プロフィール

昇平

Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

最新記事

カテゴリ

最新コメント

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

今滞在されている皆さんの数

現在の閲覧者数:

これまで訪問された皆さんの数

盤珪禅師とネホサ

盤珪禅師とネホサ

江戸時代後期に生きた盤珪禅師は次のように述べています。

「私たちが親から授かったものは仏心一つです。仏心は不生にして麗明なものですから、不生の仏心でいれば一切事が整います。なんと尊いことではありませんか。仏心の尊いことを知れば、迷いたくとも迷われません。一切の迷いは身のひいきにより迷うのです。身のひいきにより不生の仏心を修羅に変えてしまいます。身のひいきさえしなければ、一切の迷い出てきません。」

禅師の使われた用語を僕なりに現代風に表現すれば、
不生の仏心=もともと具わっている真心
迷い=精神的混乱や苦しみ
身のひいき=アタマで思い込んだバラバラ観により、何よりも自分が大切、自分さえよければと思うこと
修羅=真心の反対。バラバラ観に基づいた間違った観念、自分さえよければという思い、そこから出てくる怒りや妬みなどの悪感情など。

盤珪禅師の言葉は仏教の心髄と、それを日常生活の中でどう生きればよいのかということを実に的確に分かりやすく表現しています。

私たちがこの人生を十全に生き切るためには以下の二つの点がもっとも大切だと言えるでしょう。

第一点:「私たちひとり一人が親から授かったものは仏心(真心)一つである。真心を丸出しでいきていけば一切事が整う」ということを真実であるとしっかり“決定”(けつじょう)して生きていくこと。

第二点:アタマに振り回されないように、毎日の生活の中で、瞑想の自然法、あるいは、只管打坐、あるいは、川の瞑想を実修し、アタマを手放す時間を持つことがとても重要。ちょっとした時を見つけては、一日に何回も自観法をやるととてもよい。

この二つの点をきちんとやっていけば、人生を十全に生き切ることができるのですから、簡単と言えば、とても簡単なことです。人生を生きることは本来困難なものであるはずがないのです。本当は誰でも容易に周りの人とも仲良く楽に生きていけるのです。

でも、それはあくまで個としての人生を考えた時であると言えましょう。というのは、この世界、この社会にはバラバラ観を根底とする個人的、社会的な争いや対立によって引き起こされた大きな混乱と苦しみの中で不幸な人が犇めいています。

こういう社会的な苦しみや混乱を考えると、個々人が盤珪禅師の教えをしっかり理解し、あるいは、只管打坐その他の瞑想法をどれだけ一生懸命にやっていても、何の解決も見いだせないということは誰にも容易に分かるはずなのです。それでも、瞑想さえやっていればよいのだ、すべてうまく行くはずだと思っているとすれば、それは盲信的な思い込みか、あるいは、社会的な諸問題の解決などまるで眼中にないということなのでしょう。

私たちは個として存在であると同時に、この世界に生きる社会的な存在でもあります。個に当てはまることは全体にも当てはまります。ですから、盤珪禅師の教え、真心丸出しの生き方を個人の生き方にするだけでなく、日本の理想として掲げることが社会の混乱や苦しみの解決し、世界の平和を創造するための“切り札“となるのです。 

それがネホサです。それは決して困難なことではありません。




←クリックで応援よろしくお願いします
人気ブログランキングへ

<< あるがまま | ホーム | 再び自観法について >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム