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Author:昇平
「いのちの塾」へようこそ!

僕は普段は標高650メートルの山の中に家族と仲間そしてネコ10匹と一緒に生活しています。

そして、その合間に日本やヨーロッパの各地で「本当の自分は?」「本当の平和を実現するには?」などをテーマに講演をしたりセミナーを主宰しています。

このブログでは、僕が体験的に捉えた人生やこの世界の真実について書いていきます。

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みんなで国に理想を掲げよう  その2

みんなで国に理想を掲げよう  その2

「国際環境平和国家」を国の理想に 
                 
地球環境を保全し、途上国の諸問題を解決するには、国家エゴイズムを放棄して、国際的な環境保全と平和と福祉の活動を国内の政策と同じように、国家の基本方針とすることが必要です。つまり、国家の最重要政策として、自国を含めた世界の環境保全と平和・福祉増進に貢献するということです。

一言で言えば、「国際環境平和国家」に生まれ変わるのです。国際社会において、「脱国家エゴイズム」というまったく新たな原理に基づく国の出現によって、現在の国家間の緊張は大きく緩み、深刻な諸問題の解決に向けて、国家間の協調体制が確実に進んでいくでしょう。

しかしながら、ある国が国際環境平和国家として、その活動を全面的に始めるまでには、国内のあらゆる体制や仕組み、産業のあり方などの大変革が必要です。このような大変革が直ちに実現するとは考えられません。それまでには、ある程度の時間がかかるのは当然のことです。とは言っても、そのような国家が現実に誕生して初めて、国家間の対立が緩和し始めるというのではありません。

ある国で、「国際環境平和を国家の理想として掲げよう」という活動が活発になることによって、世界中の心ある人々の間で、この動きに共鳴する動きが生じ、それが国家間の緊張関係を緩め始めると思われます。

この活動がますます広がり、ついには、その国が国際環境平和国家を国是とすることを宣言すれば、世界の緊張関係は大幅に緩和されるでしょう。そうなれば、各国が利害の対立を捨て、問題の解決に協力し合うという光景が世界のあちこちで見られ、それから段々に国際環境平和国家の考え方が実施されるようになるでしょう。世界中の人々は、未来の新しい世界に大きな夢を描き始めます。そして、世界の国々の中から、その国に続いて、脱エゴイズム国家に生まれ変わろうとする動きが起こっていくでしょう。

日本が最初に国家エゴイズムを放棄する

では、どこの国が有史以来続いてきた国家エゴイズムを自ら放棄し、人類史上初めての国際環境平和国家に生まれ変わることができるのでしょうか。理論的にはどの国でもできるはずです。しかし、この考え方のポイントは「他に要求するのではなく、まず自ら一方的に国家エゴイズムを放棄する」ということにあります。それを始めるのは、やはり、この考えが生まれた日本です。日本がやらなければ、この考え方は成り立たず、また、現実的に有効な力とはなりません。

もう一つ理由があります。それは、日本が世界で唯一の被爆国だということです。原爆の悲惨さを骨身に沁みて知った日本人は、核の怖さを世界に訴えながら、今日まで非核三原則を維持してきました。核戦争を回避することはもちろん、地球規模の環境問題など人類社会の行き詰まりの解決のために、日本が率先して国際環境平和国家に生まれ変わることは、日本人に与えられた人類史的な使命だと思います。

さらに、もう一つ理由があります。日本は他の国々に比べて、圧倒的に有利な条件を持っています。それは日本には、「戦争放棄、軍備撤廃」というだけでなく「平和的な手段で国際貢献することによって国の存立を図る」という人類史上唯一の脱国家エゴイズムをうたう平和憲法があるからです。日本に「国際的な環境と平和の達成」を国是として掲げようという考えは、平和憲法の精神と同じものであり、それをより能動的に解釈し、具現化したものと言うことができます。そういう意味からも、日本だけでなく、世界の将来にとっても、日本の平和憲法は人類が持つ最高の宝物の一つなのです。

その他にも日本は、産業経済能力、人々の知的水準、科学・技術力、文化の蓄積など、国際環境平和国家として、世界の環境保全や平和・福祉に大きく貢献することができる有利な条件に恵まれています。

ただ、憲法に関しては、その意味を充分に理解していない人もかなり多いということと、憲法の精神を戦後の日本人は活かそうと努力してこなかったという事実があります。

そこで、現憲法を血肉の通ったものとするために、あらためて、日本に国際環境平和国家という理想(国是)を掲げようという活動を起こし、それを活発にして、最終的には、国民投票などによって、国際環境平和国家の理想を日本に掲げることを、国の内外に宣言することが必要だと思います。

