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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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再び自観法について

再び自観法について

以前ブログで何回かに分けて自観法について説明しましたが、その後ずっと自観法を続けて実修している方が少ないようなので、それではみすみす宝の山を見過ごしていることと同じで、あまりにもったいないとの思いから今回のブログを書いています。

自観法については以前説明したように、特別に何かに集中しなければならない時を除いて、普段の日常生活において、特別な場面や状況を選ばずに、約1分間自分の思い、あるいは、意識の流れを批判や批評や反省などすることなしに、ただ眺めているというものです。できれば、1日に何回もやったほうが効果的です。

”効果“と書きましたが、自観法を1か月も毎日続けて実修していると、素晴らしい成果があるでしょう。けれども、自観法のコツは何か素晴らしい成果を得ようというような余計な考えを持たずに、自分の思いを “ただ”眺めているだけです。

私たちの心は、次から次にいろいろな雑念を思い浮かべています。青空に次々と雲が自由に現れては流れ消えていくのに似ています。その次々に浮かんでは消えていく雑念をそのまま自由に遊ばせながら勝手に眺めているのです。

通常、多くの方々は、そのような思い、あるいは、そのように思っているものこそが”自分“だと何の検証もなしに思い込んでいます。けれども、毎日自観法をやっていると、”見られているもの“と”見ているもの“がだんだんはっきり分かれてきます。つまり、” そのような思い、あるいは、そのように思っているもの“が”見られている自分“であり、それを”もう一つの自分“がじっと見ている、ということにはっきりと気づくことができます。

そして、この“もう一つの自分”こそが本当の自分、真の自己です。真の自己はどんなものかと言えば、姿も形もありません。色も着いていません。それは強いて言えば、完全に静寂で無限に広がった空間です。簡単に言えば、何もない「空」です。でも、本当は何もないのではなく、「空」でありながら、いや、それだからこそ、この大宇宙のすべてを含んでいます。ヨガではそれを“大我”と呼んでいるようです。(僕はそれを“いのち”と呼んでいます。)

それに対して、”見られている自分“をヨガでは”小我“と呼んでいるようですが、それは生活上の表面意識であり、この社会における個人的また社会的な対立や混乱を引き起こしている元凶です。(でも、真実は、そんな”個としての自分”などはもともと存在しないのです。この体とアタマを使って生きているのは“いのち“なのです。もともと自分など存在しないのです! これは驚き以外の何者でもありません。この存在の真実に気づく時に本当の大安心が得られるのです。)

自観法のもう一つの効果は、習熟するにつれて、感情に振り回されることがどんどん少なくなります。心は楽しくなります。そして、怒りっぽい所がなくなり、悲観癖もなくなり、人に対する偏見や恨みごとやひがんだ気持ちもなくなり、この世界がますます美しく見え、心が優しくなり誰とでも打ち解けて話せるようになります。一言で言えば、生きることがとても楽しくなります。

まさにいいことずくめなのです。ですから、自観法をやらなきゃ本当にもったいないのですよ!





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コメント

ありがとうございます!

本当に楽になり楽しいです☆彡 悲観癖、不安、心配といったネガティブな自分をみつめて ときに微笑んでしまいます♪ ありがとうございます!

ありがとうございました

こんばんは。先日のセミナーではありがとうございました。

今の状況をご報告します。
私は、洗濯物を干す時や歯磨きをする時など単純な動作のときに自観法をすることが多いのですが、その際に思いや感情を眺めていると自分がその体から離れて自分の動きをみているような感覚になります。自分が動いているのではないと感じます。
その時には思いや感情は消えていることがほとんどで、ただ動いている自分をみているというか感じているというような状態です。
そのいうことを続けていると、自観法をしているときに限らず自分の動きや思いや感情などが自分からどんどん離れていって視界がクリアになっていくように感じます。

さらに続けて深めていきます。
いつもありがとうございます。

やり直しています!

今回「再び自観法について」を読み、ズレていたことに気づき、椅子から飛び上がるほどでした。
「青空に次々と雲が自由に現れては流れ消えていくのに似ています。その次々と浮かんでは消えていく雑念をそのまま自由に遊ばせながら勝手に眺めているのです。」
はっとしました。
最近は、じっと見すぎて、“そのまま自由に遊ばせて”はいなかった、と。

1年ほど前は、鳥や犬の鳴き声が聴こえては消えていきました。
そして、働く高層ビルが城塞のようだという思いをただぼんやり眺めていることを続けると、圧迫感のある巨大な建物が、やわらかくあたたかみのある礼拝堂のように思えてきました。

そこでひと息入れて安心しきっていると、大きな雲はまた現れて「思いと“自分という思い”が最初からくっついてしまっている」状態に戻りました。
右と左をアタマで考え、その思いに覆われていたかと思います。
ただ、日々雲外蒼天は嬉しく広がっています。

このブログを何度も読ませていただいた後、自観法をあらためて再開し、雲をただ眺めています。
昨日は、仕事で疲れたなあという感覚を仕事中にちょっと眺めていると、薄い半透明のような蛇の皮のようなものがパラっと落ち、嬉しい達成感になり疲れが少し流れました。
それもただ眺めています。
こんな段階ですが、時間や状況を変えて継続し、自由に遊ばせて眺めます。
そしてまたこのブログを読み直して確認し、整えて深めます。

何度も繰り返し、全身全霊で書いてくださり、本当にありがとうございます。


最近では自観法をやろうと思うと意気込み過ぎるのかあまり上手く行かず、でも、例えば動揺して、無意識に自観法をやっているような時があります。そうするとその動揺がいつの間にか消えていてまるで無かったような、そんな感じになる事があります。
あまり力まずに続けて行きます。

自観法で、思いが浮かんでくるのを眺めていると、次々と思いが浮かんできて、すっきりしない時がありました。
改めて、昇平先生が、批判や批評や反省などする事なしに、ただ思いを眺めるのだと指摘して下さって、ハッとしました。
自分でも気付かずに、批判や反省などをしていました。
これに気付いてからは、批判や反省の癖が出てきても、それにとらわれる事がなくなり、スッキリとして、心が軽くなりました。
これからは、ズレずに自観法を深めていきます。

いつも、大切な気付きをありがとうございます。

再び自観法についてのブログを読んだあとに、まずいなと正直おもいました。またいい加減に、やらなくなってしまっていたなと。以前は寝る前などにやっていましたが、最近は気づいたら生活の中でどんどんやるようにしています。感情や思いというものが、剥がれ落ちていくような感じがしています。続けていきます。

遅ればせながら…

以前は怒りや不安などの感情が出てきそうな時に対処法的に自観法をやっていましたが、ブログを読み効果を求めずにただただやってみたらこのほうスッと入れることが分かりました。「効果」は勝手に付いてきました。

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