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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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道元現成公案私解 その1

道元現成公案私解 その1

鎌倉時代に曽洞宗を開いた道元が著述した『現成公案の巻』には道元の仏道についての基本的考え方がすべて述べられています。

今回は『現成公案』の冒頭の4つの文章を取り上げ、僕なりに解説してみたいと思います。


(1) 「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。」

まず、「仏法」とは、「自己を含む存在の真実」という意味。

したがって、(1)の意味は直訳的には次のようになります。
「諸法(すべてのもの)の存在の本質は迷悟、修行、生死、諸仏・衆生として顕れている。」

これをわかりやすく言うと次のようになります。
「存在の本質(“いのち“)が現象として顕れた世界ではすべてのものには差別(違いや区別)があり、二元相対的である。」

さらにわかりやすく言えば、次のようになります。
「ひとつの存在の本質(“いのち“)は、現象として、無数の異なったな存在が寄り集まった世界として顕れている。」

(2) 万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。

(2)の意味は直訳的には次のようになります。
「万法(すべての存在)には“われ”(自性・そのもの固有の性質)がないという(存在の本質)から見ると、(この世界には)迷いも悟りもなく、諸仏も衆生もなく、生滅もない。」

これをわかりやすく言えば、次のようになります。
「存在の本質(“いのち“)のレベルでは、すべてのものには差別(違いや区別)はなく、平等・一様、つまり、一元絶対である。」

(3) 仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。

(3)の意味は次のようになります。
「仏道(存在の真実)はもともと豊倹(色や空、あるいは、二元相対や一元相対という次元)を超えているので、(一元絶対の存在の本質である“いのち“が)生滅、迷悟、生仏など(二元相対の差別相)として顕れているのである。」

これをわかりやすく言うと、次のようになります。
「存在の真実は存在の本質であるひとつの“いのち“は次元を超えてバラバラなものが寄り集まった世界として顕れている。」

(4)しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。

(4)の意味は直訳的には次のようになります。
「しかもそうなのだと言っても、やはり花が散るのは惜しいし、雑草がはびこるのは嫌だ。」

その真意は次のようになります。
「しかも道理はそうだとしても、人としての自然の情としては、やはり花が散るのは惜しいし、雑草がはびこるのは嫌なのだ。」

つまり、(4)の意味を少し詳しく説明すれば、(1)(2)(3)と「すべての存在はひとつの“いのち“の顕われだ」という道理を述べてきたが、それで「花はただ散っているだけだとか、雑草もただはびこっているだけだなどと、何でも当たり前だ。ただ起きているだけだ」などと無機的に思うとすれば、それを言っちゃあお終いよ。だって人間だもの」というわけです。

その人間的な迷いも“いのち“の顕われだということにはっきりと気が付ければ、迷いの底を突き抜けて悟りに至るのです。

そんなことを(4)で道元は伝えたかったのだと思います。





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