(つづく)





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みんなで国に理想を掲げよう その1

みんなで国に理想を掲げよう その1

危機を乗り越えるには

今日、私たちは地球的規模の環境破壊、発展途上国の貧困と飢餓、そして、戦争や紛争の危機など多くの深刻な問題に直面しています。その実態は、一般に考えられているよりもはるかに深刻で、近い将来、地球上の多くの人々が甚大な被害を受けるだろうと予測されています。

日本についても、同じように、多くの深刻な社会問題を抱えていますが、今、もっとも緊急の問題となっているのが憲法改正の問題です。これは、日本が再び戦争に参加するかどうかという、日本の将来を、文字通り、左右する重大な問題だと思います。

多くの心ある人々が、諸問題を解決しようと懸命に努力してきました。そして、現在も努力を続けています。こうした努力によって、いろいろな問題が軽減したり解決したりと、多くの成果が上がっています。にもかかわらず、残念なことですが、世界規模の深刻な行き詰まりを根本的に乗り越えるまでには至ってはいません。

平和の実現については、人々の純正な心情に負うところが大きい問題だと思います。しかし、「戦争反対」「平和憲法を守れ」という声を上げることは大変重要なことですが、世界の平和という広い視野を見渡して考えたとき、果たしてそれだけで実現できることなのでしょうか。

戦争を防ぐには、争う必要のない状態を作ることが最重要です。戦争は、国と国、民族と民族がお互いに相手を認め、相手の気持ちや立場を理解し合うことによってのみ防ぐことができます。そのために、もっとも確実な方法は、相手が敬愛する気持ちを抱くような自分たちになることでしょう。それに加えて、こちらが相手にとって「なくてはならない」大切な存在になることも絶対に必要です。そのような行動こそ、平和を創造する力の源となるのです。

平和は言葉だけで得られるものではありません。平和は自ら創り出さなければ達成できません。この行き詰まっている世界において、まず、日本が自ら積極的な平和のための行動を取ってこそ、世界平和の道が開けてくると思います。平和は、一方の得が他方の損になる「ゼロサム・ゲーム」ではないのです。

世界と日本の行き詰まりを根本的に打開するには、従来とは全く異なった考え方が必要だということは、多くの人が感じていることだと思います。

行き詰まりの根本原因は国家エゴイズム

諸問題の根本的な解決を図るためには、その根本原因を究明し、それを取り除かなければなりません。世界や日本の深刻な問題を生み出してきたものは、煎じ詰めれば、人間のエゴィスティックな欲望と言っていいでしょう。しかし、今日、個人個人のエゴイズムを組織化し、その総計の何百倍、何千倍もの巨大な力に増幅しているものは「国家のエゴイズム」です。

国家エゴイズムとは、現在、多くの国家の基本政策となっているもので、「自分の国さえよければいい」という行き方です。それは、国際社会の中で、他国との対立姿勢を生み出しているだけでなく、産業や経済、教育や福祉などすべての制度や仕組みから人々の生活意識までを、根本のところで形作っているのです。この影響は非常に大きく、物心ついた時から当たり前のことだとされてきているので、気づかないうちに深く心に浸透しています。

環境問題や南北問題などにしても、その根本の原因は、多くの人々の物質的豊かさや便利さ・快適さを追い求める欲望にあるのです。それが経済成長至上主義を促し、大量生産―大量消費―大量廃棄のための科学技術を発展させ、競争をあおる社会の制度を作り上げました。そして、諸問題を生み出し、あるいは増幅させ、その解決を妨げているもっとも大きな力が国家エゴイズムなのです。したがって、国家エゴイズムの解消を図ることこそ、世界と日本の行き詰まりを乗り越える唯一の道だと思います。 

これまでも、国家エゴイズムが世界平和を妨げる元凶であることを認識し、それを解消しようと唱えた人々は少なからずいました。しかし、いずれも抽象的に「国家エゴイズムを捨てて、世界中は仲よくすべきだ」と説くことが多く、有効な具体策は説かれませんでした。国家エゴイズムの対立は、国家間の話し合いで解消できるものではありません。話し合いや他に要求するのではなく、まず、ある一つの国が一方的に国家エゴイズムの放棄を宣言し、実行する以外に、国家エゴイズムの対立を解消する道は開けないと思います。

(つづく)




