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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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佛様になる

佛様になる


(以下は、和田重正に学ぶ会機関誌『ここに帰る』第62号 令和元年7月15日発行に掲載された和田重正先生の文章です。)

少しかけ離れた話で、みんなには分からないかもしれませんが、私にはとても面白かったので話しておきます。
 鎌倉の円覚寺の管長さんは朝比奈宗源さんという偉い坊さんです。二、三年前このお坊さんに来ていただいてお話を聞いたことがあるのですが、その時こんなことを言われました。
 「人間は死んだら誰でも佛になる。一生修行を積んだ人も、積まない人も、宗教を信じた人も信じない人も、みんな同じ佛様になるのだ。少しも変わらない。悪いことをしたから地獄に行くとか迷って死んだら行くところへ行けないで人に祟(たた)るとかいうのはみんなウソで、どんな人でも全部立派な佛になるのです。」
 そのとき質疑に立った女の人に、宗源さんは声を励まして言われました。
 「死んで無差別の涅槃に入るというのでは、この世で善根を施したり(善いことをしたり)、修行をしたりして苦労することが無意味ではないかとあなたは考えるのだろうが、そんなケチなことではだめだ。」

 まことに、ケチな根性のために人間は、道理にあったものの考え方が出来ないのです。


以上の朝比奈宗源老師の言葉とそれに対する和田先生のコメントはまさに私たちすべてにとっての福音です。折に触れて何度でも読み返したいものです。

私たちは無垢の“いのち”の現れにより人として生まれ、その後人の特性として本能だけでなくアタマを使って生きていくために、正しいことだけでなく間違いを犯しながら生きて行きます。でも、いずれ肉体の生が尽きて、再び無垢の“いのち”そのものに戻って行きます。この存在の真実を朝比奈宗源老師はわかりやすく説いていられます。

このように、自分自身が間違いをしばしば犯しながら生きているだけでなく、人間の社会ではある人の間違った考え方や行いのために他の多くの人が被害や迷惑を被るということが頻繁に起こっています。

では、自分自身を含めて、間違いを犯し、他の人々を苦しめている人は“悪い人”なのでしょうか? これが今回のテーマでもあります。時間をとってよく考えてください。


結論から行きましょう。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。この言葉はまさに真理であり、福音です。その人の考え方や行いが真理に照らして間違っているのであって、その人の本体は無垢の“いのち”そのものです。ですから、ある人の考え方や行いを憎んでも、その人自身を憎まないのです。

朝比奈宗源老師の話を僕なりに言えば、本当は、死んでから佛様になるのではありません。その人の本体は生きている時からずっと佛様なのです。

だから、誰かが自分がそうすべきでないと思うことをした時にその人に対して腹を立てるということは、佛様に対して腹を立てていることであり、それこそ“罰当たり”なのです。

また、腹を立てるということは、相手の考えや行いではなく、相手そのものを憎むということです。相手がどんな意図で間違いを犯そうとも、その人を憎むということは天に向かってツバすることであり、ひいては、自分にツバすることなのです。




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