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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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川の瞑想の実際  その2

川の瞑想の実際  その2
(その1からのつづき)

今回からは川の瞑想の実際の指導を、実際のセミナーをもとに、実況中継風に述べていくことにしましょう。

では、始めましょう。

活元運動、愉気の基本が川の瞑想にあります。これが一番の王道なんです。

愉気にしても、活元運動にしても、その基本はとにかく全てを大いなるいのちに任せるということなんですが、その任せるということが、ある意味では非常に難しいのです。妄想的な感覚で、自分では任せているつもりになっているだけという人が多いのです。

とにかく任せるということが基本なんです。野口先生は愉気や活元運動についてそこのところをただ「天心で」とか「ポカンとして」という表現でしか言われていません。まあ、的確と言えば的確なんですけど。その天心、あるいは、ポカンとなること自体がなかなかできない。

で、結局、予備運動を丁寧にやるというところにまた戻るんですが、そういうことも踏まえて、川の瞑想をきちんとやるということです。これは、結局、このCDの音に任せるのです。最初はアタマで「ああだ、こうだ」と思っていても、自然に任せるということがどういうことかを体得しやすいのです。これが川の瞑想の効能の一つです。

もちろん、川の瞑想というのは、自分の本体、この世界の本体そのものを体感する、体得することが目的です。体感しようというんじゃなくって、体感が自然とできるのです。ただやればいいんです。アタマでああだ、こうだとやっていると、その分だけ遅れます。任せるという気持ちでいれば、自然と任せるというのはこういうことなんだな、ということが自然と身に付いていきます。

この瞑想はとにかく努力の必要がないのです。一生懸命頑張って努力してある心身状態になっていくということではありません。


いくつかポイントがあります。まずはですね、最初に川の音がザーッというふうに流れます。そうすると、人間は本能的にその音に注目します。でも、なんか他のこと考えていちゃだめなんです。音が鳴っているなと思ったら、耳を澄ますという感じ。本能的にもそういうふうになりますけども、意識的にそっちのほうに意識を向ける。

川の流れの音に注意が引き付けられている状態で、突然川の流れの音がストップします。最初は音がゼロだったのが、川の流れの音が始まり、例えば50くらいにザーッと上がっていく。そして50に上がっていったのが、突然川の音が消えて、ゼロにポトンと落ちる。この突然の落差、その時に、すっと一瞬何かに引き込まれるような感じで、そのゼロの静寂世界に入る。

普段は、川の流れ以外の何かの音が聞こえているとすれば、その音が聞こえているわけですから、静けさを感じているわけじゃないんです。ところが、川の流れの音がプラス50から一気にゼロになると、その落差が一瞬でマイナス50になり、脳が自動的に反応して、一種の錯覚ですが、瞬間的にバーンと静寂な世界に入ったという感覚があるわけですね。その静寂になった時は一瞬、無の状態のような感じになります。

けれども、1、2秒もしないうちに、脳が再び立ち直ってきて、周りの音が聞こえ始める。ゼロになっていたのが、また5とか10とこう上がっていく。それと同時に、いろんな思いも現れてくる。

そんなふうな状態になっている時に、またしばらくすると川の音がザーッと流れるので、それが一気に50に上がり(厳密に言えば、他の音と合わせて55とか60になり、)そのレベルがまたずーっと続いていく。そして、再び突然音が切れてゼロに下がり(厳密に言えば、5とか10に下がり)、一気に静寂を感じる。同時に、アタマの中の思いもすっと消える。だけども、それも、1、2秒すると、また音が聞こえ始める。思いも出てくる。こういうようなことを繰り返していくわけです。

これから先は、他の音を無視して、川の音がしているときは音量50、していないときはゼロ(0)として説明していきます。

川の音が50からゼロに落ちた時の静寂な感覚を、そこに集中することによって、努力して時間的に延ばそうとする人がいますが、これは間違いです。

僕がこの川の瞑想のポイントとして、みなさんにお伝えしているのは、そういうことではありません。プロセスとしては、50が何秒か続いてたのがストンと0に落ちて静かになる。1、2秒して、また音が聞こえ始めたり、思いが出てくる。そういうことを繰り返している。

50が0にストンと落ちてできた瞬間的な静寂な時間を努力して引き延ばすのではなくて、ストンと瞬間的に0に落ちて静寂になった時に、意識的に、この0ところに意識を向ける。1、2秒して、また音が聞こえ始めたり、思いが出てきて、音が3とか5とか10に上がっていく感じがあるのですが、それと併行して、同時に、0のラインのところにずーっと静寂が続いていることに気づきます。つまり、音があるなしに関わらず、元々このゼロのところはいつも変わらず絶対的に静寂なんだということに気がつくのです。僕は、それを「絶対静寂の0ライン」と呼んでいます。