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ワクワクして生きる

ワクワクして生きる

先日、拙著『国の理想と憲法』のまとめとも言える「提唱 みんなで国に理想を掲げよう」という項を読み直していた時にあることに気が付きました。

それは提唱の最後の部分です。そこに僕は次のように書いています。

明るく楽しい気持ちで進めよう
最後にお伝えしたいことは、この活動はこの提案に「賛同する」人たちで進めていきたい、ということです。輝かしい日本の未来を想像し、ワクワクしながら「できるように、何とかできるように、そのためにはどうしたらよいか」と、明るく楽しい気持ちで希望を抱きながら、工夫し、努力していきたいものです。この態度こそ、この活動を進めていく上で最重要の姿勢だと思います。従来の考え方に囚われない、柔軟な発想を出し合っていきましょう。
要するに、ここに提案しているのは「国に理想を掲げるために、私のやり方に協力してください」というお願いではありません。そうではなくて、「みんなであらゆる知恵を出し合って、日本の国に理想を掲げ、やがて日本を国際環境平和国家にしていきましょう」ということなのです。

その中でも、僕は、特に、「最後にお伝えしたいことは、この活動はこの提案に『賛同する』人たちで進めていきたい、ということです。」という文章を提唱の最後にどうしても書いておきたいと思ったのです。

でも、その当時なぜどうしてもこの部分を入れたかったかということは、なぜかはっきりとは言葉で表すことができませんでした。

ところが、先日その意味がはっきりと自分に納得できたというわけです。

それは「この活動はこの提案に『賛同する』人たちで進めていきたい」という言葉そのものです。「賛同する」を「感動する」に変えればより明快かもしれません。

つまり、ネホサはネホサの提案に「感動する」人たちで進めていきたいということです。

ですから、ネホサの考えを拡げるために他と議論して他を説得して納得させるなどということは必要ないのです。

ネホサは、そもそも、そういうものではありません。

この提案を読んだり聞いたりして素直に感動して嬉しくなり、ワクワクして、その実現をこころから願いながら、楽しく日々の仕事や学習など生活を営みながら、思わず家族やできるだけ多くの知人にも知ってもらいたくなって本を紹介する、あるいは、ネットに自分の気持ち表明し、この本のことや考えを紹介する、ということこそ、ネホサの王道です。

ネホサに必要なものは素朴で、素直に感動するこころだけです。

ですから、人とああだ、こうだと、いつまでも議論を繰り返している人たちのことは放っておいて、ネホサはこの考えを人から聞いたり、本やネットなどで知って、素朴に素直に感動しワクワクして生きる人たちこそが活動の主役であるということです。

このことに気が付けば、このネホサの考えこそ、実現容易な、非常に実践的な提案だということが分かるのではないでしょうか。

まったく新たな気運を創り出す
まず国に理想を掲げることから
ワクワクするような国を創ろう
一人ひとりの平和を愛する心が活動の主体
明るく楽しい気持ちで進めよう

以上は『提唱』の中の小見出しですが、それらがすでにネホサの主張をはっきりと表していることにお気づきでしょうか。





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僕が野良ネコを可愛がる訳

僕が野良ネコを可愛がる訳

我が家では何匹もネコを飼っているので、外のベランダにもエサを用意しています。

そのために、毎日いろいろな野良ネコが入れ替わり立ち替わりエサを食べにきます。アッピーパパもその内の一匹だったのですが、今ではすっかり我が家の一員となり、老後をゆったりと過ごしています。

その他に、黒色の毛に所々黄色のマダラがある丸々太った一匹の雌ネコが、2,3か月前から、ベランダに置いてある段ボール箱に住みついたようで、朝エサを用意しているとさっと現れるようになりました。僕は早速「マダラン」という名前をつけてやりました。

マダランはどうやら元は飼いネコだったようで、とても人懐こくて、ドアを開けてやると、すぐに部屋の中に入って、家の中を一回りしては、また外に出ていきます。

このようなことが我が家では日常茶飯事になっているのですが、僕がこのように野良ネコを可愛がるのには訳があるのです。

僕の少年時代、我が家はとても貧乏でした。ただ、母が動物好きで、家の中で小鳥を飼ったりネコを飼ったりしていました。それで僕も動物がとても好きになったのです。

ところが、ネコの避妊手術もできないほど貧乏だったので、だんだん増えて、小学5年生の時には4匹のネコを飼っていました。ところが、ある日の夜遅く父と母が変な形をしたものを入れた大きな袋をそれぞれ背中に担いで出かけようとしています。

