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僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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今こそ国に理想を その6

今こそ国に理想を その6
(その5からのつづき)

日本国憲法の意味 

以上述べてきた提案の趣旨から、「今、私たちが何をすべきか」と考えた時に、現実的には、今も最も緊急な課題は「改憲か護憲か」という問題に正しい判断をすることです。それがまさに日本の未来を決定するからです。そのためには「日本国憲法というのが何を言っているのか」ということを正しく理解することからはじめなければなりません。そしてさらに、日本国憲法の歴史的な意義を深く理解することが肝要です。   

前文をよく読むと まず日本国憲法の前文を読んでみましょう。最初の部分は省略します。  

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。    

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利を有することを確認する。  われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 


この前文は、多くの人にとって、ちょっと読んだだけでは分かったようで分からないところがあるようです。その結果、私たちはこの前文を漠然と文字の羅列だと受け取り、その活気みなぎる能動性と積極性を見落とし勝ちになるのではないかと思うのです。そこで、少し言葉を補ったりしながら、その意味をよく考えてみましょう。カッコでいくつかのことばを挿入し、同時に文の順序を少し入れ換えたりまとめたりすると、この前文の意味は非常に明快になります。それは次のようになります。 

日本国民は、(一時的な仮の平和ではなく)恒久の平和(つまり、ずっと永続する本当の平和)を念願します。  私たちは、人間相互の関係を支配する崇高な理想(つまり、人間は皆兄弟のような存在であり、お互いに自由であり、平等であるという人間相互の本来のあり方)を深く自覚しています。  私たちは、平和を愛する諸国民の正義と誠意(つまり、こちらが正義と誠意を持って接すれば、相手も、正義と誠意で答えてくれるということ)を信頼します。 

そして、(武力で私たちの安全や生存を守ろうとするのでなく)平和を愛する諸国民の正義と誠意を信頼することによって、私たちの安全と生存を守ろうと決意しました。 私たちは、平和を維持し、圧制と隷従、抑圧と不寛容を地上から永遠になくし、また、全世界のすべての国民が、恐怖と貧乏からまぬがれ、平和に生きることができるように(自分たち自らが、先頭に立って、そのために全力で努力し、貢献することによって)国際社会において、名誉ある地位を占めたい(つまり、尊敬される存在になりたい)と思います。 

いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視しては ならないのであつて(つまり、どんな国家でも、「自分の国さえよければ」というエゴイズム国家であってはならないのであって)、(以上のような)政治道徳の法則は、(本来すべての国が守るべき)普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じます。  

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげて、これらの崇高な理想と目的を達成することを誓います。 (自分たち自らが先頭に立って、そのために全力で努力し、貢献することによって)名誉ある地位を占めたい‥‥という部分に関しては、カッコ内に挿入した(自分たち自らが‥‥)という文が恣意的だと思われるかもしれません。しかし、「平和が維持され、圧制と隷従、抑圧と不寛容が地上から永遠になくなること」をただ単に、心の中で願っているだけでは、とうてい「国際社会において名誉ある地位を占める」ことはできないはずです。そのためには、どうしても国家レベルでの積極的な実行による大きな国際貢献がなされなければならないはずです。また全体の文脈から言っても、カッコ内に挿入した文章を補って読む方が前文の意味がはっきりすると思います。 

このように丁寧に前文を読んでみると、この前文全体から見えてくることは、日本国憲法の活気みなぎる能動性と積極性です。   

九条をよく読むと 

次に、第九条を見てみましょう。  

日本国憲法第九条一 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求 し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は 武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 


ここで、第一項の「国際紛争」には、前文の意味から当然「相手国からの自国への侵略」も含まれます。つまり「自衛のための戦い」も「国際紛争を解決する手段」に含まれるのです。したがって、第二項の「前項の目的を達成するために」という中には「自衛のための戦い」も含まれるということになります。 

さらに、第二項の「交戦権」については、そもそも国際法上では、「戦争」といえば「自衛のための戦争」しか認められていません。つまり、そもそも「他国を侵略する権利」は認められていないのです。ということは第二項の「交戦権」というのは「自衛のために戦争する権利」ということです。したがって、第二項の「国の交戦権を認めない」というのは「国の自衛のための戦争を認めない」ということなのです。 このように解釈してこそ、第一項と第二項がぴったりと整合し、さらに第九条と前文もぴったりと整合するのです。この部分は何回も繰り返して読むと、よく意味が分かってきます。  

自衛権について  

もちろん、国際法では「自衛権」が認められています。しかし「自衛権」はそのままイコール「武力により自衛する権利」ではありません。というのは、「自衛権」には「武力によって自衛する権利」も「武力以外の手段で自衛する権利」も含まれるからです。 

九条で言っているのは、本来は(国際法から言っても)「自衛権」も、そしてその中の「武力により自衛する権利」もあるけれども、日本はあえて「武力により自衛する権利」は放棄するということです。つまり九条は、本来「自衛権」はあるけれども、「自衛のための戦争」を含むすべての戦争を放棄しているのです。 

逆に言えば、九条は「武力によらないで自衛する権利、すなわち平和的手段によって自衛する権利」は放棄していないのです。ちなみに社会の中には、権利はあってもそれを放棄するという例はいくつもあります。たとえば財産の相続権などの場合を考えると、分かりやすいのではないでしょうか。 

このように、固定観念を持たずに、素直に九条を読めば、九条が「例え、自衛のためであっても、武力は持たない」という決意の表明であることは疑う余地はありません。「不幸にして外国から侵略を受けることがあっても、武力をもって立ち向かうことはせず、武力以外の手段で自衛しよう」という捨て身の構えを表明したものと受け取るべきです。

九条には「国の交戦権は認めない」と書いてあるだけで、「自衛の必要がある場合は、この限りにあら ず」というような例外規定は何もついていないことが、何よりもこの解釈を裏付けています。 

要するに一口で言えば、「これからはもう戦争はしません。戦争はしないということを保障するために、陸海空軍という武力は持ちません」と言っているのです。そこには何の条件も付けてはいません。「こういう場合はやります」とか「こういう場合はやりません」とか一切条件を付けてはいません。俗な言い方をすれば「売られてもケンカは買いません」ということです。   

(つづく)





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コメント

前文と九条

ここでまた読ませて頂いて、その懐の深さに改めて感動してしまいました。個人としてもこのようでありたいと思います。

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