川の瞑想のCDは、例えば、50の有音が10秒続き、その後突然0になり、0の無音が1分とか2分とか5分間続くというように音が鳴ったり消えたりします。その川の音が突然消え、音が0になるたびに意識を0ラインに向けることを繰り返していると、絶対静寂の0ラインがもともと存在していることをはっきりと体感できるようになります。

つまり、元々音があるなしに関わらない絶対的に静寂な世界があるということがわかってくるわけです。つまり、川の音が流れている。それから、それがゼロに落ちてから、1、2秒後に、また川の音が聞こえ、部屋の外を流れている実際の川の音とか風の音とか人の声が聞こえてくる。そういういろいろな音とかが聞こえながらも、0の静寂のラインがずーっと切れずに続いている、ということにアタマでなく実際に気づくのです。

繰り返します。これまでは、CDの川の流れの音がしていると、注意力は50の有音のほうにだけ引かれているので、このゼロラインの静寂がないように感じているんです。

で、突然川の流れの音が消えて、ポトンと0に落ちる。で、最初は落ちた瞬間の1,2秒の普通の静寂だけを感じている。ところが、繰り返していると、0のライン、つまり、絶対の静寂がずっと続けて存在しているのを感じることができるようになります。

熟達してくると、川の音が50でザーッと鳴っている時にも、同時に、このゼロのラインの静寂を感じることができるようになります。この0のラインの絶対的な静寂の世界は川の音がしようとしまいと、人の声がしようとしまいと、車の音がしようとしまいと、思いがアタマに浮かんで来ようと来まいと、体の感覚があろうとなかろうと、ずーっと続いているのです。そこに気が付くまで、何回も川の瞑想をやってください。

つまり、意識的に静寂になろうとするということじゃないということです。自分が、結果的に自然になってくると、元々静寂の世界がずーっと根底にあることに気づくのです。そこで、そこのところに意識的に意識を集めていきます。

そうすると、絶対的な静寂が根底、あるいは、奥にありながら、その絶対的な静寂をバックにして、川の音が聞こえたり、いろんな外の風の音とか人の声なんかも聞こえている。満員電車の中でアナウンスが聞こえたり、人の声が聞こえたり、車の音がしたり、ゴーゴーゴーゴー、そういう音が一方で聞こえながら、その奥にはいつもこの絶対的な静寂がある。これに気が付くことです。

そのうちに、CDを使っていちいち川の瞑想をしなくても、ずーっと静寂な状態でいれるようになるわけです。東京駅のあの雑踏の中だってできる。丸の内のあの車が行きかっているところでも、いろんな音が聞こえたりしているのにも関わらず、この絶対の静寂が常にある。もともと、すべての音の奥にはそういう絶対の静寂な世界が存在しているのです。

自分の思いはもちろん出てきます。でも、思いが出てきても、他の音が聞こえても、絶対静寂な世界にいることができるようになります。そうなってくると、思いに引きずられないようになって、思いを手放しにしておけるようになるので、思いは次第に力を失い、気にならなくなるとともに、相手にされない思いはいつのまにかほとんど浮かんで来なくなってきます。

そうなってくると、今度は、周りだけでなく、自分自身が完全な静寂であることを体感することができるようになります。これが人間の一番自然な状態です。これがあって初めて愉気ができる。これがあって初めて活元、本当の意味での任せる活元運動が出てきます。

(つづく)





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コメント

ありがとうございます。

川の瞑想CD 丁寧に作ってくださり 本当にありがとうございます。
毎日おこなっています。

音が消えた瞬間、真空状態のような刹那の静寂。 
存在ごと吸い込まれるような 言葉ではあらわせない体感です。
いきつもどりつの日々の暮らしのなかですが
この静寂が 自分の中に流れている
本当にありがとうございます。
これからも丁寧に瞑想をつづけます。

川の瞑想の実際

 とても緻密につくられた「川の瞑想」のCDだと感じていましたが、ここまでとは思っておりませんでした。
雑な性格ですので、こんなに丁寧に教えていただけるのは、ありがたいです。

 川の瞑想50分間やってみました。
ある時点から、例えると真っ白いスクリーンにいろいろ映っては消えて、でもスクリーンは白いままずっと広がっているような感覚があります。
この「川の瞑想の実際」を読んで瞑想を続けます。

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