僕は「それは何ね?」と訊きました。すると母が横を向いて「ネコたちだよ。もううちでは飼いきらんとよ。それでどこかに捨てにいくったい」と答えました。

末っ子の僕はその子たちが生まれたから弟や妹のような気持ちで可愛がっていました。それで、「嫌だ!」と叫びたくなりましたが、父と母の本当に悲しそうな顔を見て、言葉を飲み込みました。

その時、僕は「自分たちが生きていくために、ほかの者たちを押しのけて生きざるを得ないのだ」という、何とも言えず、情けなく、また、悲しい気持ちを骨の髄まで感じたのです。

生まれた時から飼ネコとして、食べ物を貰い、家の中で好きなように暮らしていたネコたちがいきなり見知らぬ路地に放り出されてどのように生きていくのかと考えると可愛そうでしかたがありませんでした。

でも、父と母の気持ちを考えると、僕は「どこにネコたちを捨ててきたとね?」と尋ねることもできませんでした。

それでも、毎日学校から帰ると、両親には内緒で、見当をつけてはアチコチとネコたちを探しに出かけていました。でも、とうとう見つけることはできませんでした。

その悲しさとやるせなさが、ついには、20歳の時に、競争社会の中で自分が生きるために他を押しのけていく生き方をやめるという決断に繋がっていきました。

僕に今いくらかでも人に対する優しさがあるとすれば、この小学5年生の時の体験があったからだと思います。

僕にとっては、人もネコもイヌも鳥もまったく同じなのです。

とにかく、人でもネコでもイヌで鳥でも一人でも一匹でも一羽でも不幸な人やものがいない世界を実現したいと思って生きています。

そして、それが、僕が肉を食べなくなった理由でもあります。





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私たちはエデンの園に戻れるか

私たちはエデンの園に戻れるか

旧約聖書によると、神様は天地創造の後、神様の姿に似せてアダムとイブという二人の人間を創り、エデンの園という楽園に住まわせました。

それこそ幼子のような二人は食べる心配もなく、何の心配することもない楽園の中で、無邪気にお互いに男女ということを意識することもなく、お互いをお互いの分身として、無条件に仲良く楽しく生きていました。

ところが、ある日、二人は蛇にそそのかされて、神様にこれだけは絶対に食べてはいけないと言われていた「知恵の実」を食べてしまいます。

知恵の実を食べた瞬間、二人はお互いが男性であり女性であることを意識するようになり、裸でいる自分を恥ずかしがるようになりました。

神様は絶対に食べてはいけないという掟を破った二人をエデンの園から追放します。それ以後、二人だけでなく、その子孫である私たち人間は自ら労働をしなければ食物を得ることもできず、互いに食べ物や富をめぐっていつも争いあいながら生きていくことになってしまいました。

これは俗に「失楽園物語」と言われていますが、実に真髄をついた話だと思わずにいられません。

この話を僕なりに解釈すると、アダムとイブは知恵の実を食べることによって、アタマが働くようになったのです。そして、その結果、二人はバラバラ観を存在の真実だと思い込むようになったのです。

エデンの園では生きるために必要なものはすでにいつも目の前に用意されていました。だから、そこには食うための努力も心配もなく、生存競争もなく、ただただ、無邪気に楽しく生きていくことができました。だからこそ、エデンの園は「楽園」なのです。

こうして、エデンの園を追放されて以来、人間は苦しみの中で生きていくことになったのですが、そのあまりの辛さのために、人々は天の国に救いを求めるようになりました。

そうした中、「神の子」と称される一人の青年が現れて、人々に言います。

「幼子のごとく素直で無邪気でなければ、天の国に入ることはできません。」

幼子はアタマを使わないので、バラバラ観に毒されていません。だから、幼子はみんな誰でも素直で無邪気なのです。

ところが、成長するにしたがって、アタマが働き始め、バラバラ観を持つようになります。それとともに、素直さを失い、無邪気さを失うとともに、あの可愛い笑顔を失ってしまいます。

これでは、とても正常な人間とは言えません。

そうした苦しみの中から、その苦しみの根本原因がバラバラ観にあり、不可分一体こそ存在の真実だということに気がつき、エデンの園に回帰する確かな道を人々に指し示す人が出てきました。

そのポイントは「アタマを手放しにして、不可分一体の存在の世界に自分を投げ入れる」ということです。

それが只管打坐であり、活元運動であり、愉気です。

日常的に、これらの行法を生活の基本に据えて、不可分一体の真実のより深い体得を心がけ、“いのち“を土台にして、アタマを不可分一体の理に沿った方向でみんなのために使いこなしていくことこそが人間に課せられたテーマなのです。

アダムとイブをエデンの園から追放した神様の本当の意図はそこにあったのだと思います。





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