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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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自分とは何かを考える

自分とは何かを考える

誰かに「真実の自分とは何か」と尋ねると、「真実の自分」というその意味自体がわからないという答えが返ってくることが多々あります。

よく聞いてみると、自分というのは、ここにこういう肉体を持ち、自分という意識を持ちながら、いろいろと考えたり、感じたり、いろんなことをやっている個体である。だから、強いて言えば、「ここにこのようにしている人間」とでも言うしかない、というような答えが返ってきます。

おそらく、これがほとんどの方の自分というものに対する捉え方であり、それ以上、真実の自分とは何か?などと考えてみようとも、あるいは、追及してみようなどとは思いも寄らないことなのではないかと思うのです。

でも、自分というものの認識がそこで終わってしまっているために、そこからバラバラ観が生じてくるのです。

両親、祖父母、兄弟、先祖、親戚などは血が繋がっている。それ以外の人達とは同じ人間だから繋がってはいるが、切り離されている。つまり、バラバラだ。いや、両親や兄弟でも、やはり、それぞれ考えていることもやることも(たまにはその内容が一致することはあっても)そもそも違うのだから、結局、みんなバラバラなのだ、というわけです。

では、例えば、親指と人差し指は同じでしょうか? 違うものでしょうか? バラバラでしょうか? それらを動かしているものは別々でしょうか? 同じものでしょうか?

今、庭を見ると黄色のタンポポと赤いバラの花が目に飛び込んできました。そのタンポポとバラを生かしているチカラはそれぞれ違うチカラが働いているのでしょうか?  同じチカラでしょうか?
 
そもそも、タンポポやバラやこの自分というものを創り(生み)出し、今それらを生かしているチカラはそれぞれ別々のものでしょうか? 同じものでしょうか?

空を見上げると青空に白い雲が浮かんでいます。その雲はゆったりと西から東に動いています。今や濃い緑になった木々の葉っぱが風に揺れています。そう思っているうちに雨がパラパラと落ちてきました。これらのすべてを生み出し、それぞれに働いて生かしているチカラとこの自分を生み出し、今現在生かしているチカラは違うものでしょうか? 同じものでしょうか?

この個体を自分と意識しているのだから、この個体こそが自分だと言っても、それをそのように意識させるチカラこそが真実の自分なのではないでしょうか?

この個体を自分と意識させるチカラは、今庭にいるあの人にその個体を自分と意識させるチカラは同じ一つのチカラ、すなわち、“いのち“なのです。

“いのち“は大宇宙を生み出し、そこにたえず働いて、星々や大地や大自然を生み出し、そこにたえず働き、すべての生物を生み出し、生かしています。それだけでなく、目の前のパソコンや机をはじめ、この世界のすべての存在と現象を創り出し、それらに働きかけていています。

真実の自分はこの大いなる一つの根源的なチカラ 、“いのち“であり、その真実の自分の中にすべてがあるのです。

自観法をやってみれば、この個体を自分だと意識しているものをただじっと見ているものこそ真実の自分、“いのち“であることが容易にわかります。。





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