び立って行くのが見えた。
馬祖、「何だろう」。
百丈、「野鴨です」。
馬祖、「どこに去ったか」。
百丈、「飛び去ってしまいました」。(昇平コメント:鈍い!鈍い!)

馬祖は百丈の鼻をねじりあげた。 (昇平注:ここにいるじゃないか!)
百丈は痛さに思わず声を立てた、「あ痛、あ痛」。
馬祖、「また飛び去ってしまったと言う」。
百丈はここでドカン!と悟って、背中いっぱい汗が流れた。

寮に戻ると、わあわあと大声をあげて泣いた。
同僚が尋ねた、(中略)「なぜ泣いているんだ」。
百丈、「大師に鼻をねじりあげられ、痛くてたまらないんだ」。
同僚、「どんなわけがあって、大師に叱られたのだ」。
百丈、「自分で和尚に尋ねてくれ」。
同僚は馬大師に尋ねた、「百丈はどんなわけで和尚に叱られ、寮で泣いているのですか。どうか和尚、私におっしゃって下さい」。
馬祖、「彼はわかっておる。君が自分で彼に尋ねなさい」。
同僚は寮に帰って言った、「大師は君はわかっていると言って、君に尋ねてみよとのことだ」。すると百丈はハッハッハッと大笑いした。
同僚、「さっきは泣いていたのに、今はどうして笑うのだ」。
百丈、「さっきは泣き、今は笑う」。
同僚はぽかんとしていた。

翌日馬大師は、法堂に上がって説法の座についた。大衆が集まってくるや否や、百丈は飛び出して、礼拝の敷物をたたんでしまった。
馬祖はすぐに座を下り、方丈に帰った。
そして百丈に尋ねた、「さっきわしが堂に上がってまだ何も説かないのに、お前はどうして敷物をたたんでしまったのだ」。
百丈、「昨日私は和尚に鼻をねじりあげられ、痛かったです」。
馬祖、「昨日君はどこに心を置いたのだ」。
百丈、「今日は鼻はもう痛くありません」。
馬祖、「お前は今日のことをよくわかっている」。
百丈は礼拝して引き下がった。

(参考:『馬祖の語録』入矢義高編 筑摩書房 P168・P169)

この逸話はまさに、存在の真実を自覚するには、「生きた体験」すなわち「生の体験」が何よりも大切だということを伝えてくれます。

アタマの理解だけでは、悟りの日干しのようなものです。

この逸話の第一段の全般はそれまで百丈がいかにアタマの世界に生きていたかがよくわかります。

ところが馬祖に鼻をねじりあげられたとたん、その痛さのあまり、「あ痛、あ痛」と生の声がほとばしり、生きた真実の世界にはっきりと目覚めることができたのです。

こうして、百丈は存在の真実から遊離したアタマの世界を離れ、いつも“いまここ”に生きるようになりました。

それ以降の段は、ただただ、同僚の鈍さと馬祖の親切心が克明に描写されていると同時に、存在の真実に目覚めた百丈のきびきびした動きがとても印象的です。

泣きたければ泣き、笑いたければ笑う。これこそ、まさに、即心是仏そのものです。


さて、このブログのタイトル「生の声」の「生」はどのように読むのか? 「セイ」か?それとも「ナマ」か? 

「生(セイ)」は「生きていること」ですから、当然、「生(ナマ)」です。

生(ナマ)で生きるのでなければ死んでいるのも同じです。





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コメント

自覚のセミナー直前にアップされたこの文章を、自覚のセミナーから帰ってきた後で読みましたが、私も泣いて笑って百丈と同じでした。

幸い(?)私は昇平先生に鼻をねじりあげられることはなく、痛みはありませんでしたが、ハッと気づいたときは衝撃的で、その瞬間、今まであった(あるように思っていた)ものが消えて、何もなくなったような感覚がありました。

癖は根強いですが、それとは戦わずさよならして、寝ても覚めてもナマ!ナマ!ナマ!を心がけます。

ナマしかない

昇平です。

もともとナマしかありません。

本来、ナマの世界とアタマの世界があるのではありません。

たしかに、アタマで作った世界は現実として存在しているように見えるかもしれません。

でも、それは夢を見ているようなもので、実際に存在しているのは、何が起ころうとナマの世界しかありません。

そうは言っても、その世界がアタマが関与したために、存在の真理に合致して、正しい在り方になっているかどうかは別のことです。

正しい在り方になっていなければ、それは正したほうがよいのは当然です。


昇平先生のコメントを何度も読みました。さっと受け流すことがないように。

自覚のセミナーの再受講で、今までいかに話を聞けていなかったか、受け取れていなかったか、本当はどうかと真摯に向き合ってこなかった自分、不徹底さが浮き彫りになりました。

セミナーで確認した存在の真理に沿っていきます。間違いは正していきます